しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2018年10月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

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福原愛選手引退の報に接して

最近、卓球の情報が多すぎてついていけなくなってきた。ツイッターでいろいろな発信をフォローしていたが、キリがない。youtubeも有名選手の試合やTリーグ関係の動画が大量にアップされている。

Tリーグ開幕前夜ということで、なんとしてもTリーグを盛り上げようとたくさんの人が情報発信をしているが、その中で福原愛選手の引退表明はひときわ注目を集めた。この発表によってTリーグのことを知った一般人も多かったのではないだろうか。
福原愛

福原愛選手は選手としては世界選手権団体戦やオリンピック団体戦で活躍したが、個人戦ではあと一歩のところで大きな成果をあげることはできなかった。しかし、福原選手の偉大さは、競技成績とは別のところにあるように思う。
もちろんテレビ等で卓球の認知・普及に大きな貢献をしたことにもわれわれは感謝しなければならない。某コメディアンの心無い発言で卓球がネクラだとか、カッコワルイというイメージが定着し、日本全国の卓球人が肩身の狭い思いをしていただけに福原選手の存在は卓球にとって闇夜の灯火のようなありがたいものだった。
しかし、福原選手の卓球に対する最大の貢献は、その人間性にあったように思う。卓球をやっていると、あんなに周りに配慮のできる、責任感の強い人に成長するのだと、その見本を示してくれたのである。

世の親たちが子供にスポーツを習わせるとき、最も気にするのは人間性の陶冶なのではあるまいか。私が親だったら、それを最優先するだろう。卓球教室に通わせて、卓球がみるみる上達し、中学生ながら大学生にも勝てるほどの実力を身につけたといっても、試合に負けてラケットを投げつけたり、台を蹴っ飛ばしたりするような子供に育ってしまったら、その教室に子供を預けたのは間違いだったと後悔するだろう。反対にたとえ技術的には大して上達しなかったとしても、礼儀や相手への気配りを涵養してくれるなら、お金を払った甲斐があるというものだ。福原選手を見て卓球は人間性を育ててくれると思った人もいるかもしれない。少なくとも子供が卓球をすることに対して悪いイメージは持たれなかっただろう。そういうイメージを醸成してくれたのは福原選手の大きな功績ではないだろうか。

福原選手ほど批判されない選手は少ないだろう。彼女の人間性を悪く言う人を聞いたことがない。それどころか海を越えた中国でも大人気である。あれだけ露出が多く、人に注目される人なのに誰からも愛されるというのはオリンピックで金メダルを獲ることよりも難しいのではないだろうか。オリンピックや世界選手権で金メダルを獲る選手は今後日本から出てくるかもしれないが、この意味で福原選手を超える逸材はもう二度と出てこないかもしれない。それほど偉大な選手だったと思う。

卓球界に福原選手が出てくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいである。しかし、現役時の本人の精神的な負担は並大抵ではなかったことだろう。引退後は表舞台に立たずに伸び伸びと自分のための人生を送ってほしい。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ――反威力志向

前記事「必要にして十分」を読み返してみて、「そういえば、同じような主張を以前したかもしれない」と思い、過去の記事を探してみたのだが、見つからない。「下書き」を探しみたら、やっぱり以前、同じような記事を書いたのだが、結論が出なかったので、そのままお蔵入りにしていたのだった。このままお蔵入りにしてしまうのも惜しいので、「必要にして十分」と主張が重なるが、公開しておこうと思う。

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京都市のパンの消費量は日本一だということである。
プチメック

言われてみれば、京都には有名なパン屋があちこちにある。私の周りにもパンが好きで、新しい店ができるたびに、わざわざバス代を使ってまで食べに行くなんて人もいる(一人ではない。複数である)。

その中の一人、中年女性のDさんは細身で運動などには縁のない方で、2階への移動にもエレベーターを使うほど体力のない人なのに、職場から歩いて15分ほどの距離に有名なパン屋ができたと知るや、徒歩15分の労力をいとわず、早速仕事帰りにパンを買いに行ってきた。

「あそこの店のクロワッサン、めちゃおいしかった~」

翌日こんなことを嬉々として話してくれるのだが、私には理解できない。行列のできるパン屋かしらないが、なぜ運動嫌いのDさんが歩いていったのか。その有名なパン屋の食パン(一般的な神戸屋の食パンの倍以上した)というのをおすそわけにもらったのだが、たしかにおいしかった。しかし、私はDさんに問いたい、「どうしてそこまでして、おいしいものが食べたいのか」と。価格や量などが全く同じ条件で、おいしさ70点とおいしさ90点のものがあれば、私だって後者を選ぶ。しかしDさんが買ってきたパンはふつうのパンよりもはるかに高く、量は少ないのである。また、コンビニのパンがまずくて食べるのに難儀するというのなら、理解できないこともないが、コンビニのパンだってふつうにおいしいではないか。しかしDさんは「ふつうにおいしい」の上の「とてもおいしい」の上の「かなりおいしい」ぐらいでないと満足できない性質らしい。

「栄養があるから」

という理由なら納得できる。最近、身体の調子が悪いので、栄養のあるパンを食べると、調子がよくなるといのなら、私も毎日食べたいものだ。

「コストパフォーマンスに優れているから」
という理由も納得できる。昼ごはんに500~600円ほどのコンビニ弁当を食べるよりも、100円なり200円なり安いのならば、一か月ほどで、ラバーの1枚でも買える節約になるからだ。

「どうしてそこまでしておいしいパンを食べたいんですか?」
Dさんにそんな失礼な質問はとてもできないが、返ってくる答えはなんとなく見当がつく。

「おいしいからに決まってるじゃない! おいしいものを食べたいというのに何か理由が要るわけ?」

しかし、おいしいパンを食べるためにお金と手間をかけて、その対価が一瞬の快感というのではむなしいではないか。その快楽のために費やしたものを他のことに向けることができれば、もっと人生を豊かにしてくれるもの(たとえば卓球とか)との出会いもあったかもしれないのに…。

しかし、Dさんに言わせれば、ただボールを打ちあっているだけの卓球に入れ込んでいる私のほうがもっとむなしいのだろう。蓼食う虫も好き好き。結局はそういうことだというのは私だって分かっている。分かってはいるが、不可解である。

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絶好の打点で全力でドライブを決めた時の爽快感は何物にも代えがたい。

しかし考えてみると、なぜわれわれ卓球人はボールに威力を出すことにあれほどまでに心血を注ぐのだろうか。

われわれはともすると、「なぜ」という論理的な問いを後回しにして、「どうやって」という手続き的な問いを優先してしまいがちである。

高いラケットに高いラバーをあれこれ合わせてみて、ボールの威力の出る組合せを探ったり、接着剤の厚塗りをしてみたり、ラケットの側面にサイドバランサー(パワーテープ)を貼ってみたり、身体全体を使って力強く打球してみたり、はたまた筋トレなどをしてみたり。これらはいずれも「どうやって威力を出すか」という問いを追求した結果なのである。

Dさんに言わせれば、「草卓球レベルでそこまでして速くて重いボールを打つ必要なんてあるわけ?」となるだろう。

なにを言っているんだ。たとえ愛好家レベルの卓球においても威力のあるボールは絶対に必要である。これが打てなければこちらのドライブ等を相手に簡単に止められてしまい、勝てる試合も勝てなくなってしまうし、なんといっても打っていて爽快なのだから。

「私だって同じ条件で70点のボールと90点のボールが打てるなら、もちろん90点のボールのほうがいいと思うけど、90点のボールを打つためにミスが3割増えたり、打った後に体勢が崩れるんだったら、70点のボールでミスなく次のボールに素早く対応できた方がいいんじゃない?」

Dさんならそんなことを言いそうである。
もしかしたら、高い用具を買い、ミスが増える危険を冒し、体勢を崩しながらも、(私の出せる最大限の)90点の威力のあるボールを打つ必要なんてあるのだろうか。私が威力のあるボールを求めるのは結局のところ「打っていて爽快」という一瞬の快楽のためなのだろうか。

むしろ、積極的に威力を出さない卓球のほうが勝ちやすいのではないだろうか。

威力と早さと安定性を高いレベルで実現できている人なら、あえて威力を殺すような卓球をする必要はないが、私の場合は威力を求めることによって他のいろいろなことを犠牲にしてしまうのである。それならとりあえず威力を捨て、安定性と早い卓球を志向し、それができるようになってから威力を求めればいいのではないか。一度威力を全く考えない卓球というものを実践してみたらどうなるのだろうか。


必要にして十分――オジサン卓球から学ぶ

栃木youtuberのめしだ会長(前記事「俺たちのTリーグ」)の動画で、卓酔会の飯塚選手のプレーが紹介されていた。




めしだ氏が「師匠」と仰ぐほどだから、実力だけでなく、人間的にも立派な方なのだろう。

片面の日ペンだが、フォアドライブでガンガン攻めるタイプではなく、ロビング(というのか、フィッシュというのか)中心で、ときどきバックハンドをパシンと打つという戦型のようである。

iizuka

動画をみると、飯塚氏は試合を通じてなんともゆったりした卓球をしている。実戦とは思えない。まるで戯れているような卓球である。若い人の攻撃的な卓球を見慣れている目からすると、ゆっくりしたボールが主体の飯塚氏は、一見、あまり強くないのではないか?と思われるかもしれないが、めしだ氏がちっとも攻撃させてもらえないところをみると、飯塚氏は相当上手なのではないかと思われる。凡ミスが非常に少なく、めしだ氏がどんなボールを打っても、強いボールではないものの、それなりの返球をしてくる。打ち抜かれることが少ない。しかもコントロールがよく、台の深いところにボールが入ってくる。めしだ氏が強く打てないところをみると、サーブもロビングも見た目よりもずっと強い回転がかかっているのだろう。

こういう卓球を見ていると、私は何か大きな勘違いをしているのではないかという気がしてくる。私が目下取り組んでいることといえば、フットワークの向上、両ハンドのドライブ強化である。しかし、おそらく現状でも私のドライブは飯塚氏のドライブやバックハンドにスピードも回転も劣らないのではないかと思う。それどころか、もしかしたら私のショットのほうが威力があるかもしれない。フットワークでも私のほうがまだ動けているのではないかと思う。しかし、私がもし飯塚氏と対戦したら、まったく勝負にならずストレート負けを喫することだろう。

となると、もうこれ以上両ハンドの威力を追い求める必要はないのではないか。若い人のフットワークにあこがれて、必死でフットワーク練習をすることもないのではないか。オジサン卓球のレベルなら、現状で必要にして十分な球威があるわけで、私が今すべきことはもっとボールに回転をかけられるようなタッチの習得と、コントロールの向上、レシーブやブロックの安定性なのではないか。

そんなことを考えさせられる動画だった。

低いは正義!…か

「力は正義!」とか「かわいい(イケメン)は正義!」とか、そんな言葉があるが、卓球においてはどうだろう。

sakurai
卓球界のイケメンとして名高い櫻井コーチ

私は「低いは正義!」だと思っていた、最近までは。

ツッツキは言うに及ばず、ドライブもブロックも低いのがいいに決まっている。

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最近こんなことがあった。

ゲーム練習でこちらから相手のバック深くに低くて速い順回転横下ロングサーブを出してみた。全力のスピードで出したので、相手は案の定強く打てない。角度を合わせてツッツキ気味に返してくれればこちらの思うつぼである。バックドライブで待ち構えていて、強打し、完全にこちらが主導権を握ることができる。しかし、相手のFさんはバックへのロングサーブをバックドライブでこちらのバック側に返球してきたのだ。といっても速いロングサーブである。あちらがカウンター気味にバックドライブ強打を打つのはリスクが高い。そこでFさんはチョリっと山なりにゆっくりしたバックドライブで応じてきたのである。ツッツキよりはスピードがあるが、スピードが遅く、打ちごろのボールである。こうなると、こちらのバックドライブ強打でほぼ決まるはずのボールだった。が、私のバックドライブは空振り。相手のボールの伸びが激しく、頂点付近でグンと伸びてきたのだ。

「落ち着いてタイミングを合わせなきゃ」

次のサーブも同じようにバックへのロングサーブ。Fさんは強く打てず、やはり同じようにバックでチョリッとドライブをかけてくる。今度こそ決めてやる!しかし今度はラケットに当たったものの、オーバーミス。

なんだかイヤなボールだなぁ。スピードも遅いし、弾道も高いし、打てないはずはないのだが。

その後も何度も同じ展開になるが、私はミスが多く、なかなか気持ちよく強打できない。そしてゲームが終わるころにようやく気付いた。Fさんはエンドラインの白線を狙ってゆっくりとした高いドライブを送ってくるのだと。

こちらもサーブでギリギリまで深いところを狙っているのだが、あちらもレシーブでギリギリまで深いところを狙っていたのだ。こうなると、ふだんの立ち位置ではつまってしまい、いいボールが打てない。それに加えてFさんのバックドライブは私の胸ぐらいの高さでゆっくりと飛んでくる。これをバックドライブのカウンターで狙うと、(比較的)低くて深いボールよりもさらに詰まりやすくなる。

低さ一辺倒ではなく、時には高いボールでも深くさえあれば、効果があるんだなぁ。というか、私がもう半歩後ろに下がって待てばよかっただけの話か。

また一つ勉強になった。

思ふどちして戯れむ

久しぶりに卓球台の前に立ち、気心の知れた相手とボールを打ち始めるとき。

相手と近況や世間話をしながら徐にボールを打ち始める。

といっても試合の前の3本の練習のようにガシガシと打つのではなく、じゃれ合っているようなボールである。親しい相手なので、私はフォア打ちもせず、いきなり短い逆振り子サーブを出してみる。ボールの軌道は高く、ポテンポテンと弾んでいく。相手はバックハンドでパシンと払うこともできるのだが、あえて角度を合わせただけの返球をする。返るボールはふわーッと高い。私はゆっくりと回り込んで、おどけた大げさな大きなフォームで軽くバック側へループドライブ。相手はブロックでフォア側へ。私はそれをまたゆるいループで返球すると、今度は「これはどうかな?」とばかりに私のバック側へブロックを送る…。

練習でらしい練習が始まる前のこういうゆるいラリーが好きだ。こういうラリーは延々といつまでも続けることができる。
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音楽にたとえれば、R&Bというのだろうか、ユニクロなんかで流れている、落ち着いた曲のイメージである。こういうときは身体全体の力が抜けている。足取りが軽い。普段の私はフロアに根が生えたように足が動かないのに、こういうときは自ずと足が動き出す。練習って本来こういうふうにやるのではないだろうか。

「フォア前にショートサービスをください。それをフリックでフォア側に払いますから、そこから全面で」

などとコースをある程度指定して練習するときにはフリックから0.1秒でも早く後方に移動して、厳しいボールを打とうと必死になってしまい、足がなかなか動かない。

ラケットは前に振らない、横か上に振る。

これが私が最近心がけていることである。こうするとボールが飛ばず、ボールがラバーに引っかかって安定するし、ボールのスピードも遅いから足も動きやすい。速いボールでの練習は足が動くようになってからでいい。

ただ、こういう練習は同じ意識の人でないと成り立たない。私はゆっくりしたラリーが練習になると思っているけれど、相手によっては速いボールでパシパシ打ち合うことこそが練習になると思っているかもしれないからだ。

buriki


いろいろなタイプの人と打つと練習になるというのも真理だと思うが、気心の知れた同士でじゃれ合うような練習をするのもいい練習だと思う。


レシーブの耐えられない単調さ

私にとってイヤなサービスというのは、ドカンと足を踏み鳴らして、身体全体を使って出されるサーブである。
それでこっちが身構えて迎撃姿勢をとると、びっくりするぐらい遅くて短いサーブを出されて、手を伸ばしきって力ないレシーブをするしかなかったりする。
それで今度は短いサーブを警戒していると、同じモーションでとんでもなく速くて深いサーブが来たりする。

次はどっちだ? 長いサーブか、短いサーブか…。こういうサーブは的が絞れず、どうしても受け身になってしまう。

これまではショートサーブを出されたら、私はいつも低くて切れたツッツキなりストップなりでレシーブしようと心がけていたのだが、この間の練習で、とにかく早くボールに触ることを試みてみた。もう、バウンドと同時ぐらいに触ってやろうという気持ちで相手のショートサーブをできるだけ早く返球してみたところ、相手がすごく崩れて甘い返球をしてくれたのだった。

打点が早いあまり、こちらもあまりサーブの回転を吟味する時間がないので、30~40センチほど浮かせてしまうこともしばしばだった。しかし、その早さとボールの飛んでこなさに相手は困惑していたようだ。たとえ浮かせてしまっても、そうそう厳しいボールは来なかった。そうやって相手が早くて浅いストップを警戒してきたら、今度は普段の打点で低くて深いツッツキをお見舞いするのである。

つまり、私がもっともイヤなサーブ――短いか深いか分からないサーブを、レシーブでやってみたわけである。私が身体全体ですばやくボールに突っ込んでいくので、相手は「すわ!速いツッツキがくるぞ」と少し下がって身構えるのだが、予想に反してちょっと浮いた浅いボールが来るので、打とうにも打てない(上手な人にはそこで簡単に打たれるだろうが)
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レシーブは低く短くということばかり考えて慎重に返球していたので、これまでの私のレシーブは相手からすれば単調にすぎたのではないだろうか。そのような単調な打点でのレシーブなので、相手からすればリズムを取りやすかったのだろう。しかし、たとえ浮いてしまっても、緩急さえつければ相手は簡単には打てないというのは発見だった。

これを逆の立場で考えてみると、3球目を待っているサーバーとしては、長ければ打つし、短ければつっつくつもりではいるものの、早い打点で2球目を打たれると、打てるかどうか吟味している時間がない。ギリギリ出るかもしれないボールでも、安全につっついてしまいがちである。そうすると、こちらは4球目で長いツッツキを待てることになる。

多彩なレシーブというのは私には難しいが、単に打点に緩急をつけるぐらいなら、私にもできそうだ。これでチャンスボールが来やすくなるなら、これからレシーブに積極的に取り入れてみるべきだろう。

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