しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2016年02月

先週、地域の卓球大会に出場した。
対戦の序盤で相手のロングサービスをバックハンドドライブで迎撃しようとしたところ、ミス。これは攻撃的な前に振るドライブだったのだが、初めて当たる相手のボールに私のドライブがうまく合わない。その後も数回試してみたが、あまりいい感触ではなかったので、前に振るバックハンドドライブは 封印し、もっぱら安定性を重視した上に振るバックハンドドライブを使うことにした。

まぁ、そんな中高年のレベルの低い試合の話は置いておいて、世界卓球2016 マレーシア大会がついに始まった。男子の試合は観損なったが、女子の試合は観ることができた(福原愛選手の試合は観損なったが…)


初戦は対チェコ戦。石川選手が予想外の苦戦を強いられ、ハラハラした。一方、伊藤選手はイケイケ卓球で、相手を圧倒し、痛快だった。

次の対ブラジル戦。浜本由惟選手が世界選手権に初出場ということだったので、彼女には注目していた。「みうみま」の試合は観る機会が多いが、浜本選手の試合はあまり観たことがない。最近、メキメキと実力をつけてきているというので、どんなプレーをするか気になっていたのだ。

浜本選手は174センチの長身(日本代表の中では、吉村真晴選手に次ぐ長身)で、強打のスピードは一般的な女子選手よりもかなり速く見える。そしてその整った顔立ちは見ていて飽きない(どうでもいいか、そんなこと)

hamamoto


浜本選手の相手はグイ・リンという選手。よく知らないが、かなり男性的なプレーをしてくる選手である。

浜本選手はグイ選手がガツンと切った深いツッツキを思い切りバックハンドで振り切って素晴らしいボールを打っていた。しかし、私は自分の試合中のプレーと重なって、ヒヤヒヤしながら観ていた。
hamamoto backhand


「たぶん初対戦だろうに、あんなに深い、速いツッツキを思い切り振り切って大丈夫だろうか。いつかミスするんじゃなかろうか」

しかし、そんな私の杞憂をよそに浜本選手の勢いのあるバックドライブは次々と相手コートに突き刺さった。

ここで思った、私は前に振るバックハンドドライブが本当に打てるのだろうかと。

もちろん、練習中になじみの相手の打つツッツキを前に振るバックハンドドライブで強打するというのはできないことはない。というか調子が良ければ8割方入るのではないかと思う。しかし、試合では2割程度しか入らないのだ。こんな私は「前に振るバックハンドドライブが打てる」と本当に言えるのだろうか。

同様に試合でフォア前のショートサービスを浮かさず、キチッとストップできるかと聞かれたら…自信がない。

フォア前のショートサーブをストップすることの何が難しいのかといぶかる向きもあるかもしれないが、試合で初対戦の相手の出すフォア前サービスを確実にストップするのは私には難しい。何もよく切れたショートサービスというわけではない。相手がどんなサービスを出してくるか全く読めない場合は、ナックルに近い下回転のサービスでさえ、ミスしてしまう気がする。もちろん、コースの決まった練習なら、8割方入るボールである。

練習中に入るからといって、その技術が自分のものになっているとは言えないと思う。フォア打ち程度なら、初対面の相手だろうが、ボールのコースが荒れていようが、ネットにかけられようが、たいていのボールは返球できるだろう。その技術は自分のものとなっている証拠である。

一方、練習中ならできるのに、試合になるとできない技術というのは、本当には自分のものとなっていない技術である可能性が高い。それを、

「練習では8割方入るから、その技術は十分身についている。もっとレベルの高い、チキータやらカウンターやらの練習をしよう」

などと考えるのは心得違いだと思うのである。相手がどんなボールを打ってくるのか分からない状況でも8割方ミスせずできるようになってはじめてその技術は身についたといえるのではないか。

地域の大会でも、私よりもずっと上手で、ふだんは豪快な両ハンドドライブで派手なラリーをする人がフォア前のなんてことないボールを何度かミスしていた(ミスしないまでも、相手にチャンスボールを送っていた)のを見た。あんなに上手な人が、さほど難度の高くないボールでミスを連発するなんて…と驚いたが、派手なラリーは上手にできるが、地味なネットプレーの技術が身についていない人は案外多いのかもしれない。浜本選手のような日本代表選手、そこまでいかなくとも、県上位の上級者でもなければ、試合中のネットプレーで意表を突かれても、ミスせずキチッと返せる人は少ないのかもしれない。それはあたかもフォア打ちで、イレギュラーなボールが返ってきた時にもキチッと対応できるのに比定できる。

何が言いたいかというと、基本技術と言われるものを自分では身につけたつもりでいても、初中級者のなかには実際には身についていない人が多いのではないかということである。私だって練習中にコースが決まっているボールなら、チキータだろうがカウンターだろうが5割以上(8割方と言いたいところだが…)の確率で入れることができる。フォアハンドドライブやツッツキなら、8割方入れることができる。しかし、それが試合中では安定せず、相手によってはミスを連発するのが普通なのである。ツッツキ(またはストップ)、バックハンドドライブ(またはハーフボレー)、フォアドライブ(またはフォアロング)。この3つがどんな相手、どんな状況でも8割方入るようになれば、その技術は定着していると言えるだろう。しかし、そうでないなら、これらの基本技術(特に敬遠されがちなネットプレー)と言われるものを集中的に練習して身につけることが優先されるべきではないか。

以前、大島祐哉選手が『卓球王国』のインタビューか何かで、東山高校で3年間、基本的なフットワークの練習をひたすらしていたというのを読んだことがある。そのような基本練習を疎かにして、基本ができていないまま、全国大会とかで好成績を残してしまうと、次のステージに進んでしまい、伸び悩んでしまうといったことが書いてあったと記憶している。それはあたかも中学で数学とか英語の基礎をしっかり身につけないまま、高校でより高度な内容を勉強するようなものだろう。卓球で言えば、どんなところに打たれても、上記3つの技術でキチッと対応できるようになるまでひたすら練習するということである。「どんなところに打たれても」ということは、フットワークを鍛えることも意味する。

そう考えると、「基本技術」というのは実は高度な技術なのかもしれない。一般的にはサイドスピンブロックやチキータといった、ある種、曲芸的な技術が「高度」な技術とされているが、基本技術というのも、いつでも、どんな相手でも確実に打てるようになるためには、それこそ年単位の練習量が必要な高度な技術なのである。

話を浜本由惟選手に戻すと、

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試合後に行われたインタビューで、インタビュアーに「試合に勝って、どうですか?」のような質問を受け、それに対して、緊張でシドロモドロになった浜本選手は満足に答えられない。インタビュー慣れしている他の選手は対戦を振り返って、そつなく、いろいろなコメントをしていたのだが、浜本選手は緊張で頭の中が真っ白になってしまったのか、何も答えられない。はにかみながら、やっと絞り出した「嬉しいです」という言葉が回りの温かい笑いを誘っていた。

かわいい…。

もしかして、このような感情が世間で言うところの「萌え」とか「キュン死に」とかいうやつなのだろうか。

ともあれ、浜本選手は実力的にもメディア受けという点からも将来性に満ちていると言えよう。

インナーマッスルというのはよく聞く言葉だが、身体の表面ではなく、奥の方にある筋肉といった認識しかない。
インナーマッスル・トレーニング」というサイトの記事を読んでみたのだが、 そういう認識で大きな間違いはないらしい。人間の筋肉は多くの層によって構成されており、そのうちの比較的奥の方にある筋肉をインナーマッスルと呼ぶ。特定の筋肉ではなく、おおまかな総称らしい。そしてその役割としては「体をひねったり手足を回転させて動作の微調整を行う時に「縁の下の力持ち」的な働きをしている」というものらしい。

この、ひねったり、回転させたりというメカニズムは、卓球に大いに関係あるのではないだろうか。

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どうしてそんなことに興味をもつようになったかというと、 最近、こんな経験をしたからである。

ラリー中、時間がない時、正面を向いた状態から、とっさに腰を捻り、 フォアハンドドライブを打つといった場面で、よくミスをする。自分でもあまり力が入っていないという感覚がある。それに対して一度フォアハンドを振りきってから、反動を利用してググーっとバックスイングを取った時には、力がみなぎって、安定したフォアドライブが打てる。この感覚をうまく言葉にできないのだが、とっさに腰を捻った時は、どんなに力を込めても、上っ面の筋肉が動いているだけで、深層にある筋肉は動いていないように感じるのに対して、反動を利用して腰を捻った時は、表層の筋肉とともに、深層の筋肉も十分ねじれて、身体全体で打っているような感覚があったのだ。

もしかしたら、筋肉というのは表層だけが動き、深層はほとんど動かないということもあるのではないだろうか。反動を利用せず、ニュートラルの状態からあわてて無理やりバックスイングをとっても、インナーマッスルは十分に動かず、アウターマッスルしか動かない。それで力がこもらないということもあるのでは…?そして、筋肉の動く順番は、アウターマッスル→インナーマッスルの順で、アウターマッスルを動かして――具体的に言うと、フォアハンドを打つためにバックスイングをとる時、アウターマッスルが動き、それを追ってインナーマッスルが少し遅れて動くわけだが、インナーマッスルが動ききる前にスイングをスタートしてしまったら、全く力のこもらないスイングになってしまうのでは?もしかして、世間で「タメをつくる」と言われているのは、このインナーマッスルが動ききるのを待つことを指しているのかもしれない。

もし、この仮説が正しいとすれば、 アウターマッスルで身体をねじり、インナーマッスルがそれにともなってねじれきってから、スイングをスタートすれば、力のこもったスイングになるのではないだろうか。そして短い時間でそれを可能にするのは振り切ったことによる反動なのではないか…と、筋肉やトレーニングについて全く知識のない私の思い込みを思わず記事にしてしまったが、この考察は卓球理論などに裏付けされていない、単なる思いつきなので、鵜呑みにしないでいただきたい。

おそらく私の主観的な感覚に基づく考察なので、誤りがあるかと思われる。こういうことに詳しい方がいらっしゃれば、ぜひコメント欄でご批正いただきたい。

【追記】160228
インナーマッスルなどと、思い込みで大げさなことを書いてしまったが、そんな難しいことではなく、インナーマッスルという語を重心と置き換えれば、それで済む話かもしれない。重心というものも、左から右に一瞬で移動できるわけではなく、バックスイングをとるときに、左から右に完全に移動しきるにはある程度の時間がかかる。
おそらく私がこの記事で考えるべきだったのは重心の性質なのだろうと思い直している。
 

知人から古いTSPトピックス(1988年)を借りて読んでみた。

表紙

わずか45ページほどの薄い雑誌であり、現在は廃刊となっている。
当時は卓球が初めてオリンピックの種目となり、日本代表は以下の選手だった。

男子:宮﨑義仁、小野誠治、斎藤清、渡辺武弘

女子:星野美香、内山京子、石田清美

シングルスは小野、星野両選手が1回戦敗退の他は全て予選リーグ敗退という寂しい結果だった。

この年の全日本の優勝は、男子、斎藤清選手、女子、佐藤利香選手だった。

この号には、その前年の1987年に全日本で優勝した糠塚重造選手のインタビューが載っている。

糠塚選手は今、何をしているのだろうか。斎藤清選手の全盛時代、彼と何度も全日本の決勝で対戦したほどの実力者ながら、今はとんと名前を聞かない。卓球から完全に足を洗ってしまったのだろうか。

糠塚選手は大学生になって日ペン裏ソフトから表ソフトに転向して成功した珍しい選手である。

(大学2年)夏のインカレ(大学対抗)が終わってから,裏ソフトから表ソフトに変えました。表ソフトのほうがいいと助言してくれる人もいたし,高校のときから表ソフトのほうが向いていると言われたこともあったし、自分でも表ソフトのほうがいいかなと思っていましたから。

私も以前、上手な大学生のバック表の弾きのスピードにしびれて表ソフトを試してみたことがあったが、裏ソフトと性質が全く違い、2~3回使っただけで断念したことがある。それを考えると、結果が求められるトップ選手が、その最も大切な大学時代という時期に裏ソフトから表ソフトに転向するなんて無謀とさえ思える。トップ選手ともなると、これほどの用具変更も困難を感じないのだろうか。

しかし、記事を見ると、やはり糠塚選手も表ソフトには手を焼いていたようである。

ぼくは裏ソフトと表ソフトの両方を経験しましたけど……やはり表ソフトは難しい。【中略】
表ソフトは精神的な要素が大きい。たとえば19-13ぐらいのスコアだったら裏ソフトはそれほど負ける要素はないと思うけど,表ソフトはわからない(笑),負ける可能性がある。そういう経験がぼくにもあります。あっという間に19-16になって,逆転されるとか……。守っていたら,あっという間に追いつかれますからね。

表ソフトはナックル性のボールがでるからといって,極端なスイング(ナックルを出すための)が表ソフトの打ち方だと思っている人もいますが,それではボールが安定しません。水平スイング,いつでもスマッシュを打てるスイングでありながら,少しずつボールに回転を与え,安定したボールの飛行曲線をだすことが大切だと思います。

そういえばオガさんも、表ソフトでも「ミート打ちやスマッシュは擦りながら弾いたほうが、ミスは減る」と説いていた(前記事「表ソフトの使い方」)。

糠塚選手はこのインタビューで自身の卓球人生を振り返り、最後に自身の卓球論について語る。

卓球は「動き方」のスポーツではないでしょうか。うまくなる人というのは動き方を知っています。脚力とか筋力があっても,合理的な動きをしなければ何にもなりません。ボールへの最短距離をいかに効率よく動くかが大切。

最短距離を効率よく動くことが卓球の極意ということだろうか。効率よく動くとはどういうことだろうか。私もその「動き方」を知りたい。

斎藤の場合でも,とれないようなボールをパッととってしまったりしますものね。やっぱり前に動いているんじゃないでしょうか。ふつうの人だったら横とか後ろに動いてしまうやつを,彼は前の方に効率のよい動きを見せる。やはりそういうことを彼は知っているんだなと思います。

記事で明かされていることはこれだけである。これだけの情報から効率のいい動きというのがどのようなものかは想像もつかない。とりあえず「前に動」くということが糠塚選手の卓球の極意ということだろうか(前記事「背中を見せたら終わり」)。
糠塚インタビュー


自分の試合中のビデオなどを見ると、「横とか後ろに動いてしまう」例として、次のようなシーンが多かった。

追いつけない01

図1
中途半端にバック側にフォアドライブを打つと、見事に取れないボールが返ってくる。その結果、横や後ろに動いてしまうのだ。

取れない

図2

同じくドライブを打つならもっとバックサイド近くを狙わなければならないのだろう。このように相手のバックサイドギリギリに打てば、相手もまっすぐストレートに返すよりも、大事を取ってややミドル寄りに返球してくれるような気がする。サイドを切るボールが打てれば動く距離がもっと小さくなるのだろうが、私にはなかなか難しい。

追いつける
図3

そして、「前に動」くというのだから、前陣では前に動きようがないのであって、中陣から打って前に出るということになるだろう。

私のダメなところは、このフォア側への飛びつきのときに身体の向きがフォア側を向きっぱなしになってしまうという点である。ここはしっかりとクロス側に向き直らなければならないと反省している。

私の場合、効率的に動くという以前に身体の向きが間違っているような気がする。

非常に中途半端だが、今回はここまでである。「前に動」くということから、何かおもしろいことが分かるのではないかといろいろ考えてみたのだが、あまりおもしろい結論に至らなかった。残念。

【おまけ】
1982年のTSPトピックスに載っていた広告である。
カタログ01


「イボ高」のカールは当時からあったということを知らなかった。スペクトルといえば表ソフトだが、裏ソフトのニュースペクトルというラバーもあったらしい。価格はたった1000円。
シェークのラケットはハイピッチ1号・2号とヤナギ3号・5号。このネーミングはアームストロングの回転1号を思い出させる。やはり日ペンのバリエーションが豊富で大和S、覇権、ダイナム、バーミンガム77等。
カタログ02


エリカという「新鋭ファッショナブルウェアー」は私も昔、持っていたような気がする。
カタログ03

シューズのハイアストールは4800円。デザインは当時のバタフライよりも洗練されていたと思う。


先日、年配の上級者(日ペン)とお話ししたときのこと。Xさんとの対戦を振り返って、次のようなことをおっしゃっていた。

「この間の試合でバックサービスを出してみたんや。そうすると、Xのレシーブが一瞬遅くて棒球を返しよる。こいつこんなにレシーブが下手やったんかて思うたわ。今どき、フォアサービスはみんな使っとるさかい、慣れとるわな。しかし、バックサービスを使うやつは最近珍しいさかい、よう効くんや」

私もその対戦を見ていたが、私にはXさんは通常通り、きちんとレシーブしていたように見えた。

「ちゃうちゃう。フォアサービスの時はビシっと鋭いツッツキを打ちにくいところに送ってきよるが、こちらがバックサービスを出すと、レシーブに迷いがあるいうんか、少しだけ返球が遅れるんや。あれは効いとったで。」

サービスを出してそれが相手に効いているのかどうか、私にはよく分からない。
レシーブ


たとえば私のサービスを何度もネットにかけたり、浮かせてくれたりすれば、効いているなと思うが、そういう分かりやすいケースではなく、相手が浮かさないで返球してきた場合は、果たして自分のサービスが効いているのかどうか分からない。

もし私がXさんだったら、相手のサービスが自分に効いているかどうかすら気づかないかもしれない。

「ふぅ~。難しいサービスだったが、なんとか浮かさずにレシーブできた。我ながらいい仕事をしたなぁ。」

などとのんきなことを考えているかもしれない。私の中では「良い」レシーブというのはネットにかけず、低いボールが打てた場合のことなのだ。あるいはロングサービスがきたら、バックハンドドライブなどで迎撃できた場合、それは「良い」レシーブなのである。

しかし、考えてみると、そういうレシーブに相手は本当に打ちづらさを感じているのだろうか。

たとえば相手のロングサービスを私がバックハンドドライブで持ち上げた場合、相手はそれを待っているなんてこともあるのでは…。

たとえ私が低くて速いレシーブができたとしても、それが相手の想定内のボールだった場合、それは悪いレシーブになってしまうのではないだろうか。本当に良いレシーブというのは、返球方法が限定されず、相手にとってどこにどんなボールが来るかわからないレシーブなのではないだろうか。

たとえば相手がバック側からこちらのバック側に切れたロングサービスを出してくるとする。それを私はがんばってバックハンドドライブで相手のバック側に返球するとする。しかし、他のレシーブ――短くストップしたり、フォア側に払ったりすることができず、いつも相手のバック側にほどほどのスピードで一定のドライブを打ってしまうとしたら、そのサービスはこちらのレシーブの自由を奪っているということになり、3球目を相手の好きなように打たれてしまうかもしれない。

【まとめ】
悪いレシーブというのは、ネットミスや浮かせてしまうレシーブばかりではない。上述のように一見すると、悪くないレシーブをしているつもりでも、同じようなボールしか返球できない――レシーブを限定されてしまっている場合は、悪いレシーブであり、相手をそういう状態にするサービスも、効いているサービスと言えるかもしれない。こちらのほうは、レシーブしている本人が「悪くないレシーブだ」などと勘違いしている分だけ、明らかなレシーブミスよりも厄介なのではあるまいか。


知人の女性から読書会に誘われたことがある。
その方は「誰でも題名ぐらいは知っているけど、実際に読んだことはない作品を読む会」を主催なさっている方で、その会に誘っていただいたのだ。

私「楽しそうですね。どんな本を読むんですか?」
知人「今は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。おもしろいですよ。」
私「小説だけですか?岩波の青版とかなら読んでみたいですが、小説はまどろこしくて…」
知人「どういうことですか?」
私「小説は事実とか主張をそのまま語らずに、シチュエーションの中で登場人物に語らせたりするでしょ?あれがまどろっこしいです。『AはBだ』といった命題や主張を特定の場面によらず、そのままストレートに書いてほしいんですよ。」
知人「シチュエーションがあって、キャラがいるからいいんじゃないですか!味も素っ気もない主張そのものや、むき出しの事実なんて興醒めですよ。雰囲気やドラマを通してそういうものを間接的に味わうのがおもしろいんじゃないですか。」

女性と男性の価値観には埋められない溝がある。そういうことを認めた上で付き合わなければ、必ず衝突が起こる。そういうことを年齢を重ねるにつれ実感する。

私は文学というものを敬遠している。ふと何かの拍子で手にとったりはするが、好んで読もうとは思わない。高校時代に「純文学」というものに大いに期待して裏切られた経験があるからだ(前記事「卓霊さま」)。

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初級者は3球目と5球目を同じ打ち方で打つという失敗を犯しがちである。
3球目(こちらのサービスを相手がレシーブしたボール)と5球目(3球目をドライブなどで起こした後、相手が返球してくるボール)の球質は全く異なる場合が多い。

相手がツッツキなどでレシーブしてくると、3球目は下回転でゆっくりしたボールになりがちで、比較的浅い。一方、次のボールはドライブやブロックなどの上回転で返ってくることが多いため、5球目はスピードもあり、深いボールになることが多い。

3球目を打ったのと、同じような立ち位置・打点・スイング方向で5球目を打つと、ボールはオーバーしてしまう。3球目に対しては下からこすりあげるように打球するのに対して、5球目は打ち方を変えて、ボールの上部を薄く擦るように前方に向かって打たなければならない。この違いを無視して、3球目と同じようなスイングの角度でがむしゃらに強打して5球目でオーバーミスを連発していた中学時代の自分が思い出される。

しかし、最近3球目も5球目も同じように打てるのではないかという気がしてきた。それはつまり打球位置を変えて、3球目では前陣で、5球目ではそこからグッと後ろに下がって打つのだ。そうすると、返球されたボールがちょうどいい具合に自分の手前で下降してくるので、3球目と同じような打ち方でも入るということを最近発見した。

「これならどんなボールでも打ち方をほとんど変えずに打てる!すごい発見だ。」

しかも、5球目からは大きく後ろに下がって派手なラリーになるので、ラリーの醍醐味も味わえる。どんなボールに対しても足を使って、ボールが落下してくるところを打てばいい。ということは、これからはフットワークを鍛えなければならないな…。

こんなふうに新しい発見をした気分で練習を終え、うちでまた、「高島規郎の勝つための近代打法」に目を通していた。
勝つための

2回目の「縦ライン横ラインで打つ」というのを初めて読んだ時は、分かったような分からないような感じだった。頭では理解できるのだが、ピンと来なかったのだ。

縦ライン


なんだか当たり前のことが書いてあるような気がして、どうしてこんなトピックを取り上げるのかイマイチ理解できなかった。
しかし、今読み返してみると、よく理解できる。「縦ライン」というのは、私が今まさに問題にしているテーマではないか!それによると

同じ位置に立って瞬間的に姿勢を制御し、ラケット角度、腕の角度を調整して、打球点を上下させながら打つこと

となっている。


私は、深くて速い5球目を素早く後ろに下がって打てば、3球目とあまり変わらない打ち方で打てる、ということに気づいたのだが、それがこの解説では前後には動かず、その場で打ち方を変えて対応するというのだ。私の「発見」完全否定ではないか!

私はこれまで3球目と5球目を(A)場所を変えず、スイングの角度を変えて打つというやり方だったが、最近発見したのは(B)場所を変えて同じ打ち方で打つというものだった。
「近代打法」の主張は(C)場所を変えず、スイングの角度と姿勢の高さを変えて打つというものなのである。私の「発見」よりも、以前の打ち方に近い。違いは「近代打法」ではスイングの角度とともに姿勢の高さも変えるという点である。

よくよく読んでみると「横ライン」というのもあって、それは私の発見、つまり(D)前後に動いて打球点を変えずに打つということらしい。

なんだか分からなくなってきたぞ。「縦ライン」と「横ライン」という2つの打ち方があって、どっちがいいかというと…、状況によってどちらも使ったほうがいいらしい。位置を変えずに上下の動きでさまざまなボールに対応する「縦ライン」の打ち方は相手に主導権があり、強打を打たれているような時間のない状況で使い、逆にこちらが攻めているような時間のある場面では「横ライン」を使うといいらしい。

要するに「縦ライン」というのは上級者向けで、攻められている状況からでも、攻め返すようなレベルの高い卓球で使われる打法だということが分かった。一般的な初中級者の卓球では依然として「横ライン」のほうが有効だと思われる。

もし、私が自分の問題意識として「前後に動いて同じ打ち方で打つ」という「発見」がなかったら、この「縦ライン」と「横ライン」ということは理解できなかっただろう。私が具体的なシチュエーションでこの問題にぶつかっていたからこそ理解できたわけである。具体的な場面によらない、普遍的な主張やむき出しの事実といったものを理解するのは非常に難しい。自分の問題として取り組むことができなかったら、高度な卓球理論というのは本当には理解できないのかもしれない。私は卓球雑誌などでいろいろな情報や技術記事などに目を通すのだが、それを読んで頭だけで理解したつもりになっても、実際には理解できていないのではないか。そこで扱われているテーマを消化するだけの経験や問題意識を私はまだ持っていないのだから。

となると、むやみにいろいろな卓球理論や技術論を追いかけて、頭デッカチな卓球人になるよりは、身の丈に合った、自分の消化できる限りの技術論だけに取り組むほうが初中級者の態度としては正しいのかもしれない。


こういうふつうの技術を完璧に習得するのが多くの初中級者に必要だろう

『卓球王国』のE-PACの「勝つための近代打法」を読んでみた。
これには高島規郎氏の提唱する肩甲骨打法が詳しく解説してあるからだ。
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肩甲骨打法というのは、名前はよく聞くが、どんなものか分からない。なんだかものすごく効き目がありそうな気がする。どんなものなのか知りたいと思う。しかし、高島氏といえば、日本の卓球理論をリードしてきたような指導者だ。そのような人の高遠な理論が私ごときに理解できるものだろうか。おそらく誤読している部分もあるかと思う。しかし、せっかく読んだので、私の理解した限りを平易に解説してみたいと思う。

肩甲骨打法にはたくさんのメリットがあるらしい。

・戻りが早い
・体軸がブレにくい
・コンパクトで威力が出る 

肩甲骨打法というと、肩甲骨を効率よく使って威力のあるボールを打つ打法なのかなと考えていたが、実際に解説を読んでみると、肩甲骨まわりの筋肉を鍛えて強打を打つというよりも、限られた時間の中で、体軸のブレをなくし、素早い連続攻撃を可能にすることのほうが主目的のように思われる。

「近代打法」を読んでいると、「~すれば、身体が回転しない」というフレーズが頻繁に出てくる。打球時に身体は回転したほうがいいのではないかと思うが、そうではないらしい。たとえばフォアを打球したあとに身体全体が大きく回転してしまうと、連続してフォアを打つのに時間をロスしてしまう。そこで肩甲骨打法では下半身を安定させ、ほとんど動かさず、上半身だけを回転(正面で止まる)させるのを推奨している。つまり図示すると、以下のようになる。

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図1


肩甲骨打法を最も理想的に体現しているのがティモ・ボル選手だという。

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このように胸を張りだして、両肩甲骨を近づけてバックスイングをとるといいらしい

肩甲骨打法というのは簡単に言うと、「上半身ねじり打法」ではないかと思われる。下半身は動かさず、上半身だけをひねるのである。腰でバックスイングをとると、上体のねじれが甘くなる。そこで肩甲骨を使って深く上体をねじるということが(おそらく)肩甲骨打法なのである。

肩甲骨打法は「従来の日本の常識では間違った打ち方と解されるような打ち方」なのだそうだ。そのような日本の「常識」を否定し、提案されたのが肩甲骨打法なのだが、私はその「常識」も知らないので、十分解説が理解できているかどうか怪しいものである。どのような事情で従来の「常識」が形成されたのか、その「常識」の問題点(これは間接的に時間の余裕がないことと書かれている)やメリットは何かなどを対照して解説してくれたら、もっと分かりやすいのに。

【まとめ】
この連載は2005年に始まっているから、約10年前の理論である。おそらく今でも通用するものだろう。
肩甲骨打法の内実は、身体全体を効率よく使って、威力を倍増させるというものではなく、早いピッチで連続攻撃を可能にするという方向性だと感じた。体の軸のブレを減らし、苦しい姿勢からでもすぐにニュートラルな体勢に戻れる。それが現代の卓球に最も必要とされている要素なのだろう。
こんなに価値のある情報がわずか200円ほどで購入できるのだから、ぜひ購入を勧めたい。

【付記】
そういえば、最近やっすんの公開した動画もおそらく肩甲骨打法を基にしたものかと思われる。

 
【追記】
Liliの動画で非常に分かりやすい説明があったので、紹介したい。



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アルバ

打球感を左右する要素のひとつに接着剤があるが、開発チームは理想の打球感を実現する接着剤の開発に非常に苦労したという。長年の研究の末にほぼ理想どおりの接着剤ができあがり、その色が桜色だったことから合板シリーズ名は『SAKURA』と名付けられた。


新たな接着剤の開発によって打球感がヒノキ単板に近づくらしい。


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弦楽器シリーズ
接着剤を木材の奥深くまで浸透させる弦楽器の接着方法をラケットの合板製造技術に取り入れることで、従来のラケットにはない独特の芯があるような感覚を持たせました。

こちらも独自の接着剤によって独特の打球感を実現したのだという。

接着剤ってそんなに大切なのだろうか。上の説明を読むと、ラケットの打球感を大きく左右するのが接着剤ということになる。しかし、私のようなレベルの低いプレーヤーがこのようなラケットを試してみたところであまり良さを感じられないかもしれない。

貧乏性の私はラバーを使い回す。ラバーに付着した接着剤はとれるものはとるが、完全に除去することはない。ところどころ前の接着剤が付着したデコボコした状態で、次のラケットに貼り付ける。

上のアルバやアコースティックを設計した人はこんな雑な使用を想定しているのだろうか。緻密な計算と素材との相性などを計算して丁寧に作られたラケットに、使い回しの、スポンジに以前の接着剤が残っているラバーを貼り付けられるなんて。

こんなふうにして新しく買ったラケットを試打してみると、ポコポコした打球感で、ちっとも力がこもらない気がする。

「なんだ、このラケットは期待はずれで、全然使いものにならないな」

などといって、やがて一切顧みなくなる。

最近、接着シートというのをもらって、新品のラバーをお蔵入りしていたラケットに貼ってみた。以前の悪い印象を完全に払拭するような打球感の良さだった。そのラケットは以前、ポコポコして気持ちの悪い打球感だったので、ほとんど使うことなく、お蔵入りしていたものだった。
接着シートはふつうの接着剤のようにムラができず、まっ平らなので、接着技術の低い人間でもそこそこうまく貼ることができる。しかも新品のラバーである。それでおそらくラケット本来――設計通りの打球感が出せたのだろう。

木材同士を貼り付ける接着剤も大切だろうが、それ以前にラバーとラケットを貼り付ける接着方法に留意しなければ、ラケットのパフォーマンスは大幅に低下するのではないか。特にスポンジの硬いラバーはムラやデコボコに敏感な気がする。

私は同じラバーを固定して使わず、いつも違うラバーを試してみるので、同じラバーが接着の出来によって打球感が変わるかどうか、検証したことはない。もし芸術的に接着の出来がよかったら、打球感も1~2割ぐらい向上するのだろうか?ダーカーのsakura、アコースティックの弦楽器接着剤で作られたラケットに使い古しのラバーを雑に貼るのと、それらの特殊な接着技術を使わない入門者用ラケットにプロの店員さんが独自の技術で新品のラバーを完璧に貼り付けるのでは、どのような違いが出るのだろうか。毎日何枚もラバーを貼っているようなショップの店員さんは素人の知らないような独自の貼り付け方を知っているのではないだろうか。

同じ材料を使っていても、パン職人やバリスタといった人たちは素人よりも数段おいしく作れるではないか。あれと同じように経験からくる時間配分とか、ドライヤーの使用とか、秘密の仕上げ技術とかで普通よりもふっくらラバーが貼り付けられたりしないのだろうか。

もし接着技術で打球感が1割でも向上するとしたら、その微妙な感覚を必要とするのは相当レベルの高い選手に限られるだろう。そんな評判が口コミでトップ選手の間に広がり、いずれ「水谷選手がオリンピックの前にラバーを接着してもらった接着バリスタの店」として有名になるなんてこともあるかもしれない。



 

昭和の教育テレビといえば、幼児向けの番組や堅苦しい番組ばかりで、見ようという気にならなかった。
しかし、近年Eテレと改名されて、構成も凝っていて、とっつきやすい番組が多く、おもしろい番組が多い。

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この「テレビスポーツ教室 卓球」はTSPの松下浩二氏が中学生に3球目攻撃のコツを指導するというものである。雰囲気も明るく、観てみようという気にさせる。
松下氏は回りこんでの3球目フォアドライブを中心に指導する。松下氏はこれを「3球目攻撃の王道」と呼んでいる。

しかし、回りこみというのはなんだか昭和を感じさせないか。足を使ってオールフォアで動きまわって攻撃するというスタイルが私はあまり好きではない。第一、疲れるし、回り込みがうまく行ったら優位に立てるが、逆にフォア側にボールを送られてしまった時は一転して圧倒的に不利な状況に陥ってしまう。いわばバクチのような戦術である。平成の今の世なら、両ハンドで待つという3球目の迎え方のほうがスマートなのではないだろうか。

だが、この番組を見て、私も回りこみに挑戦してみたいと思うようになった。私にも少ないリスクで回り込めるような気がしたのだ。

以下に回りこみのポイントなどを紹介したい。

ポイント1:サービスはバックサイドギリギリから
松下氏は中学生に3球目を打たせて、よくない点をコメントする。
下の中学生は初め、台の2/3ぐらいのところからフォアサービスを出していたために回りこみが間に合わず、つまっていた。そこで松下氏がバックサイドギリギリからサービスを出せば、すばやく回り込めるとアドバイスして、次の回り込みは余裕を持って成功していた。

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mawari


知らなかった。みんなバックサイドギリギリからサービスを出すのは回りこみを有利にするためだったのか。
そんなことも知らずに、私のスタイルは両ハンド待ちなのに、バックサイドギリギリからサービスを出していた…おろかな私。


ポイント2:上体を低くしてボールを下から見る
次の中学生は3球目を十分な体勢で打てたのに、空振りしてしまった。そこで松下氏は上体を低くして、ボールを見上げるようにして打つことを勧める(前記事「三次元で捉える視点」)。低い姿勢から伸び上がるように打つといいらしい。
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ポイント3:余裕を持って早めに回りこむ

次の中学生はなんてことのないオーバーミスをした。しかし、眼光鋭い松下氏はこのミスは回りこみが遅れて、十分な姿勢から打てていないと看破した。

 


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 上の写真がミスした時の回り込みだが、私には十分な姿勢から打てているように見えた。しかし、上級者にはその微妙な遅れが分かるのだろう。もしこのように適切な指導が行われていない場合は、「角度が間違っていた」とか「打球点が遅かった」などといって、間違ったやり方のまま回りこみをして、いつまでたっても回りこみが安定しないと思われる。指導者というのは大切だなぁと痛感した。

次は早めに回り込み、見事成功!
tumaru


回り込みが素早く余裕を持ってできれば凡ミスが減る。スイングの角度やら、打球点の問題ではなく、単に余裕がなかったからだったのか!

しかし、問題もある。

「早めに回り込もうとは、誰もが思うが、相手がフォア側にレシーブするかもしれないから、早めに回り込めないんじゃないか」

そうなのだ。早めに回り込めとはいうものの、それが非常に難しいのである。
松下氏はどうやって早めに回り込んでいるのだろう。

松下氏「相手がバックにレシーブをつっついた瞬間にすぐに大きくまわる」



相手のラケットにボールが当たった瞬間に回りこみを始めないと間に合わないということだろうか。

しかし、松下氏は相手を見てはいけないとも説く。



相手を見ないで予測して回りこむということである。

「いや、それができれば苦労はないよ」

と思うのだが、「相手の打球と同時に回りこむ」のか、「相手の打球前に回りこむ」のか…。悩ましい。
昔の私だったら「説明が矛盾している!」と怒っていたところだが、最近は卓球の正解は一つではないと悟ったので、これらの説明をどちらも私は受け入れられる。

松下氏の説明を敷衍すれば、いつ、どのように回りこむかはケースバイケースという意味なのだろう。
あるいは「気持ちとしては相手を見ないで回りこむつもりで、ギリギリまで相手の打球を確認する」という意味だと思われる。

ポイント4:姿勢を低くして動く

アシスタント「動くときにステップのコツなどはあるんですか?」
松下氏「膝が伸びていると速くステップが使えないので、膝を曲げるようにすると、速くステップが動くことができますので…」

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姿勢が高いと、ステップが遅くなるということである。

ポイント5:ロングサービスのときはすぐに下がる

また、ロングサービスの場合はすぐに少し後ろに下がると余裕を持って対応できる。
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後半、急ぎ足になってしまったが、これらのポイントを全て押さえたら、私も松下氏のような見事な3球目の回りこみができるようになるのだろうか。おそらくできないだろう。松下氏の回りこみと初中級者の回り込みの違いは上記のポイントにとどまるものではない。

最近、「宣言的記憶Declarative memory」と「手続き記憶Procedural memory」という言葉を知った。
私は心理学のことはさっぱり分からないので、誤解や勘違いも含まれているかと思われるがご容赦願いたい。

「宣言的記憶」(この命名は分かりにくすぎる。知的記憶とか論理的記憶と言ったほうが分かりやすいと思われる)とは、言語で議論することのできる記憶で、「手続き記憶」というのは自転車の乗り方といった「身体が覚えている」という類の記憶である。

上述のポイントというのは言葉で思い出して確認することができるので、すべて宣言的記憶に含まれる。しかし、それらの宣言的記憶というのは氷山の一角にすぎず、松下氏の回り込みには言語的に意識されていないさまざまな情報の複合によって成り立っていると思われる。

たとえば、サービス後の立ち位置やスタンスである。
サービス後の立ち位置が10センチずれていただけで回りこみが遅れてしまうのではないか。他にもつま先の向きとか、スタンスの広さといったことも安定した回りこみには重要だと思われる。

また、姿勢と重心である。
相手のレシーブによって前傾姿勢をどのくらいの角度に変えればいいのか、胸はどこを向いていればいいのか、重心は左右の足に何%ずつにすればすばやく動けるのか。重心移動のスピードは1秒あたり何グラムだろうか。あるいはおしりにも重心を作ったほうがいいのかもしれない。さらに伸び上がるスピードやタイミングなども考慮しなければならない。

最後に肩や腰のひねり具合である。
どのタイミングで腰をひねればいいのか。フリーハンドはどのタイミングでどの位置が良いのか…。挙げていけばきりがない。

自転車の乗り方やクロールの泳ぎ方などを誰でも間違えないように詳細に説明しようとしたら、とんでもない情報量になってしまう。同じことが卓球のプレーにも言えると思う。分かりやすいポイントはある程度指摘できるが、実際はその表面化したポイントの陰に言葉で指摘しにくい情報が隠れており、それらはひたすら練習を繰り返して身体で覚えるほかはない。

結局、言葉で伝えられることというのは限定的で、それらのポイントにも留意しつつ、多くの技術は実際に試行錯誤しながら、より効率のいいプレーを自分で模索しなければならないのだろう。



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