しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2016年01月

レベルの高い試合というのは素人が見てもチンプンカンプンである。もし良質の解説がなかったら、我々に分かることはせいぜい「ボールのスピードがすごい!」とか「コースが厳しい!」といった程度である。しかし、上級者同士は私たちには理解できないボールという言語で対戦中に激しく対話している(前記事「あの人は卓球を知らない「ロンドンオリンピック卓球の解説」)。

全日本卓球2016でも、そのようなコミュニケーションが交わされていたのだろうが、宮崎氏と松下氏の解説を聞いてはじめて、選手の駆け引きがおぼろげながら分かる程度だった。

もし、水谷選手と張選手、石川選手と美宇選手が自身の対戦したビデオを観ながら「感想戦」をしてもらえたら――対戦中にどんな狙いがあって、何を警戒していたのかなどを1ポイントずつ解説してもらえたら、トップ選手がどんなことを考えながら試合をしているかが分かり、戦術の勉強にもなるのではないだろうか。良質な解説者なら、ある程度選手の思考を汲みとって我々にも示すことができるだろうが、やはり選手本人の解説には及ばないだろう。

選手本人による解説付きのビデオ――残念ながら、そのようなビデオがあるかどうかは寡聞にして知らないが、もしあったら、ぜひ購入したいものである。世の中には数えきれないほどの試合のビデオがあるが、解説、それも本人による解説があれば、解説のないビデオに比べてその価値は数十倍するだろう。別に国際レベルの選手の対戦でなくても、全国大会クラスの選手のビデオでも私たち初中級者には十分すぎるぐらいである。

選手本人による解説付きのビデオ。それに近い映像が実はある。NHKの 「スポーツ追体験ドキュメント」 である。



ここで石川佳純選手が去年の全日本の準決勝(対 前田美優選手)と決勝(対 森薗美咲選手)のビデオを観ながらポイントを解説してくれている。

以下、森薗選手との対戦を振り返ってみると(引用は大意)

石川「森薗選手はフォアハンドがすごく強いので、それに注意しながら、全力で打たれないようにコースを突いていこうと思いました。」

石川選手と森薗選手は子供の頃から何度も対戦しているのでお互いの卓球を知り尽くしている。石川選手は対戦前から森薗選手のフォアハンド強打を警戒していた。

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そのためフォアで強打を打たせないフォア前とバック深くにサーブを集めた。

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本人による解説。ぜいたくすぎる!

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そして石川選手の以下のコメントが興味深い。

「3球目を打ちやすいように攻撃しやすいように計算して出しています。」
「卓球のラリーというのを、来たボールを打っていると思っている方もいるかもしれませんが、 来たボールを打っていたら、もう間に合わないので…相手の動きを見て、コースを読んで打っています。」


私などは相手が打球して、ボールが自分のコートに入ってから動き出し、どう打つかを考えるが、そのように「来たボールを打っていたら、もう間に合わない」のである。上級者はサーブを出すときに、3球目でこちらが打ちやすいように計算して、サーブを出し、相手の打球前、相手の移動やバックスイングを見た時点で動き出しているということだ。

そうだったのか。
とすると、相手に多様なレシーブをさせてしまうサービスを出すのは、有効ではないということか。私はふだん、サービスで得点するために回転量を増したり、回転を分かりにくくしたりといった方向でがんばっていたが、そんなことよりも、レシーブが1~2種類に限定されるシンプルなサーブを出したほうがサーバーには断然有利ということではないか!

ナレーション「森薗選手がすぐに対抗策をとってきます」「バックに回りこんでフォアで強打。森薗選手も戦い方を変えてきたのです。」

石川選手に露骨にフォアハンドを警戒されてるため、森薗選手は回りこみで現状を打開しようと試みる。
結果、2-11で石川選手はゲームをとられてしまった。

宮崎「森薗がバックに回りこんで打ってくる。このパターンを石川は読んでいなかったということですね。」

テレビ解説者の宮崎義仁氏の言葉通り、石川選手は森薗選手のいわば「オールフォア」は想定外だったのだろうか。

しかし、森薗選手の「オールフォア」に対して石川選手はバックへのロングサービスのスピードを上げ、回転を強くすることで対抗した。バック深くへのロングサービスを限界までスピードを上げた結果、森薗選手は回り込めないと判断し、バックでレシーブ。あるいは無理に回りこんだとしても十分な体勢で打てないので、安定重視のループドライブになってしまう。そしてそこを待っていた石川選手に強打されてしまう。

レシーブでもバックに深くつついて、回り込みからのスピードドライブを封じ、ループドライブを打たせてカウンター。

こうして石川選手は森薗選手を攻略した。

この試合の要点を一言で言えば森薗選手のフォアをどうやって封じるかだった。そのために石川選手はサービスを工夫し、森薗選手は回りこみを多用した。工夫と対策、そしてさらなる対策。これが上級者の駆け引きか。おもしろい!

私は名作映画を観たかのような満足感を覚えた。
良質の対戦とは選手の知恵と知恵のぶつかり合いである。良質の対戦には必ずドラマがある。しかし、残念なことに私たちに見えるのは単なる上っ面のボールのやりとりだけである。それではなんとも味気ない。良質の解説の付いたこういう卓球の名作ビデオがもっと観たいものだ。

全日本卓球選手権2016が終わった。
決勝だけをNHKで観たのだが、その感想などを綴ってみたい。
ネタバレになってしまうので、結果を知りたくない人はご注意いただきたい。

















女子決勝は石川佳純選手 対 平野美宇選手。

最近、伊藤美誠選手に差をつけられた感のある美宇選手が今大会は美誠選手を破っての決勝進出とあって大いに期待していた。美宇選手の早いピッチのラリーが決まれば、石川選手も危ないのではないか。
しかし、結果はあっけないものだった。美宇選手は得意のラリーにあまり持ち込めず、石川選手にいなされたような形で敗れてしまった。

そして男子決勝は水谷隼選手 対 張一博選手。

中年の私としては張一博選手には、ぜひともがんばってほしい。いままで日本の卓球界を引っ張ってきた一人なのに、あと一歩というところで大きな結果を残せていない。若手が台頭する近年の卓球界で、ベテランの金星もみてみたい。他の選手が相手なら、張選手を絶対に応援するところだが、私は水谷選手の大ファン(前記事「面を開いて…」)なので、やっぱり水谷選手に勝ってほしい。そんな気持ちでの観戦だった。

言うまでもないことだが、私ごときのレベルでは、両選手がどれほど高い技術でしのぎを削っていたかなどはさっぱりわからない。私にも分かる程度の低いレベルの話である(技術・戦術的にレベルの高い分析はぐっちぃ氏のブログにある)。例のごとく、上級者にとっては当たり前のことにすぎないことを予めお断りしておく。

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張選手といえば、バックハンドが固いという印象がある。水谷選手はどうやって張選手のバックハンドを打ち破るのか。それが観戦前に考えていたポイントだった。

1ゲーム目が始まると、両者の豪快な強打が正面からぶつかり合った。ラリーなら、ミスの少なさで定評のある水谷選手が優位かと思ったが、張選手もちっともミスをしない。何度か派手なラリーになったが、張選手のほうがラリーで優位に立っているように見えた。バックハンドが固いのはもちろんだが、解説者によると張選手は「フォアハンドが得意」なのだという。

「得意なのはバックハンドではなく、フォアハンド!?じゃあ、水谷選手はどうやって張選手を攻略すればいいんだろう?フォアもバックもメチャクチャ強いじゃないか!」

もしかしたら、今度という今度は水谷選手も負けるかもしれない。得意のラリーで劣勢だったら、水谷選手はどうやって勝てばいいのか。ボールの威力においても、体格に恵まれた張選手に分があるだろう。スピードならどうだろうか?台に貼り付いて早いピッチでボールをさばいていけば?いや、スピードで定評のある丹羽選手も張選手の前に敗れ去った。張選手には死角がない。水谷選手はどうやって勝機を見出すのか…。

しかし、2ゲーム目からは水谷選手が優位に立って試合を進めていく。私には何が何だかさっぱりわからない。実況者の「やはり張選手はバックサイドを突かれるとちょっと弱いですねぇ」といったセリフにピンときた。

もしかしたら、コースどりで相手の強打を封じることができるのか?

おそらくそうなのだ。張選手はフォアもバックも鬼のように強いし安定している。そこで水谷選手は張選手のいろいろなところにいろいろな球種のボールを送り、それに対するレシーブから相手の弱点を瞬間的に見抜いているのだ。もちろん、初中級者のように

「バックに深いツッツキを送られると弱い」
「チキータすると、甘いレシーブを返してくる」

といった分かりやすいものではないだろう。実際はどうなのか、私の想像の及ぶところではないが、たぶん

「フォア前に送ったショートサービスを相手はバックかフォアサイドに払ってくるから、それを一度ミドルに強打して相手にバックでブロックさせた上で、相手のバックサイドを突く」

といったぐらいに複雑な「棋譜」のようなポイント(サービスから得点までのラリー)を組み立てているのだろう。

「何を当たり前のことを」

と思われる読者も多いと思うが、私にとっては発見だった。

卓球というのは「すごいスピードの強打」とか、「すごい早さのピッチ」とか、「回転がぜんぜん分からないサービス」といった技術的・体力的な部分で勝敗が決まると思っていたのに、技術的・体力的には同等か、やや劣勢といった場合でも勝てるというのはすごいことではないか。

そういえば、先日、60歳から卓球を始めたという70近いおじいさんと対戦したのだが、フルセットデュースの末、なんとか勝利した。おじいさんはシェーク・バック半粒で、ドライブなどは使わず、フォアはほぼ全部ロングボールかスマッシュという独特の戦型だった。ちょっとフォア打ちをして「私のほうが技術的に上だ」などと感じていたのだが、いざ、試合が始まってみると、サービスを半粒の流しレシーブでとんでもないコースに送られ、やっと返球すると、フォアスマッシュで待たれていて、パシンと決められてしまう。システム練習だったら、私のほうがミスなく続けられるし、体力、反射神経なども私のほうが上だと思うが、試合ではおじいさんのほうがずっと優位に立っていた。
私は自分の持っている限りのサービスを使ってなんとか勝てたが、もしおじいさんがレシーブが巧みで、私のサービスが効かなかったら負けていただろう。
この試合の経験から、技術等が多少上回っていても、 負けることは十分ありうると感じた。

水谷選手の技術が張選手に劣っているかどうかは分からないが、1ゲーム目のラリーでは水谷選手は張選手に対して、打ち合いで優位に立っているようには見えなかった。しかし、試合では水谷選手の圧勝だった。

くどいようだが、技術や体力よりも、戦術やコース取りといった分析力で勝てるのが卓球なのだ!

この試合ではそれが非常に分かりやすい形で現れており、私は感動した。卓球は体力や技術ではなく、知力がものをいう競技なのだと(もちろん技術に大差がないという前提なら)

私は途中から水谷選手の立場に立って相手を分析しながら観戦し始めた。どんなときに水谷選手が得点できるかを1ポイントごとに分析し、張選手の弱点を探ろうと試みたのだ。しかし、途中で頭がパンクした。張選手だって自分がミスしたところをなんとか修正しながら今までと違う対応をしようとするだろうし、張選手に対して「実験」できる回数も限られている。そのような中でどこに送れば相手は予想通りの甘い球を返球するのかを「実験」しながら分析するのは非常に神経を使う作業である。1ポイント終わって、相手のミスしたパターンを記憶に止め、相手の弱点を予想し、それをポイントを重ねながら修正してく。とんでもない情報量である。しかもポイントが終わって集まった情報をまとめるために考えこむわけにもいかない。相手の弱点がはっきりしないままに、すぐに次のサービスを出さなければならないのだ。

この緊張感はどこかで見たことある。なんだっただろう?
そうだ!パネルクイズ アタック25の最後の映像クイズだ。

atack25


映像クイズというのは、

優勝者が獲得した自分のパネルを全部外した時点で「ある○○とは何(誰)でしょうか、問題スタート!!」と言ってVTRが始まる。【中略】 映像終了後、司会者に「その○○とは!?」と尋ねられ、5秒以内で正解を解答する(wikipediaより)


saigo

自分が得点したパネルの部分は見えるが、他の回答者が獲得した陣地は上の写真のように隠れていて見えない。それで2~3秒ごとに5~6枚の映像が矢継ぎ早に映し出され、映像終了後、回答者はその映像に縁のある人物なり、都市なりを答えなければならない。子供のころ、日曜の午後におもしろい番組がなかったので、よくアタック25を見ていたが、最後の映像クイズは非常に難しく、回答者といっしょにドキドキしながら考えていたものだ。

卓球でも相手の苦手な球種やコースを全て試せるわけではない。上の写真のように虫食い状態で部分的に相手の苦手そうな部分が見えるだけだ。そしてそのようなヒントが考えるいとまもなく次々と与えられる。選手は身体では目の前のボールを返球しつつも頭では相手の弱点を探り出さなければならない。体力的というより、精神的な負担が大きすぎる。

「こんな膨大な情報量を選手一人で限られた時間内で処理するのは至難の業だ。しかし、もし相手の弱点を分析する頭が2つあればどうだろう?」

そうだったのか…。

水谷選手が高いお金を払って邱建新コーチを雇っているのはそういうわけだったのか。コーチというのは「打点が遅れているぞ!」とか「もっと足を使って回り込め!」とかそういう技術的なアドバイスをする人かと思っていたが、そういうのよりも、選手と一緒に相手(および自分)の弱点を分析するのがメインの仕事だったのか。

卓球では、反射神経や技術よりも戦術(分析力)が勝敗を左右することが多い。卓球とはなんとも奥深いスポーツであることよ。

こんなことを今年の全日本を観ながら考えさせられた。
 

昔、空に向かって銃を撃つシーンを映画か何かで見て、「あの撃った弾はどうなるのだろう?」と疑問に思っていたが、やはり落ちてきて、大けがをするらしい。そして弾丸に使用されている鉛が溶け出すと、環境にも悪影響をもたらすという。

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戦死した仲間の弔いのために空に向けて銃を乱射する人たち

撃ちっぱなしというのはよくない。撃ったら、ちゃんと責任をもって処理しないと。

卓球でフォアハンドを打つ時、バックスイングをとってから、左前方方向にスイングする(右利き)わけだが、そのときのエネルギーはどこに行くのだろうか。あまり意識していない…。放ったエネルギーはどこかで受け止められるべきである。受け止め先をしっかりと意識することでプレーにキレが出てくるのではないだろうか。私は生じたエネルギーをどこで受け止めているのだろうか。身体全体で?左足で?フリーハンドかもしれない。

初めて逆ふりこサービス(YGサービスという語は使わないことにした)に挑戦した時、非常に違和感を感じた。
いつも慣れている方向と逆なので、力が入らないのだ。



力を入れる方向がいつもと逆だから、力が入らなかったのだろうか。今、思い返すと、力を入れることはできたのだが、受け止めることができなかったのだと思われる。何度も練習して、手のどのへんで力を受け止めるかが分かったら、素早く手首を利かすことができるようになったのだ。不思議なことにこの受け止め先を意識するかしないかが、力の発動にも大きく影響するようだ。

この経験から、力というのはきちんと受け止めなければ発動しないものではないかと思うようになった。もしかしたら力を受け止めるというのは力を出すことと同じぐらい大切なのでは?

これは古典文法の係り結びの法則を思い出させる。

係り結びって何だ?といまだによく分からないが、自己流に解釈して、ダラダラと続く和文において、係りによって緊張を生じさせておき、結びによって文を円満にまとめ、文章に区切りを入れるというある種のレトリックなのかなと思う。現代語で言えば、「たしかに~。しかし~。」に近いイメージである。係り結びには「係り結びの流れ」というものもある。簡単に言えば係り結びの失敗――係りで提起されたテーマが結びで解決されず、不完全燃焼のまま、次の文につながっていくという首尾の不一貫のことである。

 「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ、都の人はこと受けのみよくて、実なし。」と言ひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、己は都に久しく住みて、慣れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。…」


はじめの「こそ」は「頼まるれ(信用できる)」で切れている。が、後の「こそ」は「らめ」で切れず、「らめども…」とそのまま続いてしまっている。こういう表現にはキレが足りないように感じる。

卓球でも係り結びに似たような法則があるかもしれない。
小さなスイングで速いボールを打つためには、スイングの勢いをしっかりと受け止めればいいのではないだろうか。逆に全く力を受け止めず、打ちっぱなしにすると、前につんのめってしまう。左足(あるいは他の部分で)でしっかりと力を受け止めなければならない。

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『卓球王国』の「鬼のペンドラ」より。「左足で踏ん張り、力を逃さない」とある。

他のスポーツなどの力自慢――たとえばラグビー選手などが卓球のボールを打っても、初めはそれほど強いスマッシュが打てないような気がする。ずっと非力な卓球選手のほうが鋭く強力なスマッシュが打てるのではないか。何が違うのだろうか。もしかしたら力を受け止める「結び」を意識しているかどうかで差が出てくるのかもしれない。そしてこの「結び」は反動への契機となるのだろう。私は今、反動に夢中である。反動を効果的に使うことによって今までできなかったことができるようになってきたのだ。この反動についてもいずれ記事にまとめたいと思っている。

自分で自分が信じられなくなった…

最近の練習で3球目攻撃の練習相手をしていた時のことだ。
相手のサービスに対して適度に打ちやすい(そして適度に打ちにくい)ツッツキを返そうとするのだが、オーバーミスが多い。なんだか角度が間違っているのかと思っていろいろ調整してみたのだが、思った通りのレシーブができない。それほど難しいサービスではないのにどうしてだろう?自分のレシーブを反省してみた。

まず、私はロングサービスに備えて、台にピッタリくっつくのではなく、1歩下がって構えている。
そして相手のトスとともに少し前に歩みを進め(前記事「丹羽孝希選手のトコトコ」)、ショートサービスだと判断した時点で素早く台の下に右足を入れ(前記事「下腹部にハメる」)、打球するのだ。
レシーブ時のラケットとボールの接地時間が長いのかもしれないと思い、接地時間を限界ギリギリまで短くしようと思い、熱いものを触って手を引っ込めるときのように打球した瞬間にラケットを引くようにしてみた。しかもラケットの先端を使って(前記事「ラケットのふち活用法」)

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この工夫は効果があり、オーバーミスが減って、なかなかいい感じだった。

しかし、しばらくすると、またオーバーミスが増えてきた。

「おかしいな。他に考えられる原因としては、ボールを押していることぐらいしかないが、私はボールを押さないように十分気をつけている(前記事「止まってから打つ…」)はずだし、まさか押してるなんてことは…」

その「まさか」だった。

今度はレシーブ時にいつもよりも早めに台の下に足を入れ、完全に止まってから改めてツッツキをしてみると、ほとんどオーバーミスをしなくなったのだ。

自分のことは自分では分からないものだ。自分では止まって打っているつもりでも、実際はほんの少し上体を前に乗り出しながら(止まりきらずに)打っていたのだ。その「ほんの少し」が卓球では命取りであることを痛感させられた。

そういえば思い当たることが他にもある。

以前、強烈なドライブをブロックできなくて悩んでいた(前記事「力を逃がす」)が、上手な人に「ブロックの時にボールを少し押している」と指摘されたことがある。私はブロックでボールを押さないように力を逃がしつつ、斜め上にこすりながら打球するという打ち方なのだが、試みにいつものようにこすりあげるのではなく、完全ににラケットを止めてブロックしてみたところ、特に工夫などせず(さすがに台から下がってやや距離をとってはみたが)とも強烈なドライブをブロックすることができたのだ!

まさかとは思うが、他の打法でもボールをおしているんじゃなかろうか…。

私ならありうる。私は自分自身が信じられなくなってきた。そういえば、今まで自分には何度も裏切られてきたのだった。

「眠い…。全く頭が働かない。そうだ、こんな状態で無理して起きているよりも、1時間だけ睡眠をとって、朝の4時に起きて作業を再開したほうが絶対に効率がいい」

大切な試験の前や、レポート提出の締め切り前日、こんなことを考えて何度も失敗してきた。4時に目覚ましをかけておいたのに目覚めたのは6時や7時。目覚ましはしっかり作動したが、どうやら寝ぼけて自分で目覚ましを止めてしまい、寝続けたようなのだ。こんなことが今まで何度あったことか。私は私が信じられない。

自分のことは自分では見えにくい。「自分はちゃんと止まってから打っている」という人も止まりきる前に打球していることがあるかもしれない。ミスが多いが、原因不明だという人は、一度立ち止まって自らを省み、ちゃんと止まってからボールを打っているかどうか疑ってみてはどうだろうか。

前記事「基本練習のすすめ」で基本練習を難易度別にA~Cに分類してみたが、Cで以下のようにサラリと書いた。

フォアとバックのフォームが繋がっていないと、スムースに切り替えられないし、あるいはフットワークが打法に組み込まれていないうちにランダム要素の多い練習に入っても効果が薄い

これは特別、ユニークなことを書いているわけではない。多くの指導書にも書かれていることだ。しかし、この部分を初中級者が理解するのは難しいと思われる。というのも私自身がこの「フォアとバックのフォームが繋が」るということを長い間理解できなかったからだ。

フォアとバックを好きなように打っていてはつながらない。
私の経験から言うと、フォアからバックへはつながりやすいが、バックからフォアへつなぐには工夫が必要だと思われる。その工夫というのは、今まで前方に振っていたバックハンドを右のほう(右利きの場合)に引っ張るように振るのである。

クレアンガ

こうすれば、バックハンドを振り終わった時点で腕がフォア側に来ているので、容易にフォアハンドに繋げられる(さらに腰が回転しやすい)。それから手のひらの素早い返しである。バックハンドは手のひらを天井に向けて打っているが、それをフォアハンドにするときに素早く裏返さなければならない。この裏返しが遅れると、次のボールに間に合わない。
私のようにバックハンドを横に引っ張らなくても、両ハンドのスイングをコンパクトにして振るという工夫で切り替えを実現している人も見たことがあるし、私のやり方よりももっと効率のいい方法があるかもしれないが、とにかく今まで切り替えがうまくいかなかった人が同じフォームのままで練習を続けても効果が薄いと思われる。

一般的な解説書では

「フォアとバックを繋げると書けば、誰でも分かるだろう。この部分まで敢えて解説するのは読者をあまりにも初心者扱いすることになり、失礼に当たるのではないか」

などと遠慮している場合が多い気がする。上級者にとってはこんなことは当たり前かもしれないが、指導者のいない初中級者には、この「当たり前」の部分が分からないのだ。

昔話になるが、私自身大学生の時、レポートの書き方を扱った授業がなくて困った覚えがある。

「高等教育を受けようという者なら、レポートの書き方ぐらい知っていて当然。そんなことまで大学で教えるというのは学問に対する冒涜である」

という考え方だったのかどうか分からないが、今では普通に大学で教えているレポートの書き方という授業は、数十年前まで大学で教えることがタブー視されていた。それによってどれだけ多くの大学生がレポート作成に苦しんだことか。

拙ブログでは、私の体験を通してだが、当たり前と思われる部分でも噛んで含めるように述べていきたいと思っている。私の回りにいる、私よりもレベルの低いプレーヤーを想定しているので、私以上のレベルの読者には「こんな当たり前のことをドヤ顔で書かなくても…」と思われる人もいるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 

なんとなく卓球王国のDVDのサンプル動画を観ていて、刮目させられた。

私は時間がたくさんあると、どんな練習をすればいいか分からなくて、ちょっとフォアとバックの基本練習をした後、なんとなく試合形式の練習になってしまうことが多い。だが、基本練習と試合形式の練習の間にちょうどいい練習がないものだろうか。そんなことを以前も考えた(前記事「ブロック練習…」)。

基本練習ばかり、いくらやっても試合には勝てない。フォアやバックで何百往復とロングのラリーがミスなく続けられたとしても、試合ではそんな能力は役に立たない。各技術をつなぐ練習こそが大切なのである。基本技術を延々と続けられるよりも、切れた分かりにくいサービスを出せるほうが、試合ではずっと有利だ。

「単調な基本練習ばかりやっていても時間がもったいない。 もっと実戦的な練習をしなければ!」

そう思っていたのだが、下の動画を観て考えが変わった。



0:55あたりからの天野優選手の練習である。
バックとバックのラリーから3~4球に1本の割合でイレギュラーにフォアにボールが来るという練習である。

天野



「すごいスピードのラリーだなぁ。それにしても、こんなに強く打っているのにちっともミスをしない。もし私が同じ練習をしたら…」

女子のトップレベルの選手なのだから当たり前なのだが、もし私がこんなにボールを強く打ったら、次のボールについていくのがやっとで、ミスを連発し、積極的にガンガン打っていくことはできないだろう。おそらく3~4割の力でゆるく打たないと、ミスなく続けることはできないのではないだろうか。しかし、上級者ともなると、もっと複雑なシステム練習で7~8割の力で打っても延々とラリーを続けられるに違いない。

私は最近ワンコースでフォアドライブを打てば、10往復ぐらいは続くようになったのだが、そうなって気がついたことがある。試合での強さと、ミスせず基本のラリーを続ける能力とは比例するということである(オジサンレベルでは)。ワンコースのフォアドライブが10往復も続かなかった頃と比べると、私はずいぶん上達したと感じる。試合形式の練習でもミスが減った。

ワンコースでフォアドライブをミスなく続けるというのは、体力の問題を度外視しても、案外難しい。フォアやバックのロングのラリーは身体をあまり使わず、ほぼ一定のコースに返ってくるので延々と打つことはそれほど難しくないが、フォアドライブは身体を大きく使うため、余計な動きが入りやすく、コースも不安定になりがちである。したがって相手の返球も安定しない。あるときはサイドを切るボールが返ってきたり、ある時は極端に浅いボールが返ってきたりする。それらを安定してドライブで返球することは、私のレベルではそれほど容易いことではない。フォアかバックのワンコースのロングなら、それほど神経を使わずに、おしゃべりしながらでも打てるが、フォアドライブのラリーはワンコースといえども相当神経を使う。フォアロングなら、当てる角度を調節するだけで済むが、フォアドライブなら

「このボールはこちらのエンドギリギリまで届く深いボールだから、一歩下がってやや浅い位置を狙ってドライブしないとオーバーしてしまう」

などと1球1球ボールの質、深さなどを吟味しながらドライブしないといけないのである。

こういうことを考えていると、ワンコースのフォアドライブの練習というのは本当に「基本」練習なのかと疑わしくなってくる。フォア打ちは基本練習の最たるものだが、フォアドライブや、さらにはフォア・バックの切り替えともなると、ランダム要素のないブロック練習とはいえ、相当ボールを吟味して打たないと続けられない。これが「基本」練習だなどというのは上級者の傲慢であって、初中級者にしてみたら、これらの練習はもはや「基本」ではなく、「応用」に近いものではないだろうか。

基本練習というと、フォア打ちなどのウォームアップをイメージするかもしれないが、基本練習の中にも高度なものもある。これらを私なりに分類すると以下のようになる。

難度A 一定(フォア打ちのように安定して返球される)のボールを同じ打ち方で返球

難度B 同じコース(回転やコースは同じだが、スピードや深さは異なる)のボールを同じ打ち方で返球

難度C1 異なるコースのボールを異なる打ち方(例えばフォアとバック、ツッツキとドライブなど)で返球
難度C2 異なるコースのボールを異なる位置(フットワークを使って)で返球


Aはワンコースでのフォア・バックロングややツッツキのラリーである。これらは一定の場所に一定のボールが来るし、あまり身体を大きく使わないので、初級者でも延々とラリーを続けることができる。ただツッツキは意外にイレギュラーなボールになりやすいので、集中して打たないとミスしがちである。

Bはワンコースでのフォア・バックドライブである。ドライブは身体を大きく使うので、自分の身体がブレやすく、返球が不安定になりがちである。または2球ずつ攻守を入れ替える練習(一方がフォアドライブしているときは他方はフォアブロック)などもこれに入る。

Cはフォア・バックを切り替えたり、フットワークを使ったりする練習である。たとえば3点に来るボールをオールフォア、またはフォアで2点、バックで1点などと打ち分ける練習である。Bに分類した2球ずつの攻守転換の練習も、Cではブロックはバックで、攻撃はフォアで、のように切り替えの要素を入れる。


これらA~Cの基本練習が8割がたできるようになってはじめてランダム要素の入った練習に進むべきだというのが今の私の考え方である。Aでボールの打球感覚を身につけ、Bで多様な質のボールを安定して打球する技術を身につけ、Cで異なる打法やフットワークに繋げる練習をする。特にCの練習をミスなく続けるのは重要である。フォアとバックのフォームが繋がっていないと、スムースに切り替えられないし、あるいはフットワークが打法に組み込まれていないうちにランダム要素の多い練習に入っても効果が薄いのではないだろうか。

私の卓球はCがまだ不十分なので、ここを改善したいと思っている。基本練習を極めて、A~Cまでをミスなく続けられるようにするというのを私の今年の目標としたい。
 

年末も、やはり卓球のことが頭を離れなかった…。

年末のNHK教育の「おんがくブラボー」という番組で打楽器の鳴らし方をやっていた。
観るともなく観ていたが、そこに注目すべき内容があった。

打楽器というと、楽器の中では地味で、音楽に疎い私は、ただ叩くだけだから、深みも何もないのではないかと誤解していた。太鼓のバチやトライアングルのスティックなどに握り方があるだなんて想像もしなかった。

「親指と人さし指は少し強くにぎります。でもほかの3本の指は力をぬいてそえてください」(植松さん)とのことだった。

ギュッと


上の写真のように、子供は素朴にスティックをすべての指でしっかりと握っていたのだが、N響の人に指導されて、下の写真のように握ってみると、音の響きが違う。

指先で握る


http://www.nhk.or.jp/ongaku/bravo/?das_id=D0005230004_00000

指導されたのは、親指と人差し指の2本だけでスティックをしっかり握るということである。こう握って振ると、まるでスピードスケートのブレードのようにスティックが軽快に動く。

スラップスケート

スラップスケート

これを見て閃いた。

「もしかしてこれはペンホルダーのグリップにも応用できるのでは?」

私はラケットをすべての指を使ってしっかりと握っていたが、これを親指・中指・薬指の3本の指に力を集中して、上のスラップスケートのように手首をヒンジとしてフォアドライブを打ってみたら?全ての指に力を入れると、手首がグラグラしにくいので、3本の指に力を集中して握るのがいいと思われる。

年末の練習でこの打法を試してみた。親指と中指と薬指だけでギュッと握り(私はフォアでも人差し指を遊ばせて握るグリップ)、他の指は力を抜いて打球時に手首をスラップスケートのブレードのように動かして打球してみたのだ。

もしかしたら、日ペンで人差し指をしっかり引っ掛けるグリップの人は、初めからこのように手首を使ってフォアハンドを打つのだろうか。ペンホルダーはフォアハンドの威力でシェークに優ると言われるのは、このグラグラを使って初めて実現できることなのではないだろうか?

私はこのように手首を使って打つのは初めてだったので、とても新鮮だった。思った通り、しっかり握るよりも威力が出たように思う。ペンホルダーでフォアハンド強打のときに手首をあまり使わない人にはオススメの打法である(というか、これってペンホルダーの常識?)


またレベルの低い考察から始まってしまったが、今年も拙ブログをよろしくおねがいします。


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