しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2013年09月

タイトルは私が好きな言葉。訓読すれば、「これを毫釐(ごうり)に失すれば、差(たが)うに千里を以てす」となる。訓み習わしとはいえ、この訓読は分かりにくい。簡単に「毫釐を失すれば、千里を差う」と訓めば分かりやすいのにと思う。

中国古典名言.com というサイトによれば、

毫釐とは、ほんのわずかなこと。最初は小さな違いであっても、最後には大きな差になる。大きな誤りもわずかなことが原因で起きるという意味。

とある。

小さな間違いや癖が後に大きな欠陥につながるというのはあらゆる営みに通じる普遍性があるように思う。「帰宅したら、まず宿題を済ませる」という習慣を身につけなかったばっかりに大人になってから大いに苦労するというのはその典型だろう。

卓球でも同様である。「小さな違い」にはさしてプレーに影響しないものと、致命的なものの二つがあるように思う。以下に私が長い間、間違っていたことで、致命的だったと思われることを紹介したいと思う。

一つはフットワークである。フットワークが素早い人というのは、どうやら上半身の中心軸を使った回転運動と下半身のステップを連動させているらしいのだ。
私の以前のイメージは、まず足を素早く移動させてから、上半身をひねり打球し、素早く戻してから、また足を一歩踏み出すという動き方だったのだが、それだと、「足を踏み出す」と「スイングする」が別々の運動になってしまい、時間と力のロスが大きい。そうではなく、上半身をグルっと回したついでに―フォアハンドを振ったなら、右足を、バックハンドを振ったなら左足を踏み出して移動すると、素早く楽に移動できるのだ。

たとえば、
フォア→フォアへの移動:左足を軸にして、フォアを振り終わった時には、すでに右足を踏み出している
バック→バックへの移動:右足を軸にして、バックを振り終わった時には、すでに左足を踏み出している(回りこみに有効)

こういう身体の使い方が自然に身についている人はそれほど多くないと思う。きちんとした指導者に就いて矯正してもらわないと、なかなか身につかない。 卓球歴が数十年あってもこういう身体の使い方は独学ではいつまで経っても身につかないのではないだろうか。そしてこのような上半身と連動させた下半身の動きができていないと、フットワークが大きく遅れ、身体の軸がブレる。

もう一つは打球における、押さない打ち方である。表ソフトの場合は別だと思うが、裏ソフトの一般的な攻撃型プレーヤーの場合は、ボールをラケットに「当てないで」打ったほうが安定して鋭いボールが打てる。ラケットがボールに当たるとき、ブレードを伏せぎみにして、スイングの頂点付近でこするように打つとボールを押す力が抑えられ、摩擦でボールを飛ばすことができるのだという。

スイング時の身体の上下運動や中心軸の傾き、腰の使い方等、致命的な「小さな違い」は他にもいくつもあるが、とりあえず、最近気をつけて矯正しているのは上の2点である。このような基本が身につけば、速いボールを打つとか、回転のかかったボールを打つといったことは容易にできるようになるのではないだろうか。最も気づきにくく、修正しにくい欠陥というのを集中して改善するというのが、遠回りに見えて、一番効率よく上達する秘訣なのではあるまいか。

基本の大切さに小中学生のころに気づいていたら、おそらく上級者になれたのだろう。残念ながら私はこの年にしてようやくそれに気づいたが、それに気づかずに卓球人生を終えるのに比べれば、はるかにマシだったと思う。中学の部活のころのように好きなだけ思う存分練習できる環境にはないが、それでも今の私の卓球ライフは基本の習得というゴール(あるいはスタート)に向かって充実している。


有機溶剤は試合で使ってはいけません。安易に使用すると、人間性を疑われかねないので注意しましょう。

今日は9月29日。
クッツクという語呂合わせから、今日は「接着の日」ということらしい。そこで接着剤のお話。

先月、中国に一時帰国する人(非卓球人)に卓球関係の買い物を頼んだ。
中国卓球事情にまぁまぁ詳しい人によると、ラケットやラバーはちゃんとしたものを買うと、日本で買うのとそれほど差はなく、うまみがないというので、結局接着剤を頼むことにした。 接着剤の値段というのもバカにならない。
FZ100
上のファインジップ100が2000円弱。

今、話題のクイック&イージー950mlで8000円弱。
qe
しょっちゅうラバーを張り替える私としては、1Lあると心強い。しかし8000円といえば、良いラケットか、ラバー2枚は買えるではないか。それが中国なら1L近い接着剤が1000円ぐらいで買えるとしたら、お得ではないか。

それで買ってきてくれたものがこれである。

SN3B0613


”Professional table tennis adhesive”と書いてある。”adhesive”というのは「接着剤」の意らしい。
裏を見ると、

Usage
evenly glue on sponge 3-5 times and on racket once.
naturally dried and then adhibit.
the effect last for 1-2 hours.

SN3B0614


"adhibit" はおそらくラバーとブレードを貼り付ける意だろう。
ただ、最後の一文「効果は1~2時間持続する(ここは "last" ではなくて "lasts" では?)」というのは尋常な接着剤じゃない気がする。成分をみると、天然ゴムと「高純度有机溶剤」とある。
不審に思ってその中国の方に「これは接着剤じゃないんじゃないですか?」と尋ねると、「スポーツ店で卓球コーナーに行って、粘着剤をくださいと言ったら、これを勧められた」というのだ。中国ではこれが普通の「接着剤」ということだろうか。もしかしたら、これが噂の補助剤だろうか?値段は250mlで1000円未満だという。

実際にラバーに貼ってみた。補助剤というのは、「補助」というのだから、おそらく接着剤に混ぜて使うのだろう。しかし、これはそれ自体で接着力があり、昔の接着剤のような感じだった。白濁液ではなく、半透明なシャバシャバした液体。

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補助剤というのは有機溶剤の検査に引っかからないからこそ問題視されているのだから、これは補助剤ではなく、単なる(旧基準の)接着剤かと思われる。

ギリギリラバー全体に行き渡る程度に軽く塗ったところ。少し反っている。キョウヒョウ3にベットリ塗ってみたが、そちらはもっとハデに反っていた。

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SN3B0617

接着後、軽く球撞きをしてみたのだが、言われてみれば少し弾むようになったかもしれない。キョウヒョウ3のほうはベッタリ塗ったので、かなり弾みが増していた。数字で違いを表せれば一番いいのだが、それもできないので、感覚的な印象になってしまうが、1.5倍ぐらい弾むようになった気がする。しかし、弾む用具を使うとスピードが出すぎて、ミスを連発するわ、相手がとれず、ラリーが続かないわで、あまりメリットがないので話のネタに使う程度にとどめておこうと思う。

ファインジップ100が2000円ほどと考えると、この違法接着剤は250mlで1000円弱なので、お得感はあるかなと思う。ただ、ゴムのりと比べると、値段にそれほど違いがない(「卓球用具代用考―グルー」)ので、お得感は薄い。

【追記】130930
バタフライの新製品「フリー・チャック2-L」というのが100mlで定価1575円とのことである。実売価格は1300円ほどかと思われるが、ファインジップの定価が100mlで2205円というのに比べると、かなり安くなっている。この調子で接着剤の低価格化が進んでくれたらいいと思う。

【追記】 131104
水谷選手の補助剤に対する思いが以下のページに綴られている。
Number 815号
この記事を読むと、補助剤の問題がいかに深刻かが分かる。私は今回、旧式の違法接着剤を1回塗布したのみだが、それでも弾みが増した気がする。これを数回塗ったらどれだけ弾みが変わるのだろうか。

補助剤を塗った選手との試合を100m走にたとえれば、スタートラインの10m先に相手のスターティングブロックが設置されているようなものなんです。

世界トップレベルでは、それほど試合に大きな影響が出るとは…。そのような補助剤が横行する中で、世界ランキング一桁を維持していた水谷選手の実力というのは底知れない。もしラバーの弾性を制限するようなルールが成立すれば、水谷選手は世界チャンピオンも夢じゃないのではないか。

【追記】131201
中国人の、卓球事情に詳しい人によると、「中国の卓球用具はすべて日本より高い」そうなので、日本で買ったほうが安いとのこと。 「中国の卓球用具」が何を指すのかあいまいだが、中国で打っている日本製の卓球用具という意味か、あるいは中国で売っている日本製と同程度の品質の用具という意味かと思われる。ムリに中国で買う必要はないようだ。

うちに子供が工作の時間に作ったペン立てがあった。

SN3B0609

これがなかなかやっかいなもので、肉厚なため、容積が小さく、とんでもなく重い。紙コップのほうがはるかに使い勝手がいい。しかもデザイン的にも、スタイル的にも美しくない。しかし、子供の作ったものなので、捨てるわけにもいかず、持て余していたところ、非常に有意義な使い方を思いついた。

SN3B0608

ラケットコート(といっても、100均で売っていた水性ニスだが)を塗布して、乾燥するまで挿しておく土台として最適だったのである。口が小さいので、ラケットが倒れない。しかも無意味に重量があるので、安定性抜群である。

SN3B0610

さらにこうすれば、まさにペン立てになる。

世間では接着剤やラケットコートを塗ったラケットをどうしているのだろうか。接着剤なら片面ずつ塗って放置しておくのもわかるが、ラケットコートの場合は片面ずつ塗って乾かすのはシンキクサイ(関西弁)。このような用途のグッズが各社から発売されていないのは意外である。「のばしっこ」のような、わざわざ買わなくてもいい(ラバークリーナーを転がして使えばよい)ようなものまで製品化している卓球メーカーなら、このような「ペン立て」を製品化してもよさそうなものだが。
nobasikko

うちにある不要になったものがリユースとして、有効に使われるというのはとても気分のいいものである。ただし、この「ペン立て」は相当重量があり、安定していないと役に立たないので、一般的なペン立てでそのまま代用することは難しいだろう。



 

相変わらず、あれこれ手持ちのラケットやラバーを変えて試しているのだが、ラケットの性能とか、打球感というのは、私のようなレベルのプレーヤーには容易に判断を下しかねる奥深さがあると感じる。

ずいぶん昔にちょっと使ってそのまま御蔵入りとなったニッタク(というか、紅双喜)のワンハオというラケット―ブレードがデカくて、あまり弾まない―それを久しぶりに使ってみたら、以前とまったく違う印象を受けた。以前使ったときは、安っぽい、カポーンという打球感のラケットで、あまりいい印象を持っていなかったのだが、今回使ってみたら、中身スカスカの打球感が影を潜め―言葉ではうまく表現できないのだが―落ち着くというか、地味にしっくりくる打球感に変わっていた。一体何があったのか。思い当たることは、私のスイングが変わったことと、ラバーを替えたことだ。

以前は硬いラバーを貼って、ドライブでもなんでも、我流の打ち方で、ガツーンとラケットを派手にボールに当てて打っていたのだが、最近は柔らかいラバーに替えて、教室で指導を受けながら―これもうまく言葉で表現できないのだが―ブレードを伏せ気味にして淡白に、舐めるようにボールにぶつけるようにして打っている。また、打球点も早めにして打つように変わってきている。そうすると、上述したように打球感がかなり変わって感じられるようになったのだ。

ラケットの開発者(試打をして、打球感や性能の調整をする人)は、もちろんその道のプロなのだから、私など及びもつかないほどの熟慮をめぐらしてラケットの調整をしていることだろう。そしてそのラケットには開発者が想定している理想の打ち方というのがあるはずだ。どんなスイング、どんな打点でも同じように良いボールが打てる万能ラケットというのがあれば、それが理想だろうが、おそらくそうではないだろう。開発者の打ち方と同じ打ち方で打ってはじめて最も良いボールが打てるように設計されているにちがいない。また、ラケット開発者はたいてい全国レベルの選手だと思われるが、そういう人たちが受けているボールとかけ離れた、初中級者の打つスピードの遅いボールでは、そのラケットの本来の性能がまったく発揮できないのではないか。
ということは、開発者の想定していない打ち方・ボールでは、そのラケットの長所が引き出せないどころか、逆に想定外の短所が目立つことになってしまう。以前、WRMの王道04というラケットについて感想を書いてみた(「WRM ぐっちぃ氏の功績」)が、残念ながら私の求めていたラケットではなかったという結論だった。しかし、あれもWRMの開発者が想定している打ち方・ボールとは別の打ち方をしていたために王道04が本来の性能を発揮できなかっただけなのかもしれない。このように考えると、あるラケットに対していろいろな人がレビューなり、インプレッションなりを書いているが、そのレポーターの打っているボールの球質や打ち方がどんなものかを具体的に示してくれない限り、あまり当てにならない評価ということになる。

このように考えるようになってから、私は「このラケットに最適の打ち方、開発者が想定した打ち方はどんな打ち方なのだろうか」と考えながら打つようになった。私が「ダメラケット」として放り出してしまったラケットは、実は単に私が見それていただけで、私はその性能の半分も引き出せていないのかもしれない。

まとめ
以前「ラケットの品質」にも書いたが、ラケットに対する評価というのは、ラケットの個体差ということも考慮しなければならないと思われる(さらに人気のあるラケットなら、たくさん製造する過程で仕様変更があるということも考えられる)。また上述のように使用者のレベルや打ち方によってもかなり印象が変わってくるので、実際に使ってみないと分からない部分が多いのではないか。



 

宋恵佳選手は女子選手には珍しいペンホルダーの選手として注目されている。
itTVのベラルーシオープン、U21決勝での彼女のプレーを観ていると、ずっとぴょんぴょん跳ねて、体でリズムをとっているのに気づいた。
http://www.ittf.com/ittv/

ベラルーシオープンのyoutube動画がないので、代わりに台北ジュニアオープン決勝(対 鈴木李茄選手)の動画を貼っておく。



リズムについては以前も取り上げた(「リズムのとりかた」)が、あれは言葉でリズムを整える、心理的な方法だった。今回はカカトやヒザを使った身体的なリズムの取り方である。今まで、こういうリズムの取り方を意識したことがなかったが、意外に効果があるのではないだろうか。
まず、足がすんなり出るようになる気がする。「あの程度の距離なら、腕を伸ばせば届くかな」といって横着していたボールを「まぁ、動いてるし、ついでにちょっとそこまで移動するか」という気分になる。また、ぴょんぴょんによって重心移動が手軽にできるようになり、ちょっとした打球でも体重をかけて打つことができるような気がする。また相手によってぴょんぴょんのピッチを変えたら、早いピッチのラリーや遅いピッチのラリーにタイミングを合わせやすくなるような気がする。

宋選手にかぎらず、女子選手の多くはラリー中、軽くぴょんぴょん跳ねている。しかし、私は宋選手が最も躍動感のあるぴょんぴょんの使い手だとにらんでいる。そういえば、以前ARP理論について紹介した(「ARP理論―新しい卓球のかたち?」)が、ここでも踵でリズムをとることを推奨していた。ぴょんぴょんには何か真理が隠されているのかもしれない。
男子選手でぴょんぴょんしている選手は多くないので、ちょっと恥ずかしいが、早速これから取り入れてみようと思う。
 

NHKで松平健太選手のドキュメンタリーを観た。
健太選手のプレーに対する考え方やこだわりなどが分かり非常に興味深かった。
健太選手は、体力的に優位な相手に勝つためには、自分が動きまわって攻撃するよりも、ブロックで相手を振り回すほうが有効だということに幼いころから気づいており、「守りは攻め」というのが健太選手の持論なのだという。

これで思い出したのだが、以前、TAKZINEというWRMのPR誌の中で、やっすん氏の紹介とブロックの特集があった。そこに驚くべきことが書いてあったのだ。曰く、

中級者まではブロックを磨きさえすれば勝てる

というのだ。その理由として、攻撃型選手として、積極的に攻撃するためにはどこに打たれても対応できるフットワーク練習、連続攻撃してもブレない体幹を築く必要があるが、この技術を身につけるのはかなりの困難が伴う。毎日部活のある中高生ならともかく、週に1~2回しか練習できない中年プレーヤーにはハードルが高すぎる。
バックに回りこんでフォアで打ってから、すぐにフォア側に動くステップというのを教えてもらったことがあるが、あんなのは私には無理だ。複雑すぎていつも足がもつれてしまう。あれはもはやダンスの域に達している。
それに比べてブロックはほとんど足を動かす必要はないし、こちらがうまく誘導すれば、次に来るコースも限定できるし、相手を右に左に振り回すのは優越感を満足させてくれる。さらに練習相手にも好かれる。バシバシ打ちたいという人はたくさんいるので、ブロックで受けてくれる人はありがたい存在なのだ。

もちろん、普通のブロックだけでは勝てない場合もあるので、変化ブロック等、攻撃的なブロックを身につけなければならない。TAKZINEの特集には効果的なブロックがいろいろ紹介してあった。

ブロックの練習というのは、相手にフォアドライブ等を練習させてあげているという認識だったが、これからはブロック練習それ自体が楽しみになりそうだ。

【付記】
ドライブ主体の卓球が空手だとすれば、ブロック主体の卓球は、相手の力を利用する合気道みたいなものかな、と思った。では、柔道は?カット主体の卓球だろうか。 

【追記】 130922
現在、神戸で女子ワールドカップが開催中である。
香港の姜華珺選手と平野早矢香選手の試合を見たが、姜選手(確かバック表ソフト)のような プレーがブロック主体の卓球というのだろうか。平野選手を右に左に揺さぶっている。高度すぎて私にはできそうにないが。


 

最近の私の関心事はペンホルダーの裏側の指の配置についてである。

卓球入門書でペンホルダーの「正しい」グリップが紹介されているが、裏側の指の配置はだいたいこんな感じではないだろうか。

 SN3B0342_0001

次のようなグリップは「悪い」グリップである。
 SN3B0343_0001

こんなに指をベタッと開いて握ると、フォアハンドは打ちやすいが、バックハンドはからきしダメということになる。バックショートをしようとすると、表面がせいぜい90°ぐらいの角度までしかかぶせられない。しかし、表面バックハンドはツッツキ限定で、あとはすべて裏面バックハンドで処理するとしたらどうだろうか。つまりワンハオスタイルのペンホルダーである。

さらに表面の親指も少し深くして、こんなふうに握ったらどうだろうか。

SN3B0604

そうすると、人差し指がほとんど使われなくなる。人差し指は添えるだけ…。

イメージ的にはこうである。

uchiwa
 
「焼き鳥を焼く団扇グリップ」という名前は冗長なので、忍者のクナイの持ち方というイメージで「クナイ持ち」と命名する。

images

この持ち方のメリットは以下の点である。
フォアハンド
・「正しい」グリップに比べて、ホールド感が強く、力が入る。
・カーブドライブの角度が作りやすい。
・シュートドライブの角度が作りやすい。
・ツッツキがヘッドから入りやすく、ボールを切りやすい。アイスピックで氷を砕いているイメージ。
・ボールを乗せながらのフリックがしやすい

バックハンド(裏面)
・もろ、フリスビーを飛ばす感じで非常に安定する。
・ボールを乗せながらのフリックがしやすい

デメリットとしては
・表面バックハンドが使えない。

驚いたことに、表面バックハンドを犠牲にすれば、私にとっては欠点らしい欠点がないのだ。
逆に忍者がクナイを卓球の「正しい」ペンホルダーのグリップで握って戦ったとしたら、攻撃力がかなり落ちると思われる。それほどクナイ持ちは力を入れやすいグリップである。
中国ラバーは硬すぎてインパクトが強くないと使いこなせないというが、クナイ持ちなら、力が入りやすいので、ガーンと当ててラバーに食い込ませやすいのではないだろうか。
ペンホルダーの正しいグリップはラケットの細かい操作や手首を使ってサービスをするときにメリットを発揮すると思われる。が、それほど微妙な操作が私の卓球に必要だとも思えない。それよりは面が安定し、力の入れやすいクナイ持ちのほうがメリットが多いと思われる。表面を捨てれば、より効率のいいグリップが手に入るのではないだろうか。

なぜ多くのペンホルダーは表面を捨てないのだろうか。私はにわかペンホルダーなので、表面のバックショートができない。したがって表面バックハンドのメリットがあまりよく分からない。裏面を使えば全て事足りると思う。実際ワンハオはそうして長い間世界のトップレベルで戦えている。ペンホルダーにとって表面は基本という固定観念があるからだろうか。よくわからない。

どうしてこんな、いいことずくめのグリップが普及しないのだろうか。このグリップの優位性に今まで誰も気づかなかったとは思えない。おそらく何らかの重大な欠点があるためにこのグリップは普及していないのだと思われる。現に今まで裏側の指をベタッと広げた選手を見たことがない。表面を使わないワンハオもこのグリップを採用していない。このクナイ持ちをしているのは初心者・初級者に限られる。
世間の上手な選手はこんなグリップを試していたら、指導者にこっぴどく叱られてしまうことだろう。しかし、私は変なことを試してみるのが好きなので、このグリップをしばらく試してみようと思う。

【追記】130920
今日、久しぶりに卓球をして、このクナイ持ちを試してみたところ、フォアが打ちにくかった。シュートドライブでボールをこすりにくい。前の使いやすさは何だったんだ。というわけでまた普通の「正しい」グリップに戻してしまった。 

青春18きっぷが余っていたので、京都最北端の京丹後市に電車で行ってきた。
時刻表で調べたところ、うちから4時間ほどで京丹後市の西端に行けることが分かった。
6時ごろ、京都を出発し、山陰線で兵庫県の豊岡まで行き、そこから第三セクターのKTR(北近畿丹後鉄道)に乗って網野まで行き、京都の最北端の海岸をバスに揺られて観光しようというのがおおまかな計画だった。

JRは問題なかったのだが、KTRのほうが雨だか事故だかで予定していた電車が運休になってしまった。
ただでさえ1時間に1本しか出ていないので、ある駅で2時間待たされることになってしまった。第三セクターの電車には注意が必要だ。

そこで街をブラブラしてみたのだが、足は自然とスポーツ店へ。そこは別に卓球専門店ではない、ふつうのスポーツ店で、ほんの少しだけ卓球用品を扱っていた。こういうところに意外とおもしろい掘り出しものがあったりするものである。それがこれである。

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写真が小さくて見づらいが、ニッタクのワンハオとTSPのヒノカーボン(日ペン)がどちらも大特価。赤字で半額と書いてある。もっと別のラケットがあれば買ったかもしれないのだが、 おそらく他のラケットはすでに売れてしまったのだろう。

ちゃんとした古本屋や古道具屋は品物の相場が分かるから、掘り出し物はあまりない。そうではなくてブックオフやフリーマーケットには、とんでもないものがとんでもない値段で売られていたりするからおもしろい。卓球のことを全然知らないお店にはなかなかおもしろい商品が売られていたりする。

また、別の駅で1時間ほど待たされて街をぶらついていたとき、こんなものを見つけた。

SN3B0341_0001



















私が若かったころ、タキネスを抑えて、最も高かったラバー、ヤサカのトルネード。ラバーの色が赤・黒ではなく、琥珀色の珍しいラバーだった。値段も当時のままで2300円。もしかしたらプレミアが付くかもしれないほどの珍しさ。しかし、80年代のラバーなので、表面はツルツルだろう。もう1枚売っていたのだが、そちらはパッケージが開いていて、劣化しまくりと思われる。いったい何年売り続けるつもりだろうか。

まとめ
卓球人なら、地方を旅行したとき、そこのスポーツ店でどんな卓球用具が売られているかチェックすれば、楽しめるだろう。都会ではお目にかからないようなレアなアイテムや超特価品を購入できるかもしれない。また、できればフラッと立ち寄った街で、相手をして打ってくれるようなサービスのある卓球場があれば、旅の楽しみも増すのだが。そういう卓球場の情報が少なすぎるのが残念である。

【付記】
せっかく旅行をしたので、京丹後市のことについても書いておきたい。卓球には全く関係がないので、興味のない人は読み飛ばしてほしい。

京丹後市には丹海バスというのが走っており、1回200円で乗り放題である。それに乗って丹後半島の北面海岸沿いを走れる。最北端が経ヶ岬というところなのだが、そこからきた道を戻らないと大変なことになる。丹後半島の南側を通って天橋立のほうにバスで行くと、そこは京丹後市ではなく、宮津市なので、200円バスではない。経ヶ岬から天橋立まで1300円もかかってしまうので注意だ。200円バスの区域内にある琴引浜や久美浜といったところが海水浴場として人気がある。近くに温泉もあり、いろいろ楽しめそうだ。

しかし私は京都から豊岡までの車窓からの風景の方に心を奪われた。

靄から頭をのぞかせる山

30mはあろうかという谷底を流れる川
ずっと昔からひっそりとそこにあるだろう山あいの集落
水をなみなみと湛えた翠の川
収穫を待つ山田の稲穂

雨がちの天気だったこともあり、山中を走る電車から非常に幻想的な風景が広がっていた。最近宮崎駿監督の引退が話題になっているが、宮崎アニメの緻密な風景よりももっとリアルで美しい映像作品である。人為を超えた天然の美がそこにあった。

あぁ、この感動を誰かに伝えたい!何かにとどめておきたい。

そこで一句。

くもながら やまもとかすむ いなだかな


SN3B0599
 










そうだったのか。そういうわけだったのか。

日本文学の古典には和歌が詠まれることが多い。歌物語と言われる伊勢物語は言うに及ばず、王朝女流文学の源氏物語にも、物語の要所要所で和歌が詠まれて、それが物語の区切りになっている。さらに中世には上手な和歌を詠んで出世したり、結婚できたり、虎口を逃れたり、あまつさえ罪が許されたりする歌得説話というものもある。また、日記文学や紀行文にも随時和歌が詠まれる。そういう古典を読んで、「どうして日本の文学作品はいつも和歌を詠んでシメるんだろう」と不思議に思っていた。和歌なんて必要ない。こんなのに共感できないと思っていたのだが、和歌というのは、当時の写真だったのだろう。
美しい風景をみて、心が激しく動かされ、この感動を何かに記しておきたいという止むに止まれぬ気持ちが和歌を詠ませるのだ。今だったら、映画や小説、音楽作品などに感動して、友達にその感動を語らずにはいられないという気持ちに似ているだろう。

古今集の仮名序に

世の中にある人 事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける

とあるが、まさに私はこの気分だった。
今ならカメラで写真を撮れば、この感動を残しておきたいという欲求は満たされるかもしれない。あるいは私は使ったことはないが、ツィッターというので人に自分の感動を伝えれば、満足できるのかもしれない。しかし当時はカメラやインターネットなどない。そこで和歌なのである。和歌は表現であるとともに記録なのである。

しかし、和歌を詠むには教養がいる。古典に通じており、その範囲の語彙・文法で作歌しなければ、安っぽい、感情のこもらない作品になってしまう。教養のある人にしか作れない芸術。それが和歌である。しかしそのような技能を持たない人間も、何らかの手段で自身の感情を記録しておきたい、感動のはけ口がほしい。そこで庶民が自らの感動を書き留めるためにあみだしたのが俳諧(俳句)なのだろう。

なんだか日本詩歌史の流れを実体験したような一日だった。

以前、結構上手なグループの中で練習させてもらったことがあった。
その中に私と同じぐらい下手な人(Sさん)がいて、その人が安定度ゼロのイチかバチか卓球を大開催中だったときのことだ。まわりの上級者はちょっと一息入れているところで、呆れ顔にSさんのプレーをボーっと観ていた。 

「あの人、いつもあんな感じだよな。ミスばっかで、『あれ?おっかしーな』とかいつも言ってるけど、ぜんぜん『おっかし』くないよな。あんな打ち方したら、入らないに決まってるっつーの。相手させられてる人、かわいそう。」
「でもSさんって用具にだけは詳しいんだよな。」
「…」 


この「…」に解説が必要だが、 敷衍すれば次のようになる。

「実力の方はお粗末なのに、いろんな用具をとっかえひっかえ試してるなんてカッコワル。上手なら、いろいろな用具を試してこだわるのも納得できるが、あんなヘタクソが『用具マニア』とか噴飯物だ。というか、下手なヤツに限って『用具マニア』だったりするよな。あんたのような人間はジャピエルにマークVぐらいで十分過ぎるほどだよ。その組み合わせである程度までやってみな。用具の知識よりも、実力をつける方が先だろうが。環境保護のためにも、もうその用具とっかえひっかえはやめろ!」

のような意味の沈黙だった。私は傍で聞いていてちょっと身につまされる思いだった。私は「用具マニア」というほど知識が豊富なわけでも、用具をたくさん持っているわけでもないが、実力をつけるよりも、いろいろな用具を試してみたいという気持ちが強く、結果として安い用具をたくさん持っている。

しかし、最近ついに悟ったのだ。いろいろな用具を買っても、結局十分にそれらを試す機会は一生訪れないのだということを。
「TSPやコクタクの安いラケットの中にきっとバタフライやスティガの高級ラケット以上に私に合うラケットがあるに違いない。それを探し当てたい。」
という希望を持っていたのだが、もう自宅に置き場所もないし、定価1万円以上の高級ラケットというのを決定版としてこれから10年ぐらい使っていこうと決心した。

それに、最近知人からこんな話もきいた。
ラケットの値段は何によって決まるのか。あるラケットは定価5000円ぐらいなのに、あるラケットは定価がその数倍する。何が違うのだろうか。材質が違うのだろうか。研究開発費だろうか。そうではなくて品質だというのだ。
つまり、安ラケットは品質のチェックを十分行っていないため、アタリハズレがあって、ときどきとんでもないハズレをつかまされることもあるのだという。それにたいして高級ラケットは一定の品質が保証されており、ハズレがほとんどないのだという。卓球部などで同じラケットに同じラバーを貼っているのに、かなり打球感が違うということが安ラケットにはあるのだという。とすると、雑誌のレビューとか、一流選手の用具に対する感想などはあまり当てにならないかもしれない。なぜならそういう人に使ってもらう用具はメーカーが厳選した「アタリ」の用具しかないはずなのだから。雑誌で「この値段でこんなすばらしい性能なら絶対買いだ!」などと褒めちぎってあるからといって、私たち一般人が購入するラケットが同じ品質である保証はないということになる。

もちろんこの話の信憑性は必ずしも高くはない。その知人が各社のラケット工場を見学したという話も聞いたことはないし、多分に憶測が含まれていると思う。それに私はこれまでその知人以外からこの手の話を聞いたこともない。だが、まったくのデタラメだとも思えない。安ラケットには人件費がそれほどかけられないのだから、ある程度、そういうハズレの可能性というのはついてまわるのだろう。ハズレをつかまされたらどうするだろうか。オークションなどで売っぱらう人が多いのではないか。とすると、中古でラケットをしょっちゅう購入している私の用具の多くはハズレの可能性が高いということになる。
以前、「上級者向けラケットと中級者向けラケットの違い」で安定性や中後陣からのボールの威力などが違うのではないかと書いたが、もちろん高級ラケットと安ラケットにはそういう性能的な違いもあると思う。が、それとともに、この品質の違いというのも十分考えられる。

われわれ消費者が用具の経済性ばかりを追求するなら、メーカーも慈善事業でない以上、経費削減を余儀なくされ、品質の低い製品を世に出すことになるのは必然である(「鯵のゼイゴ」)。初心者ならともかく、生涯の趣味として卓球を選んだ私はもうこれ以上用具に安さを求めるのはやめて、品質の良い、高級な製品を長く愛用するというのが正しい態度なのだということに改めて気づかされた。もちろん安くて自分にピッタリ合う、アタリのラケットに出会えた人は、わざわざ高級ラケットを買う必要はなく、それを使い続ければいいのだ。

【追記】140107
バタフライのラケット製造工程を紹介したビデオがあった。初心者用ラケットexstarの製造工程が紹介されている。



これを観ると、卓球ラケットの値段は木の材質と選別が大きく影響するような気がする。高級ラケットはさらに多くの工程を経ていることが予想されるので、他の要因(例えば実際に1本ずつ球撞きをしてみるとか)も値段に影響するのかもしれない。

WRM知恵袋を見て、また発見があったので、報告したい。

ただ、これは私のレベルでの理解なので、上級者からみると、「全く見当違いだ」ということになるかもしれない。しかし、それでもいいのだ。私の中では確実に一歩前進なのだから。たとえ間違った認識であっても、認識しようとしないよりはマシである。「どうせ私のようなヘタクソの考えることなんて当てにならない。とにかく上級者に『正解』を教えてもらった方が効率がいい」という、他人任せの考え方はかえって進歩の障害になると思う。教科書の「正解」をただ頭に詰め込むのと、自分の立てた仮説を教科書の「正解」と比較してみるのと、どちらがより深く理解できるか考えてみるといいだろう。そういう意味で、間違った考え方でも意味があるのである。



8:35ぐらいの「ラケットで勢いを殺す練習」を観てほしい。球撞きをしている途中でバウンドをさせないようにして、ボールをラケットに乗せて静止させるという技術である。これは私も暇つぶしによくやるのだが、ぐっちぃ氏のやりかたは私のやりかたと違う。ボールが落下するのに平行してラケットを下ろし、横から巻き込むようにボールを掬い取るのだ。私はいつもラケットを真下で構えて、面を上に向けてそのまま真下で止めるようにしていた。だから失敗が多かった。ぐっちぃ氏のように滑りこませるように斜めからボールの落下点にラケットを持って行くと、失敗が少ない。これで積年の疑問が氷解した。球持ちがいいというのはこういうことを言うのではないだろうか。

上手な人の打ち方は安定している。先日参加させていただいた講習会(「卓球の基本」)で撮ったビデオを見なおしていて感じたのだが、私がミスをしている打球と、先生がミスせず打球しているのを比較してみると、先生の打ち方はボールに対してやや弧線を描くように打っているのに対して、私の打ち方はかなりフラットにぶつけるように打っていたのだ。大雑把に言うと、以下のようになる。矢印はラケットの進行を表す。

接地時間










上が私の打ち方で、下が先生の打ち方。私はこのままぶつけるように打球するが、先生のほうは、やや弧を描いて打球時にグリっと当てこするように打っている。それをみて、同じ角度のままぶつけると、安定しないのではないか、打球した瞬間に角度を変えたほうがいいのではないかと思い始めた。

ぐっちぃ氏の球撞きは横から巻き込むようにしてボールの斜め下をかすめて、下に滑りこんだため、ボールの勢いが殺され、その結果、接地時間が長くなる。ロング打法の場合も同じ理屈なのではないだろうか。球撞きの場合とラケットの進行方向が逆なので、紛らわしいが、上の先生の当て方というのもボールのベクトルに対して真正面から対抗せず、やや斜めにこすりながら当てることによってボールの勢いを殺し、接地時間を伸ばしている。この打ち方はしっかりこすっている――つまりドライブをかけている――わけではない。普通のロング打法なのだが、微妙にこすりながら当てているのだ。

私はこのことに実は以前からぼんやりと気づいていた(「こすらずあてず」「招き打ち」)。ボールに対してフラットに当てないことで安定するということは、よく言われることだが、どうしてそれがいいのか、うまく言葉にできなかった。しかしそれがようやく分かった。ボールの勢いを殺し、ボールとラバーとの接地時間を伸ばすことによってボールが単なる返球ではなく、自分から力を加えた「自分のボール」になり、安定するのだ。言い換えれば、打球を安定させるにはボールの接地時間を伸ばさなければならないということだ。

すべり台の最後はカーブしている。それによって子供がケガせず止まることができる。同様にボールとラケットがぶつかり合わず返球するには、インパクト時にラケットが弧線を描くように当てればいいのではないか。すべり台の最後のカーブの知恵をスイングに取り入れられないものだろうか。

この理論が当を得ているかどうかこれから検証が必要だが、少なくともサービスでは有効な考え方だと思う。下回転を出すときにボールの落下地点でラケットを水平にスライドさせてこするよりも、ボールの落下方向に対して斜めからラケットを入れて水平にこすったほうが接地時間が長くなるし、空振りも少なくなるはずだ。

まとめ
球撞きの「ラケットで勢い  を殺す練習」を単なる曲芸か何かだと勘違いしていたのがそもそもの間違いだった。あれはボールの勢いをうまく殺すことが球持ちをよくすることにつながると教えてくれていたのではないか。ボールを安定させるにはボールに自分の力を加えて打たなければならない。しかし速いボールを打球する時は相手のボールの勢いが強すぎて自分の力(あるいは回転)を加える前に飛んでいってしまう。そこでボールの勢いを殺しつつ自分の力を加えて打つ必要があるのだ。そのためには飛んでくるボールのベクトルに真正面から対抗してはならない。こするのと当てるのとの中間のようなラケットワークでボールとの接地時間を長くして打球すると、安定するのではないか。

【追記】131018
卓球知恵袋で興味深い動画が発表されていた。
これも上述の球撞きに通じるものがあるように思われる。


 

先日行われたカナダジュニア&カデットオープンの試合を観て、牛嶋選手のプレーに目が釘付けになってしまった。
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https://www.youtube.com/watch?v=lWEV5rfNLSY&t=4236s
 2013 Canadian Junior & Cadet Open - Final Day Afternoon Session

1:11:00ぐらいから牛嶋選手とルーマニアのスッチ Bernadette Szocs 選手の準決勝、3:13:00あたりからアリエル・シン選手との決勝戦が始まる。
牛嶋選手のカットには驚かされた。とにかくゆっくりなのである。リラックスして練習しているようなゆるやかなスイング。ガツガツしていない。まるで白鳥が翼を大きく広げるような優雅さがある。攻撃もかなり浮いたボールだけを選んで、ゆっくりと確かめるように打つ。
牛嶋選手のゆっくりしたスイングから繰り出されるカットボールは穏やかに相手コートの打ちやすいところに落ちる。だが、その鷹揚なスイングとは裏腹に恐ろしく凶悪な下回転なのである。相手選手は牛嶋選手のカットをおもしろいほどボトボト落とす。かなり切れているので、相手選手も気をつけているはずなのだが、それでも落としてしまう。それでツッツキで凌ぐ、あるいはなんとかループドライブで返球するのがやっとで、どうしても打ち抜けないのだ。スッチ選手がドライブで決めに行くと、ボールがネットのかなり下の方に突き刺さっている。予想以上に切れているどころではない、普通のカットとは次元の違う切れ方のようなのだ。アリエル選手も同様に通常のドライブではボールが上げられないので、極端なループドライブで凌ぐのだが、粒高面の変化に対応できず、大ホームランを連発していた。ジュニアとはいえ、国際大会でこんな大ホームラン、見たことがない。牛嶋選手のカット、すごすぎる。
同じツアーのエジプトオープンでアメリカのリリー・チャン選手とも対戦しているが、リリー選手も牛嶋選手のカットをボトボト落としていた。

どうしてあんなにゆっくり切っているのに振り遅れないのだろうか。おそらく強烈に切れているため、速いドライブを打たれないのと、スイングのスタート(あるいは戻り)がとても早いためだろう。それからあの緩慢なスイングからどうしてあれほどの強烈な回転が生み出されるのか。間違っているかもしれないが、私の見立てでは、打点を落とし、スイングを大きくして、遠心力を最大限に利用しているからだと思われる。また用具もとびっきり弾まないものを使っているのだろう。
しかし牛嶋選手のカットを観て何よりもすごいと感じたのはラケットに対するボールの接地時間が他の選手より長いことだった。長いと言っても0.1秒以下の差だとは思うが、他の選手よりも球をよく保持しているように見えた。普通のカットが「シュッ」という擬音語で表せるとしたら、牛嶋選手のカットは「ザクッ」という感じだ。ボールをラバーでしっかりと捉えて切っているように見える。

こんなふうにゆったりとした卓球ができたら楽しいだろうと思う。なんとか自分の卓球に応用できないものか。私はカットはできないので、せめてスピードが遅く、強烈なループドライブが打てたらいいなと思う。

ともあれ、将来が楽しみな選手が現れたものである。

【追記】130905
牛嶋選手のプレーをもう一度じっくり見なおした。すると、相手がミスしやすいのはバックの粒高面の打球に対してだった。 粒高の変化の分かりにくさが牛嶋選手の強さの秘密かもしれない。

最近、神経をつかうことが多くて、なんとなく落ち着かず、情緒不安定であると自覚している。そこで仏教の瞑想法を試してみることにした。しかし、この手のトピックは怪しげな本が多いので、比較的堅い出版社の本を探してみたところ以下の本に出会った。

ブッダの瞑想法』(春秋社)

簡単に内容を紹介すると、私たちの苦しみは妄想によってもたらされる。動物はやがて訪れる自分の死に怯えることはない。人間だけがそのような妄想に支配されているのだ。死だけではない。私たちは現在何の不足がなくても勝手に妄想を作り出し、それに怯える。

「結婚できないのではないか」「妻は私を愛していないのではないか」「就職できないのではないか」「失業するのではないか」「日本は不況を抜け出せないのではないか」

そのような妄想(恐怖・瞋恚)を取り払い、心安らかに生きるにはどうすればいいのだろうか。自分の創りだした妄想にとらわれて、自分が今、やらなければならないことから目を逸らすようなことになってはいけない。妄想に惑わされないようにするためには、イマ・ココの自分をそのまま受け入れることに尽きる。そうすれば、今自分がやるべきことは何かが見えてくるのだ。では、どうやって自分をそのまま受け入れることができるのだろうか。それは、自分の感覚・感情・判断をきめ細かく観察し、対象化することである。

たとえば、上司に無理な要求をされたとする。ふつうなら言いようもない怒りに支配され、それがずっと後を引く。しかし、そうではなく、そのときの自分の感情や行為を一つ一つ言葉(内語)にしてつぶやくことこそヴィパッサナー瞑想法と呼ばれる方法論で、妄想にとらわれないための対処法なのだ。

「[そんなことできるわけない]と思った」「腹を立てている」「[拳を]握った」「[分かりました]と言った」「呆れている

心のなかで実際に言語化するのは太字の部分だけである。このように自分を対象化して冷静に見つめ、それを言語化し、確認することによって怒りの感情が消えていく。「あぁ、腹を立てているな。でもそんな感情に飲み込まれてしまっては、不快な気分になるだけだ。平常心を保つことだ。」と達観できる。

感覚を対象化する方法として本書では、たとえば歩行による瞑想法が紹介されている。
歩くときの足の裏の感覚をつぶさに観察し、つぶやくのだ。

「[重心が]移った」「[かかと]着地」「[拇指球]接地」「[拇指球が]圧迫された

のように。そうやって自分の身体に生起する感覚を心静かに味わうと、足裏の感覚に集中できる。集中することによって妄想をしないようになる。ただし、言葉にして確認するのはあくまでも手段であって、真の目的は感覚を味わうこと、それ自体である。

こうして自分の感覚や感情の動きを一点に集中して味わうと、自分がいかに多くの感覚を無意識に経験しているかに驚かされる。歩くというこれ以上ないほどの日常的な行為がこれだけの豊かな感覚が支えられていたのかと驚かされる。ふだん気にも留めないそれらの感覚に心を向けると、不思議と心が静かになっていく。

この方法論を卓球に応用できないものだろうか。
卓球技術研究所の「イチ・ニ・サン」メソッドに以下の記述がある。

修行に用いられる瞑想法は
「いまの瞬間に完全に注意を集中する」ためにおこなわれますが、
この「イチ・ニ・サン」メソッドもそれはまったく同じです。

たとえば、地面に足が着いたことだけを
感じながら歩く瞑想法がありますが、
「イチ・ニ・サン」メソッドとその内容はほとんど同じです。

瞑想はゆっくりした動作や心の動きを対象にするが、卓球は一瞬の感覚なので、言語化が間に合わない。しかし感覚を味わうことはできる。言語化することは手段であって、真の目的は感覚することなのである。できるだけゆっくりラリーをし、感覚をラケットの一点に集中すれば、ふだん気づかない打球感覚のバラエティーを味わうことができる。味わうという点からすれば、ボールスピードの遅いラージボールのほうがより適しているだろう。卓技研の「イチ・ニ・サン」メソッドはボールのリズムに集中して感覚を研ぎ澄ますのだが、私は打球感や筋肉の動きに集中する瞑想法というのを提案したい。ゆっくりラリーをしながら「こすった」「弾いた」「右腰に重心を移した」「肩の筋肉が動いた」のように自分の体の感覚をいちいち観察するのである。そうすることよって雑念が晴れ、集中できるし、スイング時に身体をどのように動かしているか意識化できる。同時に身体を動かしていないときの静けさも感じることができる。ただ、意識の対象が広範に渡ると、集中できないものである。そこで対象を限定し、下半身の筋肉の動き、上半身の筋肉の動き、ラケットの打球感と、気分によって中心対象を移していくのがいいと思われる。そうすることによってふだん気づかない自分の盲点に気づくことができるかもしれない。

しかし、ゆっくりしたラリーに相手を付き合わせることになるので、現実的にこのような瞑想法を実践するのは難しいのではないか。いや、何も実際のラリーで試すことはない。素振りでもいいのだ。私の例で言えば、これを素振りで実践することによってフォアスイングのとき、右足に重心を十分移さずに打球していたことに気付かされた。そして右足に十分重心を乗せて、しっかり右足を蹴ってスイングすると、腕が疲れないということが分かった。卓球瞑想法は精神集中という点だけでなく、技術的な欠点を浮かび上がらせるという効果も期待されるのだ。
また、球撞きでインパクトに感覚を集中させるという方法も手軽で取り組みやすい。何の目的もなく球撞きをしていると、飽きる。しかし打球感を味わい、心を集中させるという目的をもって球撞きをすると、不思議と球撞きが楽しくなってくる。

【まとめ】
卓球瞑想法には二つのメリットがある。
一つは筋肉の動きをつぶさに見つめることによって自分の身体の使い方に穴がないかどうかをチェックできるというメリットである。
もう一つは精神を集中する訓練になるということである。卓球をしていて、「相手がミスばかりする」とか、「自分が安定しない」といった雑念を払い、1球1球に集中して打球すると、そこには豊かな感覚世界が広がっていて、それを味わうことによって心が満たされていく。何も、すごいラリーが続かなくても、打球感を味わう喜びというのは、それ自体で卓球の意味となりうるのである。
自分の身体と膝を突き合わせてじっくり対話するという機会を持ってみると、意外な発見があるかもしれない。

【追記】130904
「妄想」というのはネガティブな感情なので、排除すべきである。しかしこれがポジティブな思い込みの場合はどんどんそれに乗っかるべきである。例えば「よく分からないが、自分は何かすごいことを成し遂げそうな気がする!」という思い込みにそのまま乗っかれば、自分の能力以上のことを達成できるかもしれない。
ヴィパッサナー瞑想法は自分が進むべき道を見失ってしまった時に限って、役に立つのではないかと思う。
 

以前「卓球の見せ方」などでも観戦スポーツとしての卓球に対する提案をしたが、この記事でも観衆が卓球をより楽しめるような提案をしたいと思う。

『卓球王国』2013・8月号に載っていたアメリカのチャンピオン、アリエル・シンAriel Hsingの小さな写真に心惹かれた。

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腕に”Let Go"と書いてあるではないか。”Let Go"はレッツゴーではない。

let go
(1).〈人が〉自制心を失う,はめをはずす.
(2).(…から)手を放す((of ...)).
(3).(…を)忘れてしまう,捨て去る((of ...)).

出典:e-プログレッシブ英和中辞典

”Let Go"は「解放する」のような意味だが、ここでは

「(自らを)解放しろ!」「囚われるな!」「リラックスして行こう!」

のような意味になるかと思われる。アリエル選手はどのような心態で世界選手権に臨んだのか。あるいは何らかの心境の変化があったことを示唆しているようでおもしろい。ロンドンオリンピックでは勝利にこだわりすぎて、かえって良い結果を残せなかったという反省があるのだろうか。ドラマを感じさせる。

人生卓球



















同じく世界選手権で松平健太選手と死闘を演じた(「二人の若き才能」)サムソノフ選手である。ユニフォームの右袖に「人生卓球」と刺繍してある。サムソノフ選手はこのとき1976年生まれの37歳。どれほどの星霜を卓球に費やしてきたのだろうか。その道は決して平坦ではなかったはずだ。その人生の集大成として今がある。「人生卓球」。この言葉はサムソノフ選手の人生をみごとに言い表している。30歳前後で卓球選手生命を終えてしまうアジアの選手からみると、40歳近い年齢で世界のトップレベルで戦えるというのは驚異的である(参照「卓球選手生命」)。20代の選手には背負いきれない重みのある言葉である。
【追記】「人生卓球」というシャツは海外バタフライで一般的に売られているという。

卓球選手は自身の個性を表現する手段が限られている。私は選手のプレーの個性だけでなく、選手の心理的・人柄的な個性も知りたい。熱心なファンなら「馬琳選手はこの大会が大満貫達成の最後のチャンスだ。この試合にかける意気込みはかなりのものだろう」のようにその選手の事情を知っているので、想像をふくらませていろいろ楽しめるが、それほど詳しくないファンの場合はどの選手も同じように見えてしまい、試合を観ていてもそれほど楽しめない。せいぜい日本選手に勝ってほしいと漠然と思って観戦するしかない。

しかし例えば福岡春菜選手のユニフォームに「サービス命」と刺繍してあったら?水谷隼選手のユニフォームに「王座奪還」と刺繍してあったら?選手の意気込みや個性が感じられて、観戦が俄然おもしろくなってくるではないか。ユニフォームに刺繍というのが大仰だというのなら、ゼッケンに一言コメントを書くとか、アリエル選手のように油性ペンで腕に所信表明を書くというのでもいい。選手が今何を考えているのか。どういう抱負を持って試合に臨んでいるのか知りたい。私は純粋にプレーだけを観てもあまり楽しめない。選手の人柄などを含めて試合を楽しみたいと思う。

個人的には
松平志穂選手のユニフォームにはデカデカと「萌え」と記してほしい。
moe

平野早矢香選手は「Rock Me」。
水谷隼選手には「有言実行」。いや、「ロシアより愛をこめて」のほうがタイムリーでいいかもしれない。
丹羽孝希選手には「唯我独尊」。
森薗政崇選手には「倒れるときも前のめり」。
塩野真人選手には「我武者羅」。

選手がみんなこんなメッセージをユニフォームに入れてくれたら、おもしろいのにと思う。

【追記】130904
最後の各選手への提案として、松平健太選手の「オレの才能はどうだ!!」というのを忘れていた。追加したい。 女子選手で「魔性の女」が似合う人がいればカッコイイのだが。ペン粒で相手を翻弄し、私生活でも恋多き女性だったらピッタリだ。

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