こんな動画を見た。
3:16と5:18のフットワーク、信じられない。
この人はなんでこんなに速く動けるのだろうか。バック面にラバーを貼っている意味がないではないか。
この選手は張超選手。国際大会にはあまり出ていないようだが、中国の一軍の選手に準ずる実力者のようである。
どちらのプレーもフォア側で強打した後に驚異的なスピードでバック側に移動している。私なら、フォア側で強打した時になんとなく達成感を感じてそのままボールの行方を見守ってしまうだろう。その結果戻りが遅くなって逆に攻め込まれてしまう。
戻りが遅い多くの場合、この心理状態が影響しているように思われてならない。
それは強打に限らず、通常の打球においても同様である。相手の強打をバックブロックで止めたとき、「やった…」という充実感に満たされてしまい、そこで以降のプレーを忘れてしまう。この傾向は自分にしては上出来のプレーをした後にやってくることが多い。
しかし、卓球では戻りの早さこそが安定性を左右する。上出来なプレーのあとこそ、すばやく戻らなければならない。
「戻る」にもいろいろある。さきほどの張超選手のようにフォアからバックに戻るのもあれば、スイングした後に基本姿勢に戻るというのもある。私が最近気づいた自分の悪い癖は前後の戻りの遅さ、あるいは後ろへの戻りを忘れてしまうことである。
最近ITTFのオフィシャルページにアップされていた1999年の世界選手権決勝の動画。劉国梁選手 対 馬琳選手の対戦を見て、興味深く思った。前陣でビシバシ連続強打する劉選手に対して馬選手はプッシュやドライブを駆使して対抗している。ほとんどの場合、劉選手が先手を取って攻め、それを馬選手が防ぐという展開が目立つ。フルセットデュースまでもつれ込む展開は見ごたえがある。
これを観て気づいたのだが、劉選手はラリーの序盤、強打で先手を取った後、常に半歩後退している(例えば9:00あたり~、14:00あたり~)。私だったら3球目でガーンと強打を決めたらその場所にとどまってしまうだろう。いや、むしろ少し前進しているかもしれない。というのは、以前の練習で、ドライブをバックで受けてもらったとき、相手にこんなことを言われたのだ。
ドライブを連続して打ちながらだんだん前に来ているみたいです。
だから安定しないんだと思いますよ。
私は好打したとき、充実感に満たされて、ついわずかに前進してしまう癖がついているらしい。前進しても、きちんと戻ればいいのだが、そういうときは夢中で強打しているので、半歩戻るということに思い至らない。
同様にカットマンと練習させてもらった時に「攻撃型の選手は、前後の動きにむとんちゃくな人が多いですよね。」と言われたこともあった。
そういえば、徒然草にそんなことが書いてあったと思いだして、調べてみた。表題は徒然草109段「高名の木登り」の話。弟子に木に登らせて、枝の剪定をさせているとき、師匠は何も言わなかったが、すべての仕事をつつがなく終え、降りる段になって「気をつけろ!」と注意したという。その理由が表題の言葉である。苦しく、難しい場面では人は精いっぱい緊張して、ミスをしないように気をつけているが、失敗はむしろ、その難しい場面がおわり、楽なところにさしかかったときに訪れるのだという。兼好はこの言葉に感心し、
あやしき下﨟なれども、聖人の戒めにかなへり。
鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。
とコメントし、スポーツ(蹴鞠)にも通じるものとしている。
人生にも通じる真理だと思うが、うまくいったときの、その直後の「戻り」が肝心なのである。
3:16と5:18のフットワーク、信じられない。
この人はなんでこんなに速く動けるのだろうか。バック面にラバーを貼っている意味がないではないか。
この選手は張超選手。国際大会にはあまり出ていないようだが、中国の一軍の選手に準ずる実力者のようである。
どちらのプレーもフォア側で強打した後に驚異的なスピードでバック側に移動している。私なら、フォア側で強打した時になんとなく達成感を感じてそのままボールの行方を見守ってしまうだろう。その結果戻りが遅くなって逆に攻め込まれてしまう。
戻りが遅い多くの場合、この心理状態が影響しているように思われてならない。
それは強打に限らず、通常の打球においても同様である。相手の強打をバックブロックで止めたとき、「やった…」という充実感に満たされてしまい、そこで以降のプレーを忘れてしまう。この傾向は自分にしては上出来のプレーをした後にやってくることが多い。
しかし、卓球では戻りの早さこそが安定性を左右する。上出来なプレーのあとこそ、すばやく戻らなければならない。
「戻る」にもいろいろある。さきほどの張超選手のようにフォアからバックに戻るのもあれば、スイングした後に基本姿勢に戻るというのもある。私が最近気づいた自分の悪い癖は前後の戻りの遅さ、あるいは後ろへの戻りを忘れてしまうことである。
最近ITTFのオフィシャルページにアップされていた1999年の世界選手権決勝の動画。劉国梁選手 対 馬琳選手の対戦を見て、興味深く思った。前陣でビシバシ連続強打する劉選手に対して馬選手はプッシュやドライブを駆使して対抗している。ほとんどの場合、劉選手が先手を取って攻め、それを馬選手が防ぐという展開が目立つ。フルセットデュースまでもつれ込む展開は見ごたえがある。
これを観て気づいたのだが、劉選手はラリーの序盤、強打で先手を取った後、常に半歩後退している(例えば9:00あたり~、14:00あたり~)。私だったら3球目でガーンと強打を決めたらその場所にとどまってしまうだろう。いや、むしろ少し前進しているかもしれない。というのは、以前の練習で、ドライブをバックで受けてもらったとき、相手にこんなことを言われたのだ。
ドライブを連続して打ちながらだんだん前に来ているみたいです。
だから安定しないんだと思いますよ。
私は好打したとき、充実感に満たされて、ついわずかに前進してしまう癖がついているらしい。前進しても、きちんと戻ればいいのだが、そういうときは夢中で強打しているので、半歩戻るということに思い至らない。
同様にカットマンと練習させてもらった時に「攻撃型の選手は、前後の動きにむとんちゃくな人が多いですよね。」と言われたこともあった。
そういえば、徒然草にそんなことが書いてあったと思いだして、調べてみた。表題は徒然草109段「高名の木登り」の話。弟子に木に登らせて、枝の剪定をさせているとき、師匠は何も言わなかったが、すべての仕事をつつがなく終え、降りる段になって「気をつけろ!」と注意したという。その理由が表題の言葉である。苦しく、難しい場面では人は精いっぱい緊張して、ミスをしないように気をつけているが、失敗はむしろ、その難しい場面がおわり、楽なところにさしかかったときに訪れるのだという。兼好はこの言葉に感心し、
あやしき下﨟なれども、聖人の戒めにかなへり。
鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。
とコメントし、スポーツ(蹴鞠)にも通じるものとしている。
人生にも通じる真理だと思うが、うまくいったときの、その直後の「戻り」が肝心なのである。