しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2014年12月

中学生の剣道の地区大会を観に行ったことがある。
京都市の最も末端の大会――京都市内の北半分の区の大会?だったのだが、ある出来事が印象に残った。

大会委員長のような方が開会の挨拶をなさっていたとき、途中で「そこ!何やってる!」と注意され、2~3分ほど挨拶が中断され、全体がシーンとなった。一体何があったのかと思ったら、どうやら開会の挨拶の最中に生徒2~3人がおしゃべりをしたらしいのである。私が全く気づかなかったほどだから、おそらく小声で二言、三言、言葉を交わした程度だったのだろう。

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「学校名と名前を言いましょうか!」

指まで指されて「犯人」たちは恐縮至極、いたたまれない様子。
「犯人」たちが十分反省しているとみて、責任者は挨拶を再開し、まもなく開会式が終わった。

同じようなことが卓球の大会で起こったらどうなっていただろうか?
おそらく委員長はさして気にもとめず、何事も起こらないまま開会式は無事終わっていただろう。
仮に私語を注意されたとしても生徒は「チッ!うっせーな」ぐらいの態度で憮然としていたのではないだろうか。

剣道では「恐縮至極」。卓球では「チッ!うっせーな」。このような差はいったい何に起因するのか。

剣道では公の場で人が話しているのを無視して私語を発するのは許されないマナー違反なのに対し、卓球ではそれほど重大なマナー違反ではないということだろう。剣道等の武道は宗教的な側面があるので、大会は「遊び」ではなく「真剣勝負」なのだろう。卓球ではどうだろうか。全国大会などの大きな大会ならば「真剣勝負」かもしれないが、最も末端の大会ではそれほどの緊張感があるだろうか。

剣道では剣道の目的を高らかに掲げている。

修行で得た信念をもって権力におもねることなく、功利に流されることなく、正邪を明らかにし生涯を全うし、自己の属する社会、国家、民族のため寄与することである。 
「剣道修行の目的」より抜粋(日本剣道協会)

剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである 
「剣道修練の心構え」(日本剣道連盟)


剣道を通じて自己の人格を練磨するのみならず、社会、国家、人類のために貢献することが剣道の理念であるという。ずいぶん壮大な話である。

では翻って卓球とは何か。卓球とは単なる「球遊び」に過ぎず、高尚な理念などないのだろうか。ネットで卓球の理念を探してみたのだが、剣道の理念に相当するようなものは残念ながら見つからなかった。近いものとして日本卓球協会の「定款」に以下の条項がある。

第3条 この法人は、わが国における卓球界を統括し、代表する団体として、卓球の普及振興を図り、もっと国民の心身の健全な発展に寄与することを目的とする。
「日本卓球ハンドブック 定款」より(日本卓球協会)

「卓球の普及振興」と「心身の健全な発展に寄与する」というのが剣道の理念に近いものと言えようか。卓球の目的というのはせいぜい「心身の健全さ」までであり、それ以上ではない。

協会の啓発冊子「勝利を目指す前に大切なことがある」には「フェアプレー」「相手に対する敬意」などが分かりやすく書かれているが、剣道の理念とはずいぶん違う。

我々が卓球をする目的というのは特に決められておらず、それぞれのプレーヤーに委ねられているようだ。暇つぶしでもいいし、健康増進でも構わない。卓球にかぎらず、スポーツには目的や理念というのがないのが普通だろう。

「理念とか目的とか、そんな堅苦しいことはどうでもいいじゃないか。そういうことをうるさく言わないのが卓球のいいところだ」

という意見にも一理ある。「遊びで悪いか」という反論である。「人格の陶冶」だの、「世界平和への貢献」だのといったことを考えながら卓球に取り組むというのは覚悟を必要とし、プレーヤーを選ぶことになる。結果、多くの人が楽しめる趣味とはなりにくい。小乗仏教と大乗仏教のようなものだろう。

 
記事に関係はないが、さきほどの紅白での椎名林檎がカッコよすぎて観入ってしまった。

武道とスポーツ、どちらにも一長一短があるが、私は冒頭の出来事を目の当たりにして武道を羨ましく思った。剣道に携わる人は、勝敗や自分の達成感以上の何かを背負っている。優勝して、興奮のあまり竹刀を叩き折ったり、そのへんの器物を蹴飛ばして破壊したりといったことはおそらくしないだろう。人間性の高潔さのみならず、剣道自体に対して敬意を抱き、それに携わる自分を誇りに思っていることだろう。

卓球人は卓球に敬意を抱き、卓球をしている自分を誇りに思っているだろうか。下手な相手をぞんざいに扱ったり、練習の途中でダレてきて、いい加減な練習をしたりといった卓球に恥じる行為をしてはいないだろうか。

卓球はしょせん「遊び」である。しかし、それだけでは何かが足りない気がする…。 

Love the life you live. Live the life you love.


未年
今年の「しろのたつみ」は本記事をもって締めくくりとしたい。
 

年末の休みに入り、時間の余裕ができると、卓球ショップのサイトなどをついつい眺めてしまう。
しかし、今年の年末年始は不穏な空気が漂っている。
値上げである。

最近、円安の影響からチーズやら麺類の値上げが報じられているが、卓球用具も例外ではなかった。10月のTSPに続き、ヤサカ製品も明日(来年)から値上げされる。

エクステンド:4000円→4200円(税抜き) +200円の値上げ
馬琳EO:7500円→9000円(税抜き) +1500円の値上げ
デュラングル:10000円→12000円(税抜き) +2000円の値上げ

これは定価なので、実際の値上げ幅はもう少し小さくなると思われるが、ラケットの値上げ幅は看過できないレベルである。

WRMのように輸入品に大きく依存するメーカーは円安が大きく影響するようだ。
同様に中国メーカーの製品が値上げされているが、その幅はだいたい300~500円ほどにとどまる。ヤサカと比べると良心的だ。

価格改定のお知らせ
Break Pro:3090円→3488円(税込み) +400円弱の値上げ
Maze Pro ブルースポンジ:3480円→3758円(税込み) +300円弱の値上げ
Bombard極薄:2550円→2948円(税込み) +400円弱の値上げ
金星Venus 14:5380円→5940円(税込み) +500円弱の値上げ
レッドローズ:9130円→9698円(税込み) +500円強の値上げ

WRMで扱っている製品は、いまのところそれほど大きく値上がりしていないが、近年の中国の経済発展が続けば、再値上げということもありうるのではないか。さらにドイツ製のラバーも値上げされるようだ(GrassDtecs1月1日より値上げのお知らせ)。

最近の卓球用具の価格高騰は著しいものがある。以前は定価が1万5千円以上するインナーフォースやアコースティックは最高級ラケットという位置づけだったが、今や定価1万5千円ほどのラケットでも「そんなに高くはない」「やや高級」といった位置づけになってしまっている。定価2万円超え、3万円超えのラケットも珍しくないからだ。しかしテニスラケットでさえ実売2~3万前後ということを考えると、実売2万超えのラケットが次々と登場しつつある卓球のラケットにはお得感がない。

しかし、一方で「和の極み」のように割高感を感じさせないラケットもある。
実売1万2千円ほどの「和の極み」は「やや高級」なラケットだが、「ぼったくり感」がない。それは厳選された高品質な素材による日本製純木ラケットでスピードとコントロールの総合力の高さ(だったかな?)という明確なコンセプトがあるからである。TAKZINE 23号の特集によると、木材の目利きのできる家具職人の協力を得て、39本の試作ラケットを作り試打を繰り返し、3年の歳月をかけてようやく完成したというアンドロの自信作である。おまけに見た目もかっこいい。

毎年何本も新製品ラケットを投入するニッタクは、なぜか分からないが高価格の製品が多めである。価格ではバタフライに負けまいと張り合っているのだろうか。剛力が定価3万を超え、アコースティックカーボンやら、ラティカカーボンやらが定価2万円を超えている。しかし、これらのラケットには「和の極み」のような「ストーリー」がない。唐突なのだ。実際には契約選手に試打をしてもらって長い開発期間を経ている、あるいは今までにない工夫を凝らしているのかもしれないが、広報活動が弱いのでコンセプトや個性があまり伝わってこない。食指が動かない。

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今回投入されたホルツシーベンとか、バサルテック(バルサ材のラケットかと思っていた…)とかの最高級の新製品は、

「木と対話し、熟練の技を持つマイスターの手によって作り上げられた逸品」
で、
「プラスチックボール対応」
だから、
アコースティックカーボン、佳純スペシャル(定価2万)などの従来の高級ラケットより1万円以上高くして、定価3万6千円+税になります

というのでは消費者は納得できないだろう。大手のニッタクが作ったのだから、それなりの品質は保証されているのだろうが、「ぼったくり感」は否めない。おそらくあまり注目を集めず、いつのまにか忘れ去られ、同じような「顔のない」高級ラケットが次々と投入されていくのではないだろうか。

価格が高騰しつつある卓球用具は、これからの時代、消費者を納得させる「ストーリー」が必要なのではないか。そして次から次へと高級モデルを投入するのでは、消費者は損したような気持ちになってしまう。そうではなく、一つのモデルに対して数年にわたって丁寧に広報活動を続け、消費者を納得させれば、消費者の満足感も高く、満を持して投入される後継モデルにも注目が集まるのではないか。

「テニスラケットは大きいから高くて当然だ。小さな卓球ラケットが3万円というのは納得できない」というわけではないだろう。小さくて高価格でも丁寧に作りこまれていて、かつ付加価値――「ストーリー」という情報価値があれば、消費者は価格が高くても納得するに違いない。世界レベルの契約選手がちょっと使っただけでは、そのラケットはストーリーをまとうことができないだろう(ビスカリアのように多くのトップ選手が長期間使っていたら、話は別だが)。開発者の主張や、ネーミング(前記事「ラケットの命名」)、映画やアニメなどのキャラクターによる使用など、広報面の工夫が必要ではないか。

以上、「和の極み」の成功例から、用具には性能だけでなく、「ストーリー」が必要なのではないかと考えた次第である。とりあえずWRMの正月セールに期待である(ぐっちぃ氏の講習会に行けないのが残念)

ムダヅカイ

まなきゃんさんのブログ「卓球けもの道」で小学生向けの2冊の卓球書が紹介されていた。
そのうちの1冊『やろうよ卓球』(ベースボールマガジン社)を読んでみて、その感想などを書いてみたいと思う。
ダウンロード

著者が元女子代表監督の近藤欽司氏とサービスやレシーブのDVDで有名な村瀬勇吉氏。ということで、サービス・レシーブの解説はかなり信頼できるものとなっているはずである。

この本の特長はシステマティックな構成と、必要にして十分な「卓球の基本」技術の解説である。以下、各章について簡単にコメントする。
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第1章はイントロダクションで、用具、戦型、グリップの握り方などについて書かれている。

第2章「技の感覚と各ショット」ではショットの感覚を7つに分け、ショットを使う場面を「守る技」「仕掛ける技」「決める技」「つなぐ技」の4つに分け、各ショットを分類している。この分類は他の章でも通用されており、解説の理解を容易にしてくれる。このような分類は言われてみれば当たり前なのだが、今まであいまいにされてきたように思う。その結果、間違った場面で間違った感覚のショットを使おうとしてミスを多発してしまう人が多いのではないか。このような「基本」をしっかり身につけることが初中級者の上達の近道ではなかろうか。

第3章はサービスとレシーブの基本である。簡潔に書かれており、ぼんやりと知っていることも多かったが、改めて読んでみて、勉強になった。

第4章はフットワークを意識した基本的なシステム練習の解説と、各戦型の典型的なラリー展開について書かれている。ここは私のレベルでは、まだまだしっかり身についていないことが多いので、小学生向けとはいえ、いろいろ教えられることも多かった。

第5章は指導者の心構えについて
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ひととおり通読してみて、分かっているようで分かっていないことが多かったと感じさせられた。

「技は部品。いろいろな組み合わせで使う」

といった命題は、よく耳にする言葉だが、小学生にも分かるように懇ろに説明されると、意外に深い意味があったり、分かっているつもりでも、自分のプレーに生かされていなかったりと、改めて教えられることが多かった。

「卓球の基本」というのはおそらくここに書かれていることなのではないだろうか。

「卓球の基本」とは何か。それは普遍的なものではなく、時代とともに移り変わっていく「常識」のようなものだろう。多くの人が「基本」だと認めているものが「基本」であり、それに異を唱える人が多くなれば、それに応じて「基本」も内容を換えていく。そういうものだと定義した上で、この本には現時点での「卓球の基本」が詰まっていると思われる。

たとえば本書で勉強になったと感じたのは以下の命題である。この命題だけでは言葉足らずなので、詳細は本書に当たってほしい。
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1.技は部品。いろいろな組み合わせで使う
2.インパクトの時、手首を使うと「こする」。固定すると「弾く」
3.打球後のバランスが崩れているときは軽くジャンプ
4.フォアロングはひねった上半身を正面に戻しながらインパクト
5.つなぎのドライブは6割の力で打つ
6.スマッシュは打ち急がず、下半身で溜めを作ってからスイング
7.スマッシュのバックスイングは高く
8.ショートは常に足を使って体の正面付近で
9.ショートは手首を使わない
10.バックドライブは肘を支点に手首を使う
11.プッシュは仕掛ける時に使う技
12.ブロックは膝を柔らかく使って
13.ツッツキは手首を使って押す感覚
14.攻撃的なツッツキは手首を使わず肘から先で突く
15.強ドライブはバックスイングを高く
16.フリックは上半身をかぶせるように
17.チキータは肘と肩が同じ高さ
18.ブロックは早い打点で
19.サービスはスマッシュと同じぐらいのスイングスピードで
20.サービスで1点とるか2点とるかということはその後の展開にも大きく影響する
21.サービスは3球目にチャンスを作るためのもの
22.トスを上げるときは下半身も使う
23.サービスはフラ~っとしてキュッ
24.フォアサービスはバックスイングの瞬間に右肩を上げて
25.回転を変えるためには2つの方法がある。ラケットの方向を変える方法と、ボールに触る場所を変える方法
26.下回転サービスは相手に強く打たせないためのサービス
27.フォアサービスはできるだけ身体の近くでインパクト
28.バックサービスは肩と腰の反動をしっかり使って
29.ロングでしか返せない横バックサービスと、持ち上げなければ返せない横下バックサービスを混ぜる
30.同じ回転のサービスをいろいろな構えから出す
31.3球目から逆算してサービスを出す
32.レシーブでオーバーミスを防ぐには「近」
33.レシーブで相手の回転の影響を少なくするには「短」
34.レシーブで相手の回転に負けないようにするには「速」
35.システム練習の中にときどき「約束違反」を入れてみよう
36.フットワークは大きく早く動くために支えにする1歩目は床を蹴るように
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「知っていることばかりだ」と思う人もいるかもしれないが、これらの警句を本書の説明とともに改めて読んでみると、見過ごしていたことや、新しい発見もあるかもしれない。小学生向けなので、非常に明解で読みやすい。

まなきゃん氏によると、もう1冊の小学生向け卓球書、原田隆雅氏の『試合で勝てる! 小学生の卓球 上達のコツ50』(メイツ出版)も裏技満載で内容の濃い本であるとのこと。次はこちらの本も読んでみたい。

今回の世界卓球女子選考会でひときわ目を引いたのが平野美宇選手のプレーだった。

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平野美宇選手 対 伊藤美誠選手の試合は4:43:00あたりから

なぜか分からないが、気づいたら美宇選手がフルスイングでバシバシ打ちまくっているのだ。
魔法にかかったみたいだ。

相手に容易に打たせないためにどの選手も打ちにくいボールやコースを突いているはずなのに、いつのまにか美宇選手はやりたい放題打っている。

一体何が起こっているのだろうか。美宇選手はどうしてあんなにいつも一方的に両ハンドで打ちまくれるのだろうか。この「魔法」を解けば、私も攻撃的で爽快な卓球ができるかもしれない。

美宇選手がどうやってラリーに持ち込んでいるかよーく観察してみた。

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まず、相手のサービスを長くて鋭いツッツキでバック側に返球。

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相手がバックハンドドライブで持ち上げてきたら、

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それをカウンターでバックハンドドライブ。

そこからはめった打ち、やりたい放題劇場である。

美宇選手のバックハンドドライブを厳しいコースにブロックすれば美宇選手の攻撃も沈黙するはずだが、そうはならない。
美宇選手は打点が早いので、相手に反撃を許さない、とんでもなく速いボールを放つ。相手は美宇選手のカウンターを返すのがやっとである。結果として攻撃的なボールはほとんど返ってこない。そしてそこそこのスピードで返ってきたボールを美宇選手はさらに厳しいカウンターで返し、終始主導権を握っている(ように見えた)

アジア選手権での朱雨玲選手との対戦も同じような展開だった(前記事「福原選手が丁寧選手をやぶった」)。




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観ていて気持ちいいほどのフルスイング

同様に世界ジュニア女王の王曼昱選手との対戦でもすさまじいスピードのラリーで中国に一矢報いた。



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見事なへそ出しフルスイング

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これほどのフルスイング連打を可能にしているのは、真上に上げたフリーハンドも関係するのだろうか?

中国選手との対戦では「チマチマ」ではうまくいなされてしまったのか、結局負けてしまったが、ラリーでは美宇選手が圧倒していた。王選手は美宇選手のボールについていくのがやっとといった感じだった。美宇選手のボールのあまりの速さについクロスに返球してしまい、そこをさらにカウンターで打ち抜かれてしまうという場面が多かった。

こんな卓球がしてみたい。
そのためには相手の持ち上げてくるドライブを安定してバックハンドのカウンターで返す技術がなければならない。なにかコツのようなものがないだろうか。

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美宇選手のバックハンドドライブはラケットをほとんど上に振っている。早い打点で上に擦り上げればカウンターが安定するのかもしれない。

そう簡単に美宇選手のような卓球ができるとは思えないが、早い打点でのカウンターという技術は私の卓球を大きく変えるかもしれない。相手に迷惑をかけるので、これまでカウンターの練習には興味がなかったが、美宇選手のプレーを観て、ちょっと取り組んでみたくなった。

べびっしー
今年はふなっしーが大活躍の一年だった。

世界卓球女子選考会が始まった。



広島県立総合体育館で行われているそうだが、マットが敷かれていないので、フロアにバスケのラインが見える。しかも同じ台を使って複数選手の試合が行われているので、これを見ると、それぞれの選手が前後にどのぐらい移動しているかが客観的に分かる。ちょうどおあつらえむきに台に平行に引かれた白線が見えるのでこれを目印にしてみよう。

ラリー中はいろいろなボールが来るので、台との距離も区々である。
しかし、ショートサービスからの3球目という一定のシチュエーションで比較してみると、それぞれの選手の下がり具合が比較できるのではないだろうか。

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若宮三紗子選手は小柄な選手だと思われるが、ショートサービスから思い切って50センチほど後ろに下がって3球目攻撃に備えている。上の画像はちょうど白線を越えて3球目をバックドライブする場面。

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同じ場面からの平野早矢香選手。
若宮選手よりも微妙に下がりが浅いか。 しかし、ほとんど同じぐらい下がっている。

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同様に伊藤美誠選手。伊藤選手は小柄だし、前陣に張り付いてあまり下がらないイメージがあったが、意外に前後に激しく移動している。
小柄な女子選手でも、サービスの後は50センチぐらいは下がって待っているようだ。

一方、私は頭では分かっていても、相変わらずサービス直後にあまり下がれず、20~30センチぐらいしか下がらずに待っているような気がする。わずか20センチの差だと言われればそれまでだが、そのほんのちょっとの差で3球目の安定性に差がつくような気がする。

浜本由惟選手はwikipediaによると、身長が172センチあるそうだ。女子選手としてはかなり長身で、男子選手に近い身長である。

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同じシチュエーションのシーンを探したのだが、浜本選手がカメラに背を向けてショートサービスからバックハンドで3球目を打つ場面がなかったので、残念ながら同じシチュエーションではなく、3球目でフォアドライブを打つ場面。浜本選手はサービス後、かなり後ろに下るかと思ったのだが、案外下がらないようだ。他の選手が白線の後ろで構えているのに対して、浜本選手は白線を踏んで構えていた。

材料はこれだけである。
次にこれをどう考えるべきか。
どの選手もラリーが続くと、ズリズリとだんだん後ろに下がっていく。
また、相手のレシーブの種類によっても――フリックやチキータでのレシーブを警戒しているときは、後ろで構えるだろうし、逆にストップレシーブが多い選手が相手なら、前気味に構えるだろう。
一概には言えないのだが、前陣の多い女子選手でも3球目で50センチ以上、下がって構えるのが一般的のようだ。男子選手なら、おそらく70~80センチぐらい下がって構えるかもしれない。

これらの試合を観て、自分がいかに前後に動いてないかを痛感させられた。私もサービス後にもう少し下がって構えたほうが良さそうだ。

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もう今年も残り僅か…。

今日はあいにくの雨。
雨の日は湿気が心配だ。
湿気が多いとラバーが滑る。
しかし、ラバーだけでなく、ラケットの弾みにも影響するらしい。
私はラバーの滑りぐあいはなんとなく分かるのだが、湿気のラケットに対する弾みの影響となると、さっぱり感じられない。信じられない話だが、経年変化によって湿気がラケットの奥深くに入り込み、 弾みが悪くなるのだという。上級者はそのように数年使いこんだラケットの変化を敏感に感じ取り、ラケットを替えたりすることがあるらしい。

卓球は敏感なタッチを要求されるスポーツである。ラケットの弾みが新品時と比べて、仮に20%も落ちているとしたら、今まで入っていたボールが入らなくなるということもあるだろう。

しかし、それ以前に私たちはラケットの弾みを十分活かせているのだろうか。

読者のスギーさんという方からの以下のコメントがずっと気になっていた。

力を入れないグラグラの状態で玉突きするとスポンジまで食い込まず弾まないし、回転がかからない。
逆にボールがラケットに当たる瞬間グッとグリップを握るとその瞬間だけラケットと腕が一体化して硬くなり、スポンジまで食い込ませやすくなる。
点的な力と線的な力」コメント欄より

「一体化」というのが卓球でとても大事だと感じる。私が連続ドライブが安定して打てるようになったのも、胴体と腕を一体化させて打てるようになったからだ。ドライブ時に胴体から腕(というか肩)が独立して、可動状態にあると、力のロスが起こりやすい。
スギーさんの意見によると、グリップと腕が一体化すると、ラケットが「硬く」なるのだという。この指摘は疑いようがない。打球時にグリップがグラグラしていたら、 力のロスが起こってしまう。

だから、多くの指導者が

「打球寸前までラケットは柔らかく握っておき、打球の瞬間だけギュッと握ると回転がかかる」 

といった指導をしているのだろう。

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レシーブの構えで松平健太選手はラケットをよくグラグラさせている

私もそのアドバイスにしたがって、打球前は力を抜き、打球時にギュッと握っているつもりだったのだが、よく考えると自信がない。私は打球時に「一体化」するほどギュッと握っているだろうか?ボールの反発する力を100%伝えられるほどにギュッと握っているだろうか?おそらく微妙に緩く握っていると思われる。「一体化」率というのがあるとしたら、私は80~90%の一体化率でインパクトを迎えていることだろう。そうすると、力のロスは湿気でラケットの弾みが悪くなるどころじゃない。インパクトの瞬間、ブレードが微妙にブレるとすると、力はそこで逃げてしまうし、角度も微妙にずれる。毫釐千里で、インパクト時に微妙な角度のズレが、相手コートにボールが到達するときには十数センチの違いになってしまうおそれがある。私たちは知らず知らずのうちにラケットの弾みを10~20%ロスしているのである。

きちんと検証したわけではないが、この一体化率の影響はブロック時に顕著である気がする。
相手の威力のあるドライブをブロックするとき、一体化率を50~60%に落とせば、ボールをオーバーさせずに安定して返球できるし、逆にそれほど強くないボールをブロックする時に、一体化率を100%にしなければ、ネットにかけてしまう気がする。

【まとめ】
打球時にグリップを強く握るというのは多くの人が実践していると思われるが、それはラケットと腕が100%一体化するほどしっかり握っているのだろうか。しっかり握っているつもりでも、実際は多くの人が80~90%の一体化率にとどめてしまっているのではないだろうか。その10~20%の詰めの甘さが、力をロスさせ、安定性を損なっているのではないだろうか。ボールの反動によるブレードのブレをほぼゼロにするぐらいしっかりラケットを握れば、力を完全に伝えられ、ラケットの性能を100%発揮できるだけでなく、一体化率を調整することによって、コントロールの向上にも効果的だと思われる。握り具合によってあるときはラケットの弾みをALLぐらいに落とすことができ、しっかり握ることによってOFF+に上げることもできる。結果として、一体化率を意識的に使い分けることによってコントロールもよくなると思われる。



 

グランドファイナル2014のU21男子の町飛鳥選手のプレーが印象的だった。

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世界ジュニアを制した張禹珍選手を全く寄せ付けず、予選と決勝で完膚なきまでに叩きのめしてしまったのだ。
そして、町選手の対戦は他の選手の試合と大きく違っていた。「台上でチマチマ」ばかりで、「ラリーでドーン」(前記事「台上練習のインセンティブ」)がほとんどないのだ。
私はitTVの完全版で町選手と酒井アスカ選手、張禹珍選手の試合を観たのだが、上のダイジェスト版では凡ミスのようなプレーは省かれているので、この対戦の独特の雰囲気があまり伝わってこない。

まず、町選手のサービスがすごかった。回転もよく分からないし、どこに飛んでくるかも分からない。私がわからないのは当たり前だが、酒井、張両選手もレシーブミスを頻発していた。町選手もサービスに気合が入りすぎて、シビアなコースを狙いすぎたのか、トップ選手らしからぬサービスミスがいくつもあった。今大会の町選手にはとにかくサービスで得点してやろうという意気込みが感じられた。

そしてサービスで得点できない場合はトリッキーなレシーブでミスを誘おうとしていたように見える。素直なスピードのあるボールが打てる場面でも、あえて回転をかけて、ちょっと浮かせた遅いボールで相手のタイミングを外したり、相手の打ちにくいコースに返球したりといったプレーに終始していたように感じた。しかしそれが実に効いていた。相手は思うようにラリーに持ち込めず、やりにくそうにミスをしては顔をしかめていた。

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やりにくそうな張選手

プロレスでロープに飛ばしてからドロップキックとか、ラリアットとか、そういう技をかけるのはお約束である。
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飛ばされる方も、ロープまでわざわざ走って行き、そこであえてロープに飛ばされて、律儀に技にかかりに戻ってくる。こうしないと、大技がかけられないので、プレーが盛り上がらない。演出としてわざと技にかかってあげているのだろう。
しかし、もしこれが本当の殺し合いだったりしたら、ロープまで走っていくこともなく、その場で踏みとどまるだろうし、かりにロープまで行っても、そこでロープにしっかりつかまって、技にかかるために戻ってくるなどという間の抜けたことはしないだろう。
プロレスはショー的な要素が強いので、みんなで楽しむためにあえて相手に技をかけさせる隙を与えているわけだ。

卓球にもそういう要素がある、とは言わないが、あえて相手に打たせてから打つ、相手に隙を与えてから決めるという側面があるのではないだろうか。

こちらが相手にとってある程度打ちやすい返球をすれば、相手もある程度打ちやすいボールを返してくる。そうしないと、ラリーにならず、3~4球目までで終わってしまう「すさまじい対戦」になってしまう。ラリーが楽しめない。練習のようにわざわざ相手の打ちやすいところに送ることはないが、相手にとって苦しすぎないコースに送らなければ、こちらが「ラリーでドーン」と決められない。自分が「ラリーでドーン」を楽しむためには、相手に打ちにくすぎないボールを返球するという暗黙の了解があると思われる。

そのような暗黙の了解は市民大会レベルの卓球までだと思っていたのだが、もしかしたら、プロの世界にもあるのかもしれない。

もし以下の卓球の2択だったら、どちらを選ぶだろうか?

「得点最優先の卓球」
得点する確率:40%
ミスする確率:40%
ラリーにつながる確率20%

「ラリー優先の卓球」
得点する確率:20%
ミスする確率:20%
ラリーにつながる確率:60%

私ならもちろん「ラリー優先の卓球」である。しかし、試合で本当に勝てるのは「得点最優先の卓球」なのではないか。そしてこの「得点最優先の卓球」は、得点かミスかのギリギリのボールばかりを返球することになり、相手にほとんど打つ隙を与えず、自分が気持ちよく打つチャンスもなく、とにかく相手のいやがることだけを考えてプレーする、リスキーですさまじい卓球になると思われる。

このアイディアはニセモノさんのコメント(前記事「速いドライブ VS 早いストップ…」)によるものである。あくまで個人的な見解だと断られているが、私には非常に説得力があった。

彼ら【しろの注:中国選手】の思考としては
「クセ球、いやらしい球、相手の嫌がる球を送ってさっさとミスさせよう。
 ポイントの仕方(綺麗か汚いか)なんてどうでもいい。」
というのが最初にあり、
「それでも相手が対応してきてなんとか返してきた場合は
 撃ち抜いて(攻撃して)得点しよう。もし難しい球を返してきたら
 安全に返そう。ただし、そういう安全に返すつなぎの球でも
 できるだけ相手の嫌な球にしよう。(※)」
という感じですね。

なんという非情さ。プレーを楽しむといった要素は後回しで、とにかく勝てばいい、勝つためなら全てのポイントがサービスとレシーブで終わってしまっても構わない、ということなのかもしれない。

卓球で勝利を追求すれば、究極的にはこのようなすさまじい卓球になってしまうのだろうか。まるで資本主義の行き着く先が、一握りの勝者と多数の敗者だけになってしまうという話と通じるものがある。

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町選手の今回の卓球は卓球の究極の姿を感じさせるものだった。そして町選手は強かった。

おそらく私程度のレベルの人間が考えたことなので、単なる仮説の域を出ないのだが、中国選手に勝つためには、町選手のような卓球が最も有効なのかもしれない。



 

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こういうバックハンドスマッシュが非常に速いボールになるのは分かる。身体も腕も存分に使って打球しているからだ。


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一方、こういうバックハンドショート(プッシュ?)も相当なスピードが出るのはどうしてだろう?

バックハンドスマッシュはラケットを動かす距離が長い。スタートからフィニッシュまで80センチぐらい移動させているだろうか。
一方、バックハンドショートはせいぜい20センチほどしかラケットを動かしていないにもかかわらず、打ちようによってはスマッシュに引けをとらない体感スピードがでる。私にはこれが不思議でならない(レベル低くて申し訳ない)

「 グェンタン先生の基本打法」という動画を見ると、跟唐先生(発音は北京語なら、ゲンタンよりもグンタンのほうが近いか)が見事なペンホルダーのショートを披露している。
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グンタン先生はペンもシェークも上手に打つが、ペンのバックショート(2:30あたりから)を見ると、ほとんど腕を使っていないのに、軽々と、かなり速いボールを打っている。よく観察すると、打球まではゆっくり押しているが、打球の瞬間だけ(あるいはほんの少し打球より前)グイッと力を入れているのだ。



上の坂本竜介氏のバックハンドもすごい。これが国際レベルのボールか。坂本氏もラケットを非常にコンパクトに振っていながら、すごいスピードのボールを打っている。

一方、私はおそらくグンタン先生や坂本氏のバックハンドの倍ぐらいの大きなスイングをしているにもかかわらず、ボールのスピードは半分ぐらいである。何が違うのだろうか?

まず、考えられるのは打球点である。打球点が早く、バウンド直後のライジングを打てば、ボールの向かってくる力を十分に利用できるので、速いボールが打てるのだと思う。そうすると、バウンドして頂点を過ぎたボールを打つのはロスが大きいということだろう。

しかし、グンタン先生の0:40ぐらいからのシェークのバックハンドを見ると、頂点か、あるいは頂点を少し過ぎたあたりで打球しているのに速いボールを打っていることがわかる。この打法の特徴は、やはりラケットをあまり振らず、打球する瞬間に手首でグイッと瞬間的に力を入れ、すぐに力を抜いている点である。

「打球点の早さ+手首によるラケットの瞬間的な加速」

というのが軽い力で速いボールを打つコツということだろうか。



ぐっちぃ氏の上の動画のYGサービスも小さく軽く振っているように見えて、すごい回転がかかっている。手首を最大限に使っているように見える。サービスは打球点の早さは関係ないから、手首の瞬間的な加速だけでこれほどの回転を生み出しているということになる。

とすると、グンタン先生の速いボールの本質は、打球点の早さというより、打球時の瞬間的な力の入れ具合にあると考えられる。

なんだか今まで大きなスイングでラケットを振っていた自分がバカバカしくなってくる。私のスイングの8割がたは無駄な動きであり、力の入っている範囲が広すぎて、力が分散されてしまう。燃費が悪い。一方、グンタン先生のスイングはコンパクトで、しかも力の入る範囲が極めて狭く、当たる瞬間に力が集中しているので、楽に強い力が伝えられる。

フォアの軌道

赤い部分が力の入っている部分である。私のスイングはスイングの半分近い範囲で力を込めてしまうため、力が分散してしまう。グンタン先生は一瞬に力を込めるため、非常に強い力がこもる。

卓球で必要とされる力の入れ方は、「点」であり、「線」ではないのではないか。

ラケットを振る時を考えてみよう。

腰をゆっくりねじって、負荷をかけておいて、それを一気に戻す。そのとき、背骨の辺りを軸にして、その一点に力を集中する。そしてやや遅れて手首の一点に力を入れて打球する。

私は以前、ロケット理論というのをスイングのモデルにしていた(前記事「ロケット理論」)。それは下半身から上半身へ力が伝わっていき、さらに腕から指先まで力が伝わっていくという「線」のイメージだった。しかし、実際は線というより、「点」のイメージなのではないだろうか。腰の一点から、途中を飛ばして、手首の一点へ、非連続に力が発動するイメージのほうがグンタン先生の打法に近いのではないだろうか。

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スイングだけでなく、フットワークでも同様だと思われる。
左右に動くフットワークの場合、移動中、常に下半身全体に力が入っているというより、右に移動する場合なら、

一瞬、抜重して、身体を沈め、左足の拇指球の一点にグイッと力を込め、右足をそっと出し、次に右足の拇指球の一点に力を集中し、グッと踏ん張って左足を引き寄せる。

左足の拇指球→右足の拇指球

のように、ここでも途中を飛ばして、非連続の点的な力の移動によって全体の力の抜けた素早いフットワークが可能になるのではないだろうか。さらにその拇指球の力が腰→手首と飛び石のように点的に移動する。これが最も効率のいい力の入れ方ではないだろうか。

【まとめ】
最も効率よく力を伝えるには瞬間的に力を込めるのが有効である。そしてその力の入れ方は打球時のみならず、フットワークからスイングへの連繋にも適応できる。このように非連続に点的に力を入れることによって体力を浪費せず、小さな力で強い打球が可能になるのではないだろうか。


今回は卓球に関係ない話。

ノーベル賞授賞式のスピーチで中村修二氏がスピーチを行なったというニュースに驚かされた。
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 「それまでは赤崎さんと天野さんがベストの結果を得ていたが、この発明で私がベストになった。赤崎さん、天野さん、申し訳ありません」と笑顔で語り掛け、会場を沸かせた。(2014/12/08-20:46)「時事ドットコム

前後の文脈がなく、この一言だけを取り上げるのはためらわれるが、赤崎氏と天野氏はどのような思いでこの言葉を聞いたのだろうか。笑顔が少しひきつっていたのではなかろうか。実際に、現時点では、中村氏の研究が「ベスト」なのかもしれない。しかしそのような自負は日本人なら口にしないのがふつうなのではないか。社交辞令だとしても、このような場では「お二人のご研究なくして私の研究はありえなかった」のように言うのが日本では歓迎される。中村氏の発想はいい意味でも悪い意味でも日本人離れしている。

中村氏はアメリカに行って正解だっただろう。本人を目の前にしてこのような発言ができるような雰囲気は日本にはないだろうから。

では、アメリカはどんな雰囲気なのだろうか。私はアメリカについて語れるほどアメリカを知っているわけではないので、知人との会話を紹介しよう。

知人:アメリカの大学でどんな授業を受けたかアメリカ人に聞いてみたら、「アメリカはナンバーワンだ。なぜなら」という書き出しでエッセイを書くという教育を受けたって言うんですよ。

私:同じことを日本でやったらどうなるんでしょうね。「右傾化」どころの騒ぎじゃないですよ。

知人:アメリカ人って何かっていうと、国旗に敬礼とか、国歌斉唱とか、教育の中でものすごく愛国心を意識していますよね。

私:そうなんですか。アメリカって自由でリベラルな教育をしてるってイメージがありますけど、実際はかなり偏った教育をしているんじゃないですか?

知人:あれだけ広い国、多様な民族を束ねるには「アメリカが世界一」と小さい時から刷り込まざるをえないんですよ。最近も警察による黒人の死亡事件が話題になっているでしょ?ちょっとしたことで国民が分裂してしまう危機に常にさらされているんです。日本みたいに根っこの部分で国民がつながっているっていう感覚がないんですよ。ある意味、中国と通じる部分があると思います。中国も広大な領土に多様な民族を抱えて、国をまとめるのに四苦八苦してるでしょ?韓国は民族的には多様性に乏しいけれど、つねに経済的な不安を抱えているので、「韓国が一番」みたいな教育をせざるを得ないんですよ。アメリカ人が日本で日本人に接して、謙虚さとか、相手の立場に立って考えるという「空気」のようなもの感じて、それを賞賛する人が多いけれど、日本人にとってはそういうものは文字通り空気のようなものだから、まったく気づいていません。しかしこの「空気」は世界に誇れる国民性だと思いますよ。


なるほど。でも、そのような教育は中西部の田舎の学校だけじゃないのだろうか?リベラルなカリフォルニアとかでもそんな教育をしているか疑問である。しかし、私の接する外国人も日本人は謙虚だとか控えめだという人はたしかに多い。ただ、卓球では日本人の控えめさを感じることはあまり多くないが(前記事「こういう人、結構いるよね」)。
ともあれ、卓球の練習以外の場面では、日本人に遠慮や控えめさを感じることはたしかに多い。国際的に見れば、日本のように国民の間に連帯意識があり、そこそこうまくいっている社会というのは珍しいのかもしれない。

今、世間は衆議院選挙の話題でもちきりである。アベノミクスとかいうのが争点の一つになっているらしいが、私にはあまり関係ない。それよりも日本人の、相手を気遣う国民性や謙虚さを育んでくれるような「空気」を守ってくれる政治であってほしい。日本は世界をリードするような天才を生み出す社会でなくてもいい。お勉強や卓球は抜群にできるが、相手への気遣いなどに疎い国民を生み出すような社会にはなってほしくないと思う。それから国の借金も少し減らしてほしい…

サッカーといえば、シュート。一瞬の隙を突いた芸術的なゴールは鑑賞の対象にさえなる。
同様に卓球といえばラリー。攻守がめまぐるしく入れ替わるラリーは卓球の醍醐味である。
私たちはこのラリーを楽しむために卓球をしていると言っても過言ではない。

しかし、初中級者はラリーに至る前にポイントが決まってしまうことも少なくない。サービスやレシーブでポイントする場合や、3球目で決まってしまうことも多い。というか、ポイントの半分以上は5球目までで決まってしまう。

卓球をやってる多くの人は、ドーン!という感じでラリーを綺麗に決めきってそのポイント終えたいと思ってると思います。
しかし悲しいかな、卓球という競技においてはほとんどのポイントが4,5球目までのちまちました遣り取りの中で終わってしまいます。
前記事「速いドライブ VS 早いストップ…」コメント欄

ニセモノさんがコメントで述べているように「ラリーでドーン」と、「台上でチマチマ」を比べたら、いうまでもなく、「ラリーでドーン」のほうが派手で見栄えがする。多くの人が「ラリーでドーン」を望んでいるわけだが、だからこそ「台上でチマチマ」というが狙い目なのではないか。

「ラリーでドーン」は楽しい。だから誰でも3球目からのラリーの展開を練習するはずだ。いくらラリーの練習をしても、みんなやっている練習なので、生半可なラリー能力では格上の選手には勝てない。それに対して「台上でチマチマ」はあまり楽しい練習ではない。だから多くの人が熱心に練習しない(もちろん全国レベルの人はこういう練習も熱心にしていると思うが)。台上技術を人一倍やりこめば、格上の選手にも勝ち目が出てくるのではないだろうか。

台上技術の精度を高め、

「こんなに低く短いストップが決まった!」

とか

「横下回転に見えるツッツキだが、実は横回転」

といった台上技術に満足感を覚えられるなら、おそらく勝率が格段に上がるだろう。


こんなレシーブができたら、ちょっと誇らしい

あるいはツッツキのコントロールが抜群で、どんなサービスに対しても台から出るか出ないかの微妙な長さのツッツキが打てるなら、それは多くのプレーヤーにとって脅威とならないだろうか(前記事「ツッツキ主戦型」)。

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私なら、相手がほぼすべてのボールを台から出るか出ないかのレシーブで返球されたら、イヤである。打てないと判断して、こちらがツッツキなどで返球しようとしても、なまじ長いので、返球も長くなってしまい、相手に打たれてしまうかもしれない。

みんなと同じ練習をやっていてもジリ貧だ。ラリー能力という、実戦ではあまり使い道のない技術を練習するよりも、その手の練習はすべて諦めて、台上技術の練習だけに専念したら、自分なりの個性ある卓球ができるのではないか。

昔、知人が大学の先生とお見合いをしたのだが、その先生は虫を研究している方で、いろいろな虫がどうやって花の蜜を吸うかを嬉々として2時間ほど語ってくれたのだという。

「蝶が蜜を吸うときはあのクルッと巻かれた口をこんなふうに伸ばすんですが、この種の蝶の場合はちょっと変わっていて…」

といった話を延々とされて、「あたし、ついていけそうもない…」と感じ、縁談をお断りしたのだという。

しかし、私はこういう人に男のロマンを感じる。ほとんどの人には分からない、限られた人にしか分からないおもしろさというのは自尊心をくすぐるではないか。

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こういういかにも速そうな車よりも

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一見、コンパクトカーだが、フルチューンされたレース仕様の車の方に男のロマンを感じる。

これから台上技術の練習にもっと精を出そうと思う。
 

フットワークが大切だということは分かりきっていることだが、なかなか足が動かないという人は多い(前記事「足が動かない」)。おそらく初中級者の大半が、頭では「足を動かさなきゃ」と思っていても、とっさに足を動かせないのではないだろうか。

前記事「仕事とは…」で、常に足をアイドル状態にしておけば動きやすいと書いたが、それでもとっさに動けない時が多い。どうして初中級者はとっさに動けないのだろうか。おそらく両足を動かすというのがハードルが高いのではないだろうか。とっさに1歩なら動ける。しかし、その後が続かない。左右の足を順番に素早く動かすというのは頭で考える以上に難しい(しかも下半身と連動させて上半身も動かさなければならない)。

そこで、開き直って1歩だけで妥協したらどうかというのが私の提案である。

例えば右利きの場合、フォア側に動くなら、 左足に重心を置いたまま動かさず、右足だけ1歩出して打つのである。逆にバック側に動くなら、右足に重心を置いたままにして、左足だけ1歩出すのである。これなら割と簡単に足が動く。しかも重心をもう片方の足に残したままなので、身体が流れず、戻りも早い(前記事「回り込みの足運び」)。
もちろん最終的には2歩以上動けるようになるのが目標だが、はじめから2歩、3歩と動かそうとすると、結局1歩も動けないことになりかねないので、まず「フットワークの第一歩」を踏み出すために片足1歩だけに限定して動いてみるというのも「手」ではないだろうか。これを完全なフットワークまでの通過点である中間段階のフットワークという意味で、「中間フットワーク」と名づけた。

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この片足だけのフットワークは近いボールなら問題ないのだが、ちょっと遠いボールになると、やはり届かない。それで次の「ステップ」として、今度は残した足の重心を、出したほうの足に移動するようにしてみる。フォア側のちょっと遠いボールを打つ時、左足重心をゆるめて、右足と左足の重心を半々ぐらいにしてみる。そんなことを続けていると、だんだん重心が出した方の足に移っていくようになる。そうすると、残したほうの足も自然に引っ張られて、2歩、3歩とフットワークをつなげるようになる(たぶん)。

【まとめ】
この練習法は私が自分でやってみてわりと効果があると感じたので紹介したが、私は指導者ではないので、他の人にも効果があるかどうか自信がない。
足がまったく動かない人がはじめから教科書通りに左右の足を連続して動そうとするから挫折するのである。そこでまず1歩だけでも動かす習慣を身に付ければ、あとは自然に2歩、3歩が踏み出せるのではないかというのが私の提案である。勉強でも仕事でも同じだが、まず第一歩が踏み出せれば、あとはおのずから「進歩」していくものである。しかし、その第一歩がなかなか踏み出せない。そこで中間フットワークである。「千里の道も一歩から」なのである。

トップ選手は相手のサービスを予測したうえでレシーブするのに対し、中級者は予測ができていない選手がほとんどである。「読み」がなく、相手のサービスを見て判断して返球するだけで、その結果、返球はできてもなかなか得点に結びつかない。サービスを出す時に相手のレシーブ、自分の3球目をイメージするのと同様に、レシーブでも相手のサービスを予測したうえで、得点までのラリー展開をイメージすることが大切だ。
「トップ選手に学ぶ 脱・中級のための”勝ちテク!!” 4」『卓球王国』2015-1

耳が痛い…。私も相手のサービスをどうやって返球すればいいかだけで頭がいっぱいで、その次の展開にまでは頭が回らない。それで、サービスはなんとか返球できても、その次に返ってきた4球目であたふたしてうまく攻撃に移れないことがしょっちゅうである。
レシーブ後の4球目以降の展開までいくつかのパターンを想定しながら相手の3球目に備えることが重要だというのは分かる。しかし、上級者は、2球目の前――つまりサービスにまで頭を回しているらしい。「相手のサービスを予測」ってなんだ?ラリーなら、こちらが打ったボールに対して次を予測することもある程度可能なのかもしれないが、サービスは前の文脈がない。相手の頭の中に、次にどんなサービスを出そうかという思想がまだ固まっているかどうかも分からないのに、それを予測しろだなんて無理な話に思える。
私は目先のレシーブだけで精一杯で、いつになっても全体の展開が見えない。どうしたらいいのだろうか。

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私は本――とりわけ物語を読むのが苦手だ(前記事「卓霊さま」)。しかし、アニメなら映像の美しさなども楽しめるので、リラックスしながらぼんやり観ることが多い。最近は制作されるアニメが多すぎて(年間に100作品以上あるらしい)、とてもすべては観られないのだが、1シーズンに1作品ぐらいは最後まで観るアニメがある。

アニメスタジオの舞台裏を舞台にした「Shirobako」は今季のアニメで出色の出来だと思う。観る側からすると、大量生産されるアニメに対して「しょーもない駄作ばかりだ」とか、勝手な批評をしてしまうのだが、作っている側にしてみれば、予算やスケジュール、仕事上の人間関係等の都合で、どうしても妥協しなければならない場面が訪れる。どんな「しょーもない」作品にも、多くの人の思いがこもっている。そこには数々のドラマがある。

新人アニメーターの安原絵麻は丁寧に描くことと、早く描くことの両立に悩んでいた。

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丁寧に描いているだけでは行き詰まると考え、早く描こうとするあまり、今までの丁寧さを犠牲にしてしまい、作画監督から、ダメ出しを食らってしまう。

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きっともう少ししたら安原さんもふつうにできるようになることなんだよ、
自分のあとの工程を考えて描くなんてことは。 


自分の仕事を否定されたエマは深刻な行き詰まりに陥る。
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そこを先輩の井口がフォローする。
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新人は先輩が描いた動きのパターンをつかんで、マネする。
自分なりの表現ってのはそれから。


wikipediaによると、設定では安原絵麻は動画担当を1年半務めて原画担当に昇格したばかりということである。アニメーターは動画から始めて1~3年で原画に昇格するらしい(「原画マンへの昇格」)。絵麻が「自分のあとの工程を考えて描く」ことができないのは、ひとえに動画担当の経験が乏しかったからなのではないだろうか。

原画というのはいわばマンガのコマに相当し、コマとコマの間をつなげてキャラクターを動かすのが動画である。原画の描いた絵に基いて動画が動きをつける。そういう工程にあって、絵麻は動画の人が動きをつけにくい雑な原画を描いてしまったため、作画監督からダメ出しをされてしまったのだ。絵麻は動画の人が喜ぶことや嫌がることがよく分かっていないのではないか。もっと動画担当としての経験が豊富だったならば、原画になってからも、どこで手が抜けるか、どこは譲れないかの判断がついたのだと思われる。

下積みの経験の乏しい二代目社長とか、英語学習の経験のないネイティブ英語教師が、平社員や学習者にムチャなノルマを課したりする場合があるのは、相手の気持ちがよく分からないからだと思われる。

仕事は自分一人ではなく、相手がいる場合が多いから、どうしても相手の気持ちがわからないと、周りから不満が出てうまく回らないものである。

卓球も相手がいるスポーツである。そうすると、相手の気持ちがどうなのかを推量できなければ、試合でうまくプレーできないだろう。私が予測ができないというのは、つまり相手の気持ちがわからないということである。相手の気持ちがわからないというのは、私が確固たる攻めのパターンを持っておらず、サービスを出した後、相手のレシーブを見て、行き当たりばったりに3球目攻撃をしているということに起因している。もし私が自分のサービスから3球目へどうつなげるかというパターンをいくつか持っていれば、その同じ思考を相手のサービスからの3球目にも重ねることができる。

「相手はフォア前のショートサービスから、フリックでこちらのバック側を狙い、そこから大きなラリーにつなげていくという展開を狙っているのではないか」

のように自分に確固たる攻めのパターンがあれば、自分が好きな展開を相手にも重ねることができる。自分がやりたいことは相手もやりたがっている。自分がやられたくないことは、相手もやられたくない。対人スポーツである以上、相手の気持ちを読むということが試合を有利に運ぶのに大きく影響する。予測というのは、つまりこういうことなのではないか。

私は予測というのを物理的に考えすぎていた。いわば「人間不在の予測」である。
サービスのコース
上の図のように自分のバッククロスに来たサービスはどうしてもストレートには打ちにくい。そこで返球は同じくバッククロスになりがちだ、といった物理的な打ちやすさ、打ちにくさから「予測」というものを考えようとしていたが、おそらく上級者の予測というのは、もっと心理的なものなのだろう。

「相手は台の中央寄りで待っているから、おそらくバックハンドからの攻撃が得意で、そこから攻撃の糸口をつかもうとしているのだろう。となると、次のサービスは…」

のように相手の心理状態を推し量ることから次の展開が予測できるのではないだろうか。

【まとめ】
中級者が上手に予測できないというのは、そもそも自分が確固たる攻撃パターンをもっておらず、相手がどう攻めようとしているか想像できないからだと思われる。とすると、予測の第一歩は、まず自分の攻撃パターンを確立し、そこから相手の心理をうかがうことにあるのではないだろうか。
また、自分と異なる戦型を自分で試してみることによって、粒高やカットマンが好きな展開、嫌いな展開が分かり、予測もやりやすくなるのかもしれない。

予測なんて私には無理だと諦めていたが、このように手順を踏んで相手の心理が推量できるようになったら、私もいつか予測が「ふつうにできるようになる」のではないか。

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