しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2013年10月

以前の記事で、私の卓球は、上半身からまず動かしてしまうクセが全ての元凶なのではないかという結論に達した(前記事「攻めさせてもらえない」)。

そこで、とにかく下半身からまず動かすことにした。
どうして私は下半身が動かないかというと、腕を伸ばせば届いてしまうからなのだ。だから、腕が伸びないようにすればいいのである。私がとった方法は、ヒジを直角に固定し、手首を使わず、腰の回転と肩だけで打球するという最小限のスイングである。イメージ的には下の画像のような感じである。

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前腕を前方に置き、上半身をややかぶせ気味に構える。すると、少しでも身体から離れたボールには、届かないので、まず足から動かさざるをえない。小さくチョコマカと動きながら小さいスイングでピシパシ打ってみる。オォ!なんだか急にフットワークが良くなった気がする。さらに動かせるのは肩だけなので、強く打とうと思ったら腰を使うしかない。

イメージというのはどんな行為においても大切だと思う。勉強などをするときでも、何もイメージせず漫然とやっているのは楽しくないし苦痛である。
そうではなく、薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて、海に向いた小洒落たカフェのテラスで「今、私は人類が到達した最も価値のある学問を学んでいるのだ!」とか「私は今、先人たちの遺した文化の継承に貢献している!」などと「脱俗的な自分」というのをイメージしながら勉強すると、勉強がとたんに楽しくなってくる。
同様に手首・ヒジ固定でキビキビと動きながら小さなスイングで卓球をしていると、「今、すがすがしい汗をかいている」「自分の身体を使いきっている!」という充実感に満たされてくる。

こうすることによって腰の使い方というのが少し分かってきた。「腰を使う」というのは腰をねじることとは違うらしい。かといって、上体を沈めて、斜めにスイングするのは軸がぶれてしまうので、連続攻撃がしにくくなる。どうすれば効果的に腰の運動と打球を連携させることができるかはまだ試行錯誤の段階だが、なんとなく効率のいい腰の使い方が意識できるようになってきた。

体全体で小さくスイングすれば、振り遅れることがほとんどない。今までは、速いボールが来て、あっ!ととっさに手を伸ばして振っていたために振り遅れてオーバーミスということが多かったのだが、この小さいスイングなら、間に合う。戻りが早い上に、ボールに身体をかぶせるように振れるので、足さえ間に合えば、ボールが安定して入る。

さらに1球ごとに適切な位置まで動くことによって、ボールがずいぶん打ちやすくなった気がする。ほんの10~20センチほど動くだけなのに、打ちやすさがずいぶん変わった気がする。本来、ボールはこのように打たなければならなかったのか。

まとめ
手首とヒジを固定することによって以下のメリットがある。

・足を動かさざるをえない
・振り遅れない(戻りが早い)
・体全体で打てる

今は我流でとにかく動くことを再優先しているが、これからはステップを効率化することにより、さらなるフットワークの向上が期待できるだろう。 

【付記】 
書き忘れていたが、この打ち方をするときは、下腹部に力を入れるとよりスイングが安定するように思う。 

私たちは何のためにスポーツをするのか。スポーツに何を求めているのか。そういうことが長い間、気になっている。生涯スポーツとして政府が国民にスポーツを奨励しているが、それは健康維持と文化的な生活を期待してのことだと思う。それはそれで大賛成なのだが、もう少し具体的に考えると、問題が起こってくる。成人を対象にした卓球クラブや卓球教室においてのことである。

たとえば、競技性と娯楽性のどちらを優先すべきかという問題である。ある程度までは両者は共存できるが、つきつめていくと、両者は矛盾する。公共の体育館や公民館を利用したクラブのようなところでは、こういう問題で常に摩擦が起こる。「クラブ」というのは「倶に楽しむ」という語に由来するので、勝利を目的とした「チーム」ではなく、楽しむことが原点だと思う。しかし、もし競技性を度外視するとしたら―言い換えれば上達という要素がなければ、楽しむという目的もおぼつかなくなる。

「勝つためには毎回練習に参加し、決められたメニューをこなすべきだ」
「卓球は『遊び』なんだから、気の向いた時だけ練習に参加したい」

この両者の対立はスポーツに何を求めるかという価値観の決定的な違いによって起こる。競技性を優先する人は、指導的立場の人の指示に従って、効率よく上達することを望むが、娯楽性を優先する人は人に指図されたがらず、自由に好きなように打ちたがるだろう。そういう価値観の異なる二人が打つことになった場合、どうなるのだろうか。

さらに深刻なのは交流という目的のために卓球をしている人と競技性を優先している人の対立である。前者は、いろいろな相手と打って、交流を深めたいと思うかもしれない。一方、競技性を目的にしている人は、下手な人と打っても練習にならないと相手を限定したがるだろう。いろいろな相手と打つというのは、一見オープンで理想的に見える。しかし性格やマナーの悪い人がメンバーにいて(たいていのクラブにはいる)、強制的に誰とでも打たなければならないということになると、交流を深めるどころか確執を深めることになってしまう。その「イヤな人」と打ちたくないばかりに、雰囲気がすごくなってしまったり、みんなが練習に参加しなくなったりしてクラブが崩壊してしまう。

こう考えると、スポーツの意義には競技性が深く関わっていると考えられる。競技性とどう折り合いを付けるかでより多くの人がスポーツを楽しめるかどうかが決まってくるのではないか。

スポーツは突き詰めると、「ルールの範囲内でどんな手段を使っても勝てばいい」というところまで行ってしまうらしい。
川谷茂樹氏の『スポーツ倫理学講義』(ナカニシヤ出版)という本を読んだのだが、そこには世間的な道徳―負傷している相手には、その負傷している部分を攻めないであげる、野球の強打者には敬遠などせず、真正面から勝負するといった道徳をスポーツに持ち込むべきではないという主張がある(このブログに概要が述べられている)。相手の弱点は徹底的に攻め、相手のアドバンテージは徹底的に封じるのが真のスポーツマンシップであり、最低限のスポーツマンシップというのは勝とうとする意志なのだという。

川谷氏の本はスポーツが成立するための最低限の条件をめぐる論考だが、私が知りたいのはそのような哲学的なスポーツの定義ではない。川谷氏はスポーツを通じて人間性を陶冶するというキレイゴトはスポーツの本義とは相容れないとするが、私は素朴にスポーツを通じて多くの人と知り合い、上達を通じて人生を豊かにしたいと思っている。この哲学的な結論と、私たちのような一般人のスポーツ観とをどのように結びつければいいのか。

増島みどり氏のブログに松下浩二氏とのインタビューが掲載されていた(「「卓球全日本 41歳の松下17歳上田に敗れて引退」ー特別インタビュー掲載」)。そこで松下氏は競技性を追求したプロの厳しさを述懐している。

自分がやろうとする卓球、得たいと思う技術、これらを身につけるために、相手との差を1ミリ単位で16年かけて埋めてきたプロ生活でした。酒もタバコも夜更かしもしない。全ての時間、行動をストイックに卓球に注ぎ込む。それが僕にとってのプロフェッショナルの定義でした。 

プロというのは好きなスポーツをやってお金がもらえる恵まれた職業だと思っていたが、そんなうまい話があるはずがない。自分の可能性、才能を100%発揮するために生活の隅々にまで気を遣い、その障害となるものはためらわず切り捨てていく。困難な相手に勝つために、八方塞がりの状況の中で、なんとか活路を見出そうと必死にあがく毎日。どうやっても勝てない、しかし勝たなければならない。これがどれほどのストレスか凡人の私には想像がつかない。競技性というものは、このように野放しにしてしまうと、常人にはついていけないところまで行ってしまう。どこかで制限をかけなければならない。

まとめ
考えがまとまらず、あまり「まとめ」にはなっていないのだが、スポーツにおける競技性の追求というのは限られたプロにだけ要求されるものであり、常人はどこかで競技性と折り合いを付けなければならない。しかしその折り合いの付け方をどうすればいいのか。競技性を組み入れつつも、礼儀や社会道徳を身につけ、困難を乗り越えることを通じて自らを高める生き方を学び、多くの人と交流し見識を広め、楽しく健康的に卓球をする。これを成人のクラブでどうやって実現すればいいのか、私には腹案がない。これから長い時間をかけて考えていきたいと思う。


 

最近、ロングサービスからの展開がおもしろい。
今まではできるだけミスせず、2球目でいきなり打たれないようなショートサービスばかり出していたのだが、最近ロングサービスがおもしろいと思うようになった。

ショートサービスのいいところは相手に強打されることのないことだが、その反面、甘いボールが返ってこない。短いストップや、切れた速いツッツキなどが返ってくる。その結果、こちらも3球目で優位に立てず、実力差がモロに出てしまう。
それに対してロングサービスは相手に決断を迫る。相手のバックサイドを切る、長い順横回転ロングサービスを出せば、相手はそれをツッツキなどで短く止めることは難しい。このサービスが切れている場合、私レベルのプレーヤーでは適切に返球するのが難しい。無難に短くツッツけない。どうしても台から出る長いレシーブになってしまう。こちらから打って出るか、はたまた相手のフォア側に長く厳しいレシーブをし、相手に打たせるかの決断を迫られることになる。打ちたくはないのだが、長く送ると相手が打つ気満々で待っているので送るわけにも行かず、やむを得ず打たされてミスばかりしてしまうのだ。「行くも地獄、戻るも地獄」とは正にこのようなことをいうのではないだろうか。

最善のレシーブはバックドライブでストレートに強打だろう。しかし切れた横回転をバックハンドでドライブするなんて危険すぎる。そこで軽く払ったり、角度をつけてフォアかミドル(回転の影響でたいていミドル)あたりに受け身のレシーブを送る。上手な人はそのへんで待っていて、一発で打ちぬかれてしまう。

こんな経験から、自分でもロングサービスを積極的に使ってみようと思うようになった。そして先日、上手な人のバックサイドから出す順横回転ロングサービスを観察していたのだが、私のと違う。私のサービスは台に対して90°横を向いて、身体の真正面で打球するのだが、上手な人は身体の真正面ではなく、やや右(つまり後ろ)で打球しているのだ。言葉では説明しにくいが、ギリギリ、ボディーハイドサービスにならないような、身体がインパクトを隠すような位置で、低い打点・やや後方から打っている。私も真似して後ろのほうから打ってみたのだが、速くて切れたサービスが打てた。後ろで打つと、スナップが効果的に使え、非常に切りやすい。しかも台の端から端まで使えるので、スピードがかなり乗ったサービスが出せる。このような速いサービスは回り込みにくく、相手にバックハンドでの難しい処理を迫ることになる。
あとは相手の長いレシーブに備えて、こちらはドライブで待っていればいいのだ。ただ、レシーブにも横回転が残っているので、こちらもそれほど打ちやすくはないのだが。

もう一つはバックサイドからのYGサービスである。ティモ・ボル選手が出しているようなやつだが、このサービスは相手のバック側の深い位置に、サイドライン沿いに速いサービスが打てるというメリットがある。これも相手は無難に短く止めにくいので、打たされることになる。



上の動画の3・4球目は下回転ぽく見せているが、上回転サービスではないだろうか。そして5球目は速いロングサービス。YGサービスはバックサイドから、長短、上下回転、フォア・バックと自在にサービスが出せる(下回転とフォアサイドに出すのは難しいが)ので、サービス時に足でダンッと踏み込んで打たれると心臓に悪い。突然速い横回転サービスが迫ってくるかと思ったら、短いサービスだったり、フォア側にストレートに速いサービスがきたりする。横上だろうと思って角度を合わせると、予想以上に上回転が強くて絶好のチャンスボールを提供してしまう。どっちにくるのか、長いのか短いのか、上回転なのか下回転なのか分からない。次第に相手の「ダンッ」に苦手意識が芽生え、つい受け身になってしまう。この手のサービスに不慣れな相手には絶大な効果をもたらす。通常は速くて長いサービスをバック側に送っておき、時々短いサービスやフォア寄りのサービスをまぜると、格上が甘いレシーブを連発してくれるのだ。先日、このサービスを上手な人(高校の県大会でベスト4か8ぐらい)に試してみたのだが、全部フォアハンドで強打されて打ちぬかれてしまったorz。

「上・横回転だったら、全部打っちゃいますよ~ :-) 」
「そのサーブ出すなら、そちらのバックサイドからこちらのバックサイドのネット寄りに直線的に出されると、ちょっと打ちにくいかも」
「バックサイドに立たず、ミドルに立って、フォアに出したらどうですか?」

とのことだった。上手な人には回転がバレバレなので、絶好のチャンスボールになってしまい、要注意だ。

まとめ
ともあれ、ロングサービスからの展開はおもしろい。最近私がロングサービスを使うようになって、びっくりしたことがある。実力は以前と変わらないのに、サービスだけで格上相手に割と善戦できるようになったことである。上手になったわけではないのだが、自分が打ちに行けるボールが増えたように感じるのだ。サービスを替えただけでプレー全体が変わってくるなんておもしろい。内向的な女性が髪型やファッションを変えたら、性格まで変わってきたというのに似ている。
中級者が上級者相手に無難なショートサービスばかり出していては、ジリ貧である。ショートサービスばかり出している人は、一度ロングサービスからの展開を考えてみてはどうだろうか。

上手な人と試合をすると、こちらから攻められる気がせず、一方的に攻められてしまう。
まず、サービスがどちらに来るか分からず、 フォア前の短いサービスとバックへの深いサービスに翻弄されて、2球目で優位に立てず、結局無難なツッツキで返す。すると、相手は待ってましたとばかりに3球目攻撃、あるいはフリック・チキータなどで攻撃してくる。
反対にこちらがサービスを持っているときは、長いサービスなら2球目から攻撃されるし、短いサービスでもフリックや鋭いツッツキで、攻撃させてもらえない。
こちらは防戦一方で、試合は相手が完全に主導権を握っており、相手のやりたいように進んでいく。いわゆる「手も足も出ない」「自分の卓球をさせてもらえない」という状態である。

下手な人とやるときは、こちらもいくらか攻めるチャンスがあるのだが、上手な人はこちらに全く攻めさせてくれない。これは一体どういうことなのだろうか。

そういうことを指導者に相談したところ、対応が遅いからだと言われた。
つまり、 相手がサービスやレシーブに入る体勢をよく観察し、相手が打ってから反応するのではなく、打つ寸前に反応して適切な位置に移動し、迎撃の体勢を整えておかなければこちらから攻めるチャンスは巡ってこないのだという。相手のインパクトが終わってから動くのでは遅い。それではボールが突然目の前に迫ってくるように感じられて、とても攻めに転じられない。そうではなく、インパクトの前に動かなければならないというのだ(前記事「丹羽孝希選手のトコトコ」)。そのような予測能力だけでなく、自分の打球後の戻りの早さも迎撃態勢に大きく影響する。

xia氏の卓球理論(「読むだけで強くなってしまう卓球理論」)にあるように、コースを決めての3球目攻撃なら、ミスが少ない人でも、コースを限定しない―言い換えればどこにボールが来るか分からない3球目攻撃では成功率が半分以下に落ちてしまうのは、つまるところ、間に合っていないのだ。

これは卓球の根幹に関わる真理ではないだろうか。スイングも理想的で、すさまじい威力のドライブを持っていても、それを発揮できる体勢が整っていなければ、それらは無用の長物ということになる。途上国に最新の工場を建設しても、電力・道路・港湾といったインフラが十分整備されていなければ、機能しない。となると、私がまず取り組むべきは、スイングの軌道云々よりも、ボールに対して素早く準備できる体勢を整える訓練なのではないだろうか。卓球ではボールを打つ瞬間よりも、ボールを打つ前にどれだけ時間をとれるか―いいかえれば、スイングのスタートの早さほうが重要なのかもしれない(前記事「卓球の基本」)。迷いなく自分のスイングをスタートさせるためには、素早く基本姿勢に戻り、相手のボールが次にどこに来るかを素早く適切に判断し、そこに素早く移動して、どのようなボールを打つべきか素早く判断を下さなければならない。

そうだとすると、自分の戻りを早くして、相手のスイングや体勢から、どんなボールがどのへんにくるかを予測する能力、そのボールを万全な体勢で迎え撃つためのフットワークを改善する等の「インフラ整備」のほうが、スイングの改善よりも優先されるのである。

どうしてこのような大切なことが卓球書ではほとんど触れられていないのか。個々の技術、フォアハンドの打ち方だの、フットワークの動き方だの、そういう技術を習得しても、それを使うべき体勢の作り方を教えてくれないと、練習の成果が試合でまったく生かせず、上述の「手も足も出ない」「卓球をさせてもらえない」状態になってしまう。

「最高の技術」よりも、まず「インフラ整備」を!

中高年プレーヤーの肉体的な衰えとして「目がついていかない」というのもよく聞くが、「足が動かない」「足が出ない」という人が最も多いのではあるまいか。私もついそんなことをグチってしまうが、中高年になると足が動かなくなるというのは果たして本当だろうか。「もう中年だから足が動かなくてね」なんていう人は、若い頃はキビキビと動いていたのだろうか。私もときどき「足が動かない」と嘆いたりするが、よく考えてみたら、若い頃からそんなにキビキビと動くタイプではなかった。

「足が動く」というのは、バック側に大きく回りこむことを指すのだろうか。そういう大きく早く動くのは中高年には厳しいかもしれないが、小さく早く動くことは十分可能だと思う。
コートの左角に対角線に向かって構えたとき、ちょうど中央のラインのあたりにボールが来たとき、私は腕を伸ばしてボールを打つ。腕が長い私はその程度の距離なら届いてしまうのだ。それで動かずにボールが打てる。しかし、最近それは違うのではないかと思うようになった。横着して腕を伸ばして打つと、体の軸がブレ、そのため次のボールに対応できなくなる。上手な人は、腕を伸ばせば届くような距離でも小さく一歩踏み出して打っているような気がする。

フットワークには大きいフットワークと小さいフットワークがあると思う。そして私たちが「足が動かない」というときは大きいフットワークを指しているように感じる。しかし大きいフットワークは高度なラリーには必要だが、中級者の卓球にはそれほど必要がないような気がする。むしろ、短いボールには小さく前に一歩を踏み出し、深いボールには小さく後ろに一歩踏み出すといった小さいフットワークが決定的に欠けているように感じる。

この小さいフットワークを意識しだしてから、私の足は「動く」ようになってきた。小さくキビキビと動くことによって振り遅れることが少なくなったし、体のバランスが崩れにくくなった。間に合わない時もあるのだが、それでも卓球をしているという充実感を味わうことができる。

思うに、足が動かない人は、まず上半身から動かそうというクセが付いているのではないだろうか。すべて私の個人的な経験を基にしているので、あまり説得力がないが、私はボールが来たと思ったら、まず腕から動いてしまう。そうではなく、まず足から動き、次に上半身を動かすようにしたら、卓球がかなり変わってくると思われる。

小さいフットワーク、この効果は意外に大きいものである。 「ぴょんぴょん」と併用すれば、さらなる効果が見込まれるだろう。

高級ラケット初体験という題名だが、本当はエバンホルツとか、劉詩文とか、アコースティックとか、ちょっと試打したことはある。ただそれは数分に過ぎなかったので、今回のように購入して数時間使ってみるのは「初体験」である。

以前、ラケットをとっかえひっかえ買い換えるのではなく、一つの高級ラケットを長く使おうと決心した(「ラケットの品質」)。それでナケナシのヘソクリから2万ほど捻出したのだが、、ラケットに1万以上もかけるのは本当に意味があるのだろうか?定価5000円と1万円のラケットは違いがあると思うが、定価1万のラケットと、2万弱のラケットに価格に見合うだけの性能差があるのだろうか。ここまで高価格になってくると、単に好みの問題なのではないだろうか…。さまざまな思いが脳裏をよぎったが、ともあれ今回はケチらず、本当に気に入ったものを買おうと決心した。
予算が2万近くあると、よりどりみどりである。最近は中ペンを使っているので、中ペンの高級ラケットのなかで以下の候補を考えた。

スティガのインテンシティカーボン 中国式
バタフライのインナーフォースZLC-CS
ニッタクのアコースティック 中国式
ヤサカのギャラクシャカーボン 中国式

結局選んだのはバタフライの中ペンラケットの最高峰インナーフォースZLC-CSである。

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実売15000円前後もする超高級ラケット。ブレードサイズが158☓150ミリとちょっと縦が短いのが気に入らないが、グリップのカラーリングやデザインもカッコイイし、バタフライというブランドの信頼性もある。
インテンシティ―はちょっと打たせてもらったら、打った感じが軽く(ポコンといった打球感)、あまり気に入らなかった。貼ってあったラバーが薄かったのかもしれないが。
アコースティックの中国式もほしかったが、10/20の発売日まで待ちきれなかった。

ラケットのレビューというのは私程度の実力では力不足である。それでインプレッションである。使い込んだ末の評価ではない。第一印象といった程度の評価である。

グリップ
驚くほど手にフィットする。私はかなり手が大きい方だが、吸い付くように手に合う。握った時点で早くも高級感が漂い始めている。

素振りをしてみた感じ
ずっしり重く、中身が詰まっている感じ。ラバーはうちに余っていたF:ラウンデル(厚)、B:V>01(特厚)を貼ってみた。ラバーを含めた重量は180g弱あった。ラケット単体の重量は測っていない。

削ってみると
カーボンで黒ずんでくる。カーボンって炭なんだなぁと気づかされた。

打った感じ
よく飛ぶが、飛び過ぎない。ちょっと重いが、とてもいい。不思議なのだが、よく弾むけれど、オーバーミスが少ない。自分の思った通りのボールが打てる。それだけでなく、想像以上のボールも打てる。他のラケットならミスしているだろうボールも入ってしまう。
たとえば、バックのブロックをしたとき、押しが弱すぎて「あっネットにかかった」と思ったボールも入ってしまう。当てただけでボールが入ってしまう。相手がスマッシュしてきたボールを中陣からドライブしても入ってしまう。ふだんの私なら絶対入らないボールである。ドライブをかけたとき、打った瞬間、「あっオーバーしたか?」と思ったボールがネット近くのはるかに浅い位置に入っていた。なんなんだこれは?もはや魔法である。以前、「テンションラバーの不思議」でテナジーのインチキ的な使いやすさに言及したが、このラケットもインチキ的に性能が高い。速いボールが打てるというより、速いボールが入ってしまうところがインチキである。さすが入門者向けラケットの3倍以上の定価だけのことはある。
ただ、よく言われるように基本を習得するには弾まないラケットと非テンションラバーがいいのかもしれない(前記事「弾まないラケット」)。インナーフォースを使うと、まちがった打ち方でも入ってしまうので、長い目で見ると上達を妨げるような気もする。

もっといろいろな比較やコメントができればいいのだが、私には大雑把な感想しか言えない。より詳細な評価はもっと上手な人のレビューを参考にしてほしい(前記事「打球感の変貌」)。 

【追記】 131003
プッチンプリンに醤油をかけると、ウニの味に、きゅうりにハチミツをかけるとメロンの味になるという。
同じようにドライブキラーにテナジー64でインナーフォースの打球感とかにならないものだろうか。
そんなことが気になって仕方がない今日このごろ。 

【追記】 131005
やっぱりインナーフォースは私には重すぎる。せっかく買ったけれど、もっと軽い製品を探そうと決心した。私がいつの日か上級者になったとき、このラケットがきっと役に立つはずだ。 

【追記】 140105
自信がないのであまり人には知らせたくないのだが、「バンブーショット」+「V>01」で「ウニの味」に感じられた。

【追記】 140217
感覚的に喩えれば、5枚合板の打球感が「マリービスケット」の歯ごたえだとすると、インナーフォースZLCの打球感はアーモンドの歯ごたえに感じられる。 

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