しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2017年09月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

ザリガニのように――上級者のポジショニング

「レースは走る実験室」
故本田宗一郎氏はそう言ったそうだが、それを私の卓球に引き付けて言うと、「大会は躍動する教室」とでも言ったらいいだろうか。

大会で上級者のプレーを観て、普段気づかないことをいろいろなことを学んだので記しておきたい。

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とある試合会場でのこと。

おじいさん、おばあさんががむしゃらにボールを打っている数台横の台で、明らかに違うスピードのボールが一定のリズムで行きかっている。20代の若者たちが試合前の練習をしていたのだ。彼らは私たちとは違う人種――全国大会出場を目指している人たちだった。

全身を使ってとんでもないスピードのボールでドライブとブロックの練習をする人たち。それが全くミスなく延々と続いている。みんなすごいスピードのドライブを打っているのだが、その中にひときわ速いボールを打つ人がいた。その人を仮にMさんとしておこう。

Mさんのドライブは低くて直線的である。台から2メートル以上、下がっているのに全く減速せずにギューンと飛んでいく。バックハンドのスピードもほとんど同じである。それでいて必死で打っているという感じではない。私もドライブを打つことは打つが、私のドライブとMさんのドライブを同じ「ドライブ」という括りでひとまとめにしていいかどうかためらわれる。それぐらいすごいドライブである。

さぞ名のある人に違いない。私は京都のトップ選手のことはあまり知らないのだが、たぶん京都でも五指に入るような実力者に違いない。ドライブのスピードだけなら全日本レベルのランク選手と比べても遜色ないのではないだろうか(たぶん)。今回は初級から上級までのさまざまな選手のいる大会の中で、しかも目の前で見ていたので、Mさんのドライブは私に鮮烈な印象を残した。Mさんのドライブが炸裂したら、さすがの上級者も、カウンターはおろか、ブロックさえできないのではないか。

その日、私も試合に出て、さんざんに負けて、ちょうど近くでMさんの試合があったので、観戦して驚いた。私が見た2試合とも、Mさんはストレート負けだったのだ。練習ではほぼノーミスで打ちまくっていた両ハンドドライブも試合ではミスを連発していた。

どういうことなのだろう?

他の上級者よりも一段上のドライブを持っているにもかかわらず、それが通用しなかったということだろうか。いや、通用しないことはなかったのだが、Mさんのドライブは残念ながら、ほとんどの場合、普通に止められていた。おそらくコースがあまり厳しくなかったのだろう。それどころかカウンターブロックのように返球されて、スピードの速さが逆に自らの首を絞めているようなところもあった。

Mさんのドライブが決まることももちろんあったのだが、それよりも先に攻められたり、厳しいコースを突かれたり、タイミングを外されたりして十分な状態でドライブを打たせてもらえないことが多かったように感じた。どうやら私の見込み違いで、Mさんは京都で五指どころか五十指にも入るかどうか分からない、凡庸な(といっても私よりははるかに上手)選手だったようだ。

私は自分の見る目のなさに失望し、練習時のドライブの速さと実力は必ずしも比例しないということを思い知らされた。

なんだかMさんに親近感が湧いてきた。練習ではガンガンすごいボールを打てるけれど、試合ではそのドライブをなかなか打たせてもらえない…。

上級者は上手すぎてどの人も強そうに見えるが、上級者の中にも明らかに格差があった。Mさんはおそらく上級者の中でも半分より下のほうで、京都代表として全国大会に出場する選手には10回対戦して1回も勝てないようなレベルかもしれない。

そしていろいろな上級者のプレーを生で見て、大きな発見があった。上級者はプレー中、姿勢が大きく崩れないということである。
上級者同士の対戦で、お互いに相手に厳しいボールを送っているにもかかわらず、上級者は適度な前傾姿勢を保ち、ぶざまに姿勢が崩れることはない。軸がしっかりしているように見える。

一方、私は試合の時、体勢を崩してしまうことが多い。

体勢の崩れ

上体が起き上がってしまうことはもちろん、ちゃんと打てる位置まで移動してボールを迎えず、横着してボディーワークに頼るために体の軸がふにゃふにゃである。

めったに姿勢が崩れないというのは、結果であって、その原因のほうを明らかにしなければならない。上級者同士の生の対戦を観る機会がなかなかないので、非常に参考になった。

上級者がどうして姿勢が崩れないかという原因を考えてみたのだが、後ろに下がるタイミングが早いからではないかと見当をつけている。

上級者のプレーを観ていると、浅いボールを前に進んで打つときはそろそろと進むのだが、インパクトするやいなやにさっと後ろに下がる。まるでザリガニである。

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もしかしたら、都会の人はザリガニがどうやって泳ぐか知らないかもしれないので説明すると、ザリガニは前に進むときは足を使ってヨチヨチ歩くのだが、ひとたび危険を察知すると、尾びれを使って弾丸のような速さで後ろに泳ぐ。前に進むときと後ろに進むときのギャップは同じ生き物とは思えないほどである。

上級者のプレーを観察していると、台から1メートルぐらいの距離を保ち、台上のボールや台から出る浅いボールを打つ――前に進むときはそれほど素早くは動かないのだが、台に近づいて打った後にすぐに元の位置――台から1メートルぐらいのところに戻る。それで速いボールが返ってきても、ある程度準備する時間が作れるし、上体が伸びあがってしまうことが少ない。一方、自分のプレーを省みると、私は相手のツッツキなどを台に近づいてツッツキやドライブで返球した後、あまり下がらず、その場で次のボールを待ってしまう癖がある。このため深いボールが返ってくると、すぐに姿勢を崩してしまい、前傾姿勢を維持できなくなってしまうのである。

ザリガニのようなプレーを心がければ、きっと私のプレーも安定するにちがいない。

ラバーの硬度表示について――ふと思ったこと

海外に行って靴を買おうとしたとき、サイズが分からなくてあきらめたことがある。
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ちなみにこの靴をアマゾンで買ってみたが、2000円強で、安くて満足のいくものだった。

日本ではセンチメートル、アメリカではインチ、イギリスもインチ…でもアメリカのインチとイギリスのインチは少し長さが違うらしい。ヨーロッパではセンチメートルを使っているはずなのに、靴のサイズはパリポイントとかいう理解不能な単位で表される。
私の靴のサイズは26.5ぐらいなのだが、アメリカではそれが8.5、イギリスでは8、ヨーロッパでは43ということになるらしい。しかし、女性用の靴なら、アメリカの8.5は日本の25.5になるのだという。数字が苦手な私はこういうことを考えると頭が痛くなってくる。

どうしてこういうことになっているのだろうか。製靴業界に始皇帝みたいな人が現れて、度量衡を統一してくれないものだろうか。

同じことがラバーにも言える。
ラバーを選ぶときにスピードとかスピンとかの数値は8とか10とか表示してある。10だからいちばん弾むのかと思ったら、12とか13もある。テナジー05はスピードが13で、ファスタークG1はスピードが12.3だから、05のほうが弾むのかというと、そういうわけでもあるまい。各社で基準が微妙に異なるからである。同じ製品でも打ち方によってスピードが変わってくるし、「スピード」の厳密な値に関しては表示が難しいのかもしれないが、それでもスピードが11~13だったら、十分な弾みがありそうだと見当がつく。

しかし、ラバーの硬度は国によって大きく異なるので、非常に困る。
テナジー、ファスターク、ラクザ、GF等、各社の代表的なラバーなら、弾みや引っ掛かりは十分だと思うが、硬度が分からない。45度とか、50度と言われても、それがどのぐらい固いのか分からない。ロングセラーのラバーなら周りの人に打たせてもらったりしたこともあるので、なんとなくイメージできるのだが、新製品とか、海外のメーカーのラバーとなると、固いのか柔らかいのかさっぱり分からない。上述の「スピード」のように各社の数値が微妙に異なっても構わないと思うのだが、硬度の場合はキョウヒョウ・ネオ3が42.5度で、ヤサカの新製品ヴァルモが45-50度となると、ヴァルモの固さが全くイメージできない。

そこで提案したい。
硬度を数値で表すとともに、分かりやすい言葉でも併記してみたらどうだろうか。

特柔・柔・微柔・中・微硬・硬・特硬

のように。
シートが硬いラバーとスポンジが硬いラバーがあって、一概には言えないというのは承知で、ザックリとこのような表示があれば、便利だと思うのである。各社によって基準が異なるだろうから、だいたい同じぐらいの硬さのラバー、テナジー05が硬で、ファスタークG1が微硬でも構わない。このような表示になっていれば、硬めのラバーを求めている人が間違ってちょっとマイナーなザルトやヴェガ・エリートを買ってしまうという事故も起こりようがない。このブログを読んでいる人は、おそらくどのラバーがどの程度の硬さかというのはよくご存じだろうが、ふつうのちょっと卓球が好き程度の人は、ザルトと言われても硬いか柔らかいか想像できない人が多いと思われる。表ソフトならなおさらである。そういう人に対して「特柔・柔・微柔・中・微硬・硬・特硬」の表記は親切だと思うのである。

卓球メーカーのみなさん、ご検討よろしくおねがいします。

自分と自分ならざるもの

赤ちゃんが自分の手をじっと見つめることがある。

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ハンド・リガードというそうだ。
赤ちゃんにとって世界の境界は未だあいまいである。なにが自分で、なにが自分でないかがはっきりしない。

自分の外にあるものは自分の思い通りにならない。
お母さんにだっこしてほしいのにお母さんは近くにいない。安らかに眠りたいのに不快な音が止まない。下腹部が湿っていて気持ち悪い…どうして自分の思い通りにならないんだろう?赤ちゃんはその理不尽さに声を上げて泣く。

しかし、自分の外にあるにもかかわらず、自分の思い通りに動くものがある。自分の手である。自分が右に動いてほしいと思えば右に動くし、開きたいと思えば手は開く。そして時には口の中に入れて、自分と自分ならざるものとの境界を確かめてみる。この不思議な手を眺めるという行為を通して、赤ちゃんは次第に自分の範囲がどこまでなのかを確定していく。

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卓球のボールというのも自分の思い通りにならないものだ。
ネットを越えて相手コートに突き刺さるようなボールを打とうと思っても、ボールは台を越えてオーバーしてしまうし、相手のサービスをフリックしようとすればネットにかけてしまう。

だが、あるタイミングとスピードでラケットを振ると、不思議なことにボールは私の思い通りに飛んでいく。そのタイミングとスピードがどこなのか…まだはっきり分からない(前記事「死角を減らせるかも」)。

私は未だその境界を確定している途上にある。

自分を愛するということ

「自分を愛することができない人は、人を愛することもできない」

などとよく言われるが、どういうことだろう。自分を愛するなんて当たり前のことじゃないか。

というか、そもそも自分が好きかどうかなんて意識したこともない。人を愛したり、憎んだりすることはできるが、私にとって自分は愛や憎悪の対象ではない。そのような感情を超越したものである。愛や憎悪の対象になるものは、自分の外側にあるものだけだ。そうでない人がいるんだろうか。

もし「私」を愛するとしたら、「私」を見ている「私」以外の自分がいるということになる。その「自分」とは誰なのか?

などという陳腐な哲学的おしゃべりはこのへんにしておくが、「自分を愛する」とはどういうことだろうと、ふと考えてみた(おっと、哲学だけでなくスポーツの世界でもセルフ1とかセルフ2とか言ったりするか)

世の中には自分のことが好きになれない人というのがたくさんいるらしい。理想的な自分のイメージと現実の自分のイメージのギャップが大きくて、自暴自棄になっているような人だろうか。一升瓶をラッパ飲みしている酔っぱらいをイメージしてしまう。

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自分を愛するというのは、自分にやさしくするという意味だろうか。自分が新しいラケットが欲しかったら買ってやったり、自分ががんばったら、ほめてやったり。たしかにそういうのも自分を愛することになるのかもしれない。しかし、自分のわがままを受け入れるというのが本当に自分を愛することになるのだろうか。自分のためを思うなら、むしろ自分に厳しくすることこそが自分を愛することになるのではないだろうか。

「あ~めんどくさい。宿題しないで寝ちゃえ」

というのは、自分を愛しているのではなく、単に自分を甘やかしているだけで、のちのちのことを考えれば、むしろ自分をネグレクトしているとさえ言えるのではないか。

つまり

「ランニング、かったるいなぁ。やめとこ。」

というのは自分を愛していないことになるのだ。

私はランニングが嫌いというのは再三述べたことだが、自分のためを考えれば、嫌いなことでも毎日ランニングするのが自分を愛することになるのだろう。

やっぱりランニングに行って来よう…。



それは筋トレから始まった――薬研トレーニングを行って

卓レポアーカイブの中に「世界一への道」という記事がある。今までの日本人世界チャンピオンがいかにして世界を獲ったかを、その生い立ちから紹介する記事である。

「長谷川信彦 ――人の3倍練習し、基本の鬼といわれた男」

の中に群馬県桐生市にある故長谷川氏の卓球場――テーブルテニスガーデン・ハセガワに次のような道場訓があると書かれている。

強くなるには
・常に試合と同じ気持ちで練習する
・フォーム、フットワーク、3球目、4球目攻撃など抜群にせよ
・世界で勝てる選手になれ
・自分から進んで素振り、体力作りをやれ
 '01・6・10 長谷川信彦

この中で目を引いたのが、4番目の素振りと体力づくりの奨励である。これが長谷川氏流の卓球原理なのかなと思う。というのは記事を読んでいると、素振りとランニング、フットワーク練習の描写がしょっちゅう出てくるのだ。

現役時代には毎日2時間をトレーニングに費やした。その半分はランニングだった。「試合前にランニングをたくさんやったときには負けなかった。反対にランニングをあまりやらなかったときには、勝てなかった。走ると体のバランスがよくなるし、心も鍛えられる。孤独に強くなる。長距離ランニングは自分の卓球の命だ」と言い切る。

長谷川氏はランニングにかなり重点を置いているようだ。また、素振りのほうもすごい。

元明治大学監督の渋谷五郎は、学生に素振りを見せてやってほしい、と長谷川にお願いした。翌日「長谷川の素振りを見て、一瞬背筋がピーンとなった。宮本武蔵の剣の素振りもこのようだったのだろうな、とすごく感動しましたね。本物は違うね」と語った。長谷川の素振りやシャドープレーに関する伝説は数え切れないほどある。

剣道の素振りのように気迫のこもった卓球の素振り…。ぜひ見てみたい。
このように素振りを重視するのは

「今の日本の選手は、トップ選手から小学生に至るまでみんな体の軸が崩れている。だからフォームが崩れて、いいボールが打てないし、いい動きができない」との考えからだ。

まとめると、足腰を中心にした筋力トレーニングと、フォームを崩さないようにするための素振りというのが長谷川卓球の中で大きな位置を占めていたようだ。

長谷川氏の卓球指導は現代でも通用するのだろうか?

長谷川氏が群馬で指導をするようになってから、卓球の有力選手が出たという話はきいたことがない。今のところ長谷川氏の卓球理論は全国レベルの選手の養成には成功していないのかもしれない。

しかし、私には長谷川氏の卓球理論――足腰の筋トレと素振りというのが有益に思えてならない。

根拠はない。

自分の卓球を振り返ってみて、それらの点が絶対的に欠けており、それが自分の卓球の障害になっていると感じるのである。私のようなレベルの人間には長谷川氏の卓球指導は合っているのかもしれない。

昭和の卓球選手の練習の話を聞くと、長谷川氏だけでなく、多くの選手がランニングをはじめとした筋トレを非常に重視している。

前記事「特徴のある人」で足腰の重要性について触れたが、長谷川氏の卓球人生を読んで、私も筋トレをしなきゃなという気持ちになった。しかし、何度も述べているが、私はあまりランニングが好きじゃない。しかし筋トレはしたい。どうしよう。

部屋の中で筋トレができるアブローラーという器具をアマゾンで買ってみた。

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Soomloom腹筋ロズウィル スリムトレーナー

1200円ほどだった。ホイールの部分がプラスチックに近い固い材質なので、床によっては傷がつくかもしれない。他に不満はない。

膝を床につけて四つん這いになり、薬研を転がすように前に押して、それを引き戻すという運動である。

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ひざまづいて前に転がしてみる。

「ぐゎは!」

今…腹筋の細かい繊維が大量にちぎれたにちがいないと思わせるような痛みを覚えた。この薬研を引き戻せない…。

体にかかるなんという負荷。
たったの1回もできずにその場に倒れ伏してしまった。これは思った以上にハードな運動である。

あまり前に押しすぎて、上半身が伸びてしまうと、引き戻せなくなるので、まず短い距離でキコキコやって、だんだん距離を伸ばしていく。すると、胃袋のあたりがすぐに筋肉痛になる。

しかし、達成感はあった。

それから2週間ぐらい毎日続けていると、膝をついたままなら、上半身を最後まで伸ばしても、腹筋で引き寄せられるようになっていた。腹筋がついてきた気がする。

そして腹筋に力を入れて上半身をまっすぐ姿勢良く立てて座ってみる。今までのふだんの姿勢は軽く猫背気味だったのが、腹筋ができてきたことによってピンと背筋を伸ばして長時間座ってもあまり疲れなくなった。姿勢が良くなると、気分もよくなる。筋トレが少し楽しくなってきた。

この調子で続けていれば、年末ぐらいには腹筋が割れてくるかもしれない。いい買い物をしたなぁ。

あれ?でも当初の目的は足腰を鍛えるはずだったのに、腹筋のトレーニングになってしまった。

まぁ、いいか。

この筋トレがその後、私の卓球に大きな変革をもたらす契機になろうとは、このときはまだ想像だにできなかったのである。
 

特徴のある人――GOURIKIに学ぶ

剛力彩芽さんのことを悪く言う人がときどきいる。曰く、顔が「かわいくない」らしい。

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そうかなぁ。かわいいと思うけどなぁ。美人ぞろいの芸能人の中で考えると、もしかしたら「並み」ということなのだろうか。

まぁ、百歩譲って芸能人レベルなら「並み」の容姿だとしよう。

それでも、ひたむきにがんばっているときの生き生きした感じとその笑顔にはハッとさせるものを持っていると思う。キラキラしている。

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昔の芸能人で言うと、田中麗奈さんが私の中では近いイメージである。

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いつ、どこから見ても美人というより、特定の瞬間にまばゆいばかりの輝きを見せるタイプの芸能人かなと思う。

人はこういうタイプには弱いものだ。

卓球をしているときはあまりパッとせず、負けてばかりだが、仕事をしているときは、卓球をしているときと同一人物とは思えないような積極性と、緻密な計算で、その能力をいかんなく発揮し、非常に頼りになる男。そんな男に女性はハッとさせられるのではないか。

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上のマンガによると、心理学ではこういうのを「ゲイン効果」というらしい。

すべてにおいて人並み以上のパフォーマンスを発揮するのは大変だ。だから自分の得意な部分に特化して、そこを中心に自分を磨いていけば、きっと魅力的な人間になれると思う。

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話は変わってニッタクの「剛力」も最近注目されている。
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実売3万弱。卓球ラケットの中では最高価格帯である。
受注生産ということなので、半分、特注みたいなものだから高いのだろうか。

発売されたばかりのころは、イロモノっぽい感じで見ていたのだが、森薗美月選手、阿部愛莉選手、佐藤瞳選手等、多くのトップ選手に使われて、私の見る目も変わった。世間の評価も高い。

剛力の特徴はズッシリとした重さと安定感のようだ。『卓球王国』の「用具図鑑」では次のように紹介している。

100gの重量の理由は、変化系ラバーを貼っても、ラケット全体の総重量が軽くなりすぎず、相手の威力に押されないようになる。また、硬い割にあまり弾まない合板は、粘着系裏ソフトと合わせることでスマッシュがナックル系になりやすい。「小さい体の選手がドライブで勝負しても威力は出ない。スマッシュならば小さくてもスピードも出るし、ナックルスマッシュになれば一発で決まる」。それが作馬氏の考えなのだ。

両面に重いラバーを貼って、中陣でドライブを打つプレーではなく、重量の軽い粒高などを片面に貼る異質型のプレーに特化している。こんなラケットは持ち主を惹きつけずにはいられないだろう。ちょっと苦手な技術もあるけれど、前陣異質型プレーなら最強の用具。なんと特徴のある用具だろう。

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そして本題である。

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富士山にいた伝説の強力(ごうりき)、小宮山正さん。
登山道が十分整備されていない時代、お隣信州の白馬岳の山頂に180キロもの石(風景指示板)をかついで運んだのだという(「強力(GOURIKI)と白馬」)。

180キログラム!持ち上げるだけなら200キロ以上持ち上げる人もいるが、持ち上げただけでなく、担いで3000メートル近い山を登ったのだ!!

写真をみると、小宮山さんはそんな筋骨隆々とした人には見えない。がっしりしてはいるが、平均的な身長で、現代のボディービルダーなどと比べてそれほど筋肉質には見えない。

某掲示板に

セメント袋ってひとつ40キロなんだってな ドカタはこれ一人で運ぶのか?? ゴリラかよ

というスレッドがあり、その中の経験者と思しきコメントを読んでいろいろ考えさせられた。

・腕力で持つのと肩に担ぐのは全然違うからな?家にある米を腕の力だけで持った後米担いでみればわかる

・現代の方が遥かに体格は向上したはずなのに昔の人は何故60キロ持てたのか不思議

・背が低くて重心が下がってたんじゃない?

・引っ越し屋の兄ちゃんが冷蔵庫一人で持ち上げたの見て目が点になったけどコツがあるって言ってたわ
技術があるんだな

・昔100キロ超の冷蔵庫を連日トラックの荷台から抱えて下ろしてたけど、力半分コツ半分だよ。

・相撲取りが釣り上げする時とか力よりもその膝の頑丈さに驚く

・重心がどこにあるか分かると運びやすくなるよね

・ベンチプレス120キロを挙げる俺ですら米屋のバイトは1日でギブ
あいつらの筋持久力は凄い

・コンテナの荷下ろしとかあんなもん毎日やってる奴は本当に凄いと思うわ
それでいて結構小さくて細いおっさんとかが多いんだよな

・人の体重が60キログラムとすると片足で立つことによって片足に普段の2倍の60キログラムもの重量がかかる事になる。しかし、重たくなったとの認識はほとんどないだろう。60キログラムのものを担いでも重量が適度な重心にかかれば重たさは感じない。

・重いものを持ち上げるのに重要なのは上半身じゃなく足腰やぞ

・あれって持ち上げるコツと担いで歩くコツっていう技術の問題を筋力でどうにかしてる訳じゃないから

・徳島の山の中のおばぁちゃんが若い頃は米2俵かついで山下りてぶつぶつ交換に行きよったって言ってた

・20~30キロのもの担いだり背負ったりは誰でもできるんだって。前に平行に持ってウロウロするのがキツい。腕の力のみ。

・昔帆布会社に勤めてた親戚が言ってたけど、ほとんどの作業員は150kの帆布を担いで歩けたらしい。半分の75kしか担げない若者は馬鹿にされてたって。その人も背は低かったけど腰はガッチリしてた。もう70歳過ぎだけど昔の人の方が足腰は強かったからな。

みなさんは、これらのコメントを読んでどう思うだろうか。
これらの情報をまとめると、

・体格的には力がありそうにみえなくても重いものを持ち上げて運ぶ人がたくさんいる。
・重いものを運ぶのに必要なものは腕力よりも足腰の丈夫さ。
・その際、背負い方、重心の位置や低さが重要。

卓球選手は他のスポーツと比べて、背の低い人が多く、そういう人のほうが有利なスポーツだと思われる。たしかにサムソノフ選手のように背が高くて強い選手もいるのだが、背の低い選手のほうが圧倒的に多い。

目線の高さが低い(ラケット位置が高い)のと、重心が低いのが卓球に有利に働くのだろう。

小宮山さんはみるからに力がありそうなタイプには見えない。しかし背負い方のコツをよく知っており、足腰の頑丈さは人に抜きんでていたのだろう。

卓球でも足腰の丈夫さと、重心の使い方がプレーに大きく影響するのではないだろうか。

「しかし、強力と卓球選手には何の共通点もないではないか」

と納得できない読者もいるだろう。たしかに卓球では自分の体重以上のものを運んだりすることもないし、持続力だけでなく瞬発力も要求されるスポーツである。強力は足腰が丈夫だから、卓球選手も足腰を鍛えればいいということにはならない。

しかし、私はなんとなく強力と卓球選手が重なるのである。
非常に理不尽な終わり方で申し訳ないが、

以上。



600本投稿を記念して…とりとめのないおしゃべり

ブログ管理画面を見ると、この投稿が600本目になるという。

2012年になんとなく始めたブログだが、5年以上続いている。一年あたり100本強の投稿をしていることになる。一年が52週だから、週に2本程度の投稿になろうか。飽きっぽい私にしてはよく続いたと思う。

改めて言うが、拙ブログでは卓球についての意味のある情報を発信したいと思っている(それが成功しているかどうかは怪しいが)。意味のないおしゃべりはできるだけしないようにしている。コメントもおしゃべり的なコメントは公開しないことにしている。

しかし、このように肩ひじ張ってブログを書いていると、それが空回りしてしまうこともある。前記事「卓球で一番大切なこと」などは、「基本」とは何かということをまじめに考えてみたのだが、多くの読者にとってはうんざりだったかもしれない。無味乾燥で長いし、結論は明快ではないし(私なりに解答を示したつもりだが)…。

ブログというものは、もしかしたらもっとリラックスしておしゃべりなども書いたほういいのだろうか。

「これは!」

とか

「最近読んだ本」

みたいな記事を、まじめな記事の間に挟んだ方がいいのだろうか…。

というわけで、今回はどうでもいいおしゃべりなどをしてみたい。

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Kindleで『ぼくたちに、もうモノは必要ない。―― 断捨離からミニマリストへ――』という本が無料だったので読んでみた。
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なかなかおもしろかった。

以前、「モノを手放したら不安が消えた」という記事を読んで共感し、そういう下地ができていたのだろう。私はこういうモノがない生活にあこがれるようになってきた。

何かを所有すると、それに時間も場所も取られてしまう。その結果、しがらみが増え、神経も消耗してしまう。

車を持っていた頃はその維持のために多くの時間と金を費やしていた気がする。
休みの日に洗車とか、駐車場代に毎月2~3万もかけていたり。その割に車を使うのは月に2~3回程度。持っているのに使わないと損な気がするから無理に車を使ったりもしたが、結局手放してしまった。

オーディオに凝っていた時期もあって、10万円以上するアンプを買ったり、CDをたくさん買ったりしていたが、今はもうゆっくり音楽を聴きたいという気にならない。音楽がない時間のほうを楽しみたいと思うようになった。オーディオは手放し、CDも処分処分!

そういえばカメラにも少し凝ったことがある。といってもフィルム式のカメラの時代だ。そうそう『彼女とカメラと彼女の季節』というマンガの1巻を読んでみたがおもしろかった。Kindle向けの無料お試しマンガを最近よく読む。

電子書籍は場所を取らなくていいが、読みもしないのにうちには本がたくさんある。岩波古典文学大系なんて100冊近くあって本棚をガッツリ占有しているが、これから絶対読まないだろうと思う。たとえ読む必要が出てきたとしても、図書館で借りればいいだけのことだ。処分処分!

ブックオフに宅本便というサービスがあって、事前にネットで予約して、段ボールに本とCDを詰めて、10箱ぐらい引き取ってもらった。たいてい古い本だったので、値段はつかないものが多かったが、本棚に入りきらずに床に積んであった本がなくなって少しせいせいした。

衣類もたまる一方だ。20年以上前の服がいつまでもクローゼットにかかっている。まだ十分着られるが、こんなにたくさんあっても場所を取るばかりだ。ゴミ袋いっぱいに捨ててみた。

少し空間が増えた。なんだか落ち着く。いろいろなことを考える余裕が出てくる。この調子でどんどんモノを捨てていけば、ミニマリストになれるかもしれない。

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モノがあると、いろいろなことに気を回さなければならなくなる。

「このジャケットに合うズボンがないなぁ。今度ユニクロに行ってズボンを探してみようかな」

とか、モノはそれ自体で完結せずに次々とモノを呼び寄せる。卓球人なら分かるだろう。

新しいラケットを買ってしまったら、それに合うラバーをいろいろ貼ってしまうのと同じ心理である。

arcticwood
『卓球王国』で取り上げられたスティガのアークティックウッド。見た目が好みなので、一瞬欲しくなった。

そしてモノを呼び寄せるだけでなく、情報も欲しくなってくる。こういうことが重なって自分の時間が奪われていく。


自分で自分を整えられる暮らしのサイズって決まっていると思うようになったんです。暮らしを大きくすればするほど、自分ではコントロールできないものが増えてしまう。」

私の「暮らしのサイズ」を考えてみると、ラケットは2本…いや3本だな(まだ覚悟が足りない)。本やら衣類やら、いろいろなものは捨てられるのだが、卓球用具だけは別腹である。

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ジャケットで思い出したが、海外のバタフライでAvio jacketという商品が売っていて、どうしても欲しくなってしまった。
avio jacket

袖に「人生卓球」と刺繍?してあるのもかっこいい。
海外から取り寄せるとなると、かなり送料もかかるのだろうか。
いろいろ調べてみると、どうやらバタフライの製品を他国へ持ち出すことはキツイご法度らしく、日本にいては購入できないことが分かった。残念な気持ちもあるが、ミニマリスト志向の観点からはよかったのかもしれない。

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最近、北朝鮮の話題がかまびすしいが、あれは完全放置が正解なのではないだろうか。
いくら北朝鮮でもまさか理由もなく一方的に攻撃してくることはないだろうから、徹底的に無視するのが北朝鮮にしてみれば、最も困ることなんじゃないだろうか。

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お、だんだんとりとめがなくなってきたぞ。

そういえば、年を取ると、本を読むのが早くなるかと思ったら、逆にだんだん遅くなっている気がする。というのは若いころは何も考えず通り過ぎていた箇所でも、芋づる式にいろいろなことを思い出して思考の寄り道をしてしまうからだ。情報も情報を呼び寄せるのだ。以前なら2~3日で読めた
文庫本や新書1冊が、最近は倍ぐらい時間がかかるようになった。これじゃ効率が悪すぎる。

そこで思いついた。

本をまるまる1冊読まなくても、書評ブログなどを読めばいいのではないか。10分ほどで1冊読める(読んだ気になれる)。たとえば、「
とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい」。

本を買わなくてもいいし、時間も節約できる。卓球でいえば、ITTFのハイライト動画みたいなものだ。


オーストラリア・オープンでの張薔Zhang Qiang選手の試合。中ペンで美人で強い。

うん、これから私はこういう読書をしよう。

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今回はとりとめもないおしゃべりなので、ここで唐突に終わることにする。

いかがだっただろうか。
卓球に関係ないおしゃべりを試みてみたのだが、どうしても卓球にひきつけて考えてしまう悪い癖があるようだ。オン・オフをもっと切り替えられるようにならないとなぁ。

あと女性の読者も楽しめるようにたまには食レポとか旅行の記事も書いてみようかな。

卓球で一番大切なこと

「卓球で一番大切なこと」とは何か。

「サービスだ」という人もいるだろう。
なぜなら、サービスが甘いと、相手に先手を取られてしまい、いくらラリーの能力が優れていても、劣勢に追い込まれてしまい、格下にさえ負けてしまうからだ。逆にサービスが相手に効いていれば、終始試合を優位に進められる。格上との対戦でもサービスさえ効いていれば互角以上に戦えるというのは私も何度も経験したことがある。

「レシーブだ」という人もいるだろう。
なぜなら、たとえ高度なサービスが出せなくても、サービスは強打を打たれない程度に低くて短い下回転を出しておけばなんとかなる。レシーブこそが卓球の勝敗を分ける肝なのだ。相手の虚を突き、相手を崩して初めてこちらから攻撃ができるのだから。

サービスとレシーブが卓球で非常に重要であることは疑いない。水谷選手は「卓球はサービスとレシーブがすべてだ」と言い切った。しかし、サービスとレシーブが卓球で一番大切なことなのだろうか?


「今度の練習会やけど、一人メンバーが来られんくなって奇数になってまうから、誰か一人、人を連れてきてくれへんか」

例えば、レベルの高いチームの練習があって、そのメンバーの一人が、私を補欠として推薦してくれるなどというありえないシチュエーションを想像してみる。

「しろのはアカン。あいつはボールの質以前の問題で、ボールが返ってきーひん。ブロックはミスが多いし、フォア・ミドル・バックにブロックでボールを回してくれって言うても、いつのまにかミドル・ミドル・バックになっとるし、指定の場所にはレシーブでけへんし、練習にならん。」





全国レベルの高校の練習の動画をいろいろ見てみたが、最低限、上級者の強烈なドライブを正確に返すブロックさえできれば上級者の練習相手は務まるだろうと思われる。威力のあるドライブやスマッシュを持っていても、ブロックが不安定なら上級者は相手にしてくれないだろう。そういえば礼武卓球道場の原田氏が同志社大学卓球部に入ってまずやったことが練習相手のブロック技術を引き上げることだったと言っていた。

そうすると、ブロックが「卓球で最も大切なこと」と言えるのだろうか?
う~ん…やっぱりなんだか違う気がする。もちろん正確なブロックが重要なものであることに疑いはないのだが、それが最も大切だとは言えないだろう。

また「フットワークだ」という人もいるだろう。
いくら強烈な攻撃力を持っていても、その攻撃ができる位置に移動し、姿勢が安定していなければ強打は打てないし、守備においても同様にフットワークは効力を発揮する。全国レベルの中高生はフットワークの練習ばかりしているではないか。



一方で「戦術だ」という人もいるかもしれないし、「集中力だ」という人もいるかもしれない。果ては「健康だ」という人だっているだろう。ケガをしたら卓球どころではないのだから。

「一番大切なのは命だ。命というのは、イコール時間だ。時間はすべての人間に平等に与えられている。世界チャンピオンのワルドナーだって、一日は二十四時間しかない。彼にだけ、一日が四十八時間もあるわけじゃないんだ」 城島充『ピンポンさん』(講談社)

上の荻村伊知朗の答えは「卓球で」ではなく「卓球選手にとって一番大切なものは何か」という問いに対するものだが、どちらにしても、この問い自体、無理のある問いである。技術的なことを聞いているのか、精神的、体力的なことを聞いているのか、県大会レベルの選手にとってなのか、全国レベル、国際レベルの選手にとってなのかが分からないのでは、答えようがない。

そういう漠然とした問いではなく、初中級者にとっての技術的な面に限ったとしても、サーブやレシーブが一番なのか、フットワークが一番なのかという問いは意味がない。どれも大切なものだからだ。サービスでもレシーブでも、ツッツキでもブロックでも、どれか一つでも欠けていたら、満足に試合ができない。基本技術全般が安定していなければならない。卓球で一番大切なものというのは基本ということになるだろうか。

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たしかに基本が大切だというのはよく言われることだが、その「基本」とは何なのか、サーブ、レシーブ、ブロック、フットワーク、その他もろもろの個々の技術がミスなくできることなのだろうか。ツッツキとかストップはどうか。フリックとか中陣からの攻撃は?スマッシュは?そんなことを言い出したら、ほとんどの技術が卓球の基本ということになってしまい、卓球の基本は通過点ではなく到達点になってしまう。卓球の基本というのは一体何なんだろう?私は基本を身につけることを目標に練習をがんばっているのだが、目標がよく分からないということになると、どうがんばったらいいのか分からない。

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前記事「引き付け」でボールが来たら慌ててバックスイングをスタート(加速)させるのではなく、自分の最高のスイングスピードを維持できる位置まで待つ(引き付ける)という打ち方について考察した。それを先週末の練習で試そうとしてみたのだが…なにぶん0.2~0.3秒という非常に短い時間の中でのできごとなので、引き付けを意識することがあまりできず、ボールをミスなく返球するのに精いっぱいで、バックスイングのタイミングのことは半ば意識から抜けてしまっていた。

ときどき「イカン、イカン。バックスイングの最適のタイミングを検証しなくては」と我に返って気をつけてみることもあったことはあった。

こちらに向かってくるボールのタイミングを計り、「今だ!」とバックスイングを加速させたが、すでにタイミングを逸していることもしばしばだった。やはり頭で考えたことを実践するのは容易なことではない。頭でタイミングを計るより、身体でタイミングを計ったほうが効率がいい。毎日毎日繰り返して練習しなければ、適切なタイミングなど身につかない。

フォアドライブを打ちながら、何度目かのチャレンジのとき

「そうだ!ボールを引き付けている間、何もせずにただ待っているというのは時間のムダではないか。体の動きを止めてジリジリと待っているのではなく、引き付けている間に右足にタメを作ったらいいのではないか?」

そう考えて軽くタメを作りながら引き付けてボールを打ってみる。

「あ、このタメからのフォアドライブはなかなかいい感じかもしれない。」

しかし、そのことに集中しすぎて、今度は打球後に足が全然動かず、フットワークが使えなくなってしまった。

「タメを作りながらボールを引き付けるという流れはいい感じだったのだが、フットワークに支障が出るなぁ…あれ?もしかして打球時に右足から左足に重心移動をすれば、足が止まらずフットワークが使えるようになるかもしれない。」

タメ(引き付け)→スイング(重心移動)→フットワーク

このコンボが体に染みついたら、私のフットワーク性能は数倍に跳ね上がる!かもしれない。

切り替え練習

「ボールを追いかけることでどんなボールにも対応できる無駄のない自然な足の動きになる。」…か。切り替え練習もミスなくできるようにならないとなぁ。



「卓球の基本」というのは、いったい何なのか。結局答えは見つからぬままである。

引き付け――バックスイングのタイミングについて

先週末、久しぶりにじっくり練習をしたのだが、案の定、調子が悪かった。
1球1球を自信をもって打てないので、ボールをじっくり吟味しながら、おそるおそる打球した結果、おのずと次の打球への反応が遅れ、振り遅れ気味の、詰まり気味の、力のこもらない打球ばかりになってしまう。前記事「今度の練習で試してみたいこと」で次の練習で試すつもりだったことは、ほとんど試せなかった。それどころではなかったのだ。

とりわけ深刻だったのはフォアハンドドライブである。
私の技術の中で、まぁなんとか人並みと言えたのがこのフォアドライブだったのに…。
私からフォアドライブをとったら何が残るのというのか。

これは早急に原因を究明し対策を取らなければならない。

まずどういう症状かというと、力が全部抜けてしまうのだ。ボールに力が伝わらない。全力で打っても、ボールがラバーに引っかかる感じがほとんどない。

湿気という原因もあったのかもしれないが、それだけではない。手打ちになっているのかもしれないが、それほど打ち方が変わっているとは思えない。考えられるのはタイミングである。打球のタイミングがおかしくなっていたのではないかと疑われる。以前はどんなタイミングで打っていたのだろう?思い出せない…。

打球のタイミングというのは非常に主観的に体得していたので、これまで自分の中で客観的な基準がなかった。将来またこのようにタイミングを見失ったとき、すぐに復旧できるよう客観的な基準を設定しておく必要があると思い、今週、仕事の合間にいろいろなフォアドライブのビデオを見て、「ここだ!」というタイミングを探してみたのだが、なんとなく思い出せた気がする。



私のフォアドライブにどうして力がこもらなかったかというと、結論からいえば、打球タイミングではなく、バックスイングのタイミングがおかしくなっていたのだと思う。
ドライブの打点を示す以下のような図があるが、
daten
打点は前陣でBぐらいで打っていたはずだ。打点は変わっていないと思う。打点ではなくバックスイングの加速のタイミングがおかしくなっていたに違いない。

上のビデオを見ながら、私もバックスイングを引いて、フォアドライブのシャドープレイをしてみたのだが、上のビデオでいうと、平野友樹選手のタイミングが私には一番合っているようだ。


バックスイングを示す図を作成してみた。バウンドするのがZ点である。
timing

私のバックスイングは本来、ボールがZ点にさしかかったと同時に加速すべきだったのだが、それより早いY点やX点で加速していたために力がこもらなかったと結論した。ただし、ボールのスピードが速い場合は、Z以前でバックスイングを加速させたほうがいい。ツッツキやブロックされた遅いボールの場合、私のバックスイングはZ点で加速させるのが最適なのである。

バックスイングの加速が遅れると、早い卓球ができない。バックスイングは早ければ早いほど良い。したがってZ点より早いY点やX点、いや、それ以前のボールがネットを越える前にバックスイングを加速させたほうがいいのではないか…と思うかもしれないが、早めにバックスイングを加速させるデメリットというものがある。

もし私のバックスイングがX点以前で加速すると、ボールが打球点に達するまでに「足踏み」をしなければならなくなる。バックスイングのタイミングが早すぎるために、ボールが打球に適切な位置に到達するまで途中でスイングを減速させて待たなければならないわけである。そうすると、バックスイングとスイングがひとつづきのものではなく、ふたつの別々のスイングに分かれてしまう。それではバックスイングは単なるラケット位置の移動でしかなくなってしまう。バックスイングは助走でなければならない。走り幅跳びの助走の途中、踏み切りの直前で減速してしまったら、助走の意味がなくなってしまう(前記事「瞬間的にスイングスピード…」)。

バックスイングからスイングへの移行は連続的でなければならない。そのバックスイングのタイミングはスイングの大きさによって変わってくる。大振りのスイングなら、Z点よりも少し早めに加速させると、途中で減速せずにラケットを一気に半回転させたところにちょうど打球点が来る。逆にゆっくり迫ってくるボールで、こちらがコンパクトにスイングするならZ点よりもやや遅く加速させるのがいいかもしれない。私の平均的なスイングの大きさにちょうどいいタイミングがZ点というわけなのだ。Z点までバックスイングを加速させず、ゆるゆると引いておいて、Z点着弾と同時に一気に加速させる――いわゆるボールを引き付けるというわけである。これが先週の私のドライブに欠けていたものだろうと思う。ボールがZ点に到達するまでボールを引き付けておいて、Z点到達と同時に一気に加速させればよかったのだ(たぶん)。

いろいろな選手のバックスイングのタイミングを見てみたが、吉田海偉選手はスイングが大きいのか、X点よりも早くバックスイングを加速させているように見える。

https://youtu.be/hmvJhYAba90?t=44


自分のスイングの描く半円の大きさやスイングスピードによってバックスイングの加速を早くしたり遅くしたりしなければならない。

下の図はバックスイングとスイングを表している。これで言うと、私はSあたりからラケットを加速させ、止まらずに一気に振り切るのが合っていると思うのだが、ちょっと距離が長すぎて、しんどいかもしれない。吉田選手は自コートバウンド以前にゆるゆるとバックスイングをスタートさせ、バックスイングがTの位置あたりにさしかかったとき急加速させることが多いようだ。私もTあたりから加速させてみようと思う。
また、Uの位置からラケットを加速させるということは、バックスイングという助走をしないことを意味する。バックスイングなしで、後方から直線的にスイングするということである。U以前からラケットを加速させなければラケットがカーブを曲がるときの遠心力が使えないことになり、力のこもったショットにはならない…と言いたいところだが、私は指導者ではないし、頭で考えたことなので、本当のところは分からない(上のビデオで吉村選手はUからスタートしていたように見える)。
加速位置
スイングを加速させるタイミング(XYZ)と、スイングを加速させる位置(STU)という二つの観点から非常に分かりにくい説明をしてしまったと反省している。私のようなレベルの低い人間が頭で考えたことがそうそう的を射ているはずもないのに、なんだか熱中して自説を長々と開陳してしまった。くどいようだが、この私の考えが正しいかどうかの保証はない。

ちょっと複雑だったので、上述したことをまとめてみると、

・バックスイングの加速のタイミングが早すぎると、途中でボールの到達を待たなければならなくなり、スイングを減速させざるを得ない。
・バックスイングの加速のタイミングは飛んでくる打球のスピードや自分のスイングの大きさ、スイングスピードの早さによって変化する。
・加速させる位置はSがいいが、距離が長いので、Tあたりから始めたい。
・私の場合はツッツキ打ち程度のスピードのボールの場合、自コートにバウンドするまでバックスイングを加速させず(引き付けて)、バウンドと同時(Z)に一気に加速させるのが合っていると思う。


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