『わかりやすい韓国の歴史』(明石書店)という韓国の初等教育用の国定教科書の翻訳を読んでみた。
小学生向けなので、詳しい年代などはほとんど省略してある。
目次・あとがきを除いた、教科書本体は139ページで、そのうち46ページが前近代、93ページが近代(1945年まで)である。戦後については全く記述がない。約1/3が前近代で、2/3が近代である。実際に数えてみたのだが、日本が出てこないページは30ページ未満にすぎない。残りの110ページほどに日本が登場する。実に8割近い量である。どんなふうに登場するかは予想通りである。どうしてこんなにストーカーのように日本に絡んでくるのか。もっと他に書くことはないのかと不思議である。おそらく前近代の資料は少なく、また誇るべき歴史もほとんどないために日本を目の敵にしているのだろう。
「与えるな、無駄な体力、ヒマとカネ」
上は小学校の通学路にあった標語である。この教科書の日本に対する記述の偏りのことを考えていたら、なんとなく思い出してしまった。
この教科書は小学生向けなので、それほどどぎつい書き方ではないのだが、たまには日本のことを忘れてほしいものである。
冒頭は子供と老人との韓国の歴史についての会話という形式で始まる。
「おじいさん、ほかの国から侵略されたときに、それらを退けて力強く国を守ったことも誇らしいですね」
「そう。それでも、今日われわれが世界に誇る文化の花を咲かせたし、ほかの国にも教えてやったんじゃ」
この会話がこの教科書の方針を端的に物語っている。一言で言うと、韓国の歴史は
・朝鮮民族は勇ましく、他国からの侵略を自力で退けた
・他国(ほとんど日本)に文化や技術を教えてやった
というものである。以後、この方針にあてはまる記述が繰り返し現れる。
日本と関連する記述を挙げていけば、4世紀の百済の王にインタビューをするという演出で王に次のように言わせている。
「また、倭(日本)にまでもわれわれの勢力をふるった。」P12
当時、新羅は唐と協力して半島を統一したというのが日本で教えられている歴史だが、唐に協力を仰いだという記述は全くない。任那についての記述や、日本のほうが優勢だったといった記述はもちろんない。
次は16世紀の李瞬臣である。「いたる所で群れをなして歩き回り、多くの人を殺したり、連れ去ったり、掠奪したりした」P28日本軍を苦しめ、大活躍をしたと説明されているが、最後は日本軍に殺されたということは出てこない。もちろんこの戦争は「海と陸地ですべて負け」た日本側の敗戦とされている。
次は14世紀の倭寇である。「高麗末、倭寇はわが国土にたびたび侵略して人びとの財物や命を奪っていった。」
もちろんそれに先立つ元寇の記述はない。
次は半跏思惟像を始めとする「わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本にも教えてあげた」エピソードの紹介である。
「王仁は百済の文化を日本に教えてあげた学者である。」「今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めているし、彼の功績をたたえる遺跡があちこちに残っている。」P45
「曇徴は日本に行って漢文も教えたし、紙、筆、墨、絵具、石臼などのつくり方も教えてあげた。」
王仁を日本文化の先生とあがめている日本人には出会ったことがないが、王仁については確かに日本書紀に論語と千字文を持ってきて、王子の傅になったという記述がある。しかしそれは中国文化を伝えただけであって、百済の文化とはいえないだろう。また「遺跡があちこちに」というのも言い過ぎで、大阪の枚方市と大阪市に残っているらしい(wikipedia による)。
曇徴が石臼を伝えたというのは日本書紀に「これが石臼の始めか?」のように書いてあるので、それなりに根拠があるのだが、紙、筆…というのは「上手に作った」とは書いてあるが、作り方を伝えたというのは勝手な解釈らしい。その上、曇徴は法隆寺の壁画を描いたことになっているが、これも全く根拠のないことらしい。
前近代の最後は朝鮮通信使である。日本の要請により、通信使を派遣し、行く先々で大歓迎だったという。
そしてこれ以降の近代の歴史は日本大活躍である。近代の日本は朝鮮人を殺し(村人を残らず殺したのような記述さえある)、朝鮮からいろいろなものを奪い(いちばん欲しがっていたのは「おいしい米」だそうだ)、朝鮮文化を破壊し、自由を奪った。そして朝鮮人が自立しようとするのを徹底的に邪魔し、露骨な妨害をする。絵に描いたような勧善懲悪である。
「日本はわれらに、わが民族はいつも他国の支配を受けてきた弱い民族であると教えた。また、日本はわれらの誇り高いハングルを使わせず、私たちの姓や名も日本式に直して呼ばせ、わが民族の精神をなくそうとした。」P113
(「いつも他国の支配を受けてきた」というのは間違っていないと思うのだが。それとハングルの使用を勧めたのはむしろ日本で、「創氏改名」というのも、強制ではなく、任意で行われたと聞くが。)
帝国大学や小学校等のインフラを整備したことには触れていない。鉄道を作ったことには触れているのだが、建設目的は「わが国の物資を日本に早く運ぶため」P110である。しかし、朝鮮人は日本による侵略にも負けずに抵抗を続け、
「民族全体が国の内外で力を合わせて日本に対抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた。」P127
アメリカのことは何も書いていない。そして奇妙なのは「義士」という存在である。天皇を爆殺しようとしたり、伊藤博文を殺したりしたテロリストが英雄となっている。こんな非合法手段で殺人を犯す人は歴史上都合が悪いのだから、書かないほうがいいと思うのだが、日本に害を与える人はどんな人間でも英雄になってしまうようだ。
戦後の朝鮮戦争や現代のことには触れず、1945年までの歴史で終わっている。自国に都合の悪いことは一切書かず、時には都合のいい解釈をし、執拗に日本を悪者に仕立てあげようとする意図が見て取れる。
それはつまるところ、「度重なる侵略者たちを努力の末に倒し、古い文化を日本に伝えてあげた」という歴史観に収斂する。
「侵略者に押さえつけられ、他国によってその支配から解放された歴史で、中国・日本からの文化の強い影響下にあった」という日本の朝鮮に対する歴史観とは正反対の歴史観である。
ここまで読んでみて、韓国人のコンプレックスは「隣国に侵略されるばかりだった」「自力では何も成し得なかった」「文化が乏しい」ということだと思われる。それで韓国人は自立と文化に敏感に反応する。自力で独自の文化を作ったという歴史がほしい。こういう素地があって韓国起源を頻繁に口にするのだろう。
しかし50年後、100年後の韓国人が現代韓国の文化を見て、果たして誇れるのだろうか。起源の捏造はもちろん、ドラマや小説、流行歌の類には日本に対する差別的で口汚い言葉があふれているだろうから、100年後には外国人にとても見せられない恥部になっているはずである。恥ずかしいからなかったことにしてしまうと、また韓国文化の大部分がゴソッとなくなる。韓国が1日も早く「世界に誇る文化の花を咲かせ」ることを願ってやまない。
ただこれとは別の理由で起源を捏造したこともあると思われる。
先日90年代前半に韓国に2年滞在したYさんの話を聞いて興味深く思った。
曰く、当時の韓国のテレビCMに剣道具を身につけた人が登場したので、「こんな日本的な映像を流して騒ぎにならないのだろうか」と不審に思ったYさんが韓国人に尋ねたところ、「あれは剣道じゃなくてクムドだ」と言われたんだそうだ。
戦前から剣道をやっていた韓国人はたくさんいたはずだ。やがて戦後になって日本的なものは迫害された。剣道なんかやっていたら、売国奴として殺されかねない。しかし剣道を続けたい。そこで苦し紛れについた嘘がクムドなのではないだろうか。戦前日本的なものに親しんでいた人が戦後になって身の危険を避けるために「実は起源は韓国だ」と言い始めたのではないだろうか。韓国が起源なら、日本的なものに関わっていても問題はない。というより、それは日本的なものではない。こういう保身のための処世術と韓国人のコンプレックスとが相まっての起源の捏造もあったのではないだろうか。日本文化がその「起源」を捏造されることが多いのは、それだけ日本文化に影響を受けていた人が多かったことの裏返しなのだろう。
小学生向けなので、詳しい年代などはほとんど省略してある。
目次・あとがきを除いた、教科書本体は139ページで、そのうち46ページが前近代、93ページが近代(1945年まで)である。戦後については全く記述がない。約1/3が前近代で、2/3が近代である。実際に数えてみたのだが、日本が出てこないページは30ページ未満にすぎない。残りの110ページほどに日本が登場する。実に8割近い量である。どんなふうに登場するかは予想通りである。どうしてこんなにストーカーのように日本に絡んでくるのか。もっと他に書くことはないのかと不思議である。おそらく前近代の資料は少なく、また誇るべき歴史もほとんどないために日本を目の敵にしているのだろう。
「与えるな、無駄な体力、ヒマとカネ」
上は小学校の通学路にあった標語である。この教科書の日本に対する記述の偏りのことを考えていたら、なんとなく思い出してしまった。
この教科書は小学生向けなので、それほどどぎつい書き方ではないのだが、たまには日本のことを忘れてほしいものである。
冒頭は子供と老人との韓国の歴史についての会話という形式で始まる。
「おじいさん、ほかの国から侵略されたときに、それらを退けて力強く国を守ったことも誇らしいですね」
「そう。それでも、今日われわれが世界に誇る文化の花を咲かせたし、ほかの国にも教えてやったんじゃ」
この会話がこの教科書の方針を端的に物語っている。一言で言うと、韓国の歴史は
・朝鮮民族は勇ましく、他国からの侵略を自力で退けた
・他国(ほとんど日本)に文化や技術を教えてやった
というものである。以後、この方針にあてはまる記述が繰り返し現れる。
日本と関連する記述を挙げていけば、4世紀の百済の王にインタビューをするという演出で王に次のように言わせている。
「また、倭(日本)にまでもわれわれの勢力をふるった。」P12
当時、新羅は唐と協力して半島を統一したというのが日本で教えられている歴史だが、唐に協力を仰いだという記述は全くない。任那についての記述や、日本のほうが優勢だったといった記述はもちろんない。
次は16世紀の李瞬臣である。「いたる所で群れをなして歩き回り、多くの人を殺したり、連れ去ったり、掠奪したりした」P28日本軍を苦しめ、大活躍をしたと説明されているが、最後は日本軍に殺されたということは出てこない。もちろんこの戦争は「海と陸地ですべて負け」た日本側の敗戦とされている。
次は14世紀の倭寇である。「高麗末、倭寇はわが国土にたびたび侵略して人びとの財物や命を奪っていった。」
もちろんそれに先立つ元寇の記述はない。
次は半跏思惟像を始めとする「わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本にも教えてあげた」エピソードの紹介である。
「王仁は百済の文化を日本に教えてあげた学者である。」「今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めているし、彼の功績をたたえる遺跡があちこちに残っている。」P45
「曇徴は日本に行って漢文も教えたし、紙、筆、墨、絵具、石臼などのつくり方も教えてあげた。」
王仁を日本文化の先生とあがめている日本人には出会ったことがないが、王仁については確かに日本書紀に論語と千字文を持ってきて、王子の傅になったという記述がある。しかしそれは中国文化を伝えただけであって、百済の文化とはいえないだろう。また「遺跡があちこちに」というのも言い過ぎで、大阪の枚方市と大阪市に残っているらしい(wikipedia による)。
曇徴が石臼を伝えたというのは日本書紀に「これが石臼の始めか?」のように書いてあるので、それなりに根拠があるのだが、紙、筆…というのは「上手に作った」とは書いてあるが、作り方を伝えたというのは勝手な解釈らしい。その上、曇徴は法隆寺の壁画を描いたことになっているが、これも全く根拠のないことらしい。
前近代の最後は朝鮮通信使である。日本の要請により、通信使を派遣し、行く先々で大歓迎だったという。
そしてこれ以降の近代の歴史は日本大活躍である。近代の日本は朝鮮人を殺し(村人を残らず殺したのような記述さえある)、朝鮮からいろいろなものを奪い(いちばん欲しがっていたのは「おいしい米」だそうだ)、朝鮮文化を破壊し、自由を奪った。そして朝鮮人が自立しようとするのを徹底的に邪魔し、露骨な妨害をする。絵に描いたような勧善懲悪である。
「日本はわれらに、わが民族はいつも他国の支配を受けてきた弱い民族であると教えた。また、日本はわれらの誇り高いハングルを使わせず、私たちの姓や名も日本式に直して呼ばせ、わが民族の精神をなくそうとした。」P113
(「いつも他国の支配を受けてきた」というのは間違っていないと思うのだが。それとハングルの使用を勧めたのはむしろ日本で、「創氏改名」というのも、強制ではなく、任意で行われたと聞くが。)
帝国大学や小学校等のインフラを整備したことには触れていない。鉄道を作ったことには触れているのだが、建設目的は「わが国の物資を日本に早く運ぶため」P110である。しかし、朝鮮人は日本による侵略にも負けずに抵抗を続け、
「民族全体が国の内外で力を合わせて日本に対抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた。」P127
アメリカのことは何も書いていない。そして奇妙なのは「義士」という存在である。天皇を爆殺しようとしたり、伊藤博文を殺したりしたテロリストが英雄となっている。こんな非合法手段で殺人を犯す人は歴史上都合が悪いのだから、書かないほうがいいと思うのだが、日本に害を与える人はどんな人間でも英雄になってしまうようだ。
戦後の朝鮮戦争や現代のことには触れず、1945年までの歴史で終わっている。自国に都合の悪いことは一切書かず、時には都合のいい解釈をし、執拗に日本を悪者に仕立てあげようとする意図が見て取れる。
それはつまるところ、「度重なる侵略者たちを努力の末に倒し、古い文化を日本に伝えてあげた」という歴史観に収斂する。
「侵略者に押さえつけられ、他国によってその支配から解放された歴史で、中国・日本からの文化の強い影響下にあった」という日本の朝鮮に対する歴史観とは正反対の歴史観である。
ここまで読んでみて、韓国人のコンプレックスは「隣国に侵略されるばかりだった」「自力では何も成し得なかった」「文化が乏しい」ということだと思われる。それで韓国人は自立と文化に敏感に反応する。自力で独自の文化を作ったという歴史がほしい。こういう素地があって韓国起源を頻繁に口にするのだろう。
しかし50年後、100年後の韓国人が現代韓国の文化を見て、果たして誇れるのだろうか。起源の捏造はもちろん、ドラマや小説、流行歌の類には日本に対する差別的で口汚い言葉があふれているだろうから、100年後には外国人にとても見せられない恥部になっているはずである。恥ずかしいからなかったことにしてしまうと、また韓国文化の大部分がゴソッとなくなる。韓国が1日も早く「世界に誇る文化の花を咲かせ」ることを願ってやまない。
ただこれとは別の理由で起源を捏造したこともあると思われる。
先日90年代前半に韓国に2年滞在したYさんの話を聞いて興味深く思った。
曰く、当時の韓国のテレビCMに剣道具を身につけた人が登場したので、「こんな日本的な映像を流して騒ぎにならないのだろうか」と不審に思ったYさんが韓国人に尋ねたところ、「あれは剣道じゃなくてクムドだ」と言われたんだそうだ。
戦前から剣道をやっていた韓国人はたくさんいたはずだ。やがて戦後になって日本的なものは迫害された。剣道なんかやっていたら、売国奴として殺されかねない。しかし剣道を続けたい。そこで苦し紛れについた嘘がクムドなのではないだろうか。戦前日本的なものに親しんでいた人が戦後になって身の危険を避けるために「実は起源は韓国だ」と言い始めたのではないだろうか。韓国が起源なら、日本的なものに関わっていても問題はない。というより、それは日本的なものではない。こういう保身のための処世術と韓国人のコンプレックスとが相まっての起源の捏造もあったのではないだろうか。日本文化がその「起源」を捏造されることが多いのは、それだけ日本文化に影響を受けていた人が多かったことの裏返しなのだろう。