しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2018年11月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

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粘着(中国)ラバーってどうなんだろう――ちょっとだけ打ってみた

練習できず、悶々としているとき、『卓球グッズ2018』という本を読んだ。
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私は用具音痴(新製品とかには詳しいのだが…前記事「用具についての断想」)で、新しい用具を試そうなどとあまり思わないのだが、最近行き詰まりを感じているし、練習もできないので、なんとなく手に取って読んでみたのだった。

あまり用具に興味のない私でも、引き込まれてしまうのはどういうわけだろう。こういう本を毎年読んでいて、毎年魅力的な新製品が紹介されるのだが、購入してはみたものの、ろくに試さず、もとの用具に戻してしまうということの繰り返しである。

そうなることは分かっているのだが、こういう記事を読むと、また新しい用具を買いたくなってくるからタチが悪い。

おすすめのラバーを特集した記事の中で、フェニックス卓球クラブのコーチがこんなことを書いている。

うちでは初心者にまず「730」と「マークV」を貼らせて自分でボールを飛ばす感覚を磨かせます。

「へぇ…TSPの730かぁ。中国ラバーみたいな硬い粘着ラバーだったよなぁ。マークVを初心者に使わせるというのはよく聞くが、730を初心者に使わせるなんて聞いたことがないなぁ。」

しかし今を時めく指導者が勧めるのだから、きっと何かしら理由があるのだろう。730ってどんなラバーなんだろう…。

次の記事は作馬六郎氏の指導理念の特集である。

ラケットは重いほうが打球も重くなります。スマッシュも相手の威力に押されずに打つことができます。ラケット重量は使っていくうちに慣れるので、気にせず使い続ける。すぐに戻してしまうのは決心が弱い選手です。
確かに重いラケットはラリーが長く続くと不利になるでしょう。しかし、フルスイングで打つチャンスをどうやって作るのか、スマッシュをいつ打つかなど、決め球へつなげるために頭を使うようになります。

作馬氏は女子の指導で定評のある指導者である。「ラケットの重量は使っていくうちに慣れる」というのは若い男子選手ではなく、非力な女子選手を念頭に置いての発言であるはずである。200グラム近いラケットをブンブン振り回すのは何も男子高校生や男子大学生だけの特権ではないということである。「決め球へつなげるために頭を使う」かぁ…。そういう頭を使ったことがないなぁ。「振ろうと思えばいつでも全力で振れる」という油断があるんだろうなぁ。重い用具を使って、全力で振れるのは「1ポイントに一度だけ」という制約があれば、私もラリーの組み立てに意識が向くのかもしれないなぁ。

そんなことを考えながらページをめくっていくと、「中国ラバーを探る」という特集。

そういえば、私の周りでも中国ラバーに変えたという人がチラホラ見受けられる。しかもけっこう上手な人である。中国ラバーってどうなんだろう?飛ばないから台上ではミスが減りそうだ。

翔龍を使用している岩崎栄光選手は次のようにコメントしている。

テンション系は少々適当に打っても入りますが、粘着性だと1球1球良いフォームで打たないと良いボールが入らない。

これは粘着ラバーを批判しているのではなく、粘着ラバーのメリットとしてのコメントである。時間がないとき、つい手を伸ばして手打ちで打ってしまう癖のある私が中国ラバーを使えば、どんなときでもしっかり体幹を使って打つクセが身につくのかもしれない。

偉関晴光氏は次のように述べる。

日本は伝統的に、上回転のラリーを重視する傾向があります。しかし中国卓球では、「下回転」をより重視しています。卓球ではラリーになる前の段階、つまりサービス・レシーブからドライブに至るまでの段階で、様々な回転に対応する必要があり、中でも「下回転に対していかに攻撃するか」が重要。その点で、中国ラバーは大きな武器になります。

言われてみれば、私もラバーを選ぶときは上回転でのラリーを基準において、上回転のラリーで良いショットが打てるラバーがいいラバーと無意識に考えていた。しかし初中級者の実戦では上回転のラリーよりも台上の下回転でのやりとりのほうが重要なのは言を俟たない。対下回転の強さというのがラバーを選ぶときに初中級者が最も重視することなのではないだろうか。

新井卓将氏は自らの指導経験からこう述べている。

私が指導している選手にも、”修行”の意味で1カ月ほど中国ラバーを使わせたことがあります。最初は威力が出ないし、練習でも疲れるのですが、それがトレーニングになり、また台上技術などで新たな感覚をつかむことができました。

旧製品に比べて「スピードが出る」とか「回転量が増した」といった特徴は私の琴線には触れない。新製品は次々と出るが、当社比〇%アップ!と言われながら、試してみたら、旧製品とほとんど変わらなかったということを何度も経験してきたからだ。実際には微妙に性能が上がっているのかもしれないが、用具音痴の私には誤差の範囲内で、その恩恵が体感できないのである。
それに対して「良い打ち方が身につく」とか「訓練になる」とか、そういう言葉には弱いのである。私も中国ラバー(あるいは硬質の粘着ラバー)を使うようになれば、しっかりと全身を使ったいいフォームで打てるようになるのではないだろうか。しかも目下の課題である台上のミスが減り、重い中国ラバーを貼れば「決め球へつなげるために頭を使う」ようになるかもしれない。

ちょっと試してみようかな。新井氏も「誰もが一度は試してみる価値あり」と言っているし。

そういえば、うちに昔使っていたラバーがあったような…。あった、あった。古いキョウヒョウ。中年になって卓球を再開したばかりのときにもらったやつだ。これを使っていないラケットに貼ってみよう。

先週の練習でキョウヒョウを貼ったラケットをワクワクしながら使ってみた。ワンコースで相手にブロックしてもらってこちらはフォアドライブを全力で打ってみる…あれ?なんだか想像していたのと違う。打っていて気持ちよくない。なんだかモアっとした打球感で、力がボールに伝わらず、力を入れてもその大半がラバーに吸い取られるような気がする。喩えて言えば、硬い牛筋を噛んでいるような、噛んでも噛んでも噛みきれないような、そんな気持ちの悪い打球感だった。すぐにいつものテンションラバーに戻した。

これが中国ラバーが敬遠される理由か。世間で言われる通り「1球1球良いフォームで打たないと良いボールが入らない」というのが分かる気がする。しかし私が打ったときはワンコースの単純な練習だから、体勢が崩れていたり、時間がなかったりということもなく、私なりに万全の体勢で打っていたはずなのに、それでもまだ「良いフォーム」ではなかったということだろうか。これ以上、良い体勢で打つなんてできるのだろうか。これじゃまさに”修行”だよ。あ、台上を試してみるのを忘れた。

ある程度の期間、いろいろなボールを試してみたら中国ラバーの良さが分かってくるのだろうか。しかし週に1回ほどしか練習できないのにこんな”修行”をやっていたら、中国ラバーの良さが分かるのに1年ぐらいかかるんじゃないだろうか。現実は厳しい。このまま使い続けるべきかどうか迷うところである。


本物志向――試合観戦の意義

久しぶりにいとこのうちを訪れて、近況などを話しあった。
いとこは毎日多忙な生活を送っているが、最近の唯一の楽しみはウィスキーなのだという。
ウィスキーが趣味というのは具体的にいうと、いろいろなウィスキーを飲み比べ、味わい楽しむことである。作っているわけではない。言うまでもないか。

ウィスキーに限らず、お酒というのはビックリするほど高いものがある。サントリーの「山崎」というウィスキーなどは700mlで数万円するものもある。その一方で近所の酒屋には1500円ほどの値段で売っている安価な製品もある。同じウィスキーなのにこんなに違いがあるなんておかしい。体に悪いわけでもないし、別に1500円のウィスキーでもいいじゃないか。

そのような私の話を聞いて、いとこはおもむろに見覚えのある懐かしいボトルを取り出した。

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「これ、知ってるよね?昔、日本で人気のあったサントリー・オールド。独特のボトル形状からダルマって呼ばれてる。ちょっと飲んでみる?」

勧められるままに一口ふくんでみると…なんてことはない、普通のウィスキーである。

「次にこっちのウィスキーもどうぞ。」

よく知らない銘柄だが、輸入品だということは分かる。こちらを一口飲んでみると…全然味が違う!ダルマは雑味が多くごちゃごちゃした味わいで、喩えて言えば、「倉庫の中でほこりをかぶっている」ような味に感じられたのに対し、輸入品のほうは透き通るような味わいで、成分が生き生きしている。身体に染みわたるようなうまさだった。

「こっちは1本5~6千円するスコッチ・ウィスキーなんだけど、全然違うでしょ?昔の日本では『本物』のスコッチ・ウィスキーは高くて手が届かなかったので、比較的安いダルマが人気だったけど、今となってはダルマを飲もうっていう気にはならないな。同じウィスキーといっても、銘柄によってずいぶん味が変わるでしょ?」

味の良し悪しというのは人によって違うから、ダルマの雑味?こそが美味いと感じる人もいるだろうが、私にはスコッチ・ウィスキーのほうが美味しく感じられた。今ではサントリーの高級ウィスキーというのは世界的に認知されつつあるが、昭和の時代には高級な輸入ウィスキーの代替品といった位置づけだったのかなと思う。

考えてみれば、昭和の貧しい時代には欧米の「本物」の代わりに国産の「代替品」のようなものがよく作られていたように思う。ドイツやアメリカの車は高いので、スバル360が作られたり

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「本物」のスイス製の腕時計は高すぎるので、「代替品」としてセイコーの腕時計、「本物」のドイツ製の代わりにキヤノンやニコン。今では国産品のほうが「本物」を凌駕してしまったものもあるかもしれないが、昭和の時代というのは、高すぎて手が届かない「本物」の代わりにとりあえずの代替品で日常の便に間に合わせようという時代だったように思う。だから昭和の末期になって性能的には国産品が輸入品に肩を並べても、やはり舶来品というものは一目置かれていたと思う。「日本製」とか「メイド・イン・ジャパン」といった言葉が宣伝に使われるようになったのは、ここ20年ほどではないだろうか。昔は国産というのは宣伝文句になる言葉ではなかった。とすると、今から30年後にはもしかしたら「中国製」という言葉が宣伝文句に使われるようになっているかもしれない。

この間、上手な人と練習をした時、ツッツキの鋭さにびっくりした。
バックスイングをとらず、身体全体でボールに近づいていくから、いつ打たれるかタイミングが取れない。そして同じ体勢のまま急に面を起こしてフリックをしたり、そのまま手を伸ばさずストップになったりと変幻自在である。ツッツキもスーッと手を伸ばすのではなく、早く短くグッと押すのでスピードが速い。かと思うと横回転をかけてつっついたりするので、こちらは余裕をもってドライブを打つ姿勢に入れない。こういうのが「本物」のツッツキなのだと思った。私や私がよく練習している人たちのツッツキは、同じツッツキといっても「代替品」にすぎない。一応ツッツキではあるけれど、「本物」のツッツキと比べたら、ツッツキの良さを全く引き出せていない。

いい勉強をさせてもらった。「本物」を知らないと、自分の技術が「代替品」であるということにすら気づかず、十年一日のごとく同じような卓球をして進歩がないだろう。幸いなことに、最近ではTリーグが始まり、地方の人間でも「本物」を見るチャンスが多くなった。今年は全日本も大阪で開かれるので、一般愛好家も機会があれば、ぜひ「本物」を観に行ってほしい。プロのプレーはあまりにもレベルが高くて一般愛好家の参考にはならないと思っていたが、プロのプレーをじっくり観察し、自分のプレーと比べれば、一つや二つ、何か発見があるかもしれない。

私は冒頭でウイスキーの価格に数十倍の違いがあると驚いたが、いとこにしてみれば、卓球のラケットだって、ラバーが初めから貼ってあるホビー用のラケットが1500円ほどで買えるのに、一方で2~3万円もするラケットがあることに納得できないかもしれない。「木でしょ?どれでもそんなに違いはないでしょ?」と言われそうである。たしかに一般層の大半にとっては実売5千円ほどの安価なものだろうが、2万円強の高級ラケットだろうが性能的に問題になることはないだろう。上手な人が使えば、スワットやSK7で全日本に出ることだってできるのである。国際レベルになると用具の微妙な性能差で試合に勝てないということもあるかもしれないが、一般層にとっては結局見た目と打球感の違いにすぎない。とは分かっているが、個人的にはやっぱり実売1万円以上のラケットを使いたい…。



若い時の苦労は買ってでもせよ――『正しいパンツのたたみ方』を読んで

Tリーグが始まっているが、楽しそうだ。しかし、あれは関西には縁のないお祭りである。いや、女子の試合は大阪の南の方で行われているらしいが、京都人からすると、不便すぎて行く気になれない。交通費だけでも往復で3000円ぐらいかかりそうだ。Tリーグ関連で東京ではいろいろなイベントも開かれているらしい。東京の人は恵まれているなぁ。

私はというと、ひどい風邪をひいて仕事を休み、その仕事を持って帰って、この週末はそれをこなしていたら、全部潰れてしまったし、卓球のことをあまり考えられなかった。

ブログ更新にもあまり熱が入らなかったが、週に1回ぐらいは更新しようと思い、今、こうやって書いている。何を書こうかな。

最近、読んだ本のことでも書いてみよう。卓球には関係ない話題で申し訳ない。

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ちょっと前に話題になった『正しいパンツのたたみ方」というのを友人に借りて読んでみたところ、なかなかおもしろかったので紹介したい。

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筆者は男性の家庭科教員で、この本は家庭科が実に奥の深い教科であるということを教えてくれる。

筆者は高校の入学式の後、保護者と新入生に対して次のような訓示を行った。

昼はできるだけ弁当を持ってきてください。
でも別に保護者の方が作る必要はありません。みんなももう高校生ですから、自分の弁当ぐらい、自分で作ってもいいと思います。一度や二度作るのはそれほど難しくないでしょう。ですが、毎日弁当を作りつづけるというのは大変なことです。でも、それを三年間やり通せたら、どれだけの自信になるか計り知れない。僕はそう思います。ぜひ挑戦してみてください。

筆者はこんなめんどうなことを3年間やれる生徒はいないと思いながら、もしかしたらという期待をもってこの訓示をしたのだという。

そして3年後の卒業式の日、ある女子生徒にこんなことを言われたのだという。

ところで先生、入学式のとき、何言ったか覚えてる?覚えてへんでしょ?

なんと、筆者でさえすっかり忘れていた教えを忠実に守りとおした生徒がここにいたのである。

最初のころはほんまに大変で、もうやめよ、もうやめよって、何度思ったかわかれへんけど、そのたびに、もうちょっとだけがんばろうと思って作ってたら、そのうち弁当作るのが普通のことになってきて、よく、家族の分も作ってあげたりしてん。

この女子生徒が弁当作りからどれほど多くのことを学び、人間的に成長したか私には想像もつかない。

私たちはともすると、弁当作りというのは、料理の技術の問題かと勘違いしがちだが、弁当を作るということは、単に作るのみならず、材料の買い出し・選別から、下ごしらえや、アレンジ等、総合的な能力が求められる。全ての材料が目の前にあって、分量なども決まっている料理教室のようなものではない。準備から出来上がりまで、すべてを自分で考えなければならないのだ。

めんどくさすぎる。

私が同じ立場だったら朝、コンビニでパンなりおにぎりなりを買って済ますという安易な方に流れてしまうだろう。それをこの女子生徒は成し遂げたのだ、3年間弁当を作るという偉業を。

弁当を作るということは、総合的な行為だと述べたが、それによって料理を作る技術が身につくだけでなく、自立心も養われるのである。弁当を作るためには生活を自分で管理しなければならなくなる。弁当を作るためには早起きをしなければならないし、前の晩から翌日の弁当のことを考えなければならないので、いろいろなことに気をつかわなければならない。料理の材料を買うことで金銭感覚も身につくし、栄養バランスに対する関心も出てくるだろう。

若くしてこのような経験をした人は、「めんどくさい」と感じることがほとんどなくなるだろう。そしてめんどくさいと感じなければ、勉強でも仕事でも他の人よりずっと優位に立てるのである。考えてみれば、私たちが失敗する主な原因は「めんどくさい」ではないだろうか。学校で来週テストがある。テスト勉強はめんどくさいから、つい次の日に先送りして、痛い目をみるのである。部屋を片付けるのがめんどくさいから、散らかしたままにしておくと、いざというときに必要な書類が見つからないのである。この女子生徒はおそらく帰宅したら、復習と予習をきちっとして、明日の授業に備えるだろうし、部屋が少しでも散らかっていたら、躊躇なく片付けるだろう。「めんどくさい」という感覚が鈍感になっているのである。

逆に親にいつも弁当を作ってもらう子供だったら、どうだろうか。時間通りに弁当ができていて、それがおいしいかどうかにしか意識が向かないであろう。その弁当ができるまでに親がどのような手間をかけたのか全く気付かない。そういう子供は両親に対する感謝の念、ひいては他者に対する感謝の念が薄くなるに違いない。

「今日の練習試合の相手、弱すぎたよなぁ。電車とバスを乗り継いで1時間もかかったのに、意味なかった」
「どうして顧問の先生は部活にめったに顔出してくれないんだろう。もっと熱心で、技術的にもいろいろ教えてくれる顧問の先生がいる学校がうらやましいよ。」

私も若いころは部活でこんなことをぼやいてしまっていたが、今、思い返すと自立心が全くなく、ただサービスを受け取って、それに文句をつけているだけの子供だったと恥ずかしくなってくる。顧問の先生は、お忙しい仕事の合間を縫って他校との練習試合を設定してくれたり、部活の運営に問題がないかときおり見に来てくださるといったことに感謝こそすれ、文句をつける筋合いなどないのである。

歯ごたえのある強い学校と練習試合をしたければ、自分でその学校に申し込めばいいのだし、技術的な指導がほしければ、自分たちで勉強したり、卒業した先輩なり、地域のクラブの上手な人なりに教えを乞うたりして、いくらでも進歩する方法はあるはずなのだ。

「そんなめんどくさいことできない」

というのがふつうの子供だろう。しかし、上述の女子生徒なら、できることは自分でやってみようと考えるのではなかろうか。

毎日の部活の前に20分のランニングや筋トレがあるとか、部活の前後に練習場の掃除をするとか、定期的に部員たちでミーティングを開いて練習メニューをアップデートするとか、そういう「めんどくさい」ことを2年強続けるというのは、人間的な成長に不可欠のものだと思う。卓球の技術的な向上はイマイチだったとしても、「あんなめんどくさいことをよくやれたなぁ」という自信は何物にも代えがたい財産になるはずである。そして自分たちが卓球をできているのは、いろいろな人のおかげだということにも目が向くようになるのである。



ブルンッ!――バックハンドで下回転を持ち上げる方法

私が試合で負ける原因の最たるものはバックハンドドライブが入らないことである。

相手が深いツッツキなり横下ロングサーブなりでこちらのバックを狙ってきたとき、バックハンドを振ってみるのだが、ミスすることが多い。これは初中級者に非常によく見受けられることだと思う。バックドライブで下回転が持ち上がらず、しかたなくツッツキなどで返球すると、相手に待たれていて先に攻撃されてしまう。

角度が悪いのだろうか?

面を開いてもっと上方向に持ち上げてみると今度はオーバーミス。こちらがバックハンドが振れないと分かると、相手は執拗にこちらのバックを突いてくる。

腕を伸ばしすぎなのだろうか?ボールを触る位置が悪いのだろうか?打点が遅いのかも?

いろいろ原因を考えてみたが、そういう場合はおそらくスイングスピードが遅いのだろうと見当をつけている。ではどうやってスイングスピードを上げればいいのだろうか?

バックスイングを大きくしてみるというのも手かもしれない。やや腰を落として、股の間からラケットを出すようにして打つと下回転のボールが軽く持ち上がるというのを動画でみたことがある。

しかし、それはツッツキなどが相当遅い場合には有効だが、台上の段階で早い打点でキュッと打たれた場合、とっさに一歩下がって腰を落とし…というのは間に合わない場合が多いと思う。そこでいろいろ試行錯誤した結果、上半身をブルンッと揺すると、スイングスピードが上がり、下回転がけっこう持ち上がるのではないかと思う。

よく上手な人は鞭をしならせるように腕を振ると言われるが、そういうことを意識しながら腕の力を抜き、でんでん太鼓のように腕をしならせて打ってみるわけである。犬が身体をブルブルッと回し、水を弾き飛ばすイメージでもいい。

ブルブルッ

この打ち方ならバックスイングが小さくても下回転がけっこう持ち上がると思う。はた目には気づかれないほど小さな動きだが、私には効果があった。角度とか打点とかを変えてもどうしても下回転が持ち上がらないという人は試してみてほしい。


奇強兼備――かっこいい卓球とは

中学生や高校生の頃、「かっこいい」ファッションというのがよく分からなかった。
今から考えると、訳も分からず非常にダサい服装をしていたと思う。

チェック柄
こういう地味な色のチェック柄のシャツをよく着ていた気がする

「服装がダサいと女にモテないらしい」
という話を聞いて、なんとかしようと思っても、何がかっこいいファッションか分からないのだから、どうしようもない。男性向けファッション雑誌を買って参考にしてみたが、やはりよく分からなかった。それで母親が買ってきた訳の分からない英語の書いてあるTシャツを着ていたりしていた。

「なぜ私のTシャツにはデカデカと "New York" って書いてあるんだろう?ここはアメリカではないし、ニューヨークが好きなわけでも、行ったこともないのだが…」

学校でカッコいいのは、学年でトップの成績をとればいい。とても分かりやすい。
スポーツでカッコいいのは、地区の大会で優勝すればいい。明快だ。

だが、ファッションのかっこよさというのは…分からない。

そんな私も中年になると、何がかっこよくて、何がダサいのかが自分の中ではっきりしてきた。もちろん私のかっこいいファッションと、他の人のそれとが一致するかどうか分からないが、とにかく私の中でかっこよさの基準というものができたのである。

かっこいいファッションの条件というのは、周りとの比較という要素が大きいと思う。いくらカッコいい服でも、周りに同じような服装の人が何人もいると、あまりカッコいいと思えなくなってくる。他の人と違う、自分というものを打ち出せるファッションが本当の意味でのかっこよさだと思う。といってもあまりにも常識とかけ離れたファッションは、ただのおかしな人になってしまうから、バランス感覚も大切だ。

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さて、話を卓球に戻すと、卓球のかっこよさというのは二つの方向性があると思う。

一つは強さである。これは分かりやすい。地区の大会で優勝し、県大会でも上位進出。全国大会出場。こんなかっこいい卓球はないだろう。そのためには最も勝ちやすいスタイルを追求しなければならない。男子で勝つためならシェーク裏裏で両ハンドドライブをガンガン振る卓球一択である。

一つは個性である。シェーク裏裏をあえて避けて、バック表とか、ペンとか、カットマンとか、そういう自分のこだわりのスタイルを追求するというのもある意味カッコいいと思う。こういうスタイルを選ぶ人は全国大会を目指している人でない場合が多いかもしれない。勝つのは二の次で、自分のスタイルを極めたいという意識のほうが強いのかもしれない。

強さを求める卓球は、試合で個性的な卓球を圧倒することが多いが、その代わりシェーク裏裏同士の競争が激しく、なかなか上に上がれない。強いシェーク裏裏の人が大学に入ったと同時に卓球をやめてしまったりするのは、上には上がいることが分かり、強さの追求をあきらめてしまうからだろうか。

もし、シェーク裏裏同士が熾烈な競争を繰り広げているところに個性的な卓球で挑んでみごと勝利してしまったら、どうだろう? 強さにおいても、個性においても、カッコいい卓球というのがあれば、最強のかっこよさである。

今日は職場に行って開口一番「みまちゃんすごい!」と会う人ごとに伊藤美誠選手のかっこよさについて語ってしまった。そういうのは興味がない人にとっては迷惑なだけだというのは分かっているのだが、それでも語らずにはいられなかったのである。

いうまでもなく、先週末のスウェーデンオープンの話である。
 

 
いつも質の高い編集をしてくださるGambaru Kattoman氏に感謝!

劉詩文が外国選手に負けるって、ここ数年なかったのではないだろうか、今年4月に伊藤美誠選手に敗れた時を除けば。それが今回も手ごわい劉選手をみごとに破り、実績ナンバーワンの丁寧選手を破り、次代のエースつゆりんを破って、中国最強の3人を連続撃破したなんて、去年の4月の平野美宇選手のアジア選手権優勝と並んで日本卓球の歴史に残る偉業ではないだろうか。惜しむらくはもう少し大きな舞台で優勝してほしかった。

劉詩文選手の異常なピッチの速さを緩急とボールの変化で攻略し、丁寧選手の恐ろしい威力のドライブをバチバチ弾きまくり、つゆりんに至っては何もさせなかった。

バック表でスマッシュ主体という個性的なスタイルでシェーク裏裏の最高峰を総なめにした伊藤美誠選手の卓球こそ、今最も輝いていてかっこいい卓球だと思う。



力加減の予測――足元から見直す素早い反応

普段私たちは、何気なくコップや鉛筆を持っていますが、それらは全身の筋肉の微妙な力加減を経験からくる予測によって成立させています。
紙コップは強く持ちすぎたら潰れてしまうし、鉛筆も折れてしまいますよね。〈中略〉
人間は何か物を動かそうとするとき、その対象物の重さを予測して、その物を動かすのに最適な体の状態を作って準備しています。
『ヒモトレ革命』

考えてみると、私たちは日常のあらゆる動作に予測を用いている。予測がなければ日常の基本的な動作さえおぼつかなくなる。本を読みながら階段を降りていて、うっかり最後の一段を見誤って転びそうになった経験は誰にでもあるだろう。次は平らなフロアだと予測していたのに、もう一段、下があったために姿勢が崩れてしまったわけだ。そのような予測がなく、階段の上り下りを「この階段は私の体重に耐えられるか」などといちいち確認していたら、おそろしく時間がかかってしまう。

卓球でも同様に「このボールはこの辺に飛んでくるから、このぐらいの力で打とう」などと予測しながら打っているからラリーが続くのであって、このような予測がなかったら1球も打てないことになる。

卓球の予測というと、普通は次に来るボールの軌道やコース、球質などをイメージするが、どのぐらいの力加減で打てばいいかという予測も大切である。そうしないと、ボールが到達する位置やスピードは正しく予測できていても、ホームランを打ってしまったり、ネットにかけてしまったりすることになる。

しかし、こんな基本的な予測ができないということがあるのだろうか。コースや球質が予測できないということはよくあるかもしれないが、飛んできたボールに対してどのような力加減で打つべきかを予測できないということが卓球を何年もやってきた人に起こりうるのだろうか。

私はそういうことがよくある。たとえば想像以上に相手のドライブが伸びてきたときや、相手のサーブが想像以上に短かった場合などである。こういうときはパニックになって、どのぐらいの力加減で打てばいいか分からなくなってしまう。力加減の予測をまったくせずにボールを打ってしまってボールをオーバーさせたり、ネットに掛けたりしてしまう。調子が悪いときはそのような症状が進行し、相手のなんてことないドライブもうまくブロックできなくなってしまう。

ふだん打ち慣れている人ならこういうことは起こりにくいが、初見の相手の場合、ボールが合わないせいか、力加減の調整に時間がかかる。そういうときはたいてい力加減の予測をする時間的な余裕がない場合が多い。

「どうして振り遅れてしまうんだろう?」

そうやって自分の動作がワンテンポ遅れる原因を考えてみると、相手のボールがどのぐらいのスピードで自分の打てる位置に飛んでくるかの判断が遅れている、あるいは予測よりも早くボールがこちらに到達するせいだと分かった。そして興味深いことにこのような場合はたいてい足裏のかかとのほうに重心が乗っているということが分かった。

足裏の重心

「すわ!ボールがくるぞ」というときに後ろに重心が乗っていると、力加減の予測がうまく働かず、強く打ちすぎたり、弱く打ちすぎたりする。逆にきちんとどのぐらいの力加減で打つか予測できて「よし!来い」というときは、足裏の重心が前に乗っている(別につま先立ちをする必要はない)。

私の体は逃げ腰になっているときは力加減の予測が働かず、やや前のめりになっているときはその予測が働くようだ。だとすると、とにかくボールが来たら、足裏の重心を前方に置いてみたら、自動的に力加減の予測も働くようになるのではないか。と思って、ボールが来たら、適当な位置に移動し終わった瞬間、すぐに重心を前にかけてみると、不思議なことに力加減を大きく間違えることは少なくなった。打つ寸前に重心を前に移すことによって自然と反応が良くなり、どのぐらいの強さで打つかの予測が働くようになったのである。

力加減という手先の感覚をコントロールするのに、足裏という、そこから最も離れた部分の調整が大いに関係するというのは興味深い現象である。


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