「日本人なのにザンシンを知らないんですか!?」
武道をやっている外国人にこんなことを言われたことがある。ザンシンってなんだ?調べてみると、剣道の用語で「残心」という言葉があった。
残心とは、斬った後も相手の反撃に備えておくという心構えのことです。ですから、形だけではなく心構えが重要ということになります。
剣道における「有効」というのは、単に竹刀が相手にヒットしただけではダメで、ヒットしつつも
「十分な気位で残心を示しながら相中段にな」
る必要があるのだという。当たったかどうかという客観的・論理的な基準だけでなく、精神的な「気位」というものが決め手になるのである。
このサイトによると、目に見える構えというよりも、むしろ精神的な心構えこそが残心なのだという。「そんな主観的な基準で大丈夫か?」と素人は思ってしまうが、おそらく見る人が見れば、残心があるかどうかは明白な場合が多いのだろう。
残心は剣道だけでなく、弓道を含めた武道全般で用いられる用語であり、武道のみならず、茶道や仏教でも使われるらしい。冒頭の外国人に言いたい。
「日本人だからってそんなこと知っているわけがないだろ!」
弓を射終わった後の残心
しかし、この残心というのは卓球にも通用する概念のように思われる。というか、この残心こそが中級者の卓球上達のカギなのではないだろうか。
3年ほど前の記事「あやまちは…」でもこの問題に触れたことがある。木から降りるとき、あと1メートルほどのところで気を抜くと大けがをするという話だ。徒然草の「高名の木登り」の段は国語教科書の定番だが、さして面白くもない話がどうして定番なのか、いぶかしく思っていたが、教科書編纂者はもしかしたら日本人の備えておくべき心構えとして残心という概念を教えたかったのかもしれない。
この記事を書いたときは、打球後の戻りの姿勢といった形式的なものを考えようとしていたように思う。しかし、卓球における「残心」も戻りの姿勢というよりは、精神的なものではないかと思うようになった。
武道をやっている外国人にこんなことを言われたことがある。ザンシンってなんだ?調べてみると、剣道の用語で「残心」という言葉があった。
残心とは、斬った後も相手の反撃に備えておくという心構えのことです。ですから、形だけではなく心構えが重要ということになります。
剣道における「有効」というのは、単に竹刀が相手にヒットしただけではダメで、ヒットしつつも
「十分な気位で残心を示しながら相中段にな」
る必要があるのだという。当たったかどうかという客観的・論理的な基準だけでなく、精神的な「気位」というものが決め手になるのである。
このサイトによると、目に見える構えというよりも、むしろ精神的な心構えこそが残心なのだという。「そんな主観的な基準で大丈夫か?」と素人は思ってしまうが、おそらく見る人が見れば、残心があるかどうかは明白な場合が多いのだろう。
残心は剣道だけでなく、弓道を含めた武道全般で用いられる用語であり、武道のみならず、茶道や仏教でも使われるらしい。冒頭の外国人に言いたい。
「日本人だからってそんなこと知っているわけがないだろ!」
弓を射終わった後の残心
しかし、この残心というのは卓球にも通用する概念のように思われる。というか、この残心こそが中級者の卓球上達のカギなのではないだろうか。
3年ほど前の記事「あやまちは…」でもこの問題に触れたことがある。木から降りるとき、あと1メートルほどのところで気を抜くと大けがをするという話だ。徒然草の「高名の木登り」の段は国語教科書の定番だが、さして面白くもない話がどうして定番なのか、いぶかしく思っていたが、教科書編纂者はもしかしたら日本人の備えておくべき心構えとして残心という概念を教えたかったのかもしれない。
この記事を書いたときは、打球後の戻りの姿勢といった形式的なものを考えようとしていたように思う。しかし、卓球における「残心」も戻りの姿勢というよりは、精神的なものではないかと思うようになった。
こちらがサービスの時、全力で相手の2球目に集中し、打てるボールと打てないボールを見極め、打てるなら全速力で反応し、打っていこうと思った。「もしこれができないなら、卓球をやめる」ぐらいの覚悟で、必死で食らいつくようにボールの行方に意識を集中させた。
以前、相手がボールをどこに返球するかを0.1秒でも早く察するために「必死で食らいつくように」意識を集中させたことがあった。結局これだけでは、振り遅れを防ぐには不十分だという結論だったのだが、このように意識を途切れさせないということは、それはそれで有効なのではないだろうか。
卓球ではどうしても打球を境に意識が途切れてしまいがちである。打球する前は集中して相手の行動を意識していても、打球直前から直後にかけて、打球の達成感からか、どうしても意識が途切れがちになってしまう(私の場合は)。 目を血走らせて相手の出方に集中する必要はないと思うが、常に相手の出方やボールの軌道などを意識し、ポイントが終わるまでは、何があってもその意識を途切れさせないというのが素早く反応するためのコツなのではないかと最近思い始めている。
そういえば、岩波文庫の『日本の弓術』という本は有名だが読んだことがない。薄い本だし、正月休みに読んでみようかな。
前記事「そなえよつねに」
以前、相手がボールをどこに返球するかを0.1秒でも早く察するために「必死で食らいつくように」意識を集中させたことがあった。結局これだけでは、振り遅れを防ぐには不十分だという結論だったのだが、このように意識を途切れさせないということは、それはそれで有効なのではないだろうか。
卓球ではどうしても打球を境に意識が途切れてしまいがちである。打球する前は集中して相手の行動を意識していても、打球直前から直後にかけて、打球の達成感からか、どうしても意識が途切れがちになってしまう(私の場合は)。 目を血走らせて相手の出方に集中する必要はないと思うが、常に相手の出方やボールの軌道などを意識し、ポイントが終わるまでは、何があってもその意識を途切れさせないというのが素早く反応するためのコツなのではないかと最近思い始めている。
そういえば、岩波文庫の『日本の弓術』という本は有名だが読んだことがない。薄い本だし、正月休みに読んでみようかな。