しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2017年04月

サービスから、何の指定もなく、自由にどんなコースに打っても構わない試合を模した練習、いわゆる「オール」練習(京都では「全面」ということも多い)と、点数をカウントする「試合形式」の練習とは違うというのが私の認識である。

しかし、おそらくこの認識は全ての卓球人に共有されているわけではない。人によってはオール練習と試合形式の練習はほぼ同じものと考えているように思う。

A オール練習 ≠ 試合形式の練習(私の認識)
B オール練習 ≒ 試合形式の練習

私が練習で重視していることは「できるだけたくさんボールを打つ」「続ける」ということである。しかし、人によっては相手の一瞬の隙を突いて全力で「打ち抜く」という姿勢で練習している人もいるだろう。たとえば全国大会を目指しているような人は、オール練習でも真剣勝負で、スキあらばガツンと強打で打ち抜くような緊張感をもってプレーしたいかもしれない。しかし、私が同じようなことをしようとすると、4球目まででほぼ全てのラリーが終わってしまうおそれがある。これでは卓球の醍醐味が味わえない。もっとラリーを楽しみたい。

そこで私はオール練習のときも、試合向けの分かりにくいサーブではなく、比較的相手の取りやすいシンプルなサーブを出すし、3球目が打てるなら、とりあえず同じコース――バック側に打つことにしている。こちらのサーブが下手に効いてしまったら、私は3球目以降の練習ができなくなり、一人でのサーブ練習と択ぶところがなくなってしまうし、3球目の強打をどこに打つか分からなかったら、相手がブロックを失敗するおそれがあり、3球目でラリーが終わってしまう。

では私は練習中に打ち抜くことがないのかというと、そうではない。結果的に打ち抜いてしまうこともあるのだが、強打を打つにしても、十分打てるボールを選んで、8割ほどの力で、できるだけサイドを切らないように強打を放つようにしている。たとえ強打でも、厳しくないコースに打ってあげれば、こちらもミスしにくいし、相手が返球してくれる可能性も高くなり、うまく相手が返球してくれれば、こちらはもう一度強打を試みることができる。そうするとふつうより1本多く練習できることになり、得した気分である。

しかし、Bの認識を持つ人にとってはオール練習は真剣勝負なので、打てるかどうか微妙な難しいボールでも試合のように果敢に打ってくるし、コースもサイドを切ってきたり、打点の非常に早いカウンターだったりする。うまく打ち抜くことができると、「よ~し!」などと声を出したりする。

しかし、一方で私と同レベルの下手な人がそういうプレーをすると、ミスばかりになってしまう。私がちょっと浮かせてしまったツッツキを相手が台ギリギリの厳しいコースに決めに来て、ミスされると、私は受けられるはずだった1本を失うことになり、損した気分になる。ミスした相手は「強気!強気!」などと自分を奮い立たせているが、私は「もう少し弱気になったほうがいいのではないか」と心のなかでつぶやいている。

私は試合でもないのに試合と同じ意識で練習するのが好きじゃないのだと思う。
前記事「卓球の楽しみ方」での分類によれば、私は「練習卓」のAかBだろう。そこで練習相手にも同じ嗜好の人を求める。私と同じ認識の人とオール練習をすると、それほど厳しくないボールの応酬になり、ラリーが長く続く。しかしオール練習を試合の延長線上と捉える人と練習すると、私も同じ意識で練習しなければならず、ラリーが続かず、卓球をあまり楽しめない。私の周りには、もちろんAの認識の人が多いのだが、ときどきBの認識の人もいる。

私の考えるオール練習はプロレスに近いのかもしれない。
鍛え抜いたいかつい男同士が全力で取っ組み合ったら、非常に地味な対戦になってしまう。ブレーンバスターだのロープに飛ばしてからのドロップキックだの、そういう派手な技ではなく、お互いに隙を見せず、一撃で勝負が決するようなすさまじい対戦になってしまう(前記事「すさまじい対戦」)。

そうではなくて、飛んだり跳ねたりの派手な技の応酬だけれど、相手へのダメージの少ないプロレスは私のイメージするオール練習に近い。

相手への致命傷を与えない、それでいてゆる~いピンポンとは違い、卓球らしいスピードをそこそこ味わえる卓球、それを「あまがみ卓球」と名付けたい。

甘噛みして遊ぶ子猫

Aの認識の人がBの認識の人とオール練習をする場合、Aの人がBの人に歩み寄って、真剣勝負のようなオール練習をすることが多いと思う。

「オールなんだから、どこにどんなボールを打つのもアリだ」

と、ぼんやりと考えて、Aの人もBの人に合わせた練習をすることが多いと思う。オール練習には上述の2つの立場があるということをはっきり意識していない人もいるかもしれない。しかし、このような2つの立場が意識されるようになり、逆にBの人のほうがAの人に歩み寄ってくれればと思う。

「オール練習は、カウントをとる試合形式の練習とは違って、やや手心を加えたボールで長くラリーを楽しむものだ」

という考え方が定着すれば、オール練習の時、Bの人がAの人に合わせてくれることも増えるかもしれない。

DVとかブラック企業という命名がなかったころは

「あそこんちのご主人、ちょっと怖いわよね」
「うちの会社は残業が多すぎるなぁ」

程度で済まされていたことが、現代では社会問題として認識されている。名付けることによって人々に意識化され、AとBの認識の差異が明確になれば、練習の時の摩擦も少しは減るのではないだろうか。

「あまがみ卓球」が今以上に多くの人々に認知されたらAの価値観の人が卓球をもっと楽しめるようになると思う。

大学まで卓球をガッツリとやってきた人の強さは尋常ではない。
ドライブは速いは、体勢は崩れないは、ミスはしないは、相手の強打をカウンターするはで、これぞまさに「卓球」と呼ぶにふさわしい。私が打ち込んでいる「卓球っぽいもの」とは次元が違う。

高校までガッツリやってきた人も相当上手い。台から2~3m離れて、伸びのあるすごいスピードのフォアハンドドライブを打ち合ったりする。バックハンドも巧みだ。ちょっと油断すると、バシーンとすごいスピードのバックドライブを打たれてしまう。こんな人たちに伍していけるぐらいに上達する日は来るのだろうか。社会人になってからいくら熱心に卓球に打ち込んでも、時間的・環境的な制限があるため、ちょっと上達したかと思ったら、すぐにまたボールが入らなくなるという状態の繰り返しで、「三寒四温」のようなありさまである。

そんな高校までガッツリ卓球をやってきた30代のHさんはきれいなフォームで両ハンドを振り、その中陣からのドライブの迫力には目を見張るものがある。最近は仕事が忙しくて週に1度練習できるかどうかという状態らしいが、それでも私よりはるかに上手である。そのHさんと日頃お世話になっているNさんが試合で当たることになった。Nさんは50年ほど前は全日本レベルの腕前をお持ちだったが、今では練習もほとんどせず、昔日の強さはない。いくらかつて全国レベルだったとはいえ、今のNさんでは30代のHさんには相当手こずる…いや、さすがに勝てないのではないか…

そう思っていたのだが、結果は果たしてNさんのストレート勝ちだった。Nさんは強烈なスマッシュは持っているものの、片面ペンだし、年齢のためフットワークもすっかり衰えている。どの点をとってもHさんのほうが勝っているように思っていたのに、どうして勝てたのかさっぱり分からない。

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「Hはな、フォア前にサーブを出したら、ツッツキしかしよらへん。払ったり、流したり、そんな多彩なレシーブができたら怖いけどな、ツッツキしか来ないさかい、こちらとしてはとっつきやすいわな。そのツッツキをガツーンとバック深くにつっついてみぃ、バックドライブで上に持ち上げるのが精一杯や。それを待ち構えとって、スマッシュで終わりや。」

「それからな、Hのドライブは全部下から持ち上げてきよる。わざわざ後ろに下がって、台の下まで打点を落としてのんびり打って来よる。傍目にはすごいスピードのドライブに見えるかもしれへんけど、あんだけ打点が落ちてたら、こっちに届くまでに時間の余裕があるわな。そこを前陣で待ち構えとって、全部上から叩いたらしまいや。」

「それからあいつはわしのバックサーブがうまくとれへんな。全部甘いレシーブやさかい…」

もう出るわ出るわ…Nさんは次から次へとHさんの弱点を指摘するのである。このうちの一つでも握っていたら、試合がかなり有利になるのに、Nさんは5つか6つぐらいの弱点を立て続けに教えてくれたのだ。たった1回しか対戦していないのに、上級者には相手の弱点がすぐに分かるらしい。

「試合いうのんはな、速いドライブを打つとか、フットワークとか、そういうことだけしとっても、ある程度以上には勝てへん。相手の癖いうのかな、こっちにボールを送ったら、だいたいこっち側にこんなふうに返してくるいう相手の癖をいくつか把握しとかなあかん。そういう「予測」いうのか、そういうことを2セット目までにある程度しとかんことには勝てへんにや。」

今のNさんはHさんに比べて、いろいろな技術で劣っていると思われる。ドライブの球威も劣るし、バックハンドの強さもフットワークも劣っている。しかしNさんには穴がない。特別に弱いところがなく、ブロックやツッツキ、サーブ等、地味な技術が非常に安定しており、コントロールと精度が高い。そして昔の卓球なので、スマッシュの安定性がすごい。長い経験から、いくら苦手な技術でも、致命的な穴となる部分は塞いであり、自身の得点源につながる技術は錆びつかせない、そんな意識で卓球をしているのかもしれない。

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私は人のプレーを見て

「あまり強くないな。技術的には同等か、私のほうが少し上かな。」

などと思っていた相手に手痛い敗北を喫したことが何度もある。これには二つの可能性が考えられる。

1.私の見ている「技術」というのがスピードや威力等、派手で目立つ技術だけである
2.技術的な巧みさと戦術的な巧みさとを比べると、試合でものを言うのは後者の割合が高い

おそらくどちらも正しいのではないだろうか。

私はフットワークの練習に励み、以前と比べたら動き出しが早くなったし、ドライブも安定してきた。それでも試合になると、練習の成果が出せず、負けることが多い。

偶然じゃないっ…!
勝つことは偶然じゃないっ…!

勝つ者は勝つべくして勝っているのだっ…! 
オレは甘えていたっ…! 
まるでなってなかった…

勝つ道…
勝つ力をまるで築かず…

ただ徒に闘い…
負けを重ねていた…

私はナイーブにも練習を重ねて技術が向上すれば試合でも自ずから勝てるようになると思っていたが、練習で上達することと、試合で勝つこととは、重なる点もある一方で、試合ではまったく別の思考も要求される。

試合で勝つ人というのは、とりたててすごい技術がなくても、どの技術も平均以上に安定しており、穴らしい穴がない。さらに、上のNさんは具体的に、明確に攻め方を考え、「試合の思考」とも言うべきものを身につけている(前記事「「戦術」の意味」)。それにひきかえ、私ときたら、ドライブの威力と安定性は向上したが、前後の動きがおそろしく遅いし、レシーブも下手だ。戦術面でも「相手のバックを攻めよう」とか、「フォアに長いボールを送ったら危ない」程度の大雑把な「戦術」しか思いつかないし、それ以上、思考を深めようとは思っていない。

自分の持つ致命的な弱点に目をつぶって、派手な技術ばかり練習し、試合中の思考訓練を疎かにしていては、いくら練習で技術を高めても、穴のない「試合の思考」を身につけた相手にはなかなか勝つことは難しいのではないか。試合で勝つためには、穴のなさと「試合の思考」を身につけなければならない。



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どうやったら試合に勝てるか。

用具を買うのも、練習するのも、人の試合を見るのも、それらはつまるところ自分が試合に勝つという目的のためだ…という卓球人が多いと思われるが、他の楽しみ方もあるに違いない。

前記事「女性の視点が…」を書いていて、試合で勝つとか上達するとか、そういう一般的な楽しみ方だけに卓球を限定してしまうのは間違っていると感じた。世間には練習したくても仕事が忙しくて練習できない人もたくさんいるし、体の故障を抱えていて自身が卓球ができない人もいる。私だっていつ腰や膝を痛めて思い切り動けなくなるかもしれない。

そういう様々な事情のある人はハードな練習をしたり、試合に出たりといった一般的な楽しみ方と違う楽しみ方をしているのかもしれない。私も将来卓球がプレーできなくなったときのために現在とは違う卓球の楽しみ方を考えておかなければならない。

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鉄道好きな人たちはさまざまな嗜好があり、その多様性には驚かされる。

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「車両鉄」:車両の性能、内装や設備、バリエーションや車歴などを研究して楽しむ。
「撮り鉄」:写真撮影に楽しみを見出す。
「乗り鉄」:鉄道に乗ることに楽しみを見出す。
「降り鉄」:下車して駅周辺の散策を楽しむ。
「収集鉄」:切符やスタンプ、備品などを集めて楽しむ。
「模型鉄」:鉄道模型を作って楽しむ。

この辺まではなんとなく理解できるが、以下の境地は凡人の私には理解できない。

「スジ鉄」:時刻表を読むことに楽しみを見出す。通常の列車だけでなく、貨物列車の運行状況も把握したいらしい。
「音鉄」:駅の発車メロディーや車内放送、走行音を録音して楽しむ。

他にもレールや分岐器を研究したり、鉄道無線を受信したりと、信じられないような楽しみ方もあるのだという。

卓球の楽しみ方も、私が知らないだけで、いろいろな形があるのではないだろうか。
私の理解できる範囲で卓球の楽しみ方を考えてみた。下に行くほどマニアックである。

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【交流系】
1.「交流卓」
卓球をめぐっていろいろな人と交流する。チームを組んで団体戦に出たり、集まって練習したりもするが、競技力の向上よりも、仲間と集まってワイワイするのが目的。

2.「ピンポン卓」
上達をほとんど目的とせず、いろいろな人とゆるく打ち合うことを楽しむ。

【プレー系】
3.「競技卓」
試合で勝つことに楽しみを見出す。最も一般的な卓球人。

4.「練習卓」
試合で勝つことよりも、練習それ自体に楽しみを見出す。試合にはほとんど出ない。こういう楽しみ方も一般的である。さらに下位分類すると、

A ラリーを続ける
B 技術を高める
C 卓球のための筋トレなどに喜びを見出す。

などが考えられる。

【観戦系】
5.「観戦卓」
試合を観戦する楽しみ方だが、さらに下位分類できる。こういう人たちが増えればTリーグも盛り上がるだろうが、観るよりもやるという人が多いのでまだまだ発展途上だろう。

A ひいきの選手やチームの勝利をともに喜ぶ
B 高度な技術や戦術を見抜いて鑑賞する。

【指導系】
6.「指導卓」
指導することに楽しみを見出す。自分が上達することよりも、他者の上達が楽しいという人である。

【用具系】
7.「用具卓」
用具やカタログを集めたり、用具のデータを分析したりして楽しむ。収集に重点がある。


8.「レビュー卓」
用具を集めることよりも、用具の性能に興味があり、実際に試してみて、細かいベンチマーキングに楽しみを見出す。

【その他】
9.「創作卓」
選手の写真やビデオを撮ったり、イラストを書いたり、グリップに彫刻したり、ラケットを改造・創作したりといった図画工作に楽しみを見出す。
【追記150415】図画工作に限らず、卓球ブログや動画編集などもここに含めるべきか。

.10.「運営卓」
伊藤条太氏のブログにあったが、大会の運営に喜びを見出すというものである。タイムテーブルや組み合わせなどを細かく考えるのを楽しむわけである。


鉄道ファンと比較すると、卓球人はマニアックな方面に進む人が少ないように感じる。
用具が好きな人は多いが、例えば一つのメーカーにこだわって、そのメーカーの最近20~30年のすべてのラケットとラバーをコンプリートしているといった人(コクタクやアームストロングならできるかも)には出会ったことがないし、過去の日本リーグの選手を全て把握し、過去数十年の対戦結果を分析して楽しむような人も聞いたことがない。鉄道ファンは車両の走行音やレールや分岐器の種類にさえ楽しみを見いだせるのである。鉄道ファンに比べたら、卓球人の楽しみ方はまだまだ浅いと言わざるをえない。

何も結論らしい結論が出ないが、あまりおもしろい意見が出そうもないので、今回はこのへんで終わりたいと思う。

知り合いの女子中学生がラケットを替えたいというので、ちょっとネットで調べてみた。

「アコースティック」や「インナーフォース」「フォルティウス」「SK7」等、世間で評判のいいラケットはあまたあるが、驚いたことにレビューのほとんどが男性の手によるものなのである。もしかしたら女性のレビュアーもいるのかもしれないが、書き方から判断するにおそらく8~9割は男性の手によるものと思われる。男性にとってはすばらしいラケットでも、非力な女性には全く合わないという可能性もある。ラバーについてもしかり。

そういえば、全国的に大きな大会(東京オープンとか)を見ても、出場する選手の数は男子選手が女子選手の倍以上というのがふつうである。学校の卓球部や大学の卓球サークルでも同じような割合だろう。

卓球のブログでも女性のブログというのは稀だ。

卓球レディー」(男性が読んでも参考になる本格的なブログ)

パンダちゃんの趣味ブログ

ぐらいしか女性による卓球ブログを見つけられなかった。「パンダちゃん…」に以下の記述がある。

卓球に関する書籍や雑誌、ウェブサイトはたくさんあるのに、シニアに特化した情報は探してもなかなか見つからないのが現状です。
筆者もシニアの女性を相手にした練習に悩んで、ネット上で解決策を見つけようとしましたが、必要な情報が全く手に入らなかったことがあります。

初心者・初級者のシニア女性に多く見られる傾向として、ボールを打つ力が弱く、全身を使えずに手だけで打ちになってしまい、足を動かせず、多くの練習量をこなせるだけの体力がないことがあげられます。このため一般に普及しているような練習方法が、シニアの女性にとって無理なことも多々あります。

やはりそうか。なんでこんな当たり前のことに今まで気づかなかったのだろう?
若者・高齢者を問わず、女性のための卓球情報が極端に不足しているという私の推測はおそらく間違っていない。
ブログに限らず、卓球雑誌や卓球技術動画なども男性の視点からのものがほとんどで、女性に配慮した情報は非常に少ない。

われわれ男性は

「うどんじゃあるまいし、手打ちはだめ!」
「ずっと前陣にいると、苦しいから、ときどき中陣に下がって攻撃したら?」

などと、われわれ男性の価値観で卓球について語ってしまうが、女性――とくに中高年の女性の価値観と私たちの価値観というのは相容れないことが少なくない。

用具選びでも「このラバーはゴリッと回転がかかってすばらしい」という男性的な価値観ではなく、「飛びすぎないし、軽く打ってもボールが落ちない」という女性の価値観による用具選びというものもあってしかるべきだろう。

なぜ卓球社会はこれほど男性社会なのか。なぜ女性はもっと発言しないのか?
「一億総卓球社会」実現のためには、もっと女性の視点や女性の意見が反映されるべきだし、女性が参加しやすい卓球環境の整備が急務なのではなかろうか。

Ioanna Ping Pon

卓球界に女性の視点があれば、卓球はもっと一般化し、今までとは違う発展を遂げるはずである。

まず、用具のデザインがもっと洗練され、バリエーションも増えるはずである。

卓球教室では、男性が強くなる指導とは違った、女性の立場に立った指導が必要とされるだろう。

練習環境も、私たち男性はとにかく安くてたくさん練習できる卓球場がいい!と思うが、女性なら、料金が高くてもいいから、おしゃれで清潔な卓球場がいいと思うかもしれない。

それから「強さこそ正義!」という現在優勢な価値観も崩れてくるかもしれない。

同じクラブにいる、全国大会に出場した選手よりも、フォームが美しく、どんなボールもやさしく受け止めてくれる選手のほうが女性には人気が出ると思われる。

いくら卓球が強くても、立ち居振る舞いが下品なら評価が低い(前記事「きちんとする」)だろうし、卓球よりも話術が巧みな人のほうがもてはやされるかもしれない。もしかしたら、週に一度の練習日も、実際に卓球をする時間は半分以下で、それよりもおしゃべりや交流のために通うという人が増えるかもしれない。

「神聖な卓球場に来て、練習よりもおしゃべりに興じるとは何事か!けしからん!」

と男性的な価値観で考えるのではなく、

「卓球の練習は、私たちの交流の一部にすぎないわ。練習ばっかりしてたら飽きちゃうじゃない?強くなることよりも交流が最優先!」

という女性的?(偏っていたらすみません)な価値観が通用する、そんな懐の広い卓球界でありたい。

このように卓球に女性の価値観や視点がもっと入ってくれば、卓球のサークルにも女性が増え、それが卓球に打ち込みすぎて、彼女がいないという若者(こういう人が本当に多い!)の救済にもなり、卓球の裾野も広がるのではないだろうか。

…と、以上の考え方も結局男性である私の考えたことなので、女性が本当にこのように考えているかどうか分からない。おそらく女性は私の考えつかないようなユニークな視点で卓球を発展させてくれるに違いない。

【付記】 
冒頭の女子中学生は私の勧めでアコースティックを購入した。
後日「あのラケット、どうだった?友達とかは、羨ましがったんじゃない?」と聞いてみたところ、「ん~、みんなラケットとかに興味ないから、どうでもいいみたい」とのこと。
私が同じ部員だったら、「これがアコースティックかぁ、かっこいい~!伊藤美誠選手も使ってたんだよね?どれどれ、ラバーは何を貼ったの?ちょっと打たせてみて!」などと大興奮するはずなのに…。

女子中学生の考えていることは謎だ。


 

京都に住んでいると、茶道に出会うことが多い。
男女を問わず、茶を嗜んでいる人によく出会うし、裏千家だの、表千家だの、そういう流派の本部のようなものもある。日本文化の誇るべき粋の一つとして外国人に茶道が紹介されることも多い。

しかし、私が体験した茶道というのは一体なんだったのか?
小川チョウラク茶碗
この茶碗がこの家でいちばん高いものらしい

私には茶道というものはさっぱり理解できなかった。
亭主に聞くと、茶道の本質はもてなしの心ということらしいが、どこがどう「もてなし」だったのか私には分からない。ただ抹茶をふるまわれて、私はそれを飲んだだけだ。

茶道の本質というものはもしかしたら言葉で説明するものではなく、何十年も続けてきて初めて理解できる類のことなのかもしれない。

ド素人がド素人なりに茶道をうわっつらで理解しようとすると、次のようになる。

1.「畳の縁を踏んではいけない」
というのは、ものを大切にするという教えのように感じた。畳の縁というのは、傷みやすいので、そこは踏まないという作法があるのではないか。

2.「スクッと立って姿勢よく歩く」
というのは、見た目をよくして、見る人を不快にしないというマナーに属することなのかと思う。

3.「回るときは、尻を向けない」「茶碗の正面を亭主に向ける」
というのは、「姿勢よく歩く」に重なるが、相手や周りの人への配慮、いわばエチケットに属することなのかと思う。

4.「茶碗は低いところに持って見なければならない」
うっかり大変なミスをして大惨事が起こるのを避ける予防のようなものかと思う。いわば災害への備えのようなものである。

5.「茶碗を眺めてコメントする」
というのは自分の知識・教養を通じて相手と交流するということかと思う。

茶道で決まった作法にはそれぞれに理由があるに違いない。そしてこのような作法を普段から実践できるようになれば、卓球での交流もうまくいき、ひいては卓球の上達も早いのではないか。


卓球で常々思うことだが、地域のクラブなどで初対面の人と打つときに、感じのいい人と感じの悪い人がいる。感じのいい人は練習でも練習相手に恵まれ、上手な人に相手をしてもらう機会が多いと思う。

私は子供の頃から「出せば出しっぱなし、脱げば脱ぎっぱなし」と言われてきたが、未だにその癖が完全には治っていない。その都度片付けないから部屋が散らかるし、部屋が散らかると探しものが出てこないし、探しものが出てこないと遅刻するし…こういう悪循環である。こういうだらしのない人間は周りからも軽く見られ、上手な人にも相手をしてもらえないのかもしれない。

茶道を嗜んでいる人が卓球をしたらどうなるのだろうか。
いろいろなところに目配りが利くのではないだろうか。

私なら卓球をする時、ジャケットやズボンを脱いで、グチャグチャにしてその辺に置くだけだが、茶道をしている人なら、そんなガサツなことはできないと思う。きちんとたたむに違いない。私は練習中にボールをネットに引っ掛けたら、台に覆いかぶさって手を伸ばし、ボールをラケットの先端ですくって、ボールを相手に渡すが、茶道をやっている人なら、きちんと台の横まで歩いていって、やさしく下からボールを投げて相手に渡すかもしれない。汗をかいて床にポタポタ落ちても、私は足で踏みこするぐらいだが、茶道をやっている人なら、プレーの後にちゃんと雑巾で床を拭ったりするのではないか。

私はしないが、ボールをネットにかけてしまい、こちら側に弾んで戻ってきたボールをラケットで上から叩いて静止させ、引きずり寄せる人がいる。ミスして台を叩いたり、ラケットを放り投げたりするというのは見ていて気分のいいものではない。こういう振る舞いは1(ものを大切にする)と2(見ている人を不快にしない)という茶道の理念?に反する。
私がよくする脱いだものをグチャグチャにしておくというのも2の理念に反するし、手を使わずに相手にボールをパスするというのは3の理念に反するだろう。

私が2万円超の高級ラケットを購入し、高価な新製品のラバーを貼って練習に持っていったら、周りの人が興味深そうにラケットを眺め、ラバーをベタベタ手で触ったり、指でつまんでブラブラさせて、クルクルと危なげに反転させたりしたら、あまり気分が良くないかもしれない(4の理念に反する)。

「ちょうどスイートエリアのところを指でさわるな!」
「そんなことしてうっかり落として傷でもついたらどうしてくれるんだ!」

なんだか卓球と茶道というかけ離れた趣味に共通点のようなものが感じられてきた。

そういえば、しつけの厳しいチームや中高では、あいさつはもちろん、細かいことにまで気を遣って非常に気持ちよく振る舞う子供や学生がいる。なんでもきちんとしている子供は上手な人にかわいがられ、上達も早い。そういう選手たちはもしかしたら茶道の精神に適っているのかもしれない。

茶道の理念を身につけた人が卓球をしたら、用具も丁寧に扱い、相手に対する配慮も完璧で、見ていて気持ちよく、会話などもそつなくこなせるかもしれない。

茶道というものを体験して、何気ない日常の振る舞いに目を向けるきっかけになった。

日常の振る舞いだけでなく、卓球のプレーでも、細かいことに無頓着な人は上達が遅いだろう。ミスした原因をよく考え、きちんと卓球ノートを作り、次の練習では同じミスをしないように気をつける。ミスをしないとしても、戻りが遅かったり、強く打てなかったりした時、私はあまり深く考えないが、細かい気配りがきちんとできる人ならば、なぜ自分は戻りが遅いのか、どうして強く打てないのかと原因を突き止め、上手な人のプレーをよく観察し、必ず自分のプレーを改善させることだろう。

細かいことまで気づいてきちんとする。

これは茶道の作法や日常の立ち居振る舞いにとどまらず、卓球にも応用できる理念ではないだろうか。
私は茶道を習おうというつもりはないが、卓球の中で「茶道」をやってみたらどうなるだろう?

【付記】
今日は卓球の日だそうである。
せっかくだから、この日に記事を完成させたいと思い、昨日から何度も推敲してみたが、何度も読みすぎて、かえって文章の論理が分からなくなってしまった…。これがゲシュタルト崩壊というやつだろうか。
これ以上、推敲しても変わらないと思うのでやむなく中途半端な形で発表することにした。読みづらい点もあるかと思われるが、ご寛恕いただきたい。

卓球とは関係ない話である。

先月、関東を訪れた時、滞在したお宅には茶室があった。
奥様は茶道に入れ込んでいて、私に茶をふるまってくださるという。
育ちの悪い私は、茶道などという上品なものには無縁で、今回、初めて茶道というものを体験させていただいた。

しかし、茶道ってなんだろう?

お菓子を食べて、お茶を飲んで、それで?

なんだか分からないが、せっかくの機会だから、とりあえず体験させていただこう。

茶道には3畳ほどの薄暗い小間でする本格的なお点前と、明るい8畳ぐらいの広間でする、簡略なお点前というのがあるらしい。
小間の茶室
小間

広間
広間

小間(にじり口がある部屋)のほうは私には敷居が高いので、広間の方でお茶だけをいただいた。

真ん中に炉があり、そこで亭主が炭を使って湯を沸かす。
私はこの部屋の右端の畳で正座して待っている。
畳の縁から20センチ下がって座るというのが作法らしい。

そしていろいろな道具を使って、なにやら抹茶が点てられたようだ。
ちょっとした口上があり、その後、取りに来るように言われたので、いざって炉のほうに行こうとすると、そうではなく、その場でスクっと立って背筋を伸ばして取りに行かなければならないと言われた。
なんだか分からないが、立ってから歩いて茶碗を受け取りに行くと、畳の縁を踏んではいけないと注意される。

予想していたことだが、細かいことまでいろいろ決まっているらしい。

茶碗を両手で受け取って、持って戻ろうとすると、持ち運ぶときは片手で持ち、方向転換のためにくるっと回るときは、他の客に尻を向けない方向に回らなければならないんだそうな。

一挙手一投足に注文がつく。

元の席に戻り、存在しない他の客に尻を向けないように座り直す。
そこでいきなり茶を飲むのではなく、飲む前に茶碗を眺めて模様や形についてコメントや質問をしなければならないらしい。傾けたりしていろいろな角度からためつすがめつ眺めてみたが、教養がないので何のコメントも出てこない。そうやって眺めていると、亭主に注意される。

「茶碗はヒザの前あたり、低いところで見てください。高いところで見て、落として割ってしまったらたいへんですから。」

茶碗というのは信じられないほど高い。

でいか茶碗80万

これが80万円!

というか、茶道具というのはたいてい理不尽に高い。

茶筅38000
茶筅3万円。

茶はき箱
茶はきばこ6万円。

茶入れケース
茶入れ10万、ケース5万。

茶杓
象牙の茶杓10万。

みんなその道の名人が作ったものだから高いのだという。どれも100円ショップで手に入りそうなものに見えるが…。

茶をいただく際には、茶碗を90度ずつ、2回――つまり180度回すのだという。茶碗には正面と裏面があり、飲むときは正面を亭主に向けて飲まなければならないらしい。

そうやってズズーっと音を立てて少しずつ飲み、飲み干して、返そうとすると、返す前にもう一度茶碗を見るよう言われる。上等な茶碗というのは、その家の宝物なので、そうそう見られるものではない。もう二度とその茶碗に出会えないかもしれない。それで返す前に名残を惜しんでよく見て目に焼き付けるものなのだという。形だけだが、名残を惜しんでから茶碗を返した。

おそらく本当のお点前というのは、もっと複雑な作法があると思われるが、私は亭主と二人きりで茶道のうわっつらだけ体験させていただいた。

今、私は一体何をしたのだろう?

座って、茶碗を見て、茶を飲んだ。

抹茶はまずくはなかったが、感動するほどうまいとも思わなかった。

茶道とはなんだろう?

【つづく】

「サービスミスでも1本、スーパープレーでも1本 」

こんなことをよく言われる。いくら派手なラリーができても、凡ミスが多ければ試合に勝てないということを戒める言葉である。

questionaire
習得したい台上技術でチキータがダントツ。ツッツキは最下位の10%

上のアンケート結果をみると、台上技術の中で、ツッツキを習得したいという人は少数派である。このぐらいできて当然だという人が多いのだろう。しかし私は自分のツッツキに不満がある。

相手の、なんてことのない下回転のショートサービスをツッツキでレシーブする時、私は練習でも5回に1回ぐらいはミスをする。すごく切れているというわけでも、回転が分かりにくいというわけでもなく、相手も台上の練習用に適当に出した下回転サーブである。これをときどきオーバーさせたり、ネットに引っ掛けたりしてしまう。ノーミスで練習できたためしがない。この比率を多いと見るか、少ないと見るか。

全国を目指しているようなレベルの人にとっては5本に1本は多いのかもしれないが、私のような一般愛好家にとってはふつうの比率ではないだろうか。しかし、そんな意識だからいつまでたっても上達しないわけで、このような、分かりにくくもない、適当に出されたサーブをノーミスでレシーブできなければ、今のレベルから上に上がれないだろう。

このようなミスが起こる原因を考えてみると、単に私が力加減を誤ったせいで、原因らしい原因はないように思える。誰でも「うっかり」はあるものである。しかし、このようなうっかりミスは単なる偶然なのだろうか?
それなら上級者も、平凡な下回転や横回転のサービスをうっかりミスするはずだが、彼らは平凡なサービスに対するレシーブで驚くほどミスをしない。何が違うのかよく分からないが、私のレシーブと上級者のレシーブは本質的なところで何かが違うに違いない。

世間では、いまさらツッツキを習得したいと思う人は少数派かもしれない。しかし、私は今の、「ときどきミスするツッツキ」ではなく、「ほとんどミスしないツッツキ」を習得したいと思っている。

自分のことはよく見えないが、ツッツキをよくミスする人のプレーを観察したら、ツッツキのミスがどのように起こるのか、そのメカニズムがだんだん分かってきた。

下回転サービスに対するツッツキを考察してみよう。
ツッツキでミスする人は、基本的にオーバーミスが多いと思われる。それは無意識にボールの後ろのほうを押しすぎているのだ。ボールの回転とラケットの角度がバッチリ合っていれば、それは深く鋭いツッツキになる。しかし、その二つがうまく噛み合わないことも多い。下回転が思ったより弱かった場合は浮かせてしまい、押しが強いためにオーバーミスとなる。その一方でときどきネットに掛けたりすることもある。通常の下回転なら、ネットを超えるところだが、下回転が非常に強い場合はネットを超えられず、ネットに引っ掛けてしまう。ツッツキのミスの典型はこのようなものではないだろうか。

このような回転の微妙な量に左右されるツッツキではノーミスのレシーブは望めないだろう。誰でもうっかり回転量を見誤ることがあるのだから。多少「うっかり」があってもミスしない(とりあえず台に入る)ツッツキとはどのようなものだろうか。

最優先されるべきは、押さない工夫だと思われる。

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以下にツッツキを安定させるための技術について考えてみたい(これが正しいかどうか自信がない)。

1.ブレードの角度
A 比較的高く浮いたボールを上方から下方へツッツキする場合は、ネットに掛けないために、ツッツキ時のブレードの角度の延長線上にネットの上端の白い線がくるようにすればいいだろう。この角度で打てばいくら下回転が強くても、ボールがネットに掛かることはない。よく切れたカットをつっつくときもこの角度にすればとりあえず入る。
ただ、この角度はかなり上向きの角度なので、下回転が弱い場合は浮かせてしまう。浮かせないためにはボールの底を強くこすって浮かせないように高さを調節する必要があるだろう。うまく行けば、深くて鋭いツッツキになると思われる。

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B しかし、低いボールの場合は上から下に突き刺すようなツッツキを入れるのは難しい。とりあえずネットに掛けない安定性重視のツッツキとして、早い打点でボールの側面に近いほうに当てて、下からすくい上げるように上方向にスイングするというツッツキも有効だと思われる。

2.スイングの方向
次にオーバーミスをしないためにはどうするか。
1Aのツッツキではラケットを後ろから前へではなく、横前に移動させるのがいいと思われる。斜め横方向にスイングして「前に押す力」を逃がせば鋭くつっついても、前に飛ぶ力が少なく、オーバーミスが減るはずである。
1Bのツッツキではラケットを低い位置からから斜め上に擦り上げるような方向がいいだろう。
どちらにしても前に押す力を加えないようにしなければならない。

3.ボールの捉え方
ボールの後ろに近い位置を捉えてしまうと、ボールを押してしまうので、できるだけボールの底か側面(あるいはその両方)に近い部分を捉えるのがよさそうだ。

4.ちゃんと止まってからツッツキ
短いサーブを急いで取ろうとして、台の中へ入る。そのときにきちっと止まる余裕がなく、止まらないままつっつくことによって、自分の意識以上に押してしまっている可能性がある。きちっと止まってから打球する。あるいは止まれなければ、その「押し」も計算に入れて浅いボールを心がける。

5.腕をあまり伸ばさずツッツキ
台上では、つい、横着をして足を動かさずに腕を伸ばしてツッツキをしてしまいがちだが、ショートサーブが来たら、脇をしめ、赤ちゃんを抱いているような姿勢で体全体でボールの落点に近づき、十分近づいてからちょっとだけ腕を伸ばしてチョンと打球すると、非常に安定する。ツッツキは顔の近くで。そのためには足を使ってできるだけボールに近づかなければならない。

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打球後に腕を真っ直ぐに伸ばしてしまう人がいるが、これは安定しないばかりでなく、戻りも遅くなると思われる。


以上、ボールを押さず、かつネットに掛けないツッツキについて考察してみたが、これらは先週の練習でちょっと試しただけなので、どれほど効果があるかまだ分からない。引き続き試していきたい。これによってツッツキでのミスが少なくなるばかりでなく、相手を悩ませるようなツッツキができるようになれば、派手なラリーにめっぽう強い格上の選手を倒すこともできるかもしれない(前記事「台上練習のインセンティブ」)。

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