しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2012年04月

若いころは可能性に満ちている。どんな夢でも自分次第で叶えられる。
自分にはどんな未来が待っているのか。その選択肢の多さに若者は胸を膨らます。

しかし、江戸時代以前はどうだったのだろうか。江戸時代には能力によって出世する人がいたことはいたが、稀だったに違いない。農民の子は農民に、武士の子は武士に。自分の将来の選択肢が多すぎて迷ってしまうなどということはなく、単に「決まった道を大過なく歩み、無事に次の世代に受け渡す」というのがその時代の人生観だったのではないだろうか。「人生は自分で切り開いていくものだ」という大前提がそこにはない。現代でもインドやネパールにはカーストが根強く残っており、こういう人生観の人がたくさんいるに違いない。

前置きが長かったが、私たちが卓球をする理由は何かといえば、それは楽しいからという理由に尽きる。それが大前提なのである。しかしその大前提がない人々に卓球をさせるにはどうすればいいのだろうか。

先日、全く経験のない知人を卓球に誘ったのだが、彼らと卓球をするのは非常に難しかった。彼らの卓球をする動機は運動不足解消だった。彼らにとって卓球は必ずしも楽しいものではない。そういうい人たちに卓球の楽しさを教えることの難しさよ。

はじめに「往復10回のラリーを続ける」という目標を課してやらせてみたのだが、それがなかなかうまくいかない。無意識にナックル気味の球を打つ人がいて、相手がとれない。クロスで打っているのに突然ストレートに打ったり、深い球を打ったりしてラリーが続かない。「下に少しこすっている」と指摘しても自分がどういうラケットの振り方をしているか自覚がないので直せない。軽く打てばネットにかかり、それを調整すればホームラン。ボールが台に落ちるように打たせることがこんなに難しいとは。
いろいろアドバイスをしてフォームを矯正してあげようと思うのだが、彼らにしてみれば「なぜ自分はこんなことをしなきゃいけないんだ?」と思っていることだろう。

論理の飛躍があるのだ。どうして勉強をするのか訳も分からず受験勉強をさせられている高校生のように、卓球の楽しさを知らずにラリーを課せられるというのは順序が逆なのだ。まず卓球の楽しさをつきとめて、それを未経験者に伝えることが先決なのだ。

どの卓球の入門書を見ても、

「卓球は楽しい」(大前提)
→「卓球が上手になれば、もっと楽しくなる」(小前提)
→「だからこの本で学んで上手になりましょう」(結論)

という三段論法である。この大前提を獲得する方法をこそ知りたいのに。


卓球の楽しさとはいったい何なのか。

速い球を打った時の爽快感?…いや、ストップで返球し相手をつんのめらせるのも楽しい。

相手の心理を読み切ったときの満足感?…いや、コースの決まった練習をしている時も楽しい。

自分がボールを思い通りにコントロールしたときの達成感?…いや、スマッシュをギリギリ返球したときは、追いつくのに必死でコントロールしようとさえ思っていない。

なんだか認識論哲学みたいになってきた。

卓球の楽しさというのは謎である。経験者にとっても、未経験者にとっても共通するような大前提としての卓球の楽しさとはなんだろうか。これさえ究明できれば、卓球人口を飛躍的に伸ばすことも可能ではないだろうか。

思い返してみると、私が初めて卓球を始めた日、指導者の人は私たちに玉突き、壁打ちをさせた。それがミスなく数十回続いて初めて台で打たせてもらったような記憶がある。何も分からずそれに熱中していた小学生時代。もしかしたらボールをラケットで打った感覚そのものが卓球の楽しさの原点なのかもしれない。


前回、ホームセンターで買ってきた、もっちりスポンジをラケットに貼り付けてみた。スポンジだけでもアンチラバーっぽくて十分打てた。

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今回はそれにサラサラ天然ゴムを貼り付けてラバーを作ってみた。
それがこれである。
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ゴムのりで貼りつけたところ。
しかし、案の定張り付かない。そこで粘着力が強力な公認接着剤で貼り付けてみたら、なんとか貼り付いた。

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要らない部分を切った。

それを今日、試打してみたのだが、アンチラバーと割り切るなら、十分な性能をもっていた。

スポンジが超厚いので、普通のアンチよりも返球が1テンポ遅れ、飛距離があるように感じた。
相手をしてもらった人(Fさん)はこのラバーについて

「こういうラバー、東京の人はよく使ってますよね。なんていったかな…、そうそうアタック8みたいな感じ!」

と言っていた。東京の人はアタック8をよく使っているという新情報も入手できた。Fさんがいったい何千人の東京の卓球人を対象にして「よく使っている」という結論を出したのかは不明である。

というわけでこのラバーを「アタック7」と名付けることにした。「アタック9」と名付けるのはアームストロングに申し訳ないので遠慮した。

よく考えてみると、スポンジだけでも十分楽しめたような気がする。

しばらく使ってみたら、今度は紙やすりで表面を削ってみたりしようと思っている。

【追記】
アタック7を剥がしてみたところ、スポンジがボロボロになってしまった。普通のラバーのスポンジに比べると、かなりスカスカなので、貼替えには耐えられないようだ。考えてみれば、マークV程度のスポンジの柔らかさでも、剥がすと切れたり裂けたりするのだから、それ以上柔らかいスポンジでは貼替えには耐えられないのだろう。

最近、初級者の人から「練習の時みたいに、試合でもいいボールが打てたらなぁ」と言われた。その人は練習の時は鋭いドライブを打てるフォアハンドを持っているにもかかわらず、試合のときはその破壊力のあるフォアハンドがほとんど沈黙しているのだ。

その嘆きはどこかで聞いたことがある。それは私が中学時代に惰性で卓球をやっていた頃によく感じていたことだ。練習の時にはすばらしいラリーが続くが、試合ではその力の半分も出せず、サービスとレシーブだけで試合の大勢が決してしまう。それで私はだんだん卓球がおもしろくなくなって、卓球を十数年休んでしまったのだ。

どうして初級者は練習の時のプレーを試合で活かせないのか。それは卓球というスポーツの勘所を見誤っているからだと思う。私は卓球というスポーツは意表を突き合うスポーツだと思う。

卓球では先に攻撃したほうが絶対に有利である。そこでプレイヤーは自分が先に攻撃しようとする。
卓球は反射神経が大切だと聞いたことがあるが本当だろうか。私はあまり大切ではないと思う。それよりも予測のほうが大切なのではないだろうか。

以前、中国の元プロ選手に指導を受けていた時、こんな質問をした。
「サービスを出した時、次の球がフォアに来るかバックに来るか分からないんです。3球目攻撃をしようとして、3球目をバックに回りこんで打とうと思ったら、フォアにレシーブされて、完全に手上げでした。だからといって、相手がボールをどこに打つかをじっくり観察して、ボールをラケットに当ててから動いたら、攻撃が間に合わず、弱い返球になってしまいます。どうしたらいいですか?」

先生ははっきり答えてくれなかったが、ご自身は「なんとなくどこにボールが来るか予測できる」というようなことを言っていた。超人的な反射神経を持っていたら、もしかしたらボールがどこに来るかを見定めてから攻撃態勢に入っても間に合うのかもしれないが、一般人は無理なのではないだろうか。プロの試合を見ていても、ときどき完全に裏をかかれているのをみると、プロでも反射神経だけでプレイしていない(あるいは相手がボールをどこに打ったかを見定めてから返球しているわけではない)ことが分かる。もし反射神経だけでプレイしているのなら、完全に裏をかかれるということはないだろうから。

卓球は先に攻撃したほうが有利である。先に攻撃するためには相手の甘い返球を待ち構えて狙い撃ちしなければならない。相手が甘い返球をするのは(コース的にも、回転的にも)意表を突かれた時である。となると、卓球は相手の意表をつくことから始めなければならない。

例えば3球目攻撃をするためには相手の意表をつくサービスをしなければならない。バック側にサービスを出すと見せかけて、フォア側に速いロングサービスを出す。たぶん相手はミドルからフォアあたりに甘い返球をしてくると予測して、そこで待ち構える。相手は意表を突かれ、攻撃態勢が間に合わないので強い返球はできない。自分がミドルからフォアあたりで待ち構えていると気づき、バック側ギリギリにストレートに返球する、あるいはフォア側のサイドを切る、非常に厳しいギリギリのコースに返球する。そうすると、自分も意表を突かれて攻撃が間に合わない。甘い返球になってしまい、攻撃できない、やっとのことでミドルに返球すると、そこでレシーバーが待ち構えていて…。

このように相手の攻撃を封じるためにお互いに意表を突きあって、自分が先に攻撃を仕掛ける。この「意表付き合戦」あるいは「予測合戦」を制したプレイヤーこそが試合に勝てるのだ。

練習の時、コースを指定して「サービスを出すので、バック側につっついてください」などといって3球目攻撃の練習をするが、そのように意表を突かれないコースに返球された場合は、迷いなく先に攻撃できるので、自分の能力を遺憾なく発揮できる。

しかし試合ではそうはいかない。初級者の試合を見ていると、サービスに対するレシーブミスとか、3球目攻撃の失敗で失点というのが非常に多い。どうしてこういうことが起こるかというと、サーバーもレシーバーもどちらも何ら予測をせず、漫然と次のボールを待っているからなのである。レシーバーはどんなサービスが来るか全然分からず、第1球目のサービスに意表を突かれアタフタして何も考えず返球する、サーバーは2球目のレシーブがどこに来るか予測しておらず、ボールが飛んできて初めて反応し、相手の甘い返球(予想外に深く高いボール)に意表を突かれてアタフタし、苦し紛れに3球目を強打してミスというのが初級者の試合である。

「練習の時のようなプレーが試合では全然できない」というのは、卓球の勘所である意表・予測をしていないからなのである。あるいは次のボールが予測できるところにサービスやレシーブをしていないということなのである。卓球の勘所は、速いボールや激しいスピンのかかったボールを打つことではないし、反射神経を研ぎ澄まし、ヤミクモに次のボールに集中したとしても、攻撃などめったにできるものではない。そうではなくどうやって相手の意表をついて、次のボールを予測し、自分から先に攻撃するかを考えなければならないのである。より具体的に言えば、どうやって自分のサービスで意表をつくか、あるいはどうやってレシーブで意表をつくか、そして次にどのコースでどんなボールを待ち構えるか。1手先ではなく、数手先まで予測する、それがいわゆる試合の組立てというやつである。

【追記】
先日、試合に参加してみた。惨憺たる結果だったが、一つ収穫があった。上に書いたことに関連して、上手な人と、あまり上手じゃない人の違いがわかった。上手な人は動きが止まらない。サービス・レシーブを打ってからゆるゆるとではあるが、絶え間なく動いている。あまり上手じゃない人は、ボールを打った後、動きが止まる。
つまり上手な人は、打った後、次にすべきことがなんとなく分かるが、上手じゃない人は打った後、何をすればいいかわからないのだ。

「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。」(ヘンリー・フォード)

最近初心者・初級者の相手をする機会が多いので、オススメの卓球書はないかといろいろ探しているのだが、この本がなかなかよかったので紹介したい。

本の方はオマケで、DVDがメインである。DVDで学んだことを本で確認するという使い方がいいようだ。
協和発酵の選手、シェーク攻撃型の木方慎之介選手とペン表速攻型の多勢邦史選手の二人の日本のトップ選手をモデルにしている。
初級者から中級者向けのシェーク裏・裏の攻撃型選手を想定して書かれているが、随所にペン攻撃型選手への注意点なども記してある。

今は絶版になっているらしく、図書館などで見るしかないのが惜しまれる。
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この本の特筆する点は3つある。
1つ目は佐藤氏の説明が分かりやすいことだ。
2つ目は佐藤氏の人間性に好感が持てることだ。
3つ目はDVDの作りが凝っていることだ。

1つめについてだが、佐藤氏はDVDの中で説明の初めに「サービスで重要なことは次の4点です」のようにナンバリング(これから話すポイントがいくつあるかを示すこと)で、全体像を示し、「回転を加える、狙ったコースに打つ、スピードがある、打つタイミングを変える」のようにラベリング(その一つ一つの項目でどんなことを話すか予告すること)を使って、話す項目を予告している。こういう論理的な話し方ができる人は知性が高いと思われる。
本書では佐藤氏の「卓球の基本」である「動く」「打ち分ける」「回転(ボールの回転というより、むしろ体の回転に重点があるか)」「リズム」「戻る」に沿って解説が行われている。「戻る」を重視しているのがおもしろい。そういえば以前坂本竜介選手が何かの卓球の試合を解説していた時、一流のプレーをする上で「戻る」ことが非常に大切だということを話していた。卓球書に「素早く戻りましょう」などとよく書いてあるが、基本の5項目の一つにしたのは卓見ではないだろうか。他にも「リズム」を重視しているのもおもしろい。ただ、この「戻り」「リズム」がどう大切か、どうやってこれらのポイントを磨けばいいのかの詳しい説明は残念ながら見当たらなかった。

本書の構成は次の通り。

1.基本動作:グリップから姿勢、フットワーク、フォア・バックのフォーム等。
2.サービス
3.リターン&レシーブ:ドライブ、ショート、ツッツキ、ロビング、スマッシュの打ち方等。
4.上達テクニック:より実践的な3球目、4球目攻撃とその練習方法。筋トレ等。

他にコラムと監督インタビューがある。コラムは「試合の前に忘れ物がないか、トイレにちゃんと行っておくように」といった子供向けのアドバイスばかりなので、あまりおもしろくなかった。監督インタビューについては後述。

2つめについてだが、佐藤氏は巻末のインタビューで「人間力=相手の気持が分かること」を重視しているという。単なるテクニックだけでなく、相手のことをよく考えることが、相手の立場から自分をみることができるようになり、上達につながるという哲学は信頼できる。これは人間関係を築く上でも、相手の裏をかく上でも有効である。山田ズーニー氏の著書に『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 (ちくま文庫)というものがある。

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この本の冒頭にいくら話し方がたくみで、知的であっても、人間として信頼できなければ相手は聞く耳を持たないというようなことが書いてあった。だから話し方のテクニックを身につける前に、相手との信頼関係を築かなければならないと。たしかに日本でトップクラスの成績を残した選手が監督になったとしても、自身の言行が一致していなければ、たとえば人には厳しく、自分には甘いといったような人が監督になったら、いくら現役時代の成績が良かったとしても、選手は監督の言うことに耳を貸そうとしないだろう。したがって人間性や哲学というものこそ指導書には大切だと思う。私は佐藤氏は信頼できる人だと思った。青森山田高校の吉田安夫監督や東山高校の今井良春監督などが指導者として一流なのはテクニックよりも人間性や哲学によるところが大きいのではないだろうか。お二人の逸話として、毎日選手たちよりも早く練習場に来て掃除をしていたとか、自腹を切って卓球部の備品を買っていたといったことを仄聞している。

最後にDVDについてだが、体重移動が分かるように足の部分を赤く光らせたり、スローモーションの使用や正面・側面・上方の視点から撮影していたりと、非常に凝っている。本を読まずにDVDだけを繰り返しみれば十分で、とても分かりやすい。

ただ、小さなことだが、よく「ボールに対して直角に打つ」のように言っているシーンでラケットがどう見ても前に傾いているのだが、あれはどういうことだろうか。詳しい説明がほしいところである。

まとめ
シェークハンドの裏・裏攻撃型という標準的な戦型の初中級者にオススメしたい本である。
佐藤氏の説明と構成の妙、DVDの完成度の高さは類書の中で群を抜いている。

これは卓球のラバー自作をめぐる試みである。

卓球のラバーは高い。時にはラケットよりも高い。私が昔、卓球をバリバリやっていた頃(80年代)はスレイバーやマークVは2000円だった。バタフライのタキネスが一番高いラバーだった。3000円だった(ヤサカのトルネードというラバーはそれよりも高く、3300円ぐらいだったような気がする)。しかしその値段には納得できた。

タキネスは、「粘着力」という今までのラバーにない性質を備えていたからだ(トルネードは琥珀色(薄いオレンジ)の珍しい色だったが、打った感じはマークVとの違いが分からず、ちょっと騙された気がした)。

昔語りはさておき、ラバーの値段が高すぎる。その代表がテナジーだが実売価格が5000円強である。

tenergyテナジー64FX 実売5040円

定価でいえばティバーの「1Q」のほうが上らしいが、実売価格はそれほどでもない。

1q

TIBHAR 1Q 定価6,720円(税込) 実売4,700円(税込)

シェークハンドなら、2枚貼るので、約1万円もかかる。

ラバーを持続可能的に低価格で購入することはできないものだろうか。
一番手っ取り早いのは工場直売である。1メートル×1メートルの巨大なテナジー相当のラバーが2000円ぐらいで買えたらいいなぁ。

テナジーを制作している(と思われる)「朝日ラバー」に問い合わせてみた。
http://www.asahi-rubber.co.jp/products/other/index.html

しかし、予想通り「小売はできない」という答えだった。

私の主義として、「銭失いになっても惜しくないような金額であれ」というのがあるので、1000円以上する高級なシリコンゴムなどは私の主義に反する。そこでホームセンターに行って、それらしいものを買ってきた。

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WAKI SANGYO 「NRスポンジゴム」(左)約100円、「ゴムシート GS-07」(右)約200円

左はウレタンよりももっとモッチリした感じのスポンジである。「天然ゴム系」と書いてある。厚さが5mmもある。
右は厚さ1mmのふつうの天然ゴムシート。サラサラである。こんなサラサラではアンチラバーしか作れない。でも「ゴリラ」みたいな強烈なアンチラバーが作れるなら、それもおもしろい。

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すごい厚さになった。赤いラバーのスポンジ厚は薄。


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これをラケットに貼ってみた。この上にさらにゴムシートをトップシートとして貼ろってみようと思うのだが、とりあえずこのままスポンジのみで打ってみるつもり。レビューはまた機会を改めて。

あなたは自分の身体の限界や特性を知っているだろうか。

たとえば

「今日は4時間ぐらいパソコンに向かって事務処理をしたから、集中して事務処理ができる時間はあと2時間ぐらいだ」
「午前中は肉体の限界の70%ぐらいで練習したから、午後は50%ぐらいのパフォーマンスで3時間ぐらい練習するのが精一杯だろう」

のように、自身の体力・知力の限界を知った上で客観的に自分の能力を配分できるだろうか。

若い時は自分の限界が無限に思えて、「2日間、徹夜すれば、この仕事は片付く!」のように無理な目標設定をして失敗していたが、中年になった今は「昨日はあまり寝ていないから、今日1日で本当に集中できるのは4時間だけだろう」のように冷静に自分のパフォーマンスを分析できる。

自分の身体を知るおもしろさというのを以下の本から学んだ。

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朝原宣治 『肉体マネジメント』幻冬舎新書

筆者の朝原氏は36歳のとき、北京オリンピックの400mリレーで銅メダルを取った陸上選手。体力がモロに結果に反映する陸上競技で、36歳という年齢にもかかわらず世界トップレベルの結果を出せるというのは信じられないことである。卓球なら30代の選手が10代、20代の選手に勝てるということも珍しくないが、陸上では難しいのではないだろうか。きっと何かおもしろい秘密があるに違いない。

本文中にこんな記述がある。
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僕の場合でいえば、同じ10秒15のタイムであっても、若い頃の10秒15と2007年に出した10秒15では、そのプロセスがまったく違っています。
 それが100mのようなスプリント競技の面白いところです。
若い頃は筋力に頼った動かし方で走っていました。自分から動かす意識が強かったと思います。それでも10秒15が出せました。
しかし、ベテランになってからの僕の筋力ではそれができなくなったので、体幹を固めて、地面からの反動をより効率的に利用することを考えた動きになった。【中略】自分から動かすというよりも、自然に進む技術を身につけたと言えます。さらに経験を積んでいくうちに、集中力や、練習の組み合わせ方、ピークを合わせる方法にも長けてきました。
2007年に出した10秒15は、総合力で成り立っているタイムです。
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肉体的にはピークを過ぎていても、工夫次第でいい結果を出せるというのはおもしろい。その工夫を手探りで見つけていくのだ。

例えば、あなたの趣味が「車」だったとする。トランスミッションはもちろんMTである。
あなたは次のようなことに興味を持つに違いない。

・時速100キロまで加速するのに何秒かかるか
・燃費はどのぐらいか
・近所の坂道を登る時、何速で走るのが一番走りやすいか。
・何キロぐらいのスピードで交差点を曲がったら、後輪が滑るのか。

さらにマフラーやタイヤを取り替えた場合には、どのぐらい性能が上がったかを確かめたくなるに違いない。

パソコンが趣味の人もメモリを増設したり、グラフィックボードを取り替えた時にパソコンの性能を確かめてみたいと思うはずだ。

こういう楽しみを自分の身体でしてみるという発想はなかった。自分のパフォーマンスがどんな時でも変わらなかったら、自分の身体について知りたいとは思わないだろう。しかし自分の身体のパフォーマンスは心がけやトレーニングでずいぶん変わってくる。たとえば前の晩に酒を飲んだら、次の日のパフォーマンスはいくらか落ちるかもしれない。逆に十分な睡眠をとって、朝、軽く部屋の掃除などをしたら、パフォーマンスがよくなるかもしれない。毎日朝1時間、晩1時間ジョギングしたら、もっといいパフォーマンスが出せるかもしれない。いろいろなことを試してみて、どんなことをすれば一番パフォーマンスが高まるのかを知るのは楽しそうである。

『肉体マネジメント』には以下の記述もある。

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そして、「体との対話」を繰り返していくうちに、人間の体には、動きを引き出すための「感覚」があることに気づきました。この動き方が良いという外見的なものではなく、自分の体の内面にある“型”のようなものです。その“型”をしっかり覚えておいて、そこにガチッとはまると良かった動きが再現できる。
それがわかってからは、がぜん競技が面白くなってきました。
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私も頭が冴えている時と、鈍い時がある。その調子の良さを引き出す「型」を把握して、大きな仕事の前にうまくその「型」にはめられたら、人生をかなり効率良く過ごせるに違いない。若いころのようなパワーのない、ポンコツ車でもチューンナップすれば、若いころと同じパフォーマンスを出せるなんて、ワクワクする。
肝心なときに自分の最高のパフォーマンスを出せるように自分を管理していけば、後輩などに「○○さんは、40代なのに全然衰えませんね」などと言われるかもしれない。


ボトムアップとトップダウンという情報処理のタイプがある。

これらは外国語学習でよく用いられる概念だが、
1語1語を順番に理解していき、それらの部分の総合として全体を理解するのがボトムアップである。
読む前にある程度「おそらくこういう内容だろう」のようにアタリをつけておいて、全体を理解するのがトップダウンである。

コンピューターは部分から理解していくボトムアップ処理は得意だが、トップダウン処理は苦手である。このトップダウン処理というのは人間のほうが比較的得意な処理である。

卓球はボトムアップの処理では間に合わない。相手の一つ一つの動作(ラケットや身体の向き等)から「次はフォアサイドに鋭いツッツキが来る」と分析して、対応するのでは遅いのである。こちらがサービスを出す前からある程度の予測をしておき、こちらのサービスを相手が返球するのを「やっぱりここに来たな!」のように確認しながら対応しなければ素早い動きはできない。

上級者はこのようなトップダウン処理が得意に違いない。私のような下手の横好きは、相手の次のボールが想定できず、想定外のコースのボールがきてアタフタすることが多いが、上級者は私のようにアタフタすることが少ないように思う。ほとんどのボールが想定内なのだ。

どうすれば上級者のようにラリーにおけるトップダウンの判断ができるのだろうか。そのコツのようなものが知りたい。

前回は「短時間で集中して欠かさず苦手な技術を中心にトレーニングするとよい」という結論に達したが、練習メニューはどのように組み立てたらいいのだろうか。

文系である私にとって数学は大の苦手である。数学の勉強はいつも後回しで、英語をやったり、歴史や古文を勉強したりして、いつも数学から逃避していた高校時代だった。好きな勉強と嫌いな勉強があった場合、その勉強する順番はどちらが効率がいいのだろうか。

A:好き+嫌い
B:嫌い+好き


私は高校時代、Aのやり方で勉強していたわけである。しかし心理学には「プリマックの原理 premack principle」というのがあって、Bのほうが効率がいいとされているらしい。プリマックの原理とは

「より生起率の高い行動(よくすること・好きなこと)は、より生起率の低い行動(あまりしないこと・嫌いなこと)を強化する現象」

と説明されるが、簡単に言うと、「宿題したらゲームしていいわよ」ということらしい。「原理」なんて大仰な言葉を使わなくても、Bのほうが効率がよさそうだというのは容易に想像がつく。

では嫌いな数学の勉強から先にやらなければならないとなると、なかなか勉強に取り掛かれない。何か理由をつけては数学の勉強を先送りする。その理由の代表例が「部屋の掃除」である。
このように嫌いな勉強が先にあると、勉強そのものにとりかからないという本末転倒になってしまうので、

「英語(好きな勉強)+数学(嫌いな勉強)+英語(好きな勉強)」

という順番で勉強するのがいいとこの本に書いてあった。

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高畑 好秀『試合に勝つためのスポーツ・メンタルトレーニング』ナツメ社

同様に卓球の練習で言えば、

「サービスからの3球目攻撃(好きな練習)+フットワークの練習(嫌いな練習)+サービスからの3球目攻撃(好きな練習)」

のように練習すれば、ふだん練習する頻度の少ないフットワークの練習にも取り組みやすいわけである。

まとめ
練習メニューの順番は、

まず好きな練習で釣っておいて、気の進まない練習をし、最後に大好物の練習をする

という順番が良い、と一応言えそうだ。


水谷隼選手がレシーブの時にシャツの胸元を引っ張っているのをよく見る。たとえば以下の動画なら02:36のところでその仕草をしている。02:52でも、03:18でも、している。



水谷選手特有の癖かと思ったが、丹羽孝希選手もときどき引っ張っている。日本選手の間だけで流行っているのかとおもったら、海外の女子選手も引っ張っていた。一体シャツの胸元を引っ張る意味は何なんだろうか。

これは「条件づけ」を利用したテクニックらしい。パブロフの犬が有名だが、餌をやる前にベルを鳴らすようにして、慣れさせると、ベルを鳴らすだけでヨダレを垂らすようになる、というあれだ。

たとえば集中する前にシャツの胸元を引っ張るようにして、身体が慣れたら、胸元を引っ張れば(刺激)、自動的に集中できる(反応)という仕組みである。集中だけとは限らず、リラックスかもしれないし、闘争心を高めているのかもしれない。また、刺激のほうもシャツを引っ張るだけでなく、勇壮な音楽を聞いたり、コーヒーの香りなどでもOKかもしれない。まぁ、卓球の試合中には音楽やコーヒーは使えないので、サービスの前にボールをラケットの上で転がすといった刺激が使われることが多いようだ。

これは心理学の中でも「行動心理学」という立場の心理学で強調された考え方だという。

この「刺激」と「反応」の「条件づけ」というのが本当に有効だとしたら、いろいろな場面で役に立つテクニックかもしれない。条件づけというのはおそらく2つの行為で終わるものではないだろう。

「長いサービスを出す」(刺激)→「一歩下がる」(反応・刺激)→「フォアハンドで打つ体勢に入る」(反応・刺激)→

のように2つめの「反応」が「刺激」となり、3つめの「反応」が起こり、それが同時に「刺激」になる、のように4つや5つの行為の間にも条件付けが使えるに違いない。これを上手に使えば無意識に4つや5つの行為が流れるようにミスなく行えるようになるかもしれない。多球練習も2つのアクションだけでなく、4~5つのアクションで条件付ければ試合で役に立つかもしれない。

このような条件づけを自分の体に覚えさせるには「リハーサル(繰り返し)」を何度も行わなければならないが、同じ事を黙々と機械的に繰り返すよりも、声を出して繰り返した方が心に深く刻まれるようだ。
たとえば

1.相手のサービスをつっつくときに「チャー」と叫び、
2.相手が突っ突き返してきたら、回りこんでループドライブをするときに「シュー」と叫び、
3.一歩下がってミドルに戻ってきたボールをスピードドライブで決めるときに「メーン」と叫ぶ。

このように何かのアクションに特定の音声を添えることで脳により深く刻み込まれる。これは『あした天気になあれ』でも実証?されていることだから、かなり効果があるだろう。特定の技術に特定の音声を与えることによって、ミスが少なくなるのではないだろうか?


ツッツキ:「チャー」 フォアループドライブ:「シュー」 フォアスピードドライブ「メーン」
フリック:「ワン」 バックハーフボレー:「タン」

「ハーフボレー+ハーフボレー+フォアスピードドライブ」で担々麺になる。

他にもスマッシュを「ドン」にして、丼物のバージョンを作ってもいいかもしれない。

毎日2時間練習するのと1日おきに(例えば月水金)4時間練習するのではどちらが効率がいいだろうか。

Aタイプ:合計10時間
月:2時間練習
火:2時間練習
水:2時間練習
木:2時間練習
金:2時間練習

Bタイプ:合計12時間
月:4時間練習
火:休み
水:4時間練習
木:休み
金:4時間練習

心理学では前者Aは「分散学習spaced practice」、後者Bは「集中学習massed practice」と呼ばれている。
多くの人はAの分散学習のほうが効果があると考えるのではないだろうか。同じ合計時間なら、分散学習のほうが効果があるという。しかし例のように、たとえBの合計時間が上回ったとしても、やはりAのほうが効率がよさそうな気がする。

今回は心理学書を卓球に応用できないかと試みたものである。なお、当方は心理学の門外漢なので、用語の使い方や理解の正確さに関してはご容赦願いたい。

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市川伸一『勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス』 (岩波ジュニア新書)

この本は認知心理学の立場から従来の受験勉強法の問題点を指摘した本である。中高生向けなので、非常に分かりやすい。スポーツは肉体だけでなく、精神も重要だとすると、この受験勉強へのアドバイスも卓球に応用できるかもしれない。

さて、先ほどの分散学習についてだが、どうして効果があるのかはまだ定説がないらしいが、wikipediaによると次のように説明できるらしい。(  )内は引用者注。

1.分散学習では、休憩中に学習した内容をリハーサル(回想)する事が可能である。
2.分散学習の方が、学習対象に注意を集中しやすい。
3.分散学習の方が、様々な視点から学習対象の符号化(記憶にとどめること?)を行いやすい。

1は休憩した時に練習内容を振り返ることができるということ。2は短時間なら集中力が持続するということ。3は「様々な視点から」というのがどのようなことを指すのかよくわからないが、記憶に残りやすいということだろう。たしかに1日に授業が4時間も5時間もあったら、今日何を学んだかあまり頭に残らない。以上の1~3は体験から納得できる説明である。

つまり、短時間で、毎日かかさず勉強、いや練習することが大切ということである。京都で卓球教室を開かれている西田行輝氏も1960年代当時の東山高校卓球部の練習環境について「まともに使える卓球台が3台しかなかったから、1年生のうちはほとんど台で練習できなかった。毎日フットワークの練習と筋トレばかりだった。台を使って練習できた僅かな時間に集中して練習したら、インターハイで優勝できた。」とおっしゃっていた。

長時間の練習にも効果的な面(例えば筋力的に)はあるのだろうが、長時間の練習は集中力が持続しにくいという欠点がある。

また、練習内容にも気を配るべきである。たとえばフォア打ちやバックのブロックといった基本的な練習ばかりではあまり上達は望めない。すでに十分できている技術の練習を長時間繰り返しても(これを「過剰学習」という)あまり効果はないらしい。なんとなく歯磨きに似ている。磨きにくい所を磨かず、磨きやすいところだけ磨いて、磨いた気になっていても、結局虫歯になってしまう。だとすると、福原愛選手が子供の頃毎日課されていたという千本ラリーは恐ろしく時間のムダだったということになる。そのような十分できている技術ではなく、自分が不十分だと感じている技術に練習時間を割くのが有効らしい。毎日欠かさず練習すれば上達するというわけではなく、練習内容を工夫しないと、いくら努力しても時間の無駄になってしまうということである。


まとめ
心理学的な提案が卓球の練習にそのまま当てはまるかどうか分からないが、仮に当てはまるとすると、練習時間はむやみに長くせず、毎日欠かさず、集中力を保って、苦手な技術を中心に練習を行うべきである。

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