しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2013年07月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

卓球とデザイン―空白の使い方

今回もあまり卓球に関係ないのだが、デザインの重要性について思うことがあったので、語ってみたい。

先日京都精華大学のオープンキャンパスに参加してみた。ここはマンガ学科があることで有名だが、実際に行ってみると、美大だった。マンガや文学だけでなく、日本画、洋画、テキスタイルデザイン、インダストリアルデザイン、建築、版画、立体造形と、美術関係なら一通り?学べる。オープンキャンパスでは各専攻の学生・先生がその専攻に関するいろいろな体験をさせてくれる上、作品の講評までしてくれるのだという。

私はプロダクトデザインという専攻で「ドッグタグ」を作らせてもらった。アクリル板に好きな文字をレーザーで彫ってもらうというものだ。教室にはマックが10数台並んでおり、「イラストレーター」「フォトショップ」というソフトを使ってドッグタグのデザインを決めるのだ。

dogtag-foryou_d-001







ドッグタグ


名前や連絡先を入れるのが一般的だが、私のにはイラストと名前、メアドを入れてもらうことになった。
ふつうの人はイラストをできるだけ大きく、そしてフレームいっぱいに入れようとするのではないだろうか。しかし学生さんの勧めに従って、イラストをあえて小さくし、フレームは通常のタイプよりもグッと横長に、フォントもバランスをとって、しっかりしたオーソドックスなフォントにしてもらった。

dogtag






学生さん曰く
「日本人はデザインに対する意識が希薄で、乱雑になんでも詰め込めるだけの情報を詰め込み、目立つ色や大きな文字を随所に配置してしまい、結果として全体のデザインをぶち壊してしまう。デザインは日本人の国際競争力が劣っている分野の一つである。」

それは日本の繁華街の街並みを見ればよくわかる。それぞれの店がいくつもの自己主張をケバケバしい色で競い合っている。ネット上のショッピングモールなら、「楽天」にその傾向が著しい。


rakuten














いくら高い売り上げを達成しているからといって、こんなにも「1位」を連呼することはないと思うのだが。見ようによっては「ハッキングされて、画面をメチャクチャに改ざんされた!」と言ってもおかしくないデザインである。
情報が多すぎて、どこから見たらいいかわかりにくい。しかも1ページが恐ろしく長く、全部の情報を見ながら最後までスクロールさせていく人はおそらくいないだろう。

反対に優れたデザインの例として挙げられたのはアップルのサイトだった。


apple















画像を中心にして、左肩に簡単なコメント、下段に詳細についてのリンクとシンプルな構成である。画面をZ字に目で追っていけるようにデザインされている。

最近でこそ「分かりやすい文章の書き方」とか「論理的な文章構成」といったことを大学で学ぶようになったが、デザインに関してはまだまだ手が回っていない気がする。私は高校までの美術の時間に画面をどのように構成し、文字をどのように配置したらセンスがいいかといったことを習った記憶がない。しかしデザインというのは生活の隅々にまで効力を持つ大切な概念である。一般的にセンスのいいとされているデザインがあるのなら、それを義務教育で教えてほしいものである。そうしないと私たちの日常生活にあふれる広告や街並みは私たちを惹きつけるどころか、逆にストレスになってしまう。

デザインの知恵というのはつまるところ、必要な情報だけを厳選し、空白を上手に使うことだと思われる。できるだけ多くの情報を詰め込もうとするのは品がない。知性が感じられない。私も今までの記事で必要以上に冗長な説明が多すぎたのではないかと反省している。これからはもっと読者のことを考えて、シンプルなデザインで必要な情報だけを発信しようと思う。

卓球にはこのようなデザインを考慮する場面がないだろうか。卓球雑誌や卓球書のレイアウトなどはもちろん、ユニフォームやバッグ、ラケットのグリップなど、多くの場面でデザインが関係してくる。特に卓球のユニフォームは改善の余地があると思われる。ゴルフやテニスのユニフォームが、そのまま普段着としても使用できるものが多いのに対して、卓球のド派手なユニフォームを普段着として着るのは勇気がいるものだ。

どんな年齢の人でも、どんな場面でも着られるような落ち着いたシンプルなデザインのユニフォームや、部屋に飾っておけるようなしゃれたデザインの卓球用具がもっと増えることを願わずにはいられない。江戸時代の日本人のファッションはシンプルでもっと落ち着いた地味な色を好んでいた。卓球のユニフォームも蛍光色や鋭角的な模様(個人的にはミズノのギザギザラインはいかがなものかと思う)ではなく、普段着としても着られるような、自己主張の少ない模様、渋い和風の色合いのものをもっと出してほしいものである。

auのケータイを落としてしまった

今回は卓球に全く関係がないが、世の中にはケータイを落として困っている人もいるかと思い、記事にした次第である。

私の持っているケータイは2008年ぐらいに買ったsonyのW53Sという機種で、二つ折りの古いタイプのケータイである。それを落としてしまい、非常に困っていた。
gmailをケータイに自動転送していたので、どこでもメールがチェックできた。 写真以外の添付ファイルは開けないが、だいたいどんな内容のメールかはチェックできたし、何よりスケジューラーとして使っていたので、すべてのスケジュールが急に分からなくなってしまった。これが最も痛かった。毎日「何か重要な用件を忘れているのではないか」と心配だった。またauのメール無料のサービスを使っていたので、写真をいくら送受信しても無料だった。ちょっとおもしろい光景を写真にとってメールで送ったりできたので、重宝していた。

幸い2週間ほど経って見つかったのだが、それまではもうケータイを解約して、7インチのタブレットを買おうかと思っていた。

ケータイを紛失した晩、auのページで対処法を調べてみたが、全く役に立たなかった。
http://www.au.kddi.com/support/mobile/trouble/loss
このページからケータイにケータイの利用停止や遠隔ロックをかけたりできるらしいのだが、事前に必要な登録をしていないので役に立たない。しかも非常に分かりにくいサイトの構成になっているので、何度も同じ所をグルグル回って本当に疲れた。
翌日、10時になってから、購入した店舗に電話をかけてみた。そこからは遠隔ロックなどはできないらしいのだが、お客様サポートの電話番号を教えてもらった。ケータイがないので、公衆電話からだ。
00777111(無料)
ここから音声ガイドに従ってケータイをロック、および利用停止できる。途中、暗証番号を求められる。
これでひとまず安心だ。しかし、店舗が開店するまでの空白の12時間の間にケータイを悪用されたのではないかと心配になった。
仕事が終わってから、ケータイ店を訪れ、事情を説明した。すると、ケータイのGPS機能を使ってどこにあるかが調べられるという。315円かかるとのことだが、背に腹は代えられない。お願いすることにした。しかし、GPSを起動させるためのアプリ?をインストールしていないので、場所が確認できなかったという。
次にケータイを買い換えるとしたらどのくらいかかるのか試算してもらった。スマートフォンに替えるという選択肢はなかった。本体がバカ高い上に毎月の通信料金が最低6000円ぐらいかかるらしい。1年で72000円!私のケータイ料金は毎月2500円ほどなので、1年で4万円強も上乗せされることになる。それでちょっと手持ち無沙汰になったら、始終ケータイでネットばかり見ている自分を想像しておそろしくなった。確実に人生の時間をムダにしてしまう。従来型のケータイ、いわゆるガラケーというやつでも本体価格が2万を超える。さらにsimカードの再発行に2100円ほどかかるらしい。ブックオフなどで中古のケータイが数千円で売っていたので、いざとなったらそれを買うしかない。
ケータイを乗り換えたら、ほぼ無料で新しい機種に替えられるかもしれない。私はメールはすべてgmailのアドレスに送ってもらっているので、auからドコモやソフトバンクに替えても問題ない。それでケータイ屋さんに行って話を聞いてみたのだが、ソフトバンクは割高で、ドコモが割と安かった。私はauのメールの送受信無料というサービスに最も旨味を感じていたのだが、ドコモでそれに相応するサービスは、auほどの旨味がなかった。たしか、他会社のケータイやPCへのメールの送受信は有料だったとか、そんな制限だ。しかし、PCに画像を送れないとなると、全く旨味がない。それで断念した。ウィルコムにもメール送受信無料というサービスがあって、すべてひっくるめて毎月2500円程度で収まるのだが、田舎で繋がりにくいこと、070の新しい番号に変えなければならないことがネックで断念した。
次に警察に紛失届を出しに行った。紛失した期間に悪用され、身に覚えのない請求が来ても、紛失届を出していれば請求を拒否できるのだという。また、安心した。

1週間、ケータイ無しで生活してみたのだが、慣れてみると気楽なものだ。仕事のメールなどに一日中晒されなくてもいいので、日中は仕事に集中できる。ケータイがあると、空き時間などについメールを見たり、返信したりしてしまっていたのだが、それをしなくていいので、心に余裕ができる。卓球のことを考えたりできる。時計とスケジューラーと電卓と辞書がないのが不便だったが、時計と手帳を持ち歩くようになったら、それほど不便を感じなくなった。

しかし、今日、職場の落し物の管理をしている部署に電話したら、あっけなく見つかった。バスの中で落としたものが職場に届いていたらしい。どうして警察やケータイ会社に連絡してくれなかったのか。ちょっと腹が立ったが、まぁ、無事に戻ったのでよしとしよう。

【まとめ】
auのケータイを落としたら、まず00777111に電話して遠隔ロックと利用停止を試みてみよう。
それから警察への紛失届。これさえやっておけば、ひとまず安心だ。ケータイを落とす前なら、GPSの位置確認アプリを導入しておくのもいいかもしれない。


 

腰の使い方をめぐって

私は腰の使い方というのがよく分からない。
腰を使って打つのはいいことだとされており、指導者はよく「腰を使って打て」と指導する。この「腰を使う」というのは卓球だけでなくあらゆる球技に普通の技術だと思われる。にもかかわらず、それほど大切な技術に対する解説があまりにも少なすぎると感じる。

腰を使うとはどういうことなのだろうか?その動きがイメージできない。背筋をまっすぐ上にしてヘリコプターのように回転させる―上半身を水平にくるりと回すのか、あるいは斜め前方向への移動―鼠径部を折り目にして体を傾けてから、それをバネにして戻す力を利用するのか。おそらく後者だと思うが、前者と後者は連続している。つまり水平からどのぐらいの角度で傾けるのかがはっきりわからない。かなり水平寄りでも間違いとはいえないのではないか。
腰を動かす範囲も分からない。5センチほどでいいのか、20センチぐらい回すのか。どこに力を入れて腰を使ったらいいのか、腰と腕は同時に動かすのか、あるいは時間差をつけて、まず腰を先に動かしてから、それに連動するように腕を振るのか(前記事「手打じゃダメ」)。

そのようなことを上級者に聞いても「ボールによって角度や可動範囲は違うので、答えられない」という答えが返ってくるだろう。しかし、おおよその目安のようなものを知りたい。正解はただ一つではないだろう。その上、人によって「正しい」角度や範囲が異なるということも考えられる。そうだとすると、正解というのは示しにくいが、間違いというのは、上級者の共通認識としてあるのだろう。

以前、『卓球レポート』の岩崎清信氏が腰の回転について「でんでんだいこのイメージだ」と説明していた。そう考えると、腰をまず回して、それについていくように上半身が回る―タイムラグがあるということなのかもしれない。

私が以前通っていた教室の先生は、私の全力のドライブを見て、「腰が初めに回り、上半身が後からついていくが、腕のスイングが上半身の回転を追い抜いていくのがいい」といったコメントをしてくれた。しかしそういう、腕を伸ばしきった豪快なドライブは安定性が低いので、小さな安定したドライブを正しく打ちたい。プロの選手の動画を見ても、私には一流の指導者のように「透視の利く目」(前記事「眼光紙背に徹する」)がないので、腰が回っているかどうかよく分からない。

指導者が分かりやすく腰の回転に言及している動画はないだろうか。
下のWRMのやっすん氏のビデオで具体的な映像が紹介されていた。1:45あたりでやっすん氏が腰の回転を実演している。グイグイ回っている。これは威力が出そうだ。そして注目すべき発言があった。腰を回すのと上半身をねじるのは違うのだという。なるほど、グルグル派手に回っているように見えても、腰は回っておらず、上半身だけがねじれていることもあるのか。しかし、5:00ぐらいからの腰を使ったドライブの実演をみると、1:45あたりの回し方とは違い、腰の回転がほとんど見えない。グイグイ回っていない。黒い服を着ているからだろうか、あまり腰が回っているようには見えない。1:45の腰の回転はとても分かりやすく、説得力がある。しかし5:00の腰の回転は、はっきりと確認できない。上半身が回るのは傍目にもはっきり分かるが、腰の回転はそれほどわかりやすいものではないのかもしれない。




また、やっすん氏は重心について、フォアハンドでは右から左に移動させると説明されているが、私が習ったのはむしろフォアハンドでは左から右に重心移動するのがいいという。

フォアハンド(重心:右→左)

だと、勢いがつきすぎて上半身がすっとんでいってしまい、体がブレる。その結果、戻りが遅くなる。例の「ブレーキ」の原理(「『まったく新しいボクシングの教科書』を読んで」)と同じである。またボールを前に押してしまうので不安定になりやすいのだという。そこで常識とは逆の

フォアハンド(重心:左→右)

がいいのだという。
う~ん、どちらが正しいのか悩ましい。

同じくWRMのxia氏の以下の動画でも腰の使い方についての言及がある。



xia氏は上半身の使い方と腰の回し方の二つについて言及している。
上半身については、胸の筋肉(というか裏側の肩甲骨?)を使って、上半身を開き、上半身を閉じる力を利用してドライブをかけるといいとある。xia氏の説明によると、右から左に上半身が流れてしまうと、威力のでないので、

フォアハンド(上半身:右→左)

ではなくて、胸(裏返せば肩甲骨)の開閉運動を利用して

フォアハンド(上半身:開→閉)

がいいのだという。
そして腰の回し方については、後ろから前に「右腰を押し出す」ように回すのがいいのだという。
なるほど、この運動なら、重心も流れず、力もよく伝わりそうだ。
ただ、後ろから前に「押し出す」ように打つと、ボールを前に押してしまうので不安定にならないだろうか。
後半で実演されている間違った打ち方と正しい打ち方の比較動画は、同じ条件(同じ力加減)で打っているようには見えないので、あまり参考にならない。正しい打ち方のほうはすごいスピードのボールだが、かなり力を入れて打っている。一方間違った打ち方の場合はちょっと力を抜いて打っているように見える。また、腰を後ろから前に押し出すように打つというのも、素人目にはあまりよく分からない。

【まとめ】
腰の使い方についていくつかのケースを材料に考えてみた。
腰を回すことの重要性は誰もが口をそろえて言っているので、大切なことなのだろう。しかし、具体的な回し方は正解がいくつもあるようだ。しかも、素人目には分からないほど微妙な動きらしいので、動画を見ても、みるからに回っているという感じではない。
いろいろ考えてみたが、結局、腑に落ちなかった。
特に以下の点がはっきり分からない。

・腰の回転は普通の回転でいいのか、もっとZ軸を意識して後ろから前なのか。
・腰と上半身は常に連動していなければならないのか、腰が先行してもいいのか。
・フォアの重心移動は右から左なのか、左から右なのか。
・腰の可動範囲は傍目にははっきり意識できないが、一体何センチぐらいなのか。

また、腰を使うことによるデメリットはないのだろうか。特にバックハンドでは腰を使わないほうが速くて効率的なスイングができるような気がするのだが、「バックハンドでは腰を使ってはダメ」といった意見も聞いたことはない。どんな場合でも腰を使わなければならないのだろうか。その点も気になる。

【追記】2013/7/22
「腰を回して打つ」と「手打ち」というのを全くの別物だと考えていたが、そうではなく、連続したものだと考えたほうが合理的かもしれない。つまり「腰の回転ゼロ」が手打ちのプロトタイプで、「腰の回転1~10」ぐらいの打ち方はほとんどの人に「手打ち」と判断される。一方、「腰の回転80~90」ぐらいなら誰もが「腰が回っている」と認めてくれる。「腰の回転70」ぐらいでも大丈夫だ。しかし「腰の回転40~50」は微妙で、人によっては「腰が回っていない」と判断するのではないだろうか。
「私は手打ちだ、どうしよう」「私の打ち方は根本的に間違っている」と考えると、伸び伸びと卓球ができなくなる。そうではなくて、「腰が回っていない」と言われたら「ちょっと足りないか。もう少し回さなきゃ」と自分のスイングを否定するのではなく、相対的に考えたほうがいいのかもしれない。

【追記】2013/8/31
 WRMの過去の動画により詳しく腰を使って打つ動画があったので、記しておく。

 
【卓球知恵袋】全身でドライブを打つための2つのポイント

眼光紙背に徹す―『本を読む本』を読む

本を読むのが早い人がいる。普通の人が1時間程度かかって読む文章を15分ほどで読んでしまうのだ。もちろん、細部まできちんと読めているかどうかは分からないが、少なくとも要点は押さえている。そんなふうに本を早く読むにはどうすればいいだろうか。世には「速読法」として、ページを斜めに読んで、キーワードだけを読むとか、ページを写真のように画像として記憶するとか、そんな「技術」を雑誌の広告で見かけたりする。しかしそういう超人的な能力ではなく、誰でも訓練すれば身につけられる、本が早く読めるコツというものはないだろうか。そう考えてアドラー、ドーレン『本を読む本』(講談社学術文庫)という本にたどり着いた。冒頭はこんなふうである。

 

スキーを習うことは大人にとって極めて屈辱的な経験である。大人は歩けるようになってからずいぶん経つ。足が今どこを踏んでいるか分かっているし、片足ずつ交互に前に出さなければならないこともよく分かっている。しかしいったんスキーを履いてしまうと、ヨロヨロと歩くあの幼児の頃の練習を再び繰り返さなければならない。

 

私たち中級者はフォアハンドドライブも打てるし、バックハンドも振れる。しかしほとんどの場合、我流で多くのムダを含んだ不安定なスウィングである。理論に裏付けられた、ムダのない、効率的なスイングではない。基本的なスウィングを一から学ぼうと思ったら、上のスキーの例のようなことになる。今さら「正しいフォア打ち」もないものだが、それを知らなければ、どうしても上級者にはなれないだろう。

 

スキーのコツはターンするための動作の一つ一つをバラバラに切り離して考えてはいけないということだ。言い換えれば、コースの凹凸や他のスキーヤーに気を配り、重心を移動する、視線を変える、スキーの向きを変えるといった一連の動作をひとまとまりのものとして行うことである。しかしそれらが別々の動作であることを忘れるためには、まずそれらの動作を別々に習わなくてはならないのだ。一つ一つの動作を完璧に身につけた上で、それぞれの動作を連結してはじめて上手なスキーヤーになれるのである。

 

以前、個々の技術を習得するだけでは上達は見込めないと書いた(前記事「要素構成主義を越えて」「ツブ高界初?の近代的辞書」)。それは今でもそう思うが、しかし全体を構成する部分―スキーで言えばターンの「凹凸に気を配る」「重心を移動する」「視線やスキーの向きを変える」といったその動作を構成する、それぞれの部分を意識することは大切だと思う。「なんだかよく分からないけれど、私のスウィングは速くて威力のあるボールが打てる」ではなくて、それがどのような要素から成る一連の動作なのかを意識できなければ、一旦感覚が狂ってしまった場合に修正できない。どこがおかしくなったのか点検することができないのだから。

 

熟練した技術を持つ人というのはそれぞれの技術の規則に従って仕事をする習慣を身につけている人たちのことである。

 

卓球でも同じことが言えると思う。上手い人は偶然うまいわけではない。「技術の規則」にしたがっているから上手いのだ。適当に打って偶然ボールが入るわけではない。計算され尽くした体の動きを身につけているからこそどんな相手と対戦しても大きく崩れることはないし、弱点らしい弱点が少ない。どんなボールにも対応できる。

 

 どの本も二枚の表紙の間には骨格が隠れている。分析的読者の仕事はそれを見つけ出すことである。書物は裸の骨格の上に肉をつけ、その上に衣装をまとって読者の前に現れる。いわばすっかりドレスアップしているのだ。読者はそのやわらかい表面の下の骨組みをつかもうとして、衣装を脱がせたり、手足の肉を剥ぎ取ったりする必要はない。ただエックス線のような透視の利く目で本を読まなくてはならない。本を理解するには、まずその構造を把握しなくてはならないからである。

 

私たちは上手な人のプレーを見て、「あぁ、体の力がうまく伝わっているなぁ。あれならかなりの威力のあるボールが打てるだろう」とぼんやり思う。じゃあ、どうしてその選手は安定して威力のあるボールが打てるのかと聞かれても、答えられない。先に触れた「ターンするための動作の一つ一つ」を意識できず、ただ一連の動作としか認識できない、言い方を変えれば全体がどんな部分によって構成されているか認識できないからだ。

しかし、一流の指導者はそれができる。あまつさえ動作中の「骨組み」―文字通りの意味での骨の動きや重心の移動が見えるらしいのだ。股関節が回っていないとか、肩甲骨が使えていないとか、人のプレーを見れば、そういうことが「透視の利く目」で見えるらしいのだ。
本を読むためにその構造を理解しなくてはならないのと同様、卓球でも骨の動きや力の流れといった構造を理解しなければならないのではないか。我流ではいくら練習しても効果が上がらない。やはり優秀な指導者に基本のスウィングから教えてもらわないことにはダメなのだ。ある程度打てるのにフォア打ちから指導を受けるのは「屈辱的な経験」かもしれないが、その段階を経ずには上級者にはなれないと思われる。
 

プロデューサーのお仕事―卓球をもっとメジャーに

私は何でも納得しないと行動したくないたちだ。雰囲気に流されて、なんとなく進路を決めるというのは好きじゃない。しかし、実際は知らず知らずのうちに雰囲気に流されているのかもしれない。

最近、気になったニュースに安愚楽牧場の倒産というものがある。
wikipediaによると、負債総額はなんと、4,330億8,300万円に上るという。牧歌的な牧場経営でどうしてこんな巨額の金が動くのか。同じくwikipediaにこんな記述があった。

電通を代理店として黒毛和牛委託オーナー制度の広告を積極的に展開していた。

電通と牧場?どういう組み合わせだろう。というか電通という会社がどんなことをしているのか今ひとつ分からない。同記事には以下に挙げるようなメディアで投資を煽っていたとある。
 
雑誌記事
あるじゃん 「【投資商品の上手な選び方】 黒毛和種牛委託オーナー制度もおすすめ」
「サンデー毎日」1990年7月22日号 「モーモー牛さんも財テクの対象に」
「SAPIO」1990年8月23日号 「10%配当に加えて新巻き鮭1尾!なかなか捨てがたい『和牛オーナーシステム』」
「女性セブン」92年7月2日号 「貯金より有利な和牛オーナー制度のうまみ点検! 2年で年利6%、4年で9%にプラスαもある」
 
サイト記事
あるじゃん 「【投資商品の上手な選び方】 黒毛和種牛委託オーナー制度もおすすめ
All About(オールアバウト) 「安愚楽牧場、資産運用、黒毛和牛…2年間で合計1,8000円の利益金」

これらの雑誌やサイトは多くの人の目に触れるかなり有名なメディアだが、電通という会社の働きかけによって一企業の広告塔となっていたというわけだ。そしてその結果数千億円という金が動いたということに驚いてしまう。一体世の中はどうなっているんだ?正直で堅実な経営の零細企業が数百万という金額で倒産の瀬戸際にある一方で、広告会社と結託した詐欺まがいの会社が数千億円の金を集められるなんて世の中間違っている。電通というのは、テレビ番組作成やイベント企画の会社かと思っていたのだが、このように企業のプロデュースもするらしい。つまり今世間でもてはやされているプロデューサーなのだ。

AKB48というグループがデビューした頃はすぐ消えると思われた。モーニング娘の二番煎じで、名前にアキバを冠し、オタクを対象にした―その割にはオタク受けしなさそうなヤンキー系の女性がけっこう混じっていたように思う―冗談みたいなグループが今や日本の芸能界の寵児に成長したのだからわけがわからない。これも秋元康というプロデューサーが背後にいるためらしい。音楽に人生を捧げ、独自の音楽性を持ち、地道に活動しているミュージシャンの音楽活動は職業として成り立たず、プロデューサーの力によってポっと出てきた女の子たちがアジア規模で話題になってしまう芸能界、なんだか間違っていないだろうか。

プロデューサーの活動は経済や芸能界といった分野にとどまらない。芸術や学問といった分野でも行われている。ただし、これは私の想像や聞きかじりの知識が大半なので、話半分で読んでほしい。

ゴッホという作家は生前まったく絵が売れず、不遇のうちに亡くなったらしい。しかしその絵が今では数十億という値段で売買されている。また、日本で文化勲章などをもらっている画家というのは、絵が優れているというだけでなく、美術協会などで力を持っていないと勲章がもらえない仕組みなのだという。絵や音楽といった、絶対的な評価がない分野ではプロデューサー次第でとんでもない金や名誉が動いたりするらしい。
文学でもそうだ。私たちが当たり前のように知っている宮沢賢治や樋口一葉、金子みすずなどは、プロデューサーがいたのではないかと勘ぐってしまう。日本文学にそれほど大きな影響を与えたとも思えないのに、これらの作家は没後やけにメディアに取り上げられ、教科書に載ったり、お札にまでなってしまった。
学問の世界でも、たくさん本を書いて、大きな叢書の編者などに名を連ねているが、著書のほとんどは概説書や一般向けの啓蒙書で、肝心な研究業績はほとんどないという先生がたくさんいる。こういう先生は特定の出版社や学会に顔が利き、そこから出る雑誌や本などにいつも顔を出し、名が売れる。しかし先生たちを背後から操っているのは出版社や学会というプロデューサーだ。

卓球では言うまでもなく福原愛選手だ。そして最近は石川佳純選手もプロデュースされつつある。昔はフジテレビ、今はテレビ東京がプロデューサーだ。二人は卓球に関係のないバラエティー番組にもちょくちょく顔を出し、国民的に名が売れている。ゴルフなら石川遼選手、テニスなら錦織圭選手、体操なら内村航平選手、数え上げればきりがない。錦織選手は世界的な大会でベスト8に入ったといって大騒ぎされているが、我らが岸川聖也選手だってオリンピックでベスト8になったし、松平健太選手は世界選手権でベスト8に入った。しかしほとんどニュースにならない。石川遼選手にいたっては国際大会で予選を突破したといってニュースになっている。

こう考えてみると、アーティストや選手本人の実力だけでは世間の注目は集められないものらしい。背後から企業や組織が後押しして、上手に宣伝しないと成功しない仕組みになっている。私たちは自分の意志で娯楽や製品に金をつかっていると信じているが、それは本当は自分の意志ではなく、作られた雰囲気に乗せられているのかもしれない。卓球は競技人口がこれほど多く、国際的な競争力があるにもかかわらず、それほどメジャーなスポーツになっていないのは、影響力のあるプロデューサーがいないからではないだろうか。

メディアの影響力というのはすさまじい。そのメディアを牛耳っているプロデューサーによって私たちの文化は動かされている。世の中がこういう仕組みである以上、卓球は優秀なプロデューサーを抱えなければならない。バラエティー番組で芸能人に卓球をさせたり、雑誌に「都会で卓球ラウンジが若者に大人気!」などという特集が何度も組まれるようになれば、卓球の認知度は飛躍的に上がるはずだ。大手卓球用具メーカーが卓球イベントを開いて各分野の著名人を招待したり、ラケットをプレゼントしたりすれば、そのうちの数%でも卓球を趣味にしてくれるかもしれない。そうすると卓球がメディアに登場する機会も増えるだろう。プロデューサーは企業だけでなく、自治体でもいい。卓球でまちおこしなんておもしろそうではないか。早慶戦のように青森対山口、福岡対愛知、といったライバルを設定し、毎年交流戦を行い、県を挙げて盛り上げたら、卓球人口が増加するに違いない。
 


卓球教室経営

以前、「仕事としての卓球」という記事を書いたが、卓球教室経営というのは果たしてビジネスとしてうまみがあるのだろうか。卓球教室を立ち上げて、ガッポガッポ儲けて、イタリア製のスーツを着て、外車を乗り回しているという卓球教室経営者は想像しにくい。

卓球教室の中心は小中学生と主婦・高齢者だと思われる。京都市内では卓球教室は週1回2時間で7000~8000円ぐらいというのが相場だろう。以下のような条件で考えたら、卓球教室経営のおおまかな収入が想像できる。

・子供たちは週3回通って1人月15000円とする。
・成人は週1回通って1人月8000円とする。
・成人向けに指導者を1人、2時間5~6000円で雇うとする。

子供たちが30名通うとして15000☓30=45万円。
高齢者や主婦なども30名所属して、週1回通うとして8000☓30=24万円。

そこから成人向けの指導者(1人だけ)への謝礼が5000☓6日☓4週=12万円。
テナント料が30万円。
その他もろもろの光熱費・備品代などが5万円。

45+24=69万円(売上)
12+30+5=47万円(経費)

残りは22万円となる。新しいタイプのボランティア?とか言われそうな数字である。借金をして卓球教室を立ち上げ、経費を削りに削って、必死にがんばって毎月22万円なんてありえない。
だからおそらく他にもいろいろな売上増の道があるのだろう。用具販売や有名選手を招いての特別教室、夏休みの夏期合宿や個人レッスン、空いている時間を最大限に有効活用。熱心な勧誘。しかしこれだけいろいろやったところで、どんなにがんばっても月に100万円の収入には届かないのではないだろうか。自宅を教室にできるなら、テナント料は払わなくてもいいが、そうなると、人が集まりにくい郊外ということになってしまう。そして指導者をもう一人増やしたり、設備の補修費なども考えたら、さらに収入が減ると思われる。
これは経営者が指導者も兼ね、ギリギリ最低限の経費で運営し、かつ大きな問題が起こらなかった場合を想定してである。何年もやっていれば、なんらかの問題が起こらないとも限らない。子供がケガをして裁判ざたになったり、いじめの問題が起こったり、などというのは起こりそうな問題である。

まったく新たに教室をオープンして、子供を30名、成人を30名集めるというのも楽観的な数字である。この数字はかなりの実績と評判があって初めて実現できる数字だと思われる。教室をオープンして、駅前で必死にビラを配っても、60名の受講生を集めるのは至難の業だろう。すでに実績のある卓球教室と生徒を奪い合わなければならないのだ。実績も目玉もない教室に人がたくさん集まるというのは考えにくい。しかも受講生の中にマナーが悪い人が混じれば、その人に嫌気が差して辞めていく人も相次ぐだろうし、初心者ばかりで、上手な受講生が少なければ、辞めていく人も出てくる。受講生が指導者に不信感を抱いたりすれば、一気に受講生が半分ぐらいに減ってしまうかもしれない。効率的な経営をして、上の推計よりもかなりうまくいったとして、可処分所得は50万程度と考えるのが現実的だろう。

経営について私は全くよく知らないのだが、借金をしてなんとか独立したとしても、毎月の収入が(うまくいって)わずか50万円というのは、かなり不安定な仕事と言わざるを得ない。独立している人ならまだ生活していけるが、雇われている指導者は専門的な技術職であるにもかかわらず、フリーターとそう変わらない収入ということになってしまう。

卓球教室で小遣い稼ぎとしてコーチ業をするなら、楽しくていい稼ぎにもなるが、雇われコーチ業で家族を養っていくのは難しそうだ。教室の経営者にしても、安泰とは言いがたい。受講生の子供に対する体罰などという問題が起これば、教室の経営が立ち行かなくなるおそれもある。
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一方、受講生の立場からすると、週1回通ったとして、毎月8000円の月謝。週4回2時間のレッスンがあるとして、1時間あたり、支払っている金額は1000円に過ぎないということになる。講師は指導経験の豊富なプロである。民間の卓球場を利用すれば、1時間1人500円ぐらいはかかるものである。そう考えると、プロの指導への対価が1時間わずか500円ということになる。ずっと講師を独占できないにしても、これは安すぎるのではないだろうか。私もできるならあまり高額な月謝は払いたくないが、1時間あたり1500円ぐらいは月謝をとったほうがいいのではないだろうか。こんな安価な月謝しかとれないのでは卓球教室の経営に乗り出そうとする人はみんな尻込みしてしまう。その代わり、月謝を値上げした分、きちんと到達目標や指導計画を示してほしいものである。1年指導を受けたら、フォアとバックの切り替えがスムーズになり、両ハンドで安定したドライブが振れるようになるといった目標を設定し、受講生が自分の向上を実感できるような指導にしてもらいたいのだ。成人なら、1年前の自分と比べてあまり進歩がないと感じる人が大多数だろう。それが1年で劇的に進歩するなら、月に1万円以上払っても惜しくないという人は少なくないのではないだろうか。そしてそのほうが指導者もやりがいがあると思う。
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卓球を仕事にしたいという夢を抱く若者に現実は冷たい。コーチ業は言うまでもなく、教室経営にも多くの困難が伴うのだ。こういう教室には公的な援助が必要だと思われる。無条件に援助するわけにはいかないが、ある程度の条件を満たした教室には国や自治体が積極的に援助すべきではないだろうか。そうしないと、私たちのような成人は憲法が保障する文化的な生活が送りにくくなってしまう。

また、「卓球療法とは?」にも書いたが、卓球は国民の健康を大いに増進させる可能性を秘めている。最近「スポーツジム」というビジネスが成り立っていることからも、あるいはトレッキングや自転車を趣味とする人が増えていることからもスポーツに対する国民の関心が高まっているのは明らかである。しかし、経験のない人が新たに始められるスポーツはジョギングや水泳といったものに限られている。中高年になって、新たにスポーツに取り組もうとしている国民にもっと多様な選択肢を提供すべきではないだろうか。指導者なしでは取り組めるスポーツは限られてくる。しかし指導者さえいれば、国民はさまざまなスポーツを楽しめるのだ。卓球という最も手軽で健康増進に効果のあるスポーツに対して国や自治体が援助することによって、生活の質が向上し、国民が健康になるのなら、政府は民間のスポーツ教室にも補助金を出してもいいのではないだろうか。

【追記】
算数の計算を間違っていたorzので修正した。大幅に収入が減った。
【追記2】
公的な補助ということで、総合型地域スポーツクラブというのを思い出した。こういう制度を利用してなんとか質のいい卓球教室を作れないものだろうか。

『アゴを引けば身体が変わる』(光文社新書)を読んで―大人の保健体育

最近、階段の上り下りでヒザに負担がかかっているように感じる。前かがみになって上ったり、しっかりと足を踏みしめて上ったり、背筋を伸ばして下りてみたりするのだが、あまり変わらない。

「正しい階段の昇り降り」

というのはあるのだろうか。

「正しい歩き方」は?「正しい椅子の座り方」は?

「正しい~方」というのはないかもしれない。卓球でも「正しいフォーム」というのがないように、「正しい」ことを証明するのはなかなか難しい。しかし「まちがった~方」「難のある~方」なら論理的に説明できるのではないだろうか。

人の身体は、壊れてもパーツ交換ができない。壊れてしまったら、完全に機能が元に戻ることはない。厄介でも自分の身体と一生つき合っていくしかないのである。だから、壊れてしまう前に、何とかする必要があるのだ。
しかし、あなはた身体を長持ちさせるための姿勢や身体の動かし方を、学校や病院で教わった経験があるだろうか。おそらく「ない」と答える人のほうが、圧倒的に多いと思う。
身体の鍛え方や、癒し方を教えてくれる施設はあっても、猫背にならない「座り方」や膝の痛みを回避する「階段の上り方」など、すぐに役立つ日常動作を、理論と実践を交えて教えてくれる施設はめったにない。
人は痛みを自覚すると、それを取り除くことばかり考えるようになるものだが、あくまでも痛みは「結果(現象)」であり、「原因(本質)」ではない。根本的な原因は、患部に負担を掛けている姿勢や動作フォームにあるのだ。

2012年春、文部科学省は武道とダンスを中学の体育のカリキュラムに導入した。 しかし、きちんと座っていられない子供が増え、頭痛や肩こりを訴える人の割合が増え続けている現状を勘案すれば、頸や腰に負担が掛からない椅子の選び方や座り方、パニックに陥らないための息の吐き方なども指導した方がいいのではないだろうか。

今日まで学校の保健体育の試験では、走り高跳びのルールやバスケットボールのコートの名称など、健康とは全く関係ないことが多く出題されてきた。それなら、冒頭に掲載したような問題(注)を出した方が、子どもたちの将来のためになるだろう。9年間もあれば、運動が苦手な子供でも、腰を痛めないかがみ方や頸を安定させる舌の使い方くらいマスターできる。超高齢化が進むなか、保健体育が担う役割と責任は、これからより大きいものになるだろう。
(注)この文章の前に姿勢に関する穴埋め式クイズあり

 いきなり長文の引用だったが、本書にはまずクイズがあり、アゴを引き、骨盤を前傾させる知識を問う問題がある。そして上記の「まえがき」が続き、その主張に大いに賛同したあまり、思わず長文の引用をしてしまったわけだ。

学校の保健体育というのは何を勉強したかほとんど記憶に残っていない。体育の実技の指導よりも、むしろこういう日常生活の中で誰にでも役に立つ知識を教えてくれたらよかったのに。
人が医者の世話にならずに過ごせるかどうかは習慣によるところが大きい。毎日の立ち居振る舞いの中で注意すべき点、望ましい姿勢の提案などについて書かれた本が本書である。

著者は元プロサッカー選手で、現在は腰痛専門のトレーナーの伊藤和磨氏。本書は日常の動作や姿勢を見直し、体に負担を減らすコツを紹介している。具体的にはアゴや尻の使い方、呼吸法や靴、椅子の使い方などを筋肉や関節と関連づけて分かりやすく説明している。

この手の本はいろいろな人がいろいろな説を主張しており、中には根拠の希薄な主張もあるが、本書には説得力があると感じた。

一つ紹介してみると、アゴを引くことによって、目力がつくとともに集中力が高まるのだという。アゴを引くというたったそれだけのことで、クビの神経や背中の筋肉への負担が減り、腰が立ち、脳への血流や呼吸もよくなり、頭が冴えるという。実際に試してみたが、たしかに効きそうな感じである。本書はスポーツ選手がパフォーマンスを向上させるための本ではなく、中高年が自分の肉体を長持ちさせることを第一に考えた本である。

もう一つ紹介すると、イスに座るときは腰骨を立てて、おしりを少し突き出して座るといいとある。これを読んで思い出したのは、現在絶賛開催中のアジア選手権2013の団体戦準決勝で馬龍選手をギリギリまで追い詰めた李尚洙(イ・サンス)選手である。
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別に自慢することでもないが、去年のジャパン・オープンのトイレで私は彼の隣で用を足したことがある。
前から気になっていたのだが、彼の基本姿勢での出っ尻ぶりは抜きん出ている。しかし、あれは計算され尽くした姿勢なのかもしれない。

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腰を痛めにくく、腰を回転させやすい。だからこそ、あの馬龍選手と渡り合うだけのプレーができたのだ。

まとめ
まだ読了していないが、本書は腰、頸、膝といった負荷のかかりやすい部位を守るための知恵がちりばめてある。日常生活の中で実践できる「正しい~方」の一つの提案として読む価値のある本だと思われる。また、骨が透けて見えるイラストが分かりやすいのも特筆に値する。

【追記】 2013/7/14
冒頭の階段の正しい上り方についてだが、どうやら、やや上を向いて、足を進行方向に対して45°にして、上ると膝に負担がかからないらしい。 

鯵のゼイゴ

卓球にはまったく関係ない私の日常。
先日、スーパーに行ったら、アジが半額で売っていた。
小指ほどの大きさのアジ(アジってこんな小さな魚だったのか)が3~40匹入ったパックが160円の半額の80円だった。「南蛮漬けに最適」と書いてあった。南蛮漬けかぁ。ちょっと食べてみたいなと思ってなんとなく買ってしまった。
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うちに帰ってネットでアジの南蛮漬けを調べてみたらびっくりした。かなり手間がかかりそうだ。アジのハラワタをとって、油で揚げて、南蛮漬けのタレを作ってそれに人参、玉ねぎ、ピーマンといっしょに漬け込むとのこと。油であげるというのがハードルが高い。しかし、このアジをみすみす腐らせるわけにはいかない。そこで南蛮漬けに挑戦してみた。

「何なんだ!これは」
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アジの側面後方にかなりしっかりとしたトゲトゲがついているのだ。喩えるならば、それはサランラップを切るギザギザに似ている。ネットで調べたところ、ゼイゴというらしい。こんな人畜無害そうな魚なのに、しっかり身を守るためのギザギザが付いているなんて。 
そしてアジにそんな部位があることをこんな年齢になるまで知らなかった自分にも驚いた。世の中は未知のことに満ちている。 料理なんてカレーライスとか野菜炒めとかラーメンぐらいしか作ったことがなかったので、私は料理のことを全然知らない。もちろん油で何かを揚げたこともない。

「本当に大丈夫だろうか…」

早くも雲行きが怪しくなってきた。

ゼイゴはキッチンバサミで切り取るのが楽だった。とはいえ、3~40匹のゼイゴとハラワタをとるのはかなりめんどくさい作業だった。
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「1000円やると言われても、こんなめんどうなことやりたくない」

黙々と夢中で作業を続けていると、確実に処理された魚が増えていく。そうすると、あまりめんどうだという気持ちが薄れて、ほんの少し達成感を感じた。

「何かが残って目に見える仕事っていいな」

そしていよいよ油揚げに挑戦である。片栗粉というのを急いで買ってきて、それをアジにまぶす。今までの経験からこういう作業はやりすぎると失敗する。調味料なども入れすぎて失敗したことが何度もあった。そこでやや控えめに片栗粉をまぶして準備完了。油を熱し、それにアジを投入。5~10秒ぐらいで油から上げる。一口味見してみる。

「うまい!揚げたての魚ってこんなにうまいのか。下手なスナックよりもおいしいじゃないか」

これに味をしめて、3~40匹一気に揚げる。そういえば、タレを準備するのを忘れていた。こういう調味料は正確に分量を計って作らないと全てが台無しになる。計量カップでレシピ通りにタレ(ラッキョウ酢にうすくち醤油おおさじ2杯)をつくり、野菜を細く切り、すべてをタレに投入。

「終わった。かなり難しい作業だったが、初心者にしては上出来だった」

カップ麺のスーパーカップ2杯分の南蛮漬けができた。そして数十分待ってから、あつあつのごはんといっしょに食べてみると、とてもおいしい。苦労が報われた。私にしては素晴らしい出来だ。 スーパーで何気なく売られている南蛮漬けというのはこれほど手間がかかっていたのか。こんな手の込んだ料理を1パック300円で高いとか言っていた自分はなんと心得違いをしていたことよ。もしこの自家製南蛮漬けスーパーカップ1杯を1000円で売ってくれと言われても、私はきっと断るだろう。この料理にはそれほどの価値があるのだ。

私はともすれば安いものを衝動的に買っては金を無駄につかってしまう。しかしちゃんと作った料理というのがこれほどの手間のかかるものだとすれば、500円程度で食べられる料理というのは一体どんな素材をどのように調理しているのだろうか。ちょっと心配になってくる。

以下のブログでドイツ人のライフスタイルについて触れている。
女性の美学
それによると、ドイツでは8万円ほどのベビーカーが売れ筋なのだという。日本で売れ筋というと、その半額ぐらいではないだろうか。ドイツでは家具も高級で質のいいものが売れているという。イケアなどの安い家具は学生の買い物という認識なのだそうだ。そしてドイツ人は財布の紐が固い。無駄な買い物はしない。しかし必要な物があれば、安物は買わない。これが使い捨て文化の日本とは対照的な意識先進国ドイツのライフスタイルなのだという。こういう記事を読んでいろいろ反省させられた。私の卓球用具に対する金のつかいかたは根本的に間違っていた。私が用具を買う動機は「安いから」あるいは「安い割にいいから」である。そしてとっかえひっかえ安い用具を替える。安物だから愛着がない。すぐに放り出して、そのまま顧みられることはない。ラケットやラバーを誰がどのように作っているのか興味もないし、作っている職人に対する尊敬の念など微塵もない。

このような考え方では私たち人類はいずれ滅びると感じた。消費者が安さだけを追求すれば、職人も妥協を続け、消費者に対する愛情など抱かなくなり、消費者は単に騙して金を搾り取る対象にしか見えなくなってくる。悪循環である。

私は自分の作ったアジの南蛮漬けが不当に廉価で贖われるのに断固反対する。しかし、それなら私も自分の南蛮漬けに対する愛着と同じ気持を持って用具を扱わなければならないと思った。
 
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