しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2017年12月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

年末は読書で過ごす――田辺武夫『卓球アンソロジー』を読んで

まるで流れ星みたいだ。
大地はそう思った。空気のなかにいっしゅん、すうっと直線が見えた気がした。
卓球台にたたきこんだ小さなボールは、父さんの差し出したラケットの先をきれいにぬけていった。


 こう書き出されている。卓球の物語と知って本を開くと、最初に「流れ星」。想像が広がる。「すうっと直線」「きれいにぬけていった」とは、主人公大地君の視覚。一条の美しい光の喩えと読みとれる。
 一方、第一文が心に刻み込まれた読者は、主人公の感覚を離れて「流れ星」の孤独を思ったりする。そういうふうに惹き込まれる読者もいる。宇宙の暗闇をひとり行く、星の欠片。何者かの力によって進んでいるのだろうか。迷っているようには見えない。大地に衝突するのか。接触を望んでいるのか。どこかの目的地に到達するのか。つながりは求められているのか、疎まれているのか…。考えるのは、迷うのは人だ。宇宙には物理の事実だけがある。その流星を人が見る、というつながりはある。その薄い関係からも人は何かを創り出す。


--------------

年末になって、ようやく心が落ち着いた。
しかし、卓球をする相手がいない。せっかくの時間を卓球に費やせないだなんてなんということだ…。
しかたがないので、読書でもしてみる。

以前、古い『卓球王国』を知人に貸してもらって読んでいると、伊藤条太氏のコラムに田辺武夫氏の『卓球アンソロジー』という本が紹介されていた。
卓球アンソロジー
装丁も美しい

2015年までの卓球を扱った小説、マンガ、演劇や映画、はては広告や実況などまでを取り上げて、丁寧にコメントしている。

こんな本が出版されていたなんて全然知らなかった。早速手に入れなければ。

アマゾンで調べてみると、なんと2016年8月出版にもかかわらず、すでに完売。古本で入手するしかない。幸い古本ならまだ在庫があったので、速攻で購入。今、この本は晴れて私の所有となった。

冒頭の引用は『チームふたり」という児童文学に対する評論である。
この冒頭から「流れ星の孤独を思ったり」できるというのはさすが高校の国語の先生である。私などはすっと読み飛ばしてしまいそうなところにさまざまな連想や関係を求め、著者の意をくみ取り、該博な知識を動員し、想像の翼をこれでもかと広げていく。高校生の時に読んだ小林秀雄の評論みたいだ。

卓球を扱った文学作品というのを読んでみたいと常々思っていた。マンガや映画は比較的有名だが、過去の文学作品の中で卓球がどのように取り扱われているのか。本書はそういうことを細かく詳しく扱った労作である。

大半は『卓球レポート』などの卓球雑誌に連載されたコラムなどで構成されているが、それ以外にも著者の随筆や卓球の歴史について、資料等を博捜して提示されている。漱石が日本人として最初期に卓球をプレーしたという発見は、価値のある考察ではないだろうか。取り上げた作品の中にはおそらく駄作などもまじっているのだと思われるが、どの作品にも肯定的なコメントがなされており、著者のあたたかい人柄がうかがえる。

個人的には冒頭の吉野万理子氏の児童文学『チームふたり』、それから堀江敏幸氏の『おぱらばん』を読んでみたいと感じた。堀江氏が卓球部出身だったということを知り非常に興味を抱いた。この人の晦渋な文体がどのように卓球と結びつくのか読むのが楽しみである。

もう今年もあとわずか。
今年も卓球がたくさんできていい一年だった。もちろんイヤなこともたくさんあったが、そういうことは忘れて卓球ができることに感謝しなければ。

最近、親しい人が大怪我をして、歩行もままならない状態で入院中である。下手をすると退院しても卓球ができなくなる可能性もあるのだという。私は当たり前に卓球を楽しんでいるが、そうではない人もいると知ってショックを受けた。

「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」

街なかを散歩しているときに見かけた言葉。常にこうありたいと思う。

みなさん、よいお年を。


試合を読む――戦術を練るには

シャーロックホームズは、殺人現場で見たことや関係者の話を非常に細かく記憶している。被害者の爪はギザギザだった、先のとがった革靴を履いていた…【中略】そういうことが犯人を見極める重要な手がかりになることが後でわかる。相棒のワトソンは、同じ場所にいて同じように目撃者や事件に関係する人たちの話を聞いているのに、そういうことはまったく覚えていない。(今井むつみ『学びとは何か』)

相手が横回転ロングサーブを多用してくる人で、次もロングサーブかなとバック側を警戒していたら、案の定、バック側に横回転ロングサーブが。チャンス!とばかりに回り込んでフォアドライブ一閃…と思いきや、なんと台の角でギリギリ2バウンド!

みなさんもこんな経験がないだろうか。

相手の待ちを外すこと。あるいは相手を上手に欺くこと。こういうのも戦術と言えるだろう。ただ、こういう「戦術」に相手は何度も引っかかってくれるわけではない。「次もハーフロングサーブが来るかもしれない」など警戒して効かなくなるはずである。このような「戦術」を一発戦術と呼ぶことにしよう。

このような一発戦術を1~2度使って通用しなくなったら、今度は相手をよく観察して相手の癖や弱点を見極めてそこを突くという「勝義の戦術」を使わなければならない(前記事「「戦術」の意味」)。だが、私にはそれができない。

私はチームメイトが試合をしているとき、相手の出方をじっと観察し、ゲーム間の休憩の時に何か有益なアドバイスでもしたいと思うのだが、いつも何も思い浮かばない。目にした情報はすべて私を素通りしていく。一方、上手な人は同じ試合を見ていても、相手のいろいろな癖や相手の狙いなどを的確に把握し、いいアドバイスができる。

同じ試合を見ているにもかかわず、私は有益な情報が何も得られず、上級者はいくつもの疑問点を探し出してくる。まるでワトソンとホームズのようである。私の観察力や集中力に問題があるのだろうか?

だが、上述の今井氏の著作を読んで、私が何も見つけられなかったのは当然だと分かった。

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氏は著作の中で将棋の名人がどのようにして短時間で最善手にたどり着くかを解説している。ざっくり言うと、それは過去の経験によるものだという。棋士はそれまでに数千、数万という似たような盤面からの展開を記憶しており、その記憶のデータベースの中から、目の前の展開に近いものを選び出し、次の相手の手を予測し、対戦を有利に進めていくのだという。

上級者は私のように必死に観察して考えずとも、相手のプレーを少し見ただけでそのプレーに違和感を感じ、そこを突くことができるのだろう。これはおそらく過去の経験によるところが大きいと思われる。上級者は過去の同じような展開から、戦術をどう変えて有利になり、あるいは不利になったかという数え切れない対戦の経験を長期記憶に貯蔵してあり、必要に応じてそれを取り出すことができるのだ。試合経験の少ない私がいくら目を皿のようにして見ても、下手な考えをめぐらしてみても、相手の弱点など見えてくるはずがない。

これは読書にも言えることだ。若いころ、私は本を読んでもあまり理解できていなかったと思う。字面の意味を理解して、理解したつもりになっていたが、今から考えると、筆者が何を問題にしていて、どういう論理で主張を展開しているかなどさっぱり理解していなかったと思う。中年になった今では字面の意味を追いながら、同時にメタ思考で筆者がどういう論理を展開しようとしているかが予測できるようになってきたと思う。それで文章を読むと、必死に考えなくても自然にいろいろ疑問が浮かんでくることが多い。

たしかに試合で相手の弱点が分からない、戦術が練れないという試合経験の乏しい人でも、必死で頭を使って考えれば、偶然何かいいアイディアが浮かんでくることもあるかもしれない。しかし、それは偶然の可能性が高いと思われる。考える材料がないのに考えることなどそうそうできない。社会経験の乏しい大学生が社会問題について議論しようとしても実りの多い議論は期待できない。それと同じことだ。いくら考えても相手の弱点が分からないからといって心配することはない。試合経験が少なければ、当然のことなのだ。私もいずれ経験豊富になれば自然と相手の弱点が見えるようになるはずだ。

というわけで戦術を練りたいなら、いろいろな相手とたくさん試合をして、経験値を高めるのが一番の近道なのではないだろうか。


足元を見直す――シューズと打球の関係

変だなぁ。なんだかドライブを打っても、打っている感じがしない。ボールとの距離、タイミングも悪くないのに、力がうまく伝わっていないような、力が抜けていくような…。もっとボールをひきつけてコンパクトな振りでギュッと打ったほうがいいのだろうか。いろいろ打ち方を工夫してみたが、どうにもボールに力がこもらない。

その体育館はそれほど古い体育館ではなかったのだが、あまりそうじがなされておらず、床が埃っぽいため、しっかりシューズがグリップしない。おそらくこれが原因だったのだろう。ドライブを打つときに踏ん張って力を入れようとしても、足元から力が逃げてしまい、打球に力が乗らないのである。

上級者(でなくとも、上手い人)は下半身でドライブを打つと言われる。

江藤真伍

腰や膝ではなく、「くるぶしから放たれるパワードライブ」である。
そのためには足元の安定性がどうしても重要になる道理である。

私はずっと卓球のシューズというのはなんでもいいと思っていた。だから最も安い入門者向けモデルをずっと愛用していた。

アスリート レピト


若い人が派手で高いシューズを買っているのは、おそらくファッションのためだろう。カッコイイシューズを履いて異性の印象をよくしようと思っているにちがいない(すごい僻み根性…)と思っていた。それに対してオジサンは、見た目など気にせず、安くて長持ちすればいいという考え方の人が多いと思われる。というのは、私の周りの上手なオジサンでも、入門者向けモデルを何年も履き続けている人がチラホラいるからだ。足元は入門者、でも卓球はえげつない…こういうギャップもかっこいい。

ミズノから出ている1万円以上もするシューズを買う人の気が知れなかった。

ウェーブメダル

ミズノ ウェーブメダルZ 定価13000円

足にフィットして、超軽量で、グリップ力も高く、おまけに通気性もいいからといってそれが卓球のプレーにどれほど影響するというのか。全国レベルの若者ならそこで差がつくのかもしれないが、オジサン卓球ならどのシューズを履いてもさして変わらないだろうと思っていた。しかし、上の体育館での経験から、もしかしたらオジサン卓球でもグッと踏ん張って打球するにはアウトソールのグリップ力が必要で、アウトソールのゴムが死んでいたら、元々少ない実力が発揮できなくなる――シューズの良し悪しがプレーに少なからず影響するかもしれないと感じるようになった。

帰宅して自分の2年ぐらい履いた入門者向けシューズを確認してみると、靴底がカチカチだった。アンチラバー、いや、ラバー貼りラケットを5年ぐらい放置していたようなカチカチ感だった。これではグリップしないのも無理はない。

高級なシューズは軽量で、すばやく動くのに適していると思われる(履いたことがないので想像だが)。しかし、オジサン卓球ではそんなに動き回ることは少ないから、高級シューズは必要ないというのが私の考え方だったのだが、高級シューズのアウトソールのグリップ力(履いたことがないので想像だが)というのはオジサン卓球にも有益なのではないかと考えを改めた。きっと柔らかく、よく床をグリップし、それでいて長持ちするようなゴムが靴底に貼られているにちがいない(でも、あまりグリップしすぎると、転んでしまうか)

卓球王国のウエーブドライブZとウエーブメダルZの紹介記事
メダルのほうが安定性・クッション性を追求しているということなので、ヒザに優しいかもしれない。こちらのほうが中年向きか。

入門者向けではなく、ちょっといいシューズを買ってみようかな。しかし、シューズに実売1万強はちょっと…。次に買うのは奮発して型落ちの実売7000円ぐらいのやつにしよう。

足りない分はきっとどこかに足されている――中年と故障

よく中年になると、動けなくなるなどと言われるが、それがどういうことか私にもようやく分かってきた。これから中年を迎える若い人に中年の身体にどんな変化が生じるか知ってもらえたらと思う。


東京選手権ローシクスティー決勝

長谷川選手、横田選手ともに60代とは思えないキビキビとしたフットワークである。還暦を迎えてなおこれだけ動けるとは驚きを禁じ得ない。

中年になると体力が衰え、動けなくなるというが、本当だろうか。
もちろん筋力や瞬発力が衰えていることは確かで、学生時代に全国大会などに出場したような層が中年になると以前のように動けなくなったという場合は、体力の衰えが主な原因だと思う。たとえば、回り込んでフォアドライブを打ったあと、フォア側に返球されたボールを全力で飛びついてフォアドライブ連打ができなくなったとか、そういうフォアからバックまで広い範囲を動き回るような卓球である。

そういう層もいるかとは思うが、私が今述べようとしているのは初中級者のオジサン卓球の話である。初中級者は若い頃からフォア側からバック側までの広い範囲をフォアハンドでカバーするような動きはできなかっただろう。せいぜい回り込んでフォアドライブを強打するといったぐらいだ(私のレベルに引きつけ過ぎだろうか?)

オジサン卓球で「若い頃のように動けない」というのは、左右方向に2メートルも動くということではなく、50センチほどの回り込みさえ満足にできなくなるといったレベルなのである。

先日、また腰をやってしまった。

backache


それまでは自分に負荷をかけてフォア主体でできるだけ動き回る卓球が好き(「好き」なだけで、ちゃんと「できる」わけではない)だったのだが、ある日、いつものようにこちらのファオドライブを相手にブロックしてもらって、こちらの台のバック半面ぐらいの範囲でランダムに返球してもらうというフットワーク練習をしていたときのことだった。ほとんどのボールをフォアドライブで全力で打球していたところ、がんばりすぎて尾骶骨のあたりに違和感を感じた。翌日、尾骶骨の辺りが痛くて腰を曲げられない状態になってしまった。ベッドに横たわるときも、腰をまっすぐにしたまま横にならなければならなかった。

その後、安静にして、卓球も控えめにやっていたのだが、なかなか痛みが消えない。2~3週間ほど経って、ようやく痛みがなくなってきたが、違和感はなかなか消えない。

腰の故障はクセになると聞いたことがある。以前のようにフォア主体で動き回ったら、また腰痛が再発し、命取りになるかもしれない…。もし卓球ができない体になってしまったら、どうすればいいんだ…。

それ以来、私は今に至るまで無理に動いたり、腰に力を込めて全力でフォアドライブを打つことが怖くなってしまった。フォア側へ厳しいボールが来たら、以前は無我夢中で飛びついていたのだが、今はもうフォアを厳しく突かれた時点であきらめることにしている。体力的に衰えたとはいえ、飛びつきや回り込みが全くできないわけではない。が、無理にそれをやって次に腰を痛めたら、私の腰はどうなってしまうのだろう。

腰だけではない。ヒザに故障を抱えていて、激しく動くのがこわいという人も知っている。ヒジや肩に故障を抱えている人もいるだろう。中年になってバリバリ動き回って全力で打球するような卓球をしていると、身体がぶっ壊れてしまいかねない。体力的に衰えていることは確かなのだが、動こうと思えば動けないことはないという中年もけっこういると思う。だが、体力的な衰え以上に故障に対する恐怖が中年の卓球にブレーキを掛けさせているのだと思われる。

水谷選手や福原選手へのインタビューで「痛み止めを打って試合に出た」のように述懐しているのを読んだことがある。若者でもトップ選手ともなると、故障に対する不安と常に隣り合わせになるようだ。

私は今のところ腰の故障が心配である。それによってフットワークに過大な負担をかけるのをあきらめ、その代わりバックハンドを強化しようと方向転換を図っている最中である。若者のようにフットワークをガンガン使ってフォアハンドで動き回る卓球はもはや無理である。そうなると、なんだか卓球の醍醐味を一つ失ってしまったような気分である。縦横無尽なフットワークを使ったプレーこそ卓球の楽しさだと思うからだ。

今朝のネットのニュースでこんな記事を読んだ。発達障害を抱えた宮長さんが自身の人生を振り返り、発達障害との付き合い方を語った記事である。

「発達障害で苦労したことはたくさんあるし、できないことも多いけど、その代わり、他の人とは発想や考え方が違うし、おそらく頭の回転は速いと思っています。だからしゃべりも速くなってしまうのですが……。たとえばシステムやプログラムでトラブルが起きた際、ほかの人が見ている角度とは少し違う方向から攻めて解決することが多いです。

発達障害があるからとマイナスに考えても仕方がない。足りない分はきっとどこかに足されているはずだと考えています。でも、それと同時に普通の人と一緒にいられる自分にならなくてはという思いもあります。だから、普段から早口にならないよう意識はしています」(宮長さん)


「足りない分はきっとどこかに足されているはずだ」という言葉に励まされた。私もフットワークを失ったが、その代わりバックハンド強化という新たな道に希望を見出すことができた。これで失った分が足されたということになるのかもしれない。


散髪屋で読んだ卓球マンガ『フルドライブ』

気づいたら2週間以上更新していなかった。やっと一息ついたと思ったら、今年ももうすぐ終わり。月日のたつのは早いものだ。何か書こうと思ったが、ネタがない…。

とりあえず昨日読んだマンガについて書いてみよう。

髪をきれいにして新年を迎えることにしようと散髪屋に行ったところ、けっこう混んでいた。みんな同じようなことを考えるのだろうか。
手持ち無沙汰なので、雑誌でも読もうかと思ったが、男性向けのきわどい雑誌ばかり置いてあって、ちょっと手にするのが恥ずかしい。お、ジャンプがある。

jump

これでも読んでみようか。今は『ハイキュー』が人気なのか。私はバレーボールには全く興味がないが、このマンガは主人公の男の子がさわやかでかわいくて、かっこよくて、好感が持てる。10巻ぐらいまで読んだが、安易に世界を目指さず、県大会ぐらいでアツいドラマになっているのもいい(今は全国大会ぐらいまで進んでいるのかもしれないが)。

昔はスポーツマンガといえば、野球やサッカーばっかりだったが、今はバレーボールだの、相撲マンガだの、スポーツマンガもバリエーションがあっていいなぁ。あぁ、これが話題の卓球マンガか。『フルドライブ』という題名だ。

パワードライブ

おお!なかなか迫力のある絵ではないか。上の絵は卓球のダイナミズムをうまく表現している。卓球の迫力を静止画で表現するのは難しいと思ったが、なかなかがんばっている。そして専門的な技術解説などもあり、期待させられる。

主人公がハイキューの主人公に似ているのもいい。

かっこいい卓球

カミキ・セカイ

ガンダムビルドファイターズトライのカミキ・セカイくんにも通じる単純さわやか系のキャラのようである。

世田谷アカデミーという、エリートアカデミーのようなところが舞台のようだ。そこの先輩と勝負している辺りまで読んだのだが、『ハイキュー』のように引き込まれるようなおもしろさは残念ながらなかった。はじめから読んでいないので、主人公がどういう性格なのかよく分からないが、キャラの性格やストーリーの展開はこのままだとちょっと心配である。絵の表現はレベルが高かったと思う。

今後に期待である。

ところで上のコマの

「卓球はかっこいいからね」「当然よ」

というやりとりに卓球の負のイメージがいまだに根強いことを感じないわけにはいかなかった(前記事「卓球の「暗い」イメージ」)。他のスポーツマンガで登場人物に「バスケはかっこいいからね」のように言わせるのを見たことがない。バスケがカッコイイかどうかをバスケをしている人は気にしたこともないだろう。言うまでもないことだからだ。あるいは多くの読者にとってなじみのない競技だったら、「カルタっておもしろい!」のように言わせることもあるだろうが、わざわざ「卓球はかっこいい」というのは軽く違和感を感じる。このマンガに文句を言いたいわけではない。卓球人のトラウマは簡単には払拭できないと感じただけである。

日本の卓球は女子のほうが強くて注目度が高いが、イメージアップという観点からすると、よかったのかもしれない。かわいい女の子が楽しそうにキャピキャピしている映像が浸透すれば、卓球のイメージも良くなると信じたい。
ITTF スターアワード

なんだかよく分からない話になってしまったが、とりあえず卓球マンガを読んで、卓球のイメージについて考えてみた。

【おまけ】
ラバークリーニング

繊細なラバーをゴシゴシこすったら、表面の油分が全部とれてしまい、かえってグリップ力が落ちてしまうと思うのだが…。

力を抜く意味 その2

先日の練習で、性懲りもなく初心者の女性に「指導」してしまった。
up to date ping pong girl

指導者でもないのにこんなことをやっていると、いつか痛い目に遭うと分かっているのだが、バックハンドの打ち方が分からないというので、やむを得ず、アドバイスをしてしまった。私の我流の「指導」はプロの指導者から見るとまちがいだらけだと思うのだが、見るに見かねて、つい…。

彼女と私はどちらも右利きで、バック対バックのロングボールのラリーをしてみた。彼女はまず私のバック側ではなく、フォア側を向いていた。つまりバックハンドを打つ時、台のエンドに平行に立っていたのだ。そこで、台のクロスの角――つまり私のバック側に正対するよう指示した。次にスタンスが狭すぎるので、適度に開かせた。身体の正面でボールをインパクトしているのはいいとして、打ち方が肘支点の完全な手打ちだったので、バックスイングのときに右肩をほんの少し私に見せるように指導した。しかし、そうすると、今度は私にずっと右肩を見せたまま(斜に構えて)打ってしまう。

「右肩を見せるのはバックスイングのとき、ほんの気持ちだけで、打ちおわったときに私に胸を開いて見せるようにして打ってください。体幹をそんなに大きく動かさなくていいですよ。」

頭では分かっているのだが、身体の動きがぎこちない。まぁ、完全に打ち方を変えるのだから、そんなにすぐに思ったように身体が動くわけがない。彼女はどうしても強いボールを打ちがちである。強く打たないとボールが安定しないと思っているのだろうか。身体にガチガチに力が入っていて、ボールをうまくつかむことができないように見えた。力が入っているのでつい手だけで打ってしまうのだ。

「肩が動いていませんよ。」

それを数分繰り返していたら、肩だけは動くようになってきた。だが、肩の動きと腕の動きがあまり連動していないようだ。肩の動きに前腕がしばしば先行している。つまり、手打ちをした後で肩を動かしているような感じだ。これでは肩を動かす意味がない、というより腕を動かした後に肩を動かすと、ガチャガチャと忙しくなって、かえって手打ちのほうがマシなぐらいだ。

まず体幹が動き、それから腕が動かすのが正しいと思う(指導書には下半身から動かすと書かれているが、それは初心者には難しいか)。

「力を抜いてください。右肩を見せているときには力を入れてはいけません。ずーっと力を抜いてください。それでスイングの最後の当たる瞬間だけグッと力を入れてください。」

あれ?力を抜いて体幹を動かす…?これは何かありそうだ。

彼女は飲み込みが早いようで、それからしばらく練習すると、肩を動かしながらきれいにバックハンドが振れるようになってきた。肩と腕がうまく連動しているように見える。

私の「指導」が成功したのだろうか。少なくとも初めの打ち方よりはずっとマシになっているはずだ。それはともかく、私はひらめいてしまった。

力を抜くといっても、全身の力を抜くわけではないだろう。抜くのは腕の力である。お腹には力を入れておいていいのである。腕の力を入れたままスイングすると、どうしても腕が先行して動き、手打ちになってしまう。腕の力を抜いてお腹の力を入れてスイングするとどうなるか。体幹から先に動かざるをえない。そして体幹に脱力した腕が引っ張られた末にグッと腕に力を入れてインパクトを迎えることになる。腕や手の力を抜くということは、つまり体幹を先に動かすために必要なことなのではないか。

私は今まで力を抜くというのはスイングスピードを20から50ほどに加速させるために必要なことだと思っていた。初めから100の力でスイングしたら、それ以上スイングを加速させることはできない。インパクト時には減速せざるを得ない。したがって初めにスピードを20まで落としておいて、そこからグッと力を加えて50まで加速させることが必要だ。加速こそがボールに力を伝えるのだと。

しかし、もしかしたら力を抜くというのは、腕の動きを抑えて、体幹のひねりを先行させるために必要なことだったのではないだろうか。体幹が先行して動けば、腕がムチのようにしなってスイングスピードが増す。こういうことだったのではないか、力を抜く意味というのは(前記事「ロケット理論」)。



力を抜く意味 その1

下回転サービスを出すとき、ゆ~っくりラケットを動かしているにもかかわらず、非常に切れているサービスを出す人を知っている。フワ~っと優しく切るので、そんなに切れていないだろうと勘違いして、面を立て気味にボールに触ると、ストンと落ちる。あれはどうやって切っているんだろう。

seriving

私もフワ~っとサービスを切ってみたのだが、やはりあまり切れていなかった。だが、上手に――薄くボールの底のほうを切ると、見た目以上には切れていたようだ。相手がネットにかけてくれた。次にフワ~っとラケットをボールに近づけて、当たる瞬間だけギュッと速くラケットを動かして下回転をかけてみた。さっきよりも切れていたようだ。相手がまたネットにかけてくれた。

サーブだけでなく、ツッツキやドライブなどでも同じようなことが言えそうだ。

前記事「タメとは何か」でも同じようなことを書いたが、ぎゅっと力を入れるということは、その瞬間までは力を抜いておくということを意味する。おそらく力をずっと入れたまま、長い距離――数10センチも、ラケットを移動させると、その力が十分ボールに伝わらないことが多いのだと思われる。体力的に恵まれた男性がガチガチに力を入れて全力で大振りしているのに下回転がなかなか持ち上がらないという光景をよく見かける。それよりは脱力して当たる瞬間の一瞬だけ力を入れたほうがボールに力が伝わりやすいようだ。「当たる瞬間にラケットをギュッと握るとサーブがよく切れる」などとよく聞く。

「タメとは何か」ではスイングの絶対的なスピードではなく、加速しているかどうかが大切だという仮説を提示してみた。たとえば前者はスイングのスタートから半ばまででスイングスピードがピークに達し、そこからやがて減速し、インパクト時にはスピードが70%まで落ちているというものであり、後者はスイングのスタートから半ばまでのスピードは20%ほどだが、そこから加速してインパクト時には50%ほどのスピードに達しているというものである。絶対的なスピードを比べれば、前者のほうが20%も速いはずだが、後者のほうがボールによく力が伝わるという仮説である。これが当たっているかどうかは未だによく分からない。

劉詩雯選手のスイングはコンパクトながら威力がある。

 

上の対戦での絶対的なボールの威力は丁寧選手のほうが勝っているだろうが、
劉詩雯選手のコンパクトなスイングはパワー対パフォーマンスのバランスがよさそうだ。

しかし、打球直前まで力を抜くということがそれほど効果があるものだろうか。そもそも劉選手が私が想像しているように打球直前まで力を抜いているかどうかも分からない。力を入れたままだからといって強いボールが打てないということはないだろう。もちろんいろいろな指導者や指導記事が力を抜くことの大切さに言及しているので、力を抜くことの大切さは疑いようがない。が、力をずっと入れたままと、力を抜いてから力を入れるという打ち方にそれほど差が出るものだろうか。数値にしたら、5~10%ほどパフォーマンスが上がる程度なのではなかろうか。その程度の差なら、力を抜いているかどうかを神経質に気にする必要もなさそうだ。

【続く】

卓球世界ジュニア2017を観た感想など

イタリアでの卓球の世界ジュニアが終わった。
張本智和選手、平野美宇選手、伊藤美誠選手、早田ひな選手ら主力選手を欠く中、団体戦は男女とも準優勝というまずまずの成績を上げたが、個人戦は今一つ結果が出せなかった。その中で一人気を吐いたのが加藤美憂選手だった。

kato miyu02

みうみまひなの華々しい活躍の陰に隠れてあまり目立たなかったが、最近メキメキと実力をつけている。日本選手が次々と敗れる中、準決勝まで勝ち残った。準決勝の相手は王曼昱Wang Manyu選手。体格的にも恵まれており、数々の国際大会で結果を残し、世界ジュニアのシングルスで14・15年の二年連続優勝を成し遂げている。実力的には中国の一軍に匹敵すると言える。こんな相手に勝ち目があるのだろうか?

ちょうど日曜の晩は余裕があったので、テレビ東京のネット中継を観てみた。
日本選手が決勝をかけて戦うということで、普段よりもずっと興味をもって観ることができた。

が、男子の試合が長引いていて、なかなか加藤選手の試合が始まらない。

男子の準決勝は牛冠凱選手とモアガドというスウェーデンの選手の対戦。
日本選手の試合ではないので、なんとなく流してみていたが、引き込まれてしまった。
モアガド選手のなんと個性的なプレー!

MOREGARD Truls

レベルが高いので技術的なことはよく分からないが、モアガド選手のサービスがすごい。牛選手は何度もレシーブミスをしていた。そしてツッツキが早くて速い!台上もとても上手な選手のようだ。そして極めつけはバックハンドのプッシュ。あんな威力のあるプッシュを駆使する選手を見たことがない。あんなプレーにはさすがの中国選手も慣れていないようで、牛選手はなかなか優位に立てなかった。中国選手と同じスタイルで中国選手に挑戦するよりも、個性的なスタイルで戦った方が中国選手には効くのではないかと感じた。いい試合を見せてもらった。

そして加藤選手の試合が始まった。案の定、王曼昱選手の鋭いバックハンドが炸裂し、加藤選手は対応できない。ボールのスピードが違う。やはり実力差がありすぎ…あれ?意外に善戦しているぞ。あれよあれよという間に加藤選手は王選手に追いつき、投げ上げしゃがみ込みサーブが効いて、1ゲーム目を取ってしまった。一体何が起こったんだ?サーブが効いていたのは確かだが、バックハンドのラリーでも加藤選手は意外に得点していた。ボールのスピードは王選手のほうがずっと速い。しかし、加藤選手は王選手の強烈なバックハンドをしのぎ、逆に王選手のほうがミスしている。加藤選手がバックハンドに緩急をつけているのは分かった。それだけでなく素人には分からない回転の使い分けのようなものもあったのかもしれない。そして王選手は加藤選手の遅いボールのほうを嫌がっているように見えた。速いボールよりも遅いボールのほうが効く?

私のようなレベルの卓球では「ボールの速さ、あるいは回転量こそが正義」だが、もしかしたら私のレベルでもボールの遅さや回転量の少なさというのは使いようによっては効果的なのではないかと考えさせられる試合だった。上手な人がよく「思った以上にボールが伸びてこなくてやりにくい」と漏らすのを聞いたことがある。こちらもいい試合を見せてもらった。

【付記】
youtubeでライブ中継を観戦していた時、チャットというのを表示しながら観ていたのだが、これが意外に楽しかった。変なコメントが少なかったからか、まるで友人といっしょに観戦しているような気分になった。やっぱり試合観戦は一人で観るよりいっしょに観たほうが楽しい。ただ、映像とチャットに数秒ほどのタイムラグが発生していて、映像が遅れることがしばしばだった。それで次のポイントがどうなったか映像を観る前に分かってしまうのが改善点だったと思う。

厳しいコースはあえて突かない

WRMのガネ氏がシェークバックツブ、ペン表と用具を替えてみるという動画を観た。
https://youtu.be/OVDbbJR0Wh4?list=PLmigB0unuYOueUjU4h2UMQAMKApFHlp6z&t=2752

いろいろ用具を替えて、感覚が狂っているところへ、xia氏からネットインが多すぎるとプレッシャーをかけられて、ガネ氏がミスしないように細心の注意を払ってブロックしている場面である。

ガネ氏の緊張が伝わってくる。

「きれいなボールを返さなきゃ」
「打点はどのぐらい?」
「面の角度はこれで大丈夫かな?」

と迷いながらブロックしているため、微妙に振り遅れてオーバーミスやネットインをしてしまっている。

これを観て思った、やはり何も考えずに最適の打点・角度が出せるようになるまではコースを突くようなプレーは慎むべきだと。

私がよく練習する人で、コースが非常に厳しい人がいる。ボールのスピードはそれほどでもないのだが、きれいにストレートのエンドギリギリにドライブを打ってきたり、サイドを大幅に切るボールを打ってきたりして、こちらが虚を突かれ、余裕をもって返球できないのである。

飛びつき

そういうコースの厳しいプレーを観て、

「年齢を考えて、ボールの威力や回転量ではなく、ゆるいボールでもいいから、厳しいコースを突くような卓球をしたいなぁ」

と考えたこともあったのだが、私はまだまだ安定性が低い。安定性が低いと、ちゃんと入るかどうか不安で向かってくるボールをついよく見てしまう。

「ちゃんとブレードの真ん中に当たるかな」
「打点が遅くならないようにタイミングに気をつけて」
「スイングの角度はこれで大丈夫か?」

などと考えながら打球することもよくある。これだけ考えながら打球すると、どうしても動作が遅れ気味、振り遅れ気味となってしまう。上の3つのことを考えている上に、もう一つの要素「厳しいコースを狙って」などと考えられるわけがない。私のワーキングメモリーが破綻するのは目に見えている。

A 厳しいコースは突くが、ミスが多い
B コースは甘いが、ミスが少ない

この二つを比べたら、Bのほうが楽しく卓球できるのは明らかだ。

まずはコースが甘くてもいいから、どんなボールでも考えずに打って入るようにしたい。厳しいコースを突くのはそれができるようになってからの話だ。

ミスの原因にはいろいろあるが、同時にいろいろなことを考えてしまい、判断が遅れるというのもあると思われる。私も早く身体が自動的にボールに適切に反応するようになって、厳しいコースが突ける卓球がしたいものだ。

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