まるで流れ星みたいだ。
大地はそう思った。空気のなかにいっしゅん、すうっと直線が見えた気がした。
卓球台にたたきこんだ小さなボールは、父さんの差し出したラケットの先をきれいにぬけていった。
こう書き出されている。卓球の物語と知って本を開くと、最初に「流れ星」。想像が広がる。「すうっと直線」「きれいにぬけていった」とは、主人公大地君の視覚。一条の美しい光の喩えと読みとれる。
一方、第一文が心に刻み込まれた読者は、主人公の感覚を離れて「流れ星」の孤独を思ったりする。そういうふうに惹き込まれる読者もいる。宇宙の暗闇をひとり行く、星の欠片。何者かの力によって進んでいるのだろうか。迷っているようには見えない。大地に衝突するのか。接触を望んでいるのか。どこかの目的地に到達するのか。つながりは求められているのか、疎まれているのか…。考えるのは、迷うのは人だ。宇宙には物理の事実だけがある。その流星を人が見る、というつながりはある。その薄い関係からも人は何かを創り出す。
--------------
年末になって、ようやく心が落ち着いた。
しかし、卓球をする相手がいない。せっかくの時間を卓球に費やせないだなんてなんということだ…。
しかたがないので、読書でもしてみる。
以前、古い『卓球王国』を知人に貸してもらって読んでいると、伊藤条太氏のコラムに田辺武夫氏の『卓球アンソロジー』という本が紹介されていた。
装丁も美しい
2015年までの卓球を扱った小説、マンガ、演劇や映画、はては広告や実況などまでを取り上げて、丁寧にコメントしている。
こんな本が出版されていたなんて全然知らなかった。早速手に入れなければ。
アマゾンで調べてみると、なんと2016年8月出版にもかかわらず、すでに完売。古本で入手するしかない。幸い古本ならまだ在庫があったので、速攻で購入。今、この本は晴れて私の所有となった。
冒頭の引用は『チームふたり」という児童文学に対する評論である。
この冒頭から「流れ星の孤独を思ったり」できるというのはさすが高校の国語の先生である。私などはすっと読み飛ばしてしまいそうなところにさまざまな連想や関係を求め、著者の意をくみ取り、該博な知識を動員し、想像の翼をこれでもかと広げていく。高校生の時に読んだ小林秀雄の評論みたいだ。
卓球を扱った文学作品というのを読んでみたいと常々思っていた。マンガや映画は比較的有名だが、過去の文学作品の中で卓球がどのように取り扱われているのか。本書はそういうことを細かく詳しく扱った労作である。
大半は『卓球レポート』などの卓球雑誌に連載されたコラムなどで構成されているが、それ以外にも著者の随筆や卓球の歴史について、資料等を博捜して提示されている。漱石が日本人として最初期に卓球をプレーしたという発見は、価値のある考察ではないだろうか。取り上げた作品の中にはおそらく駄作などもまじっているのだと思われるが、どの作品にも肯定的なコメントがなされており、著者のあたたかい人柄がうかがえる。
個人的には冒頭の吉野万理子氏の児童文学『チームふたり』、それから堀江敏幸氏の『おぱらばん』を読んでみたいと感じた。堀江氏が卓球部出身だったということを知り非常に興味を抱いた。この人の晦渋な文体がどのように卓球と結びつくのか読むのが楽しみである。
もう今年もあとわずか。
今年も卓球がたくさんできていい一年だった。もちろんイヤなこともたくさんあったが、そういうことは忘れて卓球ができることに感謝しなければ。
最近、親しい人が大怪我をして、歩行もままならない状態で入院中である。下手をすると退院しても卓球ができなくなる可能性もあるのだという。私は当たり前に卓球を楽しんでいるが、そうではない人もいると知ってショックを受けた。
「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」
街なかを散歩しているときに見かけた言葉。常にこうありたいと思う。
みなさん、よいお年を。
大地はそう思った。空気のなかにいっしゅん、すうっと直線が見えた気がした。
卓球台にたたきこんだ小さなボールは、父さんの差し出したラケットの先をきれいにぬけていった。
こう書き出されている。卓球の物語と知って本を開くと、最初に「流れ星」。想像が広がる。「すうっと直線」「きれいにぬけていった」とは、主人公大地君の視覚。一条の美しい光の喩えと読みとれる。
一方、第一文が心に刻み込まれた読者は、主人公の感覚を離れて「流れ星」の孤独を思ったりする。そういうふうに惹き込まれる読者もいる。宇宙の暗闇をひとり行く、星の欠片。何者かの力によって進んでいるのだろうか。迷っているようには見えない。大地に衝突するのか。接触を望んでいるのか。どこかの目的地に到達するのか。つながりは求められているのか、疎まれているのか…。考えるのは、迷うのは人だ。宇宙には物理の事実だけがある。その流星を人が見る、というつながりはある。その薄い関係からも人は何かを創り出す。
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年末になって、ようやく心が落ち着いた。
しかし、卓球をする相手がいない。せっかくの時間を卓球に費やせないだなんてなんということだ…。
しかたがないので、読書でもしてみる。
以前、古い『卓球王国』を知人に貸してもらって読んでいると、伊藤条太氏のコラムに田辺武夫氏の『卓球アンソロジー』という本が紹介されていた。
装丁も美しい
2015年までの卓球を扱った小説、マンガ、演劇や映画、はては広告や実況などまでを取り上げて、丁寧にコメントしている。
こんな本が出版されていたなんて全然知らなかった。早速手に入れなければ。
アマゾンで調べてみると、なんと2016年8月出版にもかかわらず、すでに完売。古本で入手するしかない。幸い古本ならまだ在庫があったので、速攻で購入。今、この本は晴れて私の所有となった。
冒頭の引用は『チームふたり」という児童文学に対する評論である。
この冒頭から「流れ星の孤独を思ったり」できるというのはさすが高校の国語の先生である。私などはすっと読み飛ばしてしまいそうなところにさまざまな連想や関係を求め、著者の意をくみ取り、該博な知識を動員し、想像の翼をこれでもかと広げていく。高校生の時に読んだ小林秀雄の評論みたいだ。
卓球を扱った文学作品というのを読んでみたいと常々思っていた。マンガや映画は比較的有名だが、過去の文学作品の中で卓球がどのように取り扱われているのか。本書はそういうことを細かく詳しく扱った労作である。
大半は『卓球レポート』などの卓球雑誌に連載されたコラムなどで構成されているが、それ以外にも著者の随筆や卓球の歴史について、資料等を博捜して提示されている。漱石が日本人として最初期に卓球をプレーしたという発見は、価値のある考察ではないだろうか。取り上げた作品の中にはおそらく駄作などもまじっているのだと思われるが、どの作品にも肯定的なコメントがなされており、著者のあたたかい人柄がうかがえる。
個人的には冒頭の吉野万理子氏の児童文学『チームふたり』、それから堀江敏幸氏の『おぱらばん』を読んでみたいと感じた。堀江氏が卓球部出身だったということを知り非常に興味を抱いた。この人の晦渋な文体がどのように卓球と結びつくのか読むのが楽しみである。
もう今年もあとわずか。
今年も卓球がたくさんできていい一年だった。もちろんイヤなこともたくさんあったが、そういうことは忘れて卓球ができることに感謝しなければ。
最近、親しい人が大怪我をして、歩行もままならない状態で入院中である。下手をすると退院しても卓球ができなくなる可能性もあるのだという。私は当たり前に卓球を楽しんでいるが、そうではない人もいると知ってショックを受けた。
「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」
街なかを散歩しているときに見かけた言葉。常にこうありたいと思う。
みなさん、よいお年を。