『卓球王国』の連載「Another Story」が好きだ。
脚光を浴びるトップ選手に準ずる実力を持ちながら、運命のいたずらで埋もれてしまった、知る人ぞ知る名選手が取り上げられることが多いからだ。戦いの舞台から一度退いたそのような選手の言葉は、自分の卓球を客観的に見つめなおすことになるため、戦いの渦中にいる現役の選手よりも深くて重い場合が少なくない。
そのような選手の一人、2015年8月号で取り上げられた冨金原修氏のインタビューに引きこまれた。
「ぼくは『卓球のボールはまるいんだ』ということがすぐにわかったんです。だからボールのどこをどう打てば、どういうボールが出るのかを感覚的に理解していた。これがわかっていれば、卓球は簡単ですよ」
なんだか深いことを言っているような気がする。「ボールはまるい」というのは、当たり前のことだが、それを私は本当に理解しているのだろうか。
一回の練習でいろいろな種類のボールを何百球も打っているはずだけれど、私のラバーがボールに接触しているのは、たいてい上の図の黒い部分か、せいぜいその外側に広がる青い部分までである。さらにその外側の白い部分に触れることなど、サービスを除けば、1回の練習でわずか数回なのではないだろうか?
例えば強烈なドライブをブロックするとき、打球点を変えたり、ラケットの角度を調整したりして、がんばって台に収めようとしても、どうしてもオーバーしてしまう。ボールの黒い部分や青い部分までしかボールを有効活用していないので、どうしてもボールを後ろから押してしまっているのだと思われる。それを、白い部分に接触させてブロックすれば、ボールの勢いをモロに受けることなく、安定してブロックしたボールが台に収まるのだ…と、そんなことを上手な人に聞いた気がする。ペンのショートが固い人は側面に近い位置にラケットを当てているということも聞いたことがある。
レシーブのときもそうだ。切れた下回転をストップやツッツキする場合を考えてみよう。
相手のショートサービスを返球するとき、私は黒い範囲や、せいぜい青い範囲にラバーを接触させてしまうため、ボールを後ろから押してしまい、短く止まらない。それを横や斜めから白い部分に触れて返球すれば驚くほど短く止まったりするのだろう。台に対して平行に真正面からツッツキをするのではどうしてもボールをコントロールできない場合が出てくる。
Xia氏のブログでもちょうど同じようなことが言われていた(最近忙しくて更新をサボっていたら、同じトピックでバッチリかぶってしまった…)。
私は、自分では多様なボールを打っているつもりでも、打球面が狭く限られているので、変化の幅が小さい。それに対して上級者は黒い部分から白い部分まで幅広い打球面を使って打球するため、ボールのポテンシャルを最大限に使いきっており、多種多様なボールが打てるのだと思われる。
つまり、私の打球時のボールのイメージというのは球体ではなく、四角形に近いものなのである。
卓球王国の記事には冨金原氏の、ボールが丸いことが分かっていたという言葉の具体的な例は挙がっていない。しかし、おそらく上述したようなことを指しているのだと思われる。
ボールだけではない。台やコースについても同様のことが考えられる。
私は、自分では卓球台のいろいろなところにボールを打っているつもりでも、実際は卓球台の半分ほどしか使い切っていないような気がする。
自分では相手の待っていない場所にドライブを打っているつもりでも、バウンドする場所はおそらく白く塗りつぶした範囲の外には出ていまい(狙いが外れて偶然範囲外に出ることはあるだろうが)。私がラリーをするときは、実際には台の面積の半分ほどしか使いきっていないと思われる。
例えば、図のAの地点を狙って浅いドライブを打ったり、逆にBを狙って深いドライブを打ったりして、台の広さを十分に使いきれば、私の卓球もずいぶん進歩するに違いない。
よく台にタオルを敷いての練習というのを見かけるが、一番打ちやすい場所にタオルを敷いて、それをよけてボールを入れるような練習をしたら、台を十分に使いきったラリーができるようになるのかもしれない。
「井の中の蛙」というと、思い上がったお山の大将的な文脈で使われることが多いが、そうではなくて、この記事では、すぐ隣に広い卓球の世界が広がっているのに、それが見えず、知らず知らずのうちに自分の卓球を自分で狭めてしまっていることが多いのではないかということが言いたかっただけである。
脚光を浴びるトップ選手に準ずる実力を持ちながら、運命のいたずらで埋もれてしまった、知る人ぞ知る名選手が取り上げられることが多いからだ。戦いの舞台から一度退いたそのような選手の言葉は、自分の卓球を客観的に見つめなおすことになるため、戦いの渦中にいる現役の選手よりも深くて重い場合が少なくない。
そのような選手の一人、2015年8月号で取り上げられた冨金原修氏のインタビューに引きこまれた。
「ぼくは『卓球のボールはまるいんだ』ということがすぐにわかったんです。だからボールのどこをどう打てば、どういうボールが出るのかを感覚的に理解していた。これがわかっていれば、卓球は簡単ですよ」
なんだか深いことを言っているような気がする。「ボールはまるい」というのは、当たり前のことだが、それを私は本当に理解しているのだろうか。
一回の練習でいろいろな種類のボールを何百球も打っているはずだけれど、私のラバーがボールに接触しているのは、たいてい上の図の黒い部分か、せいぜいその外側に広がる青い部分までである。さらにその外側の白い部分に触れることなど、サービスを除けば、1回の練習でわずか数回なのではないだろうか?
例えば強烈なドライブをブロックするとき、打球点を変えたり、ラケットの角度を調整したりして、がんばって台に収めようとしても、どうしてもオーバーしてしまう。ボールの黒い部分や青い部分までしかボールを有効活用していないので、どうしてもボールを後ろから押してしまっているのだと思われる。それを、白い部分に接触させてブロックすれば、ボールの勢いをモロに受けることなく、安定してブロックしたボールが台に収まるのだ…と、そんなことを上手な人に聞いた気がする。ペンのショートが固い人は側面に近い位置にラケットを当てているということも聞いたことがある。
レシーブのときもそうだ。切れた下回転をストップやツッツキする場合を考えてみよう。
相手のショートサービスを返球するとき、私は黒い範囲や、せいぜい青い範囲にラバーを接触させてしまうため、ボールを後ろから押してしまい、短く止まらない。それを横や斜めから白い部分に触れて返球すれば驚くほど短く止まったりするのだろう。台に対して平行に真正面からツッツキをするのではどうしてもボールをコントロールできない場合が出てくる。
Xia氏のブログでもちょうど同じようなことが言われていた(最近忙しくて更新をサボっていたら、同じトピックでバッチリかぶってしまった…)。
私は、自分では多様なボールを打っているつもりでも、打球面が狭く限られているので、変化の幅が小さい。それに対して上級者は黒い部分から白い部分まで幅広い打球面を使って打球するため、ボールのポテンシャルを最大限に使いきっており、多種多様なボールが打てるのだと思われる。
つまり、私の打球時のボールのイメージというのは球体ではなく、四角形に近いものなのである。
卓球王国の記事には冨金原氏の、ボールが丸いことが分かっていたという言葉の具体的な例は挙がっていない。しかし、おそらく上述したようなことを指しているのだと思われる。
ボールだけではない。台やコースについても同様のことが考えられる。
私は、自分では卓球台のいろいろなところにボールを打っているつもりでも、実際は卓球台の半分ほどしか使い切っていないような気がする。
自分では相手の待っていない場所にドライブを打っているつもりでも、バウンドする場所はおそらく白く塗りつぶした範囲の外には出ていまい(狙いが外れて偶然範囲外に出ることはあるだろうが)。私がラリーをするときは、実際には台の面積の半分ほどしか使いきっていないと思われる。
例えば、図のAの地点を狙って浅いドライブを打ったり、逆にBを狙って深いドライブを打ったりして、台の広さを十分に使いきれば、私の卓球もずいぶん進歩するに違いない。
よく台にタオルを敷いての練習というのを見かけるが、一番打ちやすい場所にタオルを敷いて、それをよけてボールを入れるような練習をしたら、台を十分に使いきったラリーができるようになるのかもしれない。
「井の中の蛙」というと、思い上がったお山の大将的な文脈で使われることが多いが、そうではなくて、この記事では、すぐ隣に広い卓球の世界が広がっているのに、それが見えず、知らず知らずのうちに自分の卓球を自分で狭めてしまっていることが多いのではないかということが言いたかっただけである。