しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2013年05月

数年前、職場で急に腰が抜けた。
歩いてる時に突然プチっという感覚があり、腰に力が入らなくなったのだ。 激しい運動をしたわけでもない。ただ歩いていただけだ。

「なんなんだ?今の感覚は」

激しい痛みがあったわけではなく、なんとなく腰に違和感を感じただけだった。しかし、その結果、座れなくなった。いや、座れないことはないのだが、腰を曲げようとすると激痛が走る。真っ直ぐ直立して座れば大丈夫だ。そして横になるときにも、起き上がるときにも腰に激痛が走る。寝返りをうつのも一苦労だ。

整形外科に行ってみたところ、ギックリ腰だろうとのこと。詳しい説明を聞いて驚いた。私が想像していたものと全く違ったからだ。

ギックリ腰というのはマンガなどで老人が重いものを持ち上げようとしてグキっとなって動けなくなってしまうという程度の認識しかなかった。たぶん関節のかみ合わせがずれてしまい、腰を叩いたりしたら、元に戻るものかと思っていた。整形外科で聞いた説明に驚愕した。

完全に以前と同じ状態には戻りません

背筋が寒くなった。

「卓球ができなくなるどころか、日常生活にも支障が出るのか?」 

ギックリ腰というのは、背骨の関節のギザギザの間にある「肉の座布団」が破れてしまうことらしい。そしてその破れはしばらくすると治るらしいが、元と同じ形には治らないのだという。

「どうやら卓球ができなくなることはないらしい」

少し安堵した。
その後、痛みは引いて、だんだん腰の状態も以前のようになったのだが、たしかに、ほんのわずかな違和感が現在に至るまで残っている。 運動の前のストレッチの大切さを思い知らされた。

それで終わったらよかったのだが、最近また腰を痛めてしまった。
ツッツキを回りこんでドライブしたら、フォアのキツイ場所にブロックされた。それを夢中で追いかけたら、腰に違和感が走った。前と同じ場所だった。

今回はおそらく首の皮一枚で助かったのだと思う。それほど痛みを感じない。しかし、前と同じ箇所が痛むのがおそろしい。どうやら、腰の故障はクセになるようだ。この違和感はこれから一生続くのかもしれない。
フットワークを使って大きく移動するのは中年には負担が大きすぎる。小さく素早く動くのはいいと思うが、大きく急激に動くのは控えたほうがいいだろう。さもなくば卓球どころではなくなくなってしまう。
腰の他にも、プロの選手が膝を故障したということをよく聞く。膝の故障がどんなものか分からないが、「膝の故障が再発」という話も聞くので、こちらも完治はむずかしいのだろう。こちらにも気をつけたい。

身体の故障に悩まされている人には言わずもがなだが、私のように長年故障とは縁のなかった人たち、とりわけ若い人たちに伝えたい。
「身体をあんまり粗末に扱うと、中高年になってから卓球ができなくなるよ」

 

ドライブを打つとき、スイングの弧線は普通

A: →o )  

となるだろう(カッコがスイングの弧線、oはボールを表している)。

これを

B: →o (  

こう打ったら、都合がわるいのだろうか。たしかにシェークの選手ではフォアドライブをBで打つ人をあまり見たことがないが、ペンならBの打ち方をする人もいると思う(こんなに反り返って打ってはいないが)。「卓球王国」のウェブサイトにある、会員限定動画の中で馬琳選手がBに近い打ち方をしていた。

このデッパリ弧線【 o( 】の有効性を指導経験の豊富な人に聞いてみたところ

「んなバカな」

と一笑に付された。このスイングは常識ではありえないらしい。

たしかにフォアハンドドライブではこのような打ち方をする人はあまりいないが、バックハンドドライブなら、Bのような打ち方はそれほど珍しいとは思わない。つまり、スイングが終わった時にバック面を伏せないで、相手に見せるような打ち方だ。たとえば、下の動画をみると、どちらもバック面を伏せていない。





岸川聖也選手が中陣からバックハンドを打つときなども、同じように打っている。

このバックハンドのデッパリ弧線【 o( 】はいろいろな選手が使っているのを見るが、誰も何も言及していないのはなぜだろう?「なにを当たり前のことを」と思う人もいるかもしれないが、私はまったく当たり前とは思わない。私なりに、すごい発見をしたのではないかと思っている。フォアハンドのデッパリ弧線は論外なのに、バックハンドのデッパリ弧線は当たり前というのでは理屈に合わないではないか。

「円が安くなると、日本の株価が上がる。当たり前じゃないか」
「空が青いのは当たり前じゃないか」

当たり前だと思う人には当たり前かもしれないが、私にとっては当たり前ではないのだ。

ぐっちぃ氏が「リフト」というテクニックを紹介されているが、これもヘッコミ弧線ではなく、デッパリ弧線の応用ではないかと思う。



私も最近、バックに来た下回転のボールをほぼ真上に近い角度で

  o(
   ↑
の形(これほど反り返ってはいない)で打ってみたら、苦もなく返球できた。ほとんどこすらず、ブレードの縁で引っ掛けるような感じで打つのだ。これはもはやバックハンドドライブというよりフリックだと思うが、これを早いスイングスピードで打ったら、リフトになるのではなかろうか。

今までこする場合、1つの打ち方だけで角度やスイングスピード、当てる厚さを調整して打っていたのが、ボールの性質によって2つの打ち方で打ち分けられるというのは大きな進歩だ。上級者にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとっての「打ち方革命」といっても過言ではない。江戸時代の画家が西洋の遠近法に触れた時の驚きというのはこういうものだったのではないだろうか。

【追記】5/29
今日、表の人のスマッシュを受けてきた。
バックハンドでブロックしたのだが、普段なら落ちてしまうボールをデッパリ弧線で軽くすりあげるように受けたら落ちなかった。目からウロコだった。今までは角度を調整していただけだったので、スマッシュを取るのが苦手だった。世間のブロックがうまい人たちはこうやってブロックを安定させていたのかと、今更ながら自身の不明を恥じている。

JUIC卓球教室の偉関晴光氏の指導ビデオをみた。



指導者は大変だ。
このビデオを見ると、受講者のミスが多くて、見ていてイライラする。私のレベルでイライラするのだから、偉関氏はさぞイライラしていることだろう。いや、偉関氏ほどのレベルになると、かえって下手な人を見てもあまりイライラしないのかもしれない。なぜなら今まで自分よりも上手な人を見ることがほとんどなかったのだから。

その中で、フォアスイングについてのコメントがあった。14:10ぐらいのところだ。振り切ったあと、スイングを止めてはいけないということだった。私もよく言われる。それが戻りの遅さにつながっている。偉関氏の模範スイングを見て思うことがあった。

最後まで振っていない?

最後まで振り切ると、打ち終わった時にスイングが止まってしまう。偉関氏のスイングは、ボールが当たった瞬間からブレーキをかけ始め、戻る姿勢に入ればいいと教えているのではないか。
つまり、スイングが100%完成してからブレーキをかけるのではなく、 打球後のフォロースルーの途中、スイング全体の70~80%の時点で身体を戻し始めるというのはどうだろうか。
しかしそれはかなり難しそうだ。スイングし終わったあとの反動を利用して戻るのなら、身体を戻しやすいが、スピードが一番乗っているところでブレーキをかけるのは難しいだろう。

では、どうすればフォロースルーを短くできるのだろうか。スイングの頂点付近で打球できるようにスイングの長さを調整すればいいのではないだろうか。つまりスイング全体の60%ぐらいのところで打球するからフォロースルーが40%もできてしまうのである。だとしたら、80~90%のところで打球するようにすれば、フォロースルーは10~20%で済む。
そもそもスイングが長すぎるのだ。たとえば、時速70キロのドライブをうつのに60センチのスイングが必要だとする。それを私たちは90センチも使っているのではないだろうか。そして50~60センチほどのところで打球しているから、30~40センチのフォロースルーができる。もしこの仮説が正しいならば、まずスイングを短くすることが先決だ。スイング全体を30%短くして、60センチにする。そしてその60センチのスイングの50センチ付近にインパクトを持ってくるようにすれば、フォロースルーは10センチで済む。戻りも早くなるはずだ。

結局、結論のみを見れば、「スイングを小さくすれば戻りも早くなる」というありふれた結論だった。しかしこの考察を通じて多くのことを学んだ。

お互いに中陣まで下がって打ち合っているとき、相手が中陣から回転量の多いドライブを打ってきて、あっと思ったときにはボールがグンと伸び、ラケットを弾かれてしまった。
こんな経験はないだろうか。中陣から放たれるドライブは、バウンド後、しばらくすると急激に伸びる。あれをドライブで返すにはどうすればいいのだろう?一つは伸びる前に打つ。もう一つはさらに下がってボールが下降してきたところをドライブする。もっといい方法があるのかもしれないが、私にはこの二つしか思いつかない。

私の調子の悪さはたいていオーバーミスという形で顕在化する。フォアドライブを打っても入らない。
前記事「オーバーミスの原因を探る」でスイングの角度が上すぎて、ラケットが下から出ているという点を指摘したわけだが、オーバーミスというのはつまるところ、以下の二つの要因に収斂するのではないか。

A 当てすぎている
B 打球点が遅い

もちろん、回転量を見誤っている場合もあるが、そうではなく、回転量を適切に把握しているはずなのにオーバーしてしまうのは上の2つの要因が考えられる。

Aは以下のような場面で起こる。
たとえば、相手の横回転サービスがかなり切れていて、それを強引にドライブしようとしてオーバーしてしまう。ラケットを下から上に振るということ自体は問題ではなく、もっとデリケートに薄く、小さいスイングで上方にこすり、ループ気味に打たなければならないのに、かなり厚く当てながらドライブしてしまっている場合だ。この場合、前方に押し出す力が働きすぎて、ボールがオーバーしてしまう。

Bは冒頭の例のような場合である。相手のボールが前進回転の場合、ボールが伸びるので、気をつけていても打球点が遅れてしまう。前にかぶせて打たなければならないのに、かぶせきる前にインパクトしてしまう。この場合、ラケットが下から上に出ている場合が多い。

先日、上手な人と打っていたとき、相手の順回転のボールに対する私のオーバーミスが多かった。その原因として打球点の遅さを指摘された。私は半信半疑だった。
「けっこう打球点は気にしているし、下からスイングしないように、ボールの上方をこすっているはず。打球点が遅いというのは考えにくい」
しかし、遅かったのだ。ツッツキのボールに対する打球点にはかなり気を遣っていたのだが、順回転のボールに対しては私の意識と実際の打球点にギャップがあったのだ。順回転のボールに対しては「早い」打球点よりも、「もっと早い」打球点で、体を前にかぶせるように打たないと、かぶせる前にインパクトしてしまう。自分ではボールの上方をこすっているつもりでも、実際は自分の意識以上に早くボールが到達してしまい、ブレードがボールの上方に辿り着く前にインパクトが来てしまう。結果としてボールのかなり後方をこすってしまっているわけだ。運動の方向も重要だ。体を斜め下から斜め上に動かすのではなく、後ろから前に動かすのだ。
この法則はドライブだけでなく、ブロックにも当てはまるだろう。相手のドライブを受けきれずにポーンと浮いてオーバーしてしまうのは、回転量が予想以上に多かった場合もあるが、むしろ振り遅れた結果、ブレードをかぶせる前にインパクトが来てしまったためだと思われる。

自分の意識というのはあてにならないものだと痛感させられた。私のようなヘタクソは自分の意識が現実に即しているかどうか、意識と現実にギャップがないかどうか、それを不断にチェックしなければならない。これでオーバーミスが減ることを期待する。

コクタクという会社はなにかこう、憎めないところがある。いや、むしろ「にくい」会社である。

「にくい」
(2)(反語的に用いて)かわいい。いとしい。

「私の心を奪った―・い人」
(三省堂『大辞林』より)

まず、社名が野暮だ。カタカタ言っている旧式の機械のような響きである。そしておちゃめな会社である。

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このパッケージデザイン、どうみても80年台前半である。シンクロンのパッケージデザインは中国に依頼したのだろうか。ロゴがなんとなく鄧小平以前の中国のデザインを思い起こさせる(労働者色強し)。そしてクリッターは昔あった「トロン」という映画にインスパイアされたのではないだろうか。
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今となっては一周回ってかえって新鮮な感じがする。と思ったら、トロンのほうも、最近続編が出たらしい。


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コクタクと同様、1周回って、トロンの世界観が今カッコイイということだろうか。

そしてラケットの名前もおもしろい。「パスピー2号」ってなんだろう?まるで70年代の特撮ロボットの名前のようだ。スペリングはpassvyと思われるが、意味不明である。

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「ベーシックV3」というのは初心者向けのラケットかと思いきや、スペリングがbeseicとなっている。これも意味不明である。
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このラケットは卓球屋で3800円ほどだったので、購入してみた。思ったより良い感じだった。スプリングラケットというシリーズで、確かによく弾む。

コクタクというのは、どうしてこう時代の流れに乗るのが下手なのだろうか。世間の卓球メーカーが他社に出し抜かれまいと必死で手を広げ、様々な試みをしているのに、コクタクは30年経ってもあまり変わらない。東京に住んでいる若者が久しぶりにふるさとを訪れて、その時間の流れの違いに驚くようなものである。

「新素材とか、新技術搭載とか、そんなものを追いかけても、いずれ色あせてしまうさ。卓球用具は安くてクセのないものが一番だ。あとは使う人の技術次第だよ」

とでも言いたげな企業姿勢である。それはそれで、ある種の真理を突いている。

以下のページを見て、オーラというラケットが欲しくてたまらなくなってしまった。
TTI-LABO 小型軽量7枚合板 「コクタク オーラ中国」 
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まず、安い。卓球屋やジャスポなら3200円ぐらいである。デザインだけでなく、価格設定まで当時のままというのはありがたい。そしてどうやらブレードが小さく軽いので、振り抜きやすいらしい。サイズ的には、王道04中国式と同じぐらいのサイズらしい。王道04が横長なのに対し、オーラは縦長のようだ。
名前も不思議だ。OHRAってなんだろう?この名前が気になってしょうがない。値段も安いし、つい衝動買いしてしまった。

これが実物である。

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実物を手に入れて、OHRAの名前の秘密が分かった。ラケットの箱に「気(オーラ)中国」と書いてあったのだ…。このネーミングセンス、さすがコクタク。

ラケットの箱には「性能区分表」が載ってあり、オーラ中国は
オフェンス13
オールラウンド5
デフェンス2
安定性10

というのがカタログデータである。ちなみに最高値が15だというから、オフェンス13は相当高い数値のようだ。レーザーが9、ベーシックが10、尾州NO.1 D.60が同じく13なので、コクタクのラケットの中では相当ぶっ飛ぶラケットである。私はあまり弾むラケットが好きではないので、レーザー中国のほうがよかったかもしれない。

形状についてだが、確かに小さく軽い。そしてグリップが細く握りやすい。しかし、グリップ中央の麦の穂のような意匠は何なのだろう。グリップの色がグレーに変わったのはいいとして、グリップ中央を走るあの模様はちょっと痛かった。安っぽさ50%アップである。それからよく見ると、グリップとブレードの接着面にほんのすこし接着剤がはみ出して固まっていた。実用的にはまったく問題ないのだが、これが「匠の技」なのだろうか?「神は細部に宿る」というではないか。TTI-LABOに「職人技が光る」などと書いてあるが、私にはあまりピンとこない。コクタクはそういう昔ながらのやりかたにこだわるガンコな職人仕事というよりも、単にシーラカンス的な、流行を気にしない会社のような気がする。実用性が最優先で、多少仕上げが悪くても、安くてちゃんと使えれば十分という哲学を持っている気がする。

試打してみた感想を述べたい。
初めはキョウヒョウ3を貼って打ってみたのだが、弾みすぎるので、余っていたアンソート(中)を貼ってみたら、ほどよく弾まなくなり、良い感じである。このラケットは気分転換用のラケットなので、あまり使い込んでいない。特に驚くような特徴もないし、逆に気になる点もない。値段を考えれば、十分満足の行く買い物である。

このラケットの特徴を簡単に挙げると、
・安い
・グリップが細い
・ブレードが小さい
・軽い
・やや弾む

というものである。グリップの意匠だけ(名前もちょっと)が気になるが、それ以外は問題ない。一言で言えば、「手軽なラケット」である。ラケットが小さいのでジャマにならず、カバンにいつも忍ばせておいて、持ち歩くのにいいかもしれない。平凡なラケットなのだが、なんともいえず愛着が湧きそうだ。

コクタクというメーカーといい、オーラといい、学生時代にクラスにいた、目立った特徴もなく、垢抜けない女の子みたいなイメージだ。ふだんは気にもとめず、忘れているのだが、付き合いが長くなると、意外なかわいさをときどき発見できて、小さな満足を覚える。がっかりしたり、失望したりすることがない。噛めば噛むほど味が出る。オーラ中国は私にとってそういう位置づけになるだろう。





京都の丑寅の方角に位置する比叡山。その鬼門から宮城を守護するために延暦寺が建立されたという。

比叡山















その比叡山を望む景勝地に京都市障害者スポーツセンターがある。下の写真、左に比叡山が見える。左下に京都バスのバス停が見える。
スポセン前














今回の卓球場めぐりは、京都市障害者スポーツセンターである。
ちなみに鬼はウシトラの方角から現れるということから、われわれの鬼のイメージはウシの角と、トラのパンツなのである。鬼を見たことのない中世の絵師たちが頭を捻って創りだしたイメージなのだという。

京都の中心部から北東へ自転車で40分ほど。京都有数の高級住宅街、下鴨の閑静な町並みを抜けて、高野川を渡ると、障害者スポーツセンターがある。障害者スポーツセンターは障害者のための施設だが、一般利用も可能だ。バイクや自動車も駐車可能。ただし、自動車の駐車は毎回確実にできる保証はない。

以下にデータを示す(2013年5月25日現在)
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卓球場利用時間
午前の部:9:30~12:30
午後の部:13:30~16:30
夜間の部:17:30~20:30

料金:1台あたり最大3時間500円。時間は上の区切りなので、各部の途中から利用しても同一料金。
電話:075-702-3370
定休日:火曜日と第三金曜日。年末年始。5月の連休後。暴風警報時は休館。他にもイレギュラーに休館日あり。ウェブサイトで確認してほしい。

アクセス:地下鉄松ヶ崎駅から徒歩15分ほど。京阪出町柳からも同じぐらいの距離だろうか。北山通と北大路通のちょうど中間、高野川沿いに位置する。バスなら市バス204・206系統「高野橋東詰」から北へ500m。京都バスなら大原・岩倉方面行き「高野玉岡町」で下車すれば、目の前だ。
地下鉄北山駅への無料送迎バスもあり、時刻表は以下のとおりである。

スポーツセンター発:12:35、16:50、20:35
北山駅発:9:10、12:50、17:10

台数:5台
指導・相手:なし
マシン:なし
用具貸出:ラケット・ボール貸出可
用具販売:なし
エアコン:あり
飲食:飲み物の自販機あり。2階にレストランもある。最寄りのコンビニは歩いて5分ほど。
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スポセン卓球場

台はわりとしっかりしたものが多い。間隔はやや狭く、後ろもそれほど広くないので、カットマンには厳しいかもしれない。しかし、通常の攻撃型のプレーヤーにとっては十分な奥行きだと思われる。
午前・午後の部は熱心に練習している障害者が多いので、 台がいっぱいのことも多い。そういう場合は15分ごとに交替でプレーすることになる。思う存分練習したいなら、夜間の部を利用することをおすすめする。

【まとめ】 
とにかくお得な卓球場である。京都の中心部からは遠いので、アクセスが不便だが、最大3時間500円は安い。一人500円ではない。1台で500円なのである。 長時間ガッツリ練習したい人に最適である。
しかし、あくまでも障害者のための施設なので、障害者優先である。比較的利用者の少ない夜間の利用をおすすめする。

世界選手権2013が終わった。
試合中、興味深かった発言を集めておこうとメモしておいたのだが、未完成である。
すべての試合の実況・解説を聞く余裕が時間的になかったので、なんだか中途半端になってしまった。
しかし、せっかく集めておいたので、下に記しておく。
引用は正確に再現できていない可能性もあるのはご了承いただきたい。

ミックスダブルス(岸川聖也選手・福原愛選手)1回戦第3ゲーム
岸川選手が巧みなプレーでポイントしたとき

近藤氏「やはり岸川くんはやるときはやりますねぇ」
アナ「そうですね、九州男児。」
近藤氏「九州男児ですから」

まるで、岸川選手はふだんはパッとしないとでもとられかねない発言だったので、笑ってしまった。そして「九州男児」というステレオタイプでまとめるのも安直で笑えた。

ミックスダブルス(吉村真晴選手・石川佳純選手)1回戦第4ゲーム
相手がサービスミスをしたとき

宮崎氏「あれはね、悩みながらサービス出してるんですね、強いレシーブが来るんじゃないかというように。そだからああいうミスをしてしまう。」
アナ「まぁ、悩ませるだけのことをこれまでやってきたということですね?」

なるほど。サービスミスは迷いながら出している時によくやってしまうものだ。ギリギリまでどっちに出そうか決めかねながらサービスを出したとき、よくミスしてしまう。言われてみれば、なるほどなのだが、言われるまで気づかなかった。

福澤アナ 「卓越した球技、略して卓球!!」

みごとなラリーを評して
福澤アナ「まるで白い糸を紡いでいくような…すばらしい!」

福澤朗氏の実況は古舘伊知郎的な熱くて饒舌な語りだ。「暑苦しい」と悪口を言う人もいるが、私は好きだ。福澤氏は卓球の従来の無難な実況に対する新たな試みとして評価できる。上手な比喩をおりまぜながらの実況は雰囲気を盛り上げる。「白い糸を紡ぐ」なんて詩的で秀逸な比喩ではないか。こんな表現はその場で生み出せるはずがない。事前にいろいろな表現を準備しておいたはずだ。その努力に敬意を表する。

対 馬琳戦。マツケンが3ゲーム目を決めたとき
宮崎「マリンに対して『オレの才能はどうだ!」と見せつけんばかりのプレーですよね」

宮崎義仁氏は特に文学的な表現を目指しているわけではないと思うが、この引用構文の性質を遺憾なく発揮した表現はどうだ。なにげに言い得て妙ではないか。引用構文の本質である実物表示をここで不意に持ってくる宮崎氏のセンスには脱帽だ。

対馬龍戦で馬龍がミスを連発していたことに対して
宮崎「丹羽選手の卓球は打ちぬく卓球じゃなくて、相手のミスを誘う卓球なんですよ」

え~~!そうだったのか。ここの引用はあまり正確ではないかもしれないが、このような趣旨のことを言っていたはず。丹羽選手といえば、早い打点でノータッチで打ちぬくイメージがあるが、丹羽選手の本領はそれではないのか…。

以上、まとまりのない、寄せ集めの引用集である。おそまつさま。
 

34年ぶりの日本人によるシングルスのメダル獲得がかかる準々決勝。
松平健太選手 対 許昕xu xin選手。
今日も健太選手の試合に酔いしれてしまった。
なんという技術の高さ。いつのまに健太選手はこんな怪物になっていたのか。



対 馬琳選手のときもそうだったが、健太選手は許選手の得意な展開に持ち込ませない。豪快なフォアドライブを打たせない。

フォア側でフリックさせ、3球目をバック側に深く押しこむ。ギリギリまで深い。時には白線の上にボールが落ちることさえある。あんなに深く返球したら、ほんの4~5センチでオーバーしてしまう。高い橋の欄干の上を歩いているようなものだ。危険極まりない。コースの決まったバックロングの練習ではない。微妙な回転もかかっている。舞台は世界選手権、準々決勝。相手は世界ランキング1位。満場の観衆が固唾を飲んで自分を見つめている。背中には日本の威信が重くのしかかっている。そんな状況で、正確にコートギリギリの深さで返球できるとしたら、それはマグレではないだろうか。しかしマグレでは説明がつかない。ほとんどミスがないのだから。80%以上の成功率だったのだから。どうなっているんだ?しかも、あのブロック。右に左に広角に相手を振り回すは、逆モーションは使うは、マツケン!君はおかしいぞ!
カウンターというのは非常に得点率の高い技術だ。だから誰もが使いたい。しかしそうそう使えない。あまりにも成功率が低いからだ。しかも相手である許選手のドライブはとんでもないスピードとスピンで迫ってくる。コースが決まっているわけではない。どこに来るか分からない試合中のボールだ。誰がそんなボールをカウンターしようだなんて思うだろうか?自殺行為としか考えられない。それが成功したとしたら、それはマグレに違いない。しかし…半分以上決まってるぞ!カウンターが。使いまくりじゃないか!なんなんだそれは?相手のカウンターまでカウンターで返すなんて、しかもそんなテクニックを試合で何度も使うなんて無謀すぎる!でもそれが決まっているのだから、無謀なバクチではなく、健太選手の技術だと言える。何かが憑いているんじゃないか?
相手のボールがネットインしたら、ミスするか、フワッと浮かせてしまったりするでしょ?ふつう。相手のドライブが、軽くネットに触れてほとんどスピードを落とさず入ってきたら、とれないよ…ってとってるよ!しかも普通に打ち返してるし、さらに決めにいってるよ!!

こんな化け物じみたマツケン、私の知っているマツケンではない。中国トップ選手に遜色ないテクニックを持っているじゃないか。

今回も解説は宮崎義仁氏。氏の解説はすばらしかった。解説が細かく、詳しい。1ポイントごとに今の選手の狙い、何を嫌がっているか、どういう展開に持ち込もうとしているかを分かりやすく説明してくれる。技術的な説明や選手の特徴まで説明してくれる。おかげで私は選手の考えや気持ちを想像しながら観戦することができた。そしてなんといっても宮崎氏には情熱がある。「よ~し!!!」「ナイスボール!!!」「うまい!!!」など、健太選手のプレーにいっしょになって酔いしれて絶叫している。観戦を楽しんでいる。解説者という仕事をこなしながらも、試合に感情移入しきっている。これはすばらしい解説だった。
宮崎氏の戦術に関する解説は細かい。

「今、フォアに短く寄せてバックを狙っていこうとしていますよ。あれが効いています」
「相手は健太のフリックを嫌がっているんですね。それでフォアに打ったんですが、それをカウンターされたので、相手は今どこに出せばいいのか悩んでいますよ」

この見立てが当たっているかどうかは選手本人に確認しないと分からないが、監督というのはこれほど試合の流れを分析するものなのかと感心した。
戦術について以前も書いたことがあるが(前記事「「戦術」の意味―WRM卓球塾講習会4戦術編を見て―」)、戦術というのは試合中に何度も変化していく。自分も戦術を転換するし、相手も転換する。自分が戦術を転換すれば、相手もそれに対応して転換する。さらにそれに対してこちらも戦術を変えていく。いたちごっこだ。相手の転換に対応できず、戦術のネタが尽きてしまったとき、不利な条件で戦い続けなければならない。今回の世界選手権の福原愛選手の試合ははじめから終わりまでほとんど戦術の変更がなかったように見えた(前記事「牛肉の部位「かた」と「うで」―試合の切れ目」)。相手にリードされているにもかかわらず、戦術を変えずに戦い続ければジリ貧を免れない。健太選手は4ゲームまでは光るプレーを随所に見せ、許選手にプレッシャーを与えつつ、有利にゲームを進めていたが、5・6ゲームは許選手を脅かすようなプレーは影を潜めてしまったように見えた。一度はリードしたものの、結局2-4で負けてしまった。これはもしかしたら、戦術が尽きてしまったのかもしれない。

テクニックでは健太選手はまったく相手に引けを取っていない。では明暗を分けたのは何だったのか。

一つは安定性、一つは精神力だったように思う。

5・6ゲームでは健太選手のミスが目立った。そもそもかなりリスキーなプレイをしていたので、ミスが出るのは仕方がないが、5・6ゲームでは凡ミスが目立った。フリックをオーバーさせたり、なんてことのないボールをネットにかけてしまったり。そして一番の原因は精神力だったように思う。世界トップクラスの試合というのはおそろしく神経を使うということが宮崎氏の解説からうかがえた。相手の長所を抑えて、自分の有利な展開に持っていくためにどうすればいいのか?以前、将棋の羽生名人のビデオについて「確信が得られないまま、何かを選択しなければならない」という言葉を引用した(前記事「「プロフェッショナル 仕事の流儀 棋士 羽生善治の仕事」を見て」)が、戦術を考えるということはおそろしく精神力を消耗するものだと思う。おそらく1試合終わったら、次の日は何も考えず一日中ゴロゴロしていたいと思わせるほどの消耗なのではないだろうか。健太選手は前日にサムソノフ選手と戦って、精神力を消耗しきっている。対して許選手は前日の試合を伸び伸びとプレーし、ストレートで順当に下した。



この差が今日の試合に影響してはいないか。今日の試合の5・6ゲームは観ているこちらも頭が痛くなってきた。

「相手は次はどこを狙ってくるのか」
「相手の裏をかくにはどうすればいいのか」
「次はこういう展開で攻めたい、そのためにはどうすればいいか」

といったことをポイント間の短い時間で延々と考え、答えの見つからないままサービスに入る。これは苦しい。するとこんなことを考えてしまう。

「もしかして、こんなに苦労して勝利するよりも、ここで負けてしまったほうがいいのかもしれない。自分はがんばった。ここまでやれば、十分合格点だろう。」

それで拷問のような戦術を練る作業から解放されたいという誘惑に負けてしまう。マラソンでゴール近くで相手に引き離され、「これ以上苦しむよりは、負けてしまったほうがマシだ」と思うような心理に似ている。
健太選手がそのようなことを考えたかどうかはもちろん分からない。ただ、私ならそう考えて気持ちが折れてしまうかもしれないと思う。そして勝利への執着を諦めてしまうと、ミスが増え、戦術を転換するのをやめてしまう。

今日の試合は本当に紙一重だった。技術では負けていなかった。ちょっとした偶然でどちらに転んでもおかしくない試合だった。健太選手は十分勝つ可能性があった。しかし結果は負けだった。これは健太選手のかけひきや安定性のまずさを責めるべきではなく、途中1ゲームのビハインドにもかかわらず崩れなかった許選手の精神力の強さを讃えるべきだろう。

また、こんなに長々と妄想を交えた持論を展開してしまった。丹羽孝希選手の試合についての感想を書く紙幅も尽きた。

つづく

【追記】5/20
許選手は対 健太選手戦で相当消耗したことだろう。それなのに早くも準決勝が行われ、張継科選手と戦っている。そして0-4のストレート負けだそうだ。だんだん『あしたのジョー』じみてきた…「許昕は準々決勝でケンタ・マツダイラに破壊されていたんだ~!」

 

【追記2】5/26
丹羽選手の対馬龍戦についても語りたいことがあったのだが、仕事が忙しくてバタバタしているうちにその熱が覚めてしまった。「その3」が書けなくなってしまった。
書きたかったことは、丹羽孝希選手の活躍は結果は地味ながらすばらしいものだった、日本を代表する選手として恥ずかしくない試合内容だった、ということだ。
世界レベルの選手というのは私の想像を超えたかけひきをしていることが上の宮崎義仁氏の発言からうかがえた。何気ないブロックやフリックでも回転をかけたり、かけなかったり、同じようなサービスでも変化と種類に富んでいたり、丹羽選手の技術の多彩さには驚かされる。 

先日の馬琳戦は残念ながら、見る前に結果を知ってしまった。
それで昨日のサムソノフ戦は絶対に見逃すまいと思い、万全の態勢で観戦した。
すばらしい試合だった。卓球をやっていてよかった。卓球をやっていなかったら、この健太選手のプレーの素晴らしさがあまりよく理解できなかっただろうから。

おめでとう!松平健太選手。そしてすばらしい試合をありがとう。



松平健太選手の戦績等
松平健太選手は2006年(わずか15歳?)に世界ジュニアで優勝するという 早熟ぶりを発揮し、2009年の世界選手権横浜大会では1年前の北京オリンピック金メダリストの馬琳をセットオール9-11まで追い詰め、世間の注目を浴びた。



しかしその後はケガや不調で目立った戦績を残せず、ようやく今年のジャパントップ12(日本代表+それに準ずる選手出場)で優勝を成し遂げるという明るいニュースで復調をアピールし、ワールドチームカップ2013では丹羽選手とのダブルスで中国選手を破るという快挙を成し遂げた(前記事「緊張感と臨場感」)。

そして先日の世界選手権では馬琳にリベンジした。相手の卓球をまったくさせない一方的な試合だった。



打点の早いブロックで相手を振り回し、完封と呼ぶにふさわしい勝利だった。衰えたとはいえ、馬琳にここまで完璧に勝利したということは、中国のトップ選手(馬龍・張継科・許シン)にも勝てるかもしれない。さらに「優勝も狙える」と言われていたサムソノフ選手(中国選手にも安定して戦える)もすばらしい内容で下した。押しつ押されつの見応えのある試合だった。次の相手は許昕xu xin選手だが、健太選手のブロックが許選手の攻撃にうまくハマれば、十分勝機がある。

健太選手の特徴
整った顔立ちと、マナーの良さは注目に値する。妹の志穂選手も非常にマナーが良く感じのいい選手だが(前記事「卓球のマナーとエチケット」)、健太選手も挨拶やマナーが非常にいい。みんなに好感を与える。日本卓球界の新しい顔になるかもしれない。

技術的には多彩なブロックが持ち味だと言われているが、それだけでなく、両ハンドの安定性がすごい。よく、両ハンドをブンブン振って攻撃するタイプと呼ばれる選手がいるが、そういう選手でも両ハンドが打てるのは前陣だけで、中・後陣からバックハンドを「ブンブン振れる」選手はそれほど多くない。後ろに下げられた場合、バックハンドは安定性をとってゆるいボールでしのぐ選手がほとんどである。しかし健太選手は中・後陣からでもバックハンドで攻撃できる、しかも安定している。これは健太選手の個性ではなかろうか。飛びついて中陣からのバックドライブなんてそうそう入るものではない。しかし健太選手は中陣からのバックドライブを苦もなく打ち込める。フォアからでも攻撃され、バックからでも攻撃されると、相手は息つく暇もない。これぞ本当の両ハンド攻撃だと思った。そしてフォアもバックも非常に安定している。

なんだか訳もわからないまま、筆の赴くままに記事を書いてしまった。健太選手の昨日の勝利に興奮して何かを書かずにはいられなかったのだ。また落ち着いてから続きを書きたいと思う。

つづく。

【追記】5/19
サムソノフ選手のユニフォームに日本語で「人生卓球」という刺繍がしてあった。ちょっとかっこよかった。

うちには子供向けの学習用ガジェットがある。スペック的には任天堂のDSみたいなものだが、英語学習ソフトというのが標準装備されていて、お話や歌を楽しめる。それには英単語クイズがついている。発音した単語を4択で選ぶというものだ。それでうちの子供が幼稚園のとき、2時間ぐらいぶっ続けで毎日遊んでいた。せいぜい十数語の英単語を選ばせる4択の問題を飽きずに何度でも続けるのだ。他に遊ぶものもなかったとはいえ、子供の集中力には本当に驚かされる。

最近、メキメキと実力をつけてきている平野美宇選手。ティーネイジャーに満たないながら、すでにシニアの国際大会でも勝利を上げている(2013年4月から中学生)。



下のビデオを観て、改めて驚いた。8歳で高校生に勝ってしまうなんて。



その平野選手の特集がネットにあったので読んでみた。
天才少女の粘りを生んだネバネバ食

平野選手も人並み外れた集中力の持ち主らしく、食事の時も、おかずをまんべんなく食べるのではなく、一品ずつ片付けていくのが好きとある。卓球の練習でもそうとうな集中力を発揮していることだろう。たとえばサービス練習でコーナーに半円を描いて、その中に入れる練習といった地味な練習は、大人ならすぐ飽きてしまうが、平野選手なら何時間も続けられるのではないだろうか。子供はこういう地味な練習でも集中してできるからこそ上達のスピードが早いのだろう。

一方、私はというと、ふだんは練習時間が短くものたりなく思っているのだが、先日3時間ほどぶっつづけで練習したら、さすがに飽きてきた。練習の密度も薄く、子供のような集中力はもはやない。
子供の頃の集中力を取り戻したいというのは無理な相談なのだろうか。

しかし、大人の集中力というのは本当に散漫なものだろうか?株価の変動やギャンブル、ネットオークションなど、金が絡むととんでもない集中力を発揮するのが大人である。

どうしてこんなことにだけ異様に集中するのだろうか。一つは、他にもいろいろな楽しみを経験しているので、単純にボールを打ち合うことにそれほど長い時間集中できないという事情があるのだろう。そしてもう一つの理由は、おそらく達成感を感じる対象が違うのである。
子供は遊びそれ自体に達成感を感じる。一方、大人は純粋に遊びを楽しむというより、それに意味を求めてしまう。

「これに勝ったら、こづかいが増える」とか「節約できるかも」

といった意味をである。
受験勉強の場合はそれらが相半ばしているように思える。
「やってみると、わりと楽しいな」と思うが、その一方で「これだけ勉強したら、成績上がるかな?」
のようなことを考えている。

卓球の場合で言うと、子供なら「今のサービスは速くて低くてかっこよかった!」と満足するところだが、大人の場合は「2時間練習したから、少しは安定したかな?」のように結果や効果を求めてしまう。意味を求めるのは悪いことではない。しかし練習中はその練習の中だけに喜びを見出すべきだ。

中国の方から聞いたのだが、中国卓球界で最高の栄誉とされるのは「全満貫」を達成することだという。
「大満貫」というのは聞いたことがあるが、「全満貫」というのは初めて聞いた。

鄧亜萍Deng Yapingは13~14歳(中国の年齢は数え年なので、あいまい)で中国の全国大会(これも複数あるらしい)で優勝したらしい(1986年?)。卓球王国の中国でわずか13歳あまりで優勝するというのはどういうことなのか。まさに天才少女と呼ぶにふさわしい。それにしても信じられない。あれほど層の厚い中国でポッと出の中学生の少女が全国優勝を成し遂げるなんて。
しかし、考えてみたら、こういうことも十分起こりうることなのだ。中国は広い。そして卓球人口が非常に多い。都市部でけっこう有名な選手たちは、みんながマークしているので、順当な結果になる。しかし中国は広い。全国津々浦々からとんでもなく才能のある若い選手が毎年現れる。彼女らは当然ノーマークだ。松平志穂選手のしゃがみ込みサービスを予備知識無しに受けたら、世界ランキング一桁の選手もかなり手こずるのではないだろうか。
それで中国では国際大会―大抵の選手は一度ぐらい対戦したことがある、あるいはある程度の情報がある―で優勝するよりも、国内大会―どんな選手が出てくるか分からない―で優勝するほうが難しいとされているらしい。「全満貫」というのは「大満貫」(オリンピック・世界選手権・ワールドカップ)を制し、かつ中国の全国大会を制することを指すという。

水谷選手の1回戦負けのニュースには耳を疑った。まさか水谷選手に限ってという思いだった。先日のワールドチームカップでブラジルのマツモト・カズオ選手にストレート負けをしたときの再来だ。水谷選手が負けたのはチェコのパペル・シルチェクという選手らしい。世界ランキングは131位。相手は当然水谷選手の戦い方を入念にチェックしてあったはず。一方水谷選手は中国との対戦ばかりを視野に入れ、世界ランキング3桁の選手のことなど眼中になかったことだろう。まさかこんな伏兵がいたなんて。マツモト選手といい、シルチェク選手といい、世界ランキングの低い選手といえどもあなどれない。

卓球というのはほんとうに相性で大番狂わせが起きやすい競技だと思う。それはそれでスポーツとして健全なあり方だ。しかしそれでも格下にほとんど負けない中国選手の強さは異常だ。未知の選手に対応するのは中国のトップ選手に必須の能力なのかもしれない。

水谷選手はこんなことで引退など考えないでほしい。まだまだ若いのだから、この敗戦を成長の糧としてがんばってほしい。

【追記】131005
上に言及した「中国の全国大会」というのは「全中国運動会」のことだという。今年の「運動会」には張継科選手が出場していないのかと思ったら、準々決勝で樊振東選手に早々と敗退したのだという。わずか16歳で現世界チャンピオン、オリンピック金メダリストを下すとは、後生畏るべし。なお、女子の李暁霞が優勝し、全満貫を達成したらしい。
 

世界選手権がはじまった。
昨日のミックスダブルスをネットでみたが、どれも危なげない試合だった。
そして今日の女子シングルス1回戦。石川佳純選手、平野早矢香選手は無名の選手と当たり、危なげなく勝利を収めた。

そして福原愛選手。相手は韓国選手ということでちょっと気を抜けない試合だ。

その頃、私は スーパーで「国産牛(うで)」と「国産牛(かた)」のどちらを買うべきか悩んでいた。それとも値段の安い豚肉にしようか、イヤイヤ、こいつは豚肉にしては高い。それなら絶対的な価格では高いけれど、牛肉を買うべきだ。しかし、「うで」と「かた」というのはどう違うのだろう?そんなことに神経をつかっていた。

そして、テレビ大阪で福原選手の試合を見てびっくりした。まさかここで負けるとは。
試合の内容はかなりあっけなかった。終始相手がリードして、結局そのまま追いつけず、2-4で負けてしまった。
福原選手のバックハンドが相手にまったく通用しなかった。プラス、福原選手の攻撃がほとんど入らない。フォアで打っても入らない。バックで打ってもミス、というか、1~2球はバックが入るのだが、それを相手がミスなく返球してくる。しかもときには強打で。

この負け方は、2~3年前の福原選手と同じだと感じた。バックハンドの打点をどんどん早くしていって、自滅してしまうのだ。相手が先にミスしてくれれば得点できるのだが、あいにく相手のバックハンドはかなり安定している。ミスがない。それで福原選手のほうが先にミスしてしまうのだ。
去年の福原選手はそうではなかった。相手の攻撃が激しい場合、攻撃で応じず、ブロックで粘って、甘い球を強打。こういう戦術に変わっていたので、自滅して負けることがなく、安心して観ていられた。
「愛ちゃんは、成長したな。相手の攻撃をじっと耐えられるようになった。先に攻撃させるというのは「後の先」っていうんだっけ」
これから福原選手は脂の乗り切った最盛期を迎えるに違いないと思わされたものだ。それがこの試合では「自滅の愛ちゃん」に逆戻りだ。 私には理解できない。

どうして相手の堅いバックにばかりボールを送るのか。 
攻撃が入らないのなら、どうして守ってチャンスを待たないのか。 

いったいどこで間違えてしまったのか。福原選手の試合後のインタビューでは「勝ちに行くつもりで攻めた」というようなことを言っていた。つまり強気で攻めようとしたようだ。

ところで牛肉の「かた」というのはよく説明があるのだが、「うで」というのはどの部分なのかよくわからない。
お肉道場
というページにも「かた」はあるが、「うで」はない。「かた」と「うで」はやっぱりつながっているのだろうか。考えてみると、肉の部位というのはどうやって決まっているのだろうか。
当たり前だが、肉には切れ目がない。切り取り線のようなものがあって、それにしたがって切っていけば、きれいに分かれるというわけではないだろう。「かた」と「うで」も連続していて、その適当な位置で切り分けられるに違いない。その位置というのは熟練した職人が長年の経験から最適な位置で切り分けているのだろう。そのような職人芸を私は尊敬してやまない。

卓球の試合というのは、形式的な切れ目がある。ゲームやポイントだ。しかしそれはあくまでも形式的なもので、実際は連続している。1ゲーム目と2ゲーム目の間に試合の切れ目があるとは限らず、2ゲーム目の7-6のときに切れ目がある場合だってあるだろう。7-6になったときのポイントが勝負の分かれ目だったということもあるだろう。そういう切れ目が経験豊富な達人には見えるのかもしれない。

福原選手の試合には切れ目があったのだろうか。

私ごときの見立てはおそらく間違っているだろうが、あえて言うなら、福原選手の戦い方は終始あまり変化がなかったように見える。途中からフォアで積極的に打とうとするという小さな切れ目はあったが、全体的にバックハンドの強打に頼りすぎていたように見えた。その強打で相手のバックを抜けない。それでさらに強打を重ねて自滅というパターンだったように見えた。切れ目が作れなかったこと、試合中に戦術を大きく変えられなかったことが福原選手の敗因だったのかもしれない。

明日の仕事の準備を後回しにしてこんな時間までテレビ中継を見てしまった。徹夜かも…orz。

 

初心者と卓球を楽しむコツというのを知りたい。

私は上手な人と定期的に打つことがあまりないので、卓球未経験者や初心者(遊びで数回やったことがある程度)の人と打つことがよくある(前記事「卓球の楽しさの原点」)。こういう人たち(人類の99%以上)と卓球を楽しめるようになれば、卓球人口が増え、卓球がメジャースポーツになるかもしれない。私が卓球愛好家向けにこんな駄文を連ねるよりも、未経験者や初心者に卓球を広めるほうが数十倍も卓球界に貢献していることになるのだ。さらに、もしあなたが初心者を楽しませるコツを身につければ、あなたの魅力は少なくとも3割増、もしかしたら10割増になるかもしれない。

今日、高い金を払ってジムなる施設に足を運び、単調な運動をする人が多い。また、ジョギングやマラソンは全国的なブームとなっている。しかし世間の人はあれを本当に楽しんでいるのだろうか?義務としてやっているのではないだろうか。「ジムに行くのが待ち遠しい」とか「あぁ、もっと走りたい」とか本当に思っているのだろうか。「少しぐらい運動しないと、体の調子が…」とか「最近、太り気味だからなぁ…」とかそんな人が大半なのではなかろうか。

それに比べると卓球は楽しい。仕事の帰りに「ちょっと卓球して行かない?」などと異性を誘い、それがきっかけで、毎月汗を流す関係になるかもしれない。こうなってしまえばこっちのものだ。

「月に1回、卓球でもやってみようかな」

となれば、

「毎週したい」

となるのは時間の問題だ。そうすれば、相手にとってあなたはかけがえのない存在になるだろう。「出会いがない」と嘆く若い人や、婚活中の人は、こんな方法でパートナーを見つけるのがオススメだ。卓球をやっている妙齢の女性は少ない(不思議と、卓球をしている若い人はイケメンが多い気がする)。たいていは子供か中高年だ。つまり、「出会い」を求める人たちが理想的な相手を卓球経験者から見つけ出すのは難しい。卓球未経験者や初心者をうまくとりこむしかないのだ。「卓球で婚活」なんてユニークじゃないか。こう考えると、出会いを求める若い人たちにとって卓球を楽しく教えられるかどうかは人生を左右する大問題ということになる。また、既婚者でも交友関係を広げたいと思っている人や会社で営業職に就いている人などは、この「能力」をもっているかどうかで人生が豊かになったり、仕事の業績を上げたりできる(かもしれない)。

そのためにはどうしても未経験の人に卓球の楽しさを伝える「能力」が不可欠だ。

しかし、本当の初心者と卓球を楽しむのは難しい。たいていの人はフォア打ちが往復2~3本しか続かない。初心者はどうやって楽しんだらいいか分からないから、めちゃくちゃに強打・乱打して、ほとんどミス。20分もすれば、もう飽きてしまう。「卓球っておもしろいね。またやりたいね」となるのには程遠い。

卓球の入門書を見ると、台を使わずに卓球で遊ぶやり方が紹介してある。玉突きをしながら体育館を一周してみるとか、台を使わずに数メートル離れた2人がノーバウンドで羽根つきのようにボールを打ってみるとか、壁打ちをしてみるとか。しかしいい年の大人が卓球場でこんなことをするのは難しいだろう。台はどうしても使わなければならない。

まず、「インスタント・ピンポン」のようなもので気を引くというのはさりげなさそうだ。職場などに持って行って、そのへんのテーブルで、卓球をしてみる。台が小さいから、気軽に楽しめる。経験者同士が遊びでやっていれば、未経験者も「おもしろそう!ちょっとやらせて」となるかもしれない。ただ、興味を持たせるきっかけにはなるかもしれないが、やはり30分ほどしか間が持たないだろう。

私が初心者と卓球をするときは、クロスにコース限定で初心者にブロックをさせることが多い。相手がほとんどラケットを動かさなくてもいい位置にボールを安定して打ち、だんだん慣れてきたら、少し強く打ってみる。最終的には普通のスピードのボールを打つところまでいけるだろう。相手は打っているうちに角度の感覚が分かり、だんだん強く打っていけば、自然と面を寝かせて打てるようになる。これはかなり達成感があると思われる。

「こんなに速いボールが返せた!」

という驚きに目を輝かせる人も多い。初心者にラケットを振らせると、とんでもないボールを打ってしまうので、初心者にはできるだけラケットをスイングさせないようにするのが有効だと思う。

ただ、前以てきちんと順をおって説明しないとうまくいかない。

「卓球がうまくなるコツは何か?一番手っ取り早いのが上手な人と打つこと。上手な人はミスしないから、ラリーが続きやすく、みるみる上手になる。しかし、上手な人は初心者と打ちたがらない。卓球で価値があるのは、速いボールを打つことではなく、ミスしないでラリーを続けること。初心者はミスばっかりで練習にならないから、初心者は敬遠される。これでは初心者は上手になれない。
そこで初心者がまず取り組むべきことは、ブロックの技術を磨くこと。ブロックだけを練習すれば、わりと簡単に速いボールが返せるようになる。まず、ブロックだけ練習してください。ブロックが安定していれば、上手な人も基本的な練習ぐらいはできるので、初心者の相手をしてくれるかもしれない。ブロックってそんなに難しくないですよ。ちょっとやってみましょう。」

と説明した上で、ブロックをひたすら練習させるのだ。これで20~30分は間が持つ。

しかし、ひたすらブロック対ロングの練習ばかりはできないから、次はフォアロングを打たせてみる。そのとき重要なのは、手首と肘を使わせないことだ。これを固定して、さらに初めのうちは肩も使わせない、腰だけで打たせる。ちょっとロボットっぽい打ち方になるが、これなら面が安定する。そして次第に慣れてくれば、肩も使えるようになってくる。フォアロングが安定してきたらしめたものだ。だんだん卓球がおもしろくなってくる。
次にゆっくりしたボールでフォアとミドルぐらいにボールを送ってやる。すると、相手はかなり動かされることになる。ちょっとした運動になる。ラリーが続けば、楽しい。これで20~30分ぐらい間が持つ。

最後にコースを限定せずに自由に打たせてやる。バックハンドはまだ打てないだろうから、こちらからはバックにできるだけ打たないようにする。これで合計1時間ぐらい楽しめるのではないだろうか。

ここで満足行くまで卓球をさせてはいけない。腹八分目だ。そうすると、「また来週もやりたい」という気分になってくる。こうやってしばらく続けたら、かなり相手も打てるようになってくる。そして次は友人も連れてこさせる。こういうやりかたで卓球を広めていきたい。

【追記】
いよいよ世界選手権2013パリ大会が開幕した。男女ともにかなり厳しいドローらしいが、健闘を祈る。
どうでもいいことかもしれないが、今日は葵祭。京都最古の由緒ある祭りだ。ちょっと退屈なのが残念だが、それでも「蔵人ってああいう服装だったのか」などと、歴史に興味があって、想像力さえあれば、楽しめる(かもしれない)祭りだ。 

【追記】 5/19
大橋宏朗氏の連載『卓球3ステップレッスン』が『卓球王国』で始まった。
これは非常に興味深い連載だ。
全く打てない初心者には球出しをするときも、サポートの近くから、ポテンポテンと出し、だんだん距離を開けて通常の多球練習に持ち込むといいとある。なるほど。サポートの近く(打者の近く)からなら、初心者にも打ちやすい。Z軸へ進むスピードが遅いため、打ちやすいのだ。
なるほど。これを読めば、たくさんの卓球未経験者を卓球に引きこむことができるかもしれない。
 

前回のおはなし
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先日、筆者が上手な人と打ったとき、相手が「沈むドライブ」を打った。
「沈むドライブ」というのは バウンド後、通常の弾道よりも低い軌道を描く、とりにくいドライブのことである。
そのドライブについては諸説があり、ある人(A)は弾道が低く、回転量の多いループドライブだという。またある人(B)はボールの上部を薄くこすったスピードドライブだという。また
ある人(C)は錯覚にすぎないという。
しかしそのドライブを打った当人は「力を抜いて打つと沈むドライブが打てる」と言う。果たして沈むドライブというのはどうすれば打てるのか。以下、筆者の考察にうつる。
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ドライブには厚く当てる打ち方と、薄く当てる打ち方がある。
この使い分けはとても重要だと思う。
たとえばフリックの打ち方を説明した以下の動画を見てほしい。


【卓球知恵袋】超簡単!安定感のあるバックフリック


やっすん氏は「8時から11時にラケットを振る」という点をポイントとして強調しているが、大切なのはむしろ厚く当てないようにする(押さないようにする)点のほうではないだろうか。たとえ9時から12時にラケットを振っても、この薄い当て方なら安定して入るような気がする。5:10あたりからのやっすん氏の実演をみると、ラケットはほとんど前方には行かない。打球時に「パコン」という音がしているので、完全にラバーとの摩擦だけで打っているわけではないが、自分から押していかないようにすればいいようだ。
当てにいかないで打つことが安定につながることがよくわかる。私たちがフリックをすぐにネットにかけてしまうのは、上にこすると同時にZ軸にもラケットを振ってしまうからなのだ。

打った当人が言っていたコツ「力を抜いて打つ」は、あいまいな表現ではっきりは分からないが、ラバーのスポンジに深くめり込ませないで打つ(ボールの威力が木まで到達しないようにする)ということかもしれない。仮にそうだとすると、どうなるか。回転量が多く、それほどスピードが出ない。
先の記事のヤフー知恵袋の意見のAで、回転量が多く、低い弾道のループドライブを打つと、沈むという意見があった。ループドライブというのは弧線が高いドライブのことである。弧線が高いと、落差が大きいため、バウンドも大きくなる。したがって沈むドライブにはなりにくい。しかしループドライブとはいえ、弧線を高く描かず、なだらかで回転量の多いドライブなら、沈むということだろうか。その際、中陣という位置も重要だったのではないかという気がする。前陣でそんな強烈な回転の弧線の低いドライブを打ったら、台から出てしまうからだ。

私が先日受けた沈むドライブは、このようなメカニズムだったと思われる。しかし私は他の人の沈むドライブを受けたことがある。これは前陣からの、とんでもなくスピードのあるドライブだった。先の記事のBのボールの上部を捉えるスピードドライブというのがこれだったかと思う。おそらく相当回転もかかっていたのだろう。AとBが矛盾するような説明になっていたことも、沈むドライブの打ち方には少なくとも2種類はあると考えると説明がつく。やや弧線を描く沈むドライブは中陣から放たれ、直線的な沈むドライブは前陣から放たれた。

とにかく、沈むドライブを打つ原理は

・弾道の高低差が小さい(直線的)
・薄く当てる
・回転量が多い
・浅く入る

というものだと思われる。

以上、いろいろ沈むドライブについて考察してみたが、あくまでも仮説の域を出ない。これから機会があれば検証していきたい。

しかし、私は沈むドライブが打てるようになりたいとは特に思わない。そのような高度な技術は身分不相応だからだ。それよりもむしろ、私はこの考察を通じて大きな収穫があった。それは薄く当てることが安定性につながるという発見である。特に、当てにいく力をほぼゼロにして、上方に擦り上げるとミスが減るということである。今までは相手のツッツキが切れている場合は、とにかく回転に負けないようにラバーにボールを食い込ませながら、全力でドライブしていたのだが、そうすると、安定性が下がってしまう。こすると同時にかなり厚く前方へ押していたからだ。いいタイミングで打てれば、相手の回転を利用して非常に速くて威力のあるドライブが打てるのだが、ミスも多い。戻りも遅い。
しかし、どうやらそんなに力まなくても、返すだけなら安定して返せることが分かってきた。つまり、切れたツッツキを返すにはラケットを当てにいかないようにして(上方にラケットを振り)、回転の軸を外して、薄くこすれば、スピードは出ないものの、わりと楽に返球できるのだ。そして「力を抜く」というのも当てすぎないようにするために必要なことかもしれない。

「確実に入れるには面を当てにいかないようにする」

これが安定性に課題のある中級者にとって大切な知恵だ。中級者は決まったコースで打つ分には、かなりいいボールが打てるが、ちょっと想定外のボールが来ると、すぐに詰まってしまい、ラリーに持ち込めないことが多い。結果、相手によっては自分の能力の半分も出しきれず、調子の波が大きい。厳しいコースやキツイボールをとりあえず確実に入れて、安定してラリーに持ち込むことが上級者への第一歩だと信じる。

一応、このようにまとめてみたが、Cの原田氏が沈むドライブについてあまり意義を認めていなかったのが気になる。あれはどういうことだったのだろう。もしかすると、原田氏のレベルだと、沈むドライブは特別な技術ではなく、デフォルトなのかもしれない。

【謝辞】
やっすん、いつもためになる動画をありがとうございます。上の動画は最近観た中で出色の出来でした。

「沈むドライブ」というのは、ドライブを打って、バウンドしたときに通常よりも低くバウンドするドライブのことである。
こういうドライブは意識的に打てるのだろうか?
できるとしたら、どんなコツがあるのだろうか。

この間、上手な人の相手をさせてもらったとき、相手が打ったドライブが沈んだ。
びっくりして

「さっきのドライブ沈みましたよ!」

と報告したところ、

「あぁ、ドライブを打つときに力を抜いて打ったから沈んだんでしょう」

とサラリ。え~!沈むドライブって意識的に打てるものなの!?

気になってネットで調べてみた。ヤフー知恵袋には次のように書いてあった。

A
・低い弾道のループドライブ
・回転量が多い

他の人の意見では
B
・ボールの上部を薄くこする

ということだった。
原田隆雅氏の「WRM卓球塾」でも沈むドライブについての質問に答えている。

原田氏によると、
C
・台の性質(表面が引っかかる)
・台の浅い位置でバウンドするから、沈んでいるように見える
・回転量が多い

ということだった。しかし、原田氏は実際にはそんなボールがあるわけではなく、沈むドライブというのは目の錯覚だと言いたげな口ぶりだった。つまり台のかなり浅い位置に入るので、普通のドライブよりもバウンドが低いように見えるということなのである。

AとBは矛盾する。もしAだとしたら、ボールの上部をこすった場合(B)、ループドライブにはならないのだから。

Aの説は理にかなっている気がする。しかし、弧線を低く描くループドライブというだけでは何かが足りない気がする。そのようなドライブは誰でもよく打っているからだ。しかし沈むドライブというのはめったにお目にかからない。

Bだとすると、そうとう直線的でスピードのあるドライブということになる。これも可能性がある。私が以前、他の上手な人と試合をした時にそんなタイプのドライブを受けたことがある。前陣から放たれ、スピードがあり、低く走るようなドライブだった。しかし私がこの間受けたドライブは中陣から放たれ、それほど直線的ではなかった気がする。ある程度弧線を描いてきて、それを受けようと出したラケットの下をすり抜けていったのだ。

原田氏の錯覚説(C)についてだが、私にはあれが錯覚だとは思えない。ボールのバウンド後、私がびっくりしたのだから。ドライブの軌道が私の意識の中にある通常の弧線とは違っていたのだ。ただ、確かに深いボールではなかった。
それにしても原田氏ほどの上級者が沈むドライブについてあまり積極的に発言しないのが気になる。それはつまり上級者で沈むドライブを意図的に打って得点源にしている人がいないということではないだろうか。

これは何を意味するのか。

X 沈むドライブはいろいろな条件が重なって偶然打てるものなので、この「技術」を磨こうという人はいない
Y 沈むドライブはあまりメリットがない

Xをさらに敷衍すると、

X 沈むドライブは実際は単なる低いドライブであって、打者が通常のドライブと沈むドライブを打ち分けられるわけではない。つまり打者の個性にすぎない。あるいは単なる目の錯覚である。

Yを同じように敷衍すると、
Y 決まれば効果を発揮するが、打つのに何らかのネックがある(たとえば、安定性が下がるとか、当てさえすれば、簡単に返されるとか)

う~ん、謎は深まるばかりである。

しかし、当の本人の一言「力を抜いて打ったから」をどう考えればいいのか。これはつまり打者が意識的に打てるということではないか。そうだとすると熟練すれば通常のドライブと沈むドライブを打ち分けられるということではないか。「沈むドライブ」というのは…そうか!

…つづく


先日、上手い人がこんなことを嘆いていた。

「初心者がよくアドバイスを求めてくるけれど、あんなのにいちいちとり合ってもしょうがない、ワンポイント・アドバイスをしたところで、うまくなるか?あんなもん、その場限りだ、明日になったら忘れてる。」

上手な人と試合をした後、よく「アドバイスお願いします」などと言ってしまうが、あれは意味がない事なのだろうか?

たしかに初心者は明らかに「間違っている」ことがある。たとえば、右利きの人がフォアハンドを振るとき、右足が前に出ていたら、さすがに「左足を前に出したほうがいいですよ」とアドバイスをするだろう。そしてそのアドバイスはたぶん効果がある。しかし、「足が動いていない」とか「腕だけで打っている」とか、そんなアドバイスをしても、意味はないだろう。初心者・初級者にしたら、そんなことは分かっているけれど、足は動かないし、腰を使って打つという感覚が分からないから、腰を使って打とうにも打てないのだ。

フォームに関するアドバイスは、さらに効果が薄いと思われる。
私も初級者に何度もフォームに関するアドバイスをしたことがある。積極的にしたいわけではなかったのだが、見るに見かねてアドバイスしたのだ。

「ボールを身体の真横で打っているので、もっと前で打ったほうがいいですよ」
「打つときに手首をカクッと曲げているので、手首を動かさないほうが安定しますよ」

しかし、そのアドバイスはまったく効果がなかった。その場限りの効果さえなかった。本人は気をつけて直しているつもりなのだが、傍から見ると、まったく変化がないのだ。打っている本人はどう「間違っている」のか意識できないものだ。

でも、人々はこれに価値観がおおく変わるのではないでしょうか。寺村誤用例集データベースより)

上の文は外国人の日本語の間違いである。こんな日本語を話す人に「私の日本語が下手です。日本語、教えってください」などと言われたら、どうすればいいのだろうか?

上の文なら、

「でも、人々はこれによって価値観が大きく変わるのではないでしょうか」

と直してみてもなんだか落ち着かない。これを自然な日本語にするとしたら、 

「でも、これによって大きく価値観が変わる人も多いのではないでしょうか」

 のように直さなければならないだろう。「これに」→「これによって」、「多く変わる」→「大きく変わる」 のように表面的な部分を直しても日本語として不自然である。そもそも根本的な文構造が間違っているのだ。英語では”People do something"のように文が始まってもおかしくはないが、日本語ではなんの修飾語もなく、突然「人々は~する」と始まる文は不自然である。根本的な文構造を直すのが先決であるはずなのに、その場しのぎの語句の添削をしていては、なまじ通じるだけに根本的な間違いに気づきにくくなる。

太り過ぎの例で考えてみよう。
痩せたいと思っている人がいろいろなサプリメントや効果があるとされる「ダイエット」を試してみてもほとんど効果がない。本人もわかっているはずだ。そんな姑息な方法ではなく、単に

「食事の量を減らす」「間食をなくす」「運動する」

これを実践すればいいだけなのだ。分かっているのにいろいろな「ダイエット」を次から次へと試す人が多い。

卓球の例に戻れば、フォームがどうとかは瑣末な問題で、効率よく動けるようにフットワーク練習をしたり、一定の場所に安定して打てるような基本練習をひたすら続ければ、フォームも自然に最適なものに変わるし、ボールタッチも身につくわけである。基本練習を積み重ねて、体に覚え込ませれば、その過程でおかしなフォームは自然に矯正されるものなのだ。それをフォームだけを直そうとしたりするから、なまじボールが入ってしまい、根本的な問題点の矯正が後回しになってしまう。

おそらく上の上手な人が言いたかったことはそういうことではないだろうか。
「地道な基本練習をろくにやってないくせに、やれフォームがどうの、ボールの当て方がどうの、なんて、ちゃんちゃらおかしいわ。そんなことに気を回す暇があったら、基本練習を完璧になるまでしろ!」



 

いつのまにか、EX氏の「元・卓球屋の日記」が復活している。
その中で非常に興味深い記事があった。

僕は卓球において一番大切な技術?はグリップだと思っています。グリップがその人の得意な技術、打ち方、スタイルを決めると思っています。   「卓球のグリップについて…」より

これは聞き捨てならない発言だ。「一番大切」とある。「一番」というのは言葉の綾かもしれないが、そんな重要なことに今まで大して注意を払ってこなかったなんて。
私はシェークのグリップをかなり浅く握る。このほうが力が抜けるし、手首がよく動くし、フォアドライブの威力が増すからだ。しかし、有名選手のグリップを見ると、みんなかなり深く握っている。「あんなに深く握ったら、威力のある球が打ちにくいんじゃないだろうか」といつも思っていたのだが、上のブログで詳しく説明してあった。とても勉強になった。私もこれからは深く握ってみようかしら。

日ペンのグリップについてもxia氏のビデオでその重要性についての指摘があった。
https://www.youtube.com/watch?v=nps1R6gnzH8
しかし、こちらは基本的な指摘(フォアを打つときは人差し指の力を抜き、表面バックを打つときは親指の力を抜く)にとどまり、突っ込んだ意見はなかった。

打球時に指にグイッと力を入れるかどうかでも、安定性がかなり変わってくる。グリップは奥が深いかもしれない。

サービスの切り方やドライブの角度などは多くの人が注意を払っているが、多くの人が注意を払っていない技術?の中も大切なことが結構あるのではないだろうか。

最近、私が悩んでいることはボールに力がこもらないことである。
腰を使って打つということを意識して、ボールを体の横ではなく、できるだけ前面で、コンパクトに打とうとフォームを改良しようとした結果、なんだかわけの分からない状態になり、ボールに力がこもらなくなってしまった。
ドライブを打つと、ネットにかかる。入ったとしても「力が伝わった」という実感がなくなってしまった。
スイングスピードが遅いのだろうか?打球点が悪いのだろうか?
いろいろ試行錯誤してみたのだが、よく分からない。

そしてやっと分かった。
体が横を向きすぎていたのだ。
フォアハンドを体の前面で打とうとするあまり、体が右を向きすぎていたのだ。
それに加えて『まったく新しいボクシングの教科書』に影響されて、左足を内側に向けすぎていたのも原因の一つだったかもしれない。
それに気づいて体をやや前面に向け、バイバイをするようにラケットを振ってみたところ、みなぎる充実感。
ボールを打っている!回転をかけている!という感覚が腕に戻ってきた。
打球点の早さや腰の回転、スイングの大きさといったことをはよく注意される点だが、体の向きやスタンスはあまり注目されない。これは意外に盲点なのではないだろうか。これはバックハンドが不調なときにもチェックしてみたいポイントだ。

他にも、アゴの角度やヒザの伸ばし方、つま先の向き、フリーハンドの位置、呼吸など、瑣末と思われることに実は不調の原因があるのこともあるのではないだろうか。


年甲斐もなく、「英語が話せるようになりたい」などと考えている。
まるでOLさんである。
いままで何度もこんなことを思い立っては三日坊主で終わっていた。時事問題とか、人生訓とか、そんな話を聞いたり、文章を読んでも、意欲が持続しない。

『外国語学習の科学』(岩波新書)によると、外国語を身につけるには、専門分野や興味のあることを教材に選ぶべきだと書いてある。文脈から知らない単語も類推できるし、何より「知りたい」という気持ちがあるので、意欲が持続する。

そこで、卓球関係の英文を読んでみようと思った次第である。

とりあえずITTFのニュースを読んでみよう。

まずは、中国選手の合宿に関する記事(05/06/2013)だ。
China Prepares for Paris at Werner Schlager Academy: Clear Training Distinctions

Day three of the Chinese National Team training at the Austrian based Werner Schlager Academy in preparation for the LEIBHERR World Championships in Paris, France (Monday, 13th May to Monday, 20th May) was divided into the typical morning and afternoon sessions. 

オーストラリアのシュラガーアカデミーで合宿しているのか。"was divided into the typical morning and afternoon sessions"というのがよく分からない。typicalというのは「典型的な」という形容詞だが、おそらく「いつもどおり、午前の部と午後の部に分かれた」ということだろう。

The morning session was further divided between table time and gym time, with approximately equal allocations between them; in common with prior visits gym work is never done on consecutive days. 

いきなり、難しいなぁ。午前の部は台での練習と筋トレがあって、それらの割合がほぼ同じだったらしい。"in common with"が「どちらにも共通して」みたいな意味で、"prior visits"が「事前訪問」、"consecutive "が「連続した」みたいな意味だから…?よく分からないが、筋トレは連日は行われないらしい。

Essentially, the in-season work, as is being done here, is to maintain the exceptionally fine conditioning they developed in rigorous off-season strivings, a time when playing is reduced and physical conditioning is emphasized.

…この調子で行くと、絶対に続かない。もう少しレベルを下げなければ。『外国語学習の科学』にも8割ぐらい理解できる簡単な教材を選んだほうがいいと書いてあった。

しかし、せっかくだから、 Fan Zhendong と Chen Weixing の練習試合の部分だけ翻訳してみよう。

Fan Zhendong versus Chen Weixing 
Among these players matches today, of particular interest was the contest between 16 year old World Junior Champion Fan Zhendong and the very veteran Chen Weixing, age 41. 

今日の試合のうちで特に注目されたのがFanとChenの試合だという。"veteran"というのは「老兵」という意味らしい。日本語の「ベテラン」は"expart"に近いと辞書にあった。

A number of observations come to mind in watching the match, the first from this observer is that Chen Weixing certainly did not look or play old and Fan Zhendong certainly did not look or play young. 

I love this sport.

"a number of"は「~の数」じゃなくて、「多くの」。"observation"は「感想」「所感」、"come to mind"は「出る」みたいな意味だろう。まず、思ったのは、Chen は中年っぽくプレーせず、Fan は若者らしくプレーしなかったということらしい。

Poor Start for Chen Weixing
The match started not so well for Chen Weixing, as his initial approach placed way too little pressure on this big gun. In long points and short points, Fan was comfortable orchestrating the proceedings to his favour. 

"placed way"の"way"が分からない。こういう基本語を辞書で引くのは骨が折れる。"proceeding"は「進行」のような意味らしい。とにかく、Chen の出だしはFan にほとんどプレッシャーを与えられず、Fan はゲームを好きなように進めたという意味だろう。

In response to this, Chen Weixing, who is nothing if not adaptable, forthrightly changed the point patterns considerably. He stopped his backspin defence on his forehand, choosing to counter loop on every opportunity to his forehand side. Most often this tactic did not score the point outright, but forced Fan Zhendong to reply to a shot type of high contrast to the extreme backspin coming from Chen's backhand defence. 

"who is nothing if not adaptable,"は彼以上に適応力の高い人はいないという意味だろう。"forthrightly" は「すなおに」みたいな意味、"considerably" は「かなり」。そしてフォア側のボールをバックカットするのをやめて、フォア側のボールはフォアカウンターでできるだけ返球した。"outright"は「きっぱり」とか「徹底的に」という意味らしい。つまり、カウンターで返したが、全く得点できなかった。"reply "は手紙の返事だけでなく、「反撃」という意味にもなるらしい。つまり、Chen の超切れたバックカットとカウンターのコントラストに晒したという意味だろうか?

今回、軽い気持ちでITTFのニュースを翻訳してみたが、1時間以上かかってしまった。こんなに時間をかけて英文を読んだのは何年ぶりだろう。その割に達成感がないorz。未習の言い回しが多すぎるのだ。
とりあえず分かったのは、中国チームの合宿はシュラガーアカデミーで行われている。3日めは午前と午後で台を使った練習と筋トレを均等にやったこと。陳衛星と樊振東の練習試合は予想通り、樊の圧勝だったこと。
あ~疲れた。

ITTFの英語は私にはレベルが高すぎる。今度はもっと手軽に読めるものを探さなければ。

部屋がモノであふれている。
昔買った本やCD等が捨てられずに溜まっていく一方だ。

昔、グラディウス(初代)という85年に発売されたコナミのゲームが好きで、基盤(ゲームセンター向けの機械)まで買ってしまうほど好きだった。ファミコンやパソコンに移植されたが、どれもオリジナルとは似ても似つかない出来だった。

「きっと、数年後にはグラディウスはゲームセンターから消え、プレーできなくなる。まだ3周目以降の復活パターンがちゃんとできていないのに。家庭用ゲーム機の移植版では満足できない。買うなら今しかない!」

と思って買ってしまったのだ。当時6~7万円ぐらいしたと思う。そしてこの基盤は特殊な基盤で、電圧のちょっとした変化ですぐ壊れる(バブルシステムという名前。カセット式で、ロムを替えると、ツインビー(初代)とかも楽しめた)。コナミに修理に出したりして、また2~3万かかった。
それが数年後にソニーのプレイステーションでほぼ完全な移植版が出て、数千円で購入できたのだ。しかも故障しない。

こんなことがいくらでもある。好きな本やCDが市場から消えていきそうになると、「買うなら今しかない!」と焦って購入し、おまけに「保存用にもう一冊」と計2冊買ってしまったりした。しかし、数年後にはブックオフができて、私が高い金を出して買った本やCDが100円とか500円とかで叩き売られている。これからは電子ブックが普及するだろうから、絶版とか品切れというのはなくなるかもしれない。

なんと愚かな私。そんなふうに焦って買わなくても、不思議なことにお気に入りのモノというのは、いつか再びめぐりあえるものなのに。

最近、その法則を実感した。
20数年前に買ったヤサカの名前のよく分からないラケットがヤフオクに出品されていたのだ。
120316_1036~01























珍しい6枚合板でコニックグリップ。当時の定価は3800円で、入門者用ラケット的な位置づけだった。
当時としても、値段が手ごろだったので、なんとなく購入したのだが、けっこう気に入っていた。久しぶりに握ってみると、ブレードがデカイ。そして重い。でも威力のある良いボールが打てた気がする。今はラバーを剥がすときに失敗して、上板が剥がれ、さらに合板を張り付けていた接着剤もダメになり、3~4枚目の板が剥離してしまい、使い物にならなくなってしまった。

それがなんと!ヤフオクに新品(!)で出品されていたのだ。まさかこんなシロモノに今になって出会えるなんて。本当にいい時代になったものだ。

panther



















そういえば、「パンサー」って名前だったっけな。レンズとかもないので、ラケットの名前をすっかり忘れていた…欲しいなぁ、これ。でもこれを買ったら、また後悔してしまいそうな気がする。値段を見ると、案の定、うなぎのぼりだった。このラケットが気に入っていた人は多かったんだろうな。
つい最近、用具は替えないと誓った舌の根も乾かないうちに、またこんなものを買ってしまったら、いつになっても上達しないぞ!と後ろ髪を引かれながらも、「パンサー」を諦めた。
また、いつかきっと、どこかでめぐり逢えるさ。
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それにしてもヤフオクをチェックしている人というのはレベルが高い。
ワカバなどのラバー貼りラケットが1500円とかで出品されていることがよくある。出品者も
「世の中にはいろいろな人がいるから、この値段でも買ってくれるかも」
と期待して出品しているんだと思う。
こういう出品をみると、
「こんなのを初心者がまちがって買っちゃったりするんだろうな。新品より高いかもしれないのに」
とか思うのだが、誰ひとり入札しない。100円でも、誰も入札しない。
この手のお得感のない出品に対して誰も入札しないというのは、考えてみたらけっこうすごいことではあるまいか。ヤフオクをチェックしている人が揃いも揃って用具の鑑識眼を持った人ばかりなのだ。
他にも「激安」とうたっている10ダースのトレーニングボールが3000円ぐらいで出品されていることがよくある。ネットショップなら、新品で買っても、同じぐらいの値段で購入できるので、オークションでこの値段では、割高である。やっぱり誰ひとり入札しない。
「激レア」とか書いてあっても、そういう煽り文句に全く流されない。誰も入札しない。
有名選手のサイン色紙が2000円ぐらいで出品されていたりするが、やっぱり誰も入札しない。

逆に卓球非経験者が出品した商品と思しきラケットに小さな写真だけが添えてあったりする。メーカー名はおろか、ラケット名、貼ってあるラバー名も一切記載がない。それが500円とかで出品されている。写真が小さいので、判別は難しいが、一見すると、ラバー貼りラケットかなと思う。しかし、写真をよ~くみると、どうやらラバーはバタフライのテナジーのロゴのように見える。
「シメシメ。こんな細かいところまでチェックしている人はいないだろう。500円で両面テナジーが手に入るならお得だな」
と思っていたら、やっぱりみんなチェックしているらしく、すぐに2000円ぐらいまで値段が跳ね上がっていた。

ヤフオクの卓球用具ウォッチャーって、チェックしすぎでしょ?
ヤフオクの卓球用具は破格で買える気がしない。価値の無いものは全く入札がないし、価値のあるものは相応の値段か、かなり高額な値段がつく。ヤフオクウォッチャーのチェックが厳しすぎるので、「こんないいものが、こんなに安いなんて!」という買い物はほぼ不可能。食指を動かす商品はいつもそれなりの値段がつく。うまい話というのはそうそうないものだ。
逆に出品者にしてみたら「けっこういいものなのに、こんな安く落札されてしまった」ということにはなりにくく、出品しやすいのだが。

この記事は、私が訪れた関西の卓球場の紹介である。卓球場めぐりを書くことにした経緯については以下の記事を参照。

「卓球場めぐり」

卓球場めぐり第1回は京都のど真ん中四条烏丸にある京都産業会館卓球場を紹介する。
京都でもっとも手軽に、そして安価に卓球が楽しめる施設の代表的な存在である。

京都のことを知らない人は京都駅が京都の中心だと思うかもしれないが、京都駅はむしろやや周辺で、京都の中心は京都駅から2キロほど北の四条通り(あるいは三条・御池通り)である。そこには地下鉄の四条駅(京都駅から北に2駅目)と阪急烏丸駅(大阪や神戸から京都に来る人が利用)が乗り入れている。その非常に便利な街なかに京都産業会館がある。産業会館とは京都織物卸商健康保険組合という、和装産業の保険組合が運営しているビルで、四条駅・烏丸駅から徒歩2~3分という超便利な場所にある。さらに四条烏丸で停車する京都市バス(5系統等数多くの路線)からも便利である。
四条烏丸











四条烏丸交差点南西角

四条通り











四条通、西方向(シティーバンクと、26番出口、バス停が見える)

四条烏丸は四つ角に銀行があり、そこから東に行くと、大丸、高島屋といったデパートがあり、京都で最もにぎやかなショッピング街が広がっている。産業会館の隣には池坊短大があり、きれいな女子学生が歩いているのをよく見かける。

産業会館正面












京都産業会館正面

この京都産業会館ビルの1階には京都市営駐車場が、地下には産業会館の駐車場がある。駐車料金は30分250円、1日2000円ほどである。車を止めたことがないので、詳しいことはわからない。自転車とバイクも駐められる。バイクは有料(30分50円)だが、自転車は卓球場のはんこをもらえば無料になる。自転車で行く場合は、地下駐車場(ビル南側に入り口)で無料にするためのはんこを押す用紙をもらっておくこと。

地下駐車場入口












ビル南側駐輪場入り口

ビルは昭和の香りのする古いビルだが、非常に広大な面積を占めるビルである。今では衰退しているが、かつて京都の和装産業がいかに非常に羽振りが良かったかを偲ばせる。催し物会場としてよく利用されている。

京都産業会館のビルの6階に卓球場がある。

卓球場入り口











6階卓球場入り口


以下にデータを示す(2013年5月4日現在)。

電話:075-211-6301(代表)この番号は産業会館の事務室。6F卓球場が営業中かどうか確認できる。
アクセス:地下鉄四条駅・阪急烏丸駅下車、26番出口すぐ。
料金:一人、一時間300円。一人でサービス練習というのも虚しいから、普通は二人になる。二人なら600円。
営業日:年末年始・京都産業会館の休館日(年4回、日曜日)以外は原則として毎日営業。
営業時間:13:00~20:30(ただし、水曜日は17:30~)
ラケット・ピン球貸出:あり(無料)
うわばき貸出:なし
予約:不可
台数:7台
飲食:不可。ただし、軽い水分補給は可。
更衣室:あり
指導・相手:なし
マシン:なし
用具販売:なし
ドリンク自販機:あり

台数は7台。
卓球場











卓球場

台はあまり高級なものではない。サポート、ネットもくたびれてはいるが、さして問題ではない。
問題は台の間隔が狭いことと、天井が低いことである。カットマンにとっては、後ろもちょっと狭いかもしれない。
隣の台で左利きの人がプレーしていると、回りこむ時に窮屈な思いをするだろう。
しかし、この好立地で1時間300円という料金を考えると、格安である。休日の14時前後はけっこうにぎわっているが、16時以降はわりと空いている。予約ができないので、確実にやりたいということなら、18時以降がオススメである。時間はそれほど厳密ではなく、10分ぐらいオーバーしてもOK。

客層は、中高年が趣味でやっているか、子供や家族連れが遊びでやっているか、大学生のサークルが6~8人ぐらいでやっていることが多い。上手な人はあまり来ない。

田山花袋の『温泉めぐり』には、そこに至るまでのエピソードとか、現地の人との交流や、名所、名物の紹介、湯の質なども記してあるのだが、卓球場の場合は…何を書けばいいのだろう?
とりあえず、周辺のことについて書いてみる。

四条烏丸交差点をずっと西・南・北に行くと、どんどん店が少なくなって会社や住宅が増えてくる。
東に行くと、人がいっぱいでちょっと東京の繁華街のような雰囲気が味わえる。10分ほど歩くと、鴨川があり、さらに歩いて行くと、祇園という地域に入る。四条通の南側には伝統的な日本家屋を保存した一角がある。その中に有名な禅寺、建仁寺がある。どうして有名な寺の周辺には歓楽街があるのだろう?浅草寺しかり、西本願寺然り。さらに東に行くと、突き当りに八坂神社がある。それを北に行くと、隣接して円山公園、浄土宗総本山の知恩院がある。八坂神社を南にしばらく行くと、清水寺がある。しかし、産業会館から八坂神社まで歩いて30分以上かかるので、産業会館の周辺というのはちょっとためらわれる。

まとめ
産業会館の卓球場は京都の超便利な場所で安価に卓球が楽しめるところである。
それほど混んでいないし、無料駐輪場もある。
相手さえ連れて行けば、しっかり練習もできる。
ただ、設備はそれほど整っておらず、広さも十分ではない。卓球に詳しい店員さんがいるわけでもなく、ただ場所を提供するだけの事務的な印象の卓球場である。

【追記】151116
産業会館が今年度いっぱいで建て替えられる。
卓球場も2016年から営業時間が17時までに変更される。
そして2016年3月15日をもって閉店するという。残念でならない。

産業会館

 

最近、バックハンドが安定してきたと思ったら、フォアハンドがおかしくなった。シュートドライブを主体にしたフォームにしようと試行錯誤していたら、フォアハンドが安定しなくなった。
チキータも確実にしたいのだが、まだまだ実用のレベルには達していない。
フリックというのもやってみたいのだが、いざというときに全然入らない。
ブロックもあまり上手ではないのだが、できれば当てるだけでなく、快帯というので返せるようになりたい。

私はお気に入りのラケットにめぐりあったら、つい買ってしまう。そして新しい用具を買うと、どうしても試してみたくなる。しかもまだ試していないラバーとラケットの組み合わせがたくさんある。

ラケットを1~2本しか持ておらず、余ったラバーもなかりせば、春の心はのどけからまし。

ラケットによっていい感触で打てる場所や回転のかけ具合も微妙に異る。「このラケットは先端寄りで打ったほうが力が伝わる」とか、「面を普段より傾けないと、ボールがオーバーしてしまう」とか。ラバーも硬さや弾みによってずいぶん打ち方を変えなければならない。
用具さえ決まっていれば、その用具に最適な打ち方に照準を合わせて、技術の習得に集中できる。用具が固定してさえいれば、打つ感覚の練磨だけに専念できるのに。

日ペンというのはフォアで決めるものだ。バックのプッシュやスマッシュを使う時もあるが、それはやむを得ない時で、例外である。決め技として日ペンの人にはフォアしかない(たぶん)。そうと決まればやることは決まっている。いかにフォア寄りに甘い球を打たせるかだ。ずっとバックを攻められて苦しい状況になるのは避けたい。ペン表の人なら、さらに選択肢がしぼられる。
そんな日ペン表の人がサービスを1種類しかもっていなかったら?
そのたった1つのサービスのバリエーションを増やすだろう。長さやコースを工夫したり、下回転に見せて横回転をかける工夫をしたりして、相手の浮いたボールを引き出さなければならない。
しかし、どうやっても相手をサービスで崩せない、サービスでできることに限界がある、ということなら、あえて相手に軽く攻撃させ、それを待ち構えるという戦術で優位に立つしかないだろう。手持ちの武器が少ない分、その使い方を工夫したり、戦術を練ったりすることに時間を割ける。
一方、フォアのドライブもミート打ちもでき、バックハンドも台上技術も多彩だということになると、選択肢が多すぎて、どんな場面で何を使うか迷ってしまう、目移りする、自分の立ち位置が見つからない。

いろいろな技を使えるようにするよりも、2~3の技を完璧にして、流行りの技術の習得などには取り組まず、ラリーの展開を工夫するほうが上達するのではないか。

私がいつまでたっても進歩がないのは、選択肢の多さに起因するのではないかと最近切に感じる。
例えば、「ツッツキとバックドライブだけは自信がある!」というスタイルを目指したい。

【追記】
日ペンはフォアで決めるしかないと述べたが、最近DVDを出した森田翔樹選手のプレーを見ると、両ハンドでガンガン決めに行くというのもあるようだ。

いよいよ今月は世界選手権である。
男女共にダブルスならメダルを狙えるが、シングルスは難しいかもしれない。
オリンピックと違って世界選手権は中国選手が大量に出場してくる。順当に行ってもベスト8がいいところかもしれない。
中国の最近の強さは異常だ。他国の選手が優勝するなんて想像できない。優勝どころかベスト4は男女共に中国選手で占められるだろう。尋常な勝負では日本選手は分が悪い。

男子なら、水谷隼選手がベスト4に届くかどうかが注目される。最近の対中国選手でもっとも結果を残しているのが水谷選手だからだ。

しかし私は丹羽孝希選手のほうに注目している。なぜかというと、丹羽選手は何か「隠し球」を持っているのではないかと期待されるからだ。丹羽選手は天才と注目を集めながらも、最近国際試合でほとんど結果を残していない。中国選手どころか、ヨーロッパの上位選手にもコロコロ負けている。
ブンデスリーガでプレーを始めた頃、「日本の快男児、ヨーロッパで大暴れ」という展開を期待していたのだが、結果はあまりパッとしない。しかしこれは世界選手権のための布石だったのではないかと考えるようになった。

中国選手に真正面から勝負を挑んで勝てる選手はいないだろう。運良く1勝ぐらいできるかもしれないが、その確率は低い。したがって搦め手から攻めなければならない。
「丹羽は中国と当たる前に負けてるだろう。日本で要マークは水谷だ。ちゃんと研究しておこう」
というのが中国の一般的な見方ではないだろうか。しかし、そう思わせておいて実は丹羽選手は「隠し球」を用意しているに違いない。丹羽選手は「これは世界選手権まで封印しておこう」と誓った技をいくつか持っているに違いない。そう考えればブンデスリーガでの残念な成績や先日のワールドチームクラシックでのあっけない敗北も説明がつく。
「俺が囮になる」と水谷選手が先輩らしいところを見せて、丹羽選手に対中国選手の秘策を授けたりしているかもしれない。丹羽選手はベスト16ぐらいまで小出しに「隠し球」を使い、中国選手と当たった時にはこの日のためにとっておいた技を惜しみなく使いきってメダルをとってくれるに違いない。伸び盛りの18歳が何の手も打たずに手をこまぬいて卓球界の檜舞台である世界選手権に臨むはずがない。
いや、実は丹羽選手も囮で、意外にも2009年の世界選手権から雌伏の期間を耐えてきた松平健太選手が大金星をあげてくれるかもしれない。

期待しているぞ、日本男子!

【追記】 5/17
私の予想通り?健太選手が馬琳をほぼ完璧な内容で下した。すばらしい!あの打点の早いカウンターはこれからも期待させられる。がんばれ、影の大本命、松平健太選手! 

田山花袋という作家がいる。
事実を愚直なまでに、そのまま小説にする「自然主義」というのを推し進めてしまい、現代日本文学を「私小説」という悪しき流れに導いた張本人として日本文学史にその名を残している。
「小説なんてのは、つまるところ嘘っぱちだ。事実をそのまま写して初めてリアリティーが生まれるのだ」
と言ったかどうか分からないが、「事実」というものがあると仮定して、それを「そのまま」写して事足れりとする安直な考え方は今では多くの人の失笑を買っている。花袋が上州の片田舎の出身で、小学校程度しか出ていないという経歴もその風潮を助長している。学歴で作家やその作品を値踏みする人は非常に多い。同じようなことを書いても、川端康成や谷崎潤一郎はカッコイイとされているのに、花袋の場合は単なる「エロオヤジ」のレッテルを貼られてしまう。

私は『蒲団』を読んだことがある。これはすごい小説だと思った。自分を主人公にして、周囲の人に対する批評や、自分のもとに弟子入りしてきた女学生に対する性欲までも赤裸々に綴っているのだから。

「妻の衰えた肉体と比べて…」
「他の男にとられるぐらいなら、あのとき自分のものにしておけばよかった」

なんて文章を奥さんは、そしてその弟子入りした女学生はどう感じながら読んだだろう。この小説が話題になってから、夫婦関係に少なからずヒビが入ったことは想像に難くないし、周りの花袋を見る目も変わっただろう。
『重右衛門の最期』というのも心を打つ作品だった。田舎の、警察も手を付けられないような無法者の生涯を題材に当時の田舎で起こっていただろう残酷な現実が活写されていた。そしてその重右衛門が手の付けられない悪党になってしまった原因は睾丸が人より大きかったという滑稽な理由によるものだった。自分がもし睾丸が極端に大きかったとしたら、どれほど笑われ、どれほど傷ついただろうと思うにつけ、この作品は真実を描いていると思わされる。

お気に入りの作家だったので、ずいぶん横道にそれてしまったが、田山花袋には『温泉めぐり』という作品がある。最近岩波文庫にも収録されたので手軽に読むことができる。この作品は温泉通としても有名な花袋が日本各地の温泉へのアクセスや性質、周囲の情趣、名物料理などを描写した紀行文である。花袋のふるさとの上州は草津や伊香保、水上といった温泉の豊富な土地なので、温泉に興味を持つようになったのかもしれない。
私は残念ながら、温泉には全く興味がない。それでこの本にはちっとも興味を惹かれなかった。しかし、温泉に興味を持つ人は、この本の説明に非常に助けられたことだろう。
「仁和寺にある法師」ではないが、その温泉地の最大の売りを知らずに、それを見逃してしまったら、さぞ悔やまれるに違いない。「あそこの名物の焼きまんじゅうを食べておけばよかった!」とか、「ちょっと足を伸ばせば絶景が広がっていたのに!」などなど。
また、思っていたのと全然違ったとか、こんないいところなら、もっと早くに訪れたらよかったなどと、当時の情報の少なさに残念な思いをした人も多かったに違いない。

『温泉めぐり』に倣って「卓球場めぐり」というのは需要があるだろうか?
私は以前、東京に行った時、「せっかくだから、卓球場を訪れてみたい」と思った。新井卓将氏の丸子橋スタジオや、原田隆雅氏の礼武道場などに行ってみたいと思ったが、土地勘がないのと、情報を集める気力がなかったので、結局断念した覚えがある。
関西にはどんな卓球場があるか関西の人も知りたいのではないだろうか。
そこでこれからちょくちょく関西の卓球場を訪れて、アクセスや設備、料金、雰囲気、一人でも行けるかどうかなどをレビューしてみたいと思う。

【追記】
丸子橋卓球スタジオへの道案内動画があった。ただ、ここにフラッと訪れて練習ができるかどうかは分からない。


ラージボールは、どうにもままならない。強く打ったかと思うと、ネットに突き刺さり、軽く当てたかと思うとフワッと飛んでオーバーしてしまう。ネットにかからないように必死で擦り上げて打つと、ネットすれすれでようやく入る。

何かがズレている。

入れなくてもいい力を入れて、入れなくてはいけない力を抜いている。

先日のラージの練習の時、バックのブロックをナックルで打つ人がいて、よくミスしている。そこでアドバイスをしてあげた。
「ブロックの時、ラケットを上から下に当ててますよ。真後ろから当てないと安定しませんよ」

ちょっと実演してみた。

「こんなふうにナックル気味に打つと、安定しな…え?」
フワ~~~~~
「ナックルで打つと…」
フワ
ナックルの角度で軽く当てると、ボールが飛ぶ!
具体的に言うと、ブレードを90°よりももう少し後ろに傾けて、その角度のまま押す。するとほとんど力を入れずに
フワ
これは、粒高の打ち方と同じだ。硬式球と同じようにかぶせて打つと、相当引っ掛けて打たないと落ちる。粒高のようにバウンド直後に面を少し上に向けて軽く押すと落ちないでそのまままっすぐ飛んでいく。
以前、「表ソフトの打ち方再認識」で面を上にむけて低い打球点で強打すると安定すると書いたが、面を上に向けて打てば落ちない!これがラージボールの秘密だったのだ!

世間には酒を提供する店がある。バーとか、スナックとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そんな店だ。
私は学生時代、バーに行ったことがある。しかしカクテル1杯700円とかして、とても高かった。それでせいぜい2杯しか飲まず、ひたすら友人とそこで話し込んでいた。スナックというのはあれだ、ドラマによく出てくる、仕事に疲れたサラリーマンが毎週通い、そこの「ママ」にグチを聞いてもらったり、慰めてもらったりするところだ。ラウンジというのは昔、アルバイト先の店長に一度連れて行ってもらったことがある。セクシーな服を着た女性がテーブルに一人?ついてくれて、酒の酌をしてくれるところだ。女性がテーブルについて、話し相手になってくれるのはありがたいが、そのために飲食代とは別に1時間あたり、3000円の追加料金とかをとられるのなら、一人で飲みたい。おそらくスナックよりも高くつくのだろうが、店長のおごりだったので、よく分からない。私はまだ行ったことがないが、キャバクラというのはもっとカネがかかるのだろう。

私は外で酒を飲もうという人の気持ちが理解できない。酒が飲みたければ、酒屋で買えばいいし、料理も食べたければ、スーパーで惣菜を買ってきて家で飲み食いすれば、ずっとお得なのに。
この手の店に行く人が少なくないのはおそらく酒を飲みたいのではなく、その付加価値の方に重点を置く人が多いのだろう。酒や料理がまずくても、きれいな女性とおしゃべりできたり、親身になって相談に乗ってくれる「ママ」がいたりすることのほうが大きいということだろうか。

私がそのような付加価値を求めるなら、卓球の話が聞けるところがいい。

アメリカにはSPiNという卓球BARがあるらしい。



食事や用具販売コーナーがあって、台の予約などもできる。ニューヨークやロスアンジェルスなどに店舗を構え、卓球台が十数台あるというから、小学校の体育館よりも広いのではないだろうか。

さらにティモ・ボルやワルドナーを招いてイベントを開いてしまったりする。フラッと立ち寄ったら、ボルが卓球やってたなんてドラマティックすぎる。


このアングルからだと、ボル選手のサービスがよく分かる。間近でトップ選手のプレーを見られるなら、たとえ打てなくても非常に勉強になるだろう。

なんだか楽しそうだ。近所にあったら行ってしまうかもしれない。

近所というほどではないが、大阪に中目卓球ラウンジというのができたらしい。
しかし、残念ながら卓球台は1台しかないし、有名卓球選手を呼んでイベントをするようなことも、今のところはなさそうだ。SPiNとは方向性が違い、よりアットホームでお遊び的な雰囲気を目指しているようだ。まったく卓球経験のない人といっしょに行って、酒を飲みながら放談し、興が乗ってきたら「ちょっと1ゲーム勝負してみる?」なんていって、ピンポンしながら親睦を深めるということだろうか?あるいはマナーの悪い若者たちがずっと台を占拠していて、「ちょっと打ちたかったけど、まぁいいか」みたいな雰囲気だろうか?

付加価値としては中途半端だ。ぬるい。

私なら、こんな店を作る。
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「マスター、来年、日生に入るのって誰か知ってる?」
「四天王寺の子と、明徳義塾の子が入るって聞いてますけど」
「この店に遊びに来たりするかな?」
「まだ、未成年だから、もう少し先じゃないですか?」
「ところでマスター、最近、バックハンドからの攻撃が安定しないんだけど、どうしてだと思う?」
「質問は1回に付き、1ドリンクです。」
「じゃあ、ビール1杯」
「ヱビスにしますか?コロナビールにしますか?」
「ビールもどきでいい。」
「じゃあ、『麦とホップ』でいいですか?800円になります」
「レシーブがうまくできなくて、試合でいつも先手をとられちゃうんだけど…」
「みうちゃん、お客さんにチキータからの展開教えてあげて!あの娘、高校のときはすごく強くて、全国でベスト16までいったことがあるんですよ。山田くん、球出ししてあげて!」
「お客さん、じゃあ30分、お相手させてもらいますね。よろしくおねがいします!」
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「みうちゃん、懇切丁寧なご指導、ありがとうございました。とても練習になりました。」
「いえいえ、おそまつさまでした。また注文して、指導させてください。」
「ところで今月のイベントは誰が来るの?」
「K大学のレギュラーの人が来るらしいですよ。うちの山田くんの後輩なんですって。」
「一度、ぐっちぃかやっすん呼んでくれないかなぁ。ところで後ろの台でやってるおばあさん、なにげにうまくない?有名な人?」
「昔、全日本で準優勝したことがあるそうですよ。練習相手がいらっしゃらないとき、ここの店員相手に打ってるみたい。」
「店員さんを相手にするってサービス料、けっこうかかるの?」
「マスターから2ゲーム取れれば、タダ。1ゲーム取れれば、1時間1000円。ストレート負けなら、1時間あたり3000円。」
「ちょっと汗かいたな。『いろはす』1つちょうだい!」
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また、妄想にふけってしまった。本当にどうでもいいことを書いてしまった。
でもよく考えたら、これってバーである必要はなくて、飲食ができる卓球場でもいいのかもしれない。
要するに気の向いた時に一人で行って、上手な人と打てるようなところなら、私は飲み食いできなくても構わないのだ。




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